皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
場内がざわめき始めた。無責任な外野の声が大きくなる。
だが、シンボリルドルフは対照的にクールだった。焦りを押し込み、まずは呼吸を整える。レースを組み立て直すためだ。
(さて、どうしたものか……)
絶体絶命のピンチ。それなのに、頬がわずかに緩む。
諦めたのか? 自問自答がよぎる。
(……こういう時ほど、妙に心が澄む)
自分で結論づける。
前方ではビゼンが動いたおかげで、外への進路がわずかに開きつつあった。
(まだまだ、これからだ。ジュニアでここを走った時の、あの鋭い脚を使えれば……)
逆境を跳ね返すべく、ルドルフは心の爪を研ぐ。
一瞬、瞼を閉じた。
(フレンド姉さん、見ていてくれ)
姉が微笑んでいた。優しい笑顔だった。
「もう大丈夫」と言うように、すっと消えていく。
レース中に会えるのは、これが最後だろう。
――あなたを応援してくれる新たなウマ娘が、もう現れているのだから。
(トウカイテイオーか……)
新バ戦で感動したと言ってくれた少女。
府中の喫茶店で見せた、あの屈託のない笑顔。
ルドルフの勝利を信じて疑わない、純真な瞳。
(負ける訳には、いかないな!)
目を見開くと、胸の底から気合が湧き上がる。
手足が軽くなる。身体が戦闘態勢へ切り替わる。
四コーナー、七番手。
ルドルフは外へ活路を求める。
内で併走するニシノライデンがダッシュをかけた。
「任せたで!」
同期の声援がライデンに飛ぶ。
「勝てよな! ライデン!」
栗東寮の仲間が背中を押す。
二人は役割を終えたように、ずるずると下がっていく。
「おうよ!」
勇気をもらったライデンは、最内の経済コースを突く。
前方ではビゼンニシキが外を進み、大きなトモで砂を蹴り上げていた。
その瞬間、内外にぽっかりと空間が生まれた。
まるでダービー制覇のバージンロードのように。
「よし、ここだぁ!」
最後の直線。
光明を見つけたルドルフは、迷わず突っ込んだ。
「ルドルフっ、覚悟っ!」
ビゼンニシキが内へ寄せる。
また肉弾戦か――。
「ええい、ままよっ!」
ルドルフは外へ進路を切る。
航跡はクロスしたが、寸前でかわした。
「よし!」
バトルは回避。
だが、大外を回ることになった。
そして内側のビゼンニシキは、ルドルフとの交差を契機に気合が空回りし始める。
「どうしたんだ!? 脚が動かない!」
押しても伸びない。
ビゼンはずるずると後退していく。
ルドルフは親友に最後の一瞥を送った。
(やっぱり……マイラータイプのビゼンは、スタミナ切れか……)
前を見据え、眼光が鋭くなる。
「行くぞっ!」
不利な大外。
だが、気合でねじ伏せるしかない。
まずは先行の三人。
ルドルフは闘志で第一段目のロケットを点火した。
必死の形相で加速。
内側の三人を、大外から一気に抜き去る。
ビゼンの悔しげな顔が遠ざかる。
「あかん! ここまでや!」
ニシノライデンも抜き去られた。
だが、彼女らは最終ターゲットではない。
真の敵は、遥か先で息を潜めている。
(あとは、スズの二人!)
ルドルフはさらに気合を込め、前を射抜く。
直線半ば。
三人が競り合っていた。
フロントランナーはスズマッハ。
ラチ沿いを必死に逃げる。
二番手はスズパレード。
先頭は二度目のスタート地点を越え、坂を登る。
「ルドルフは後方か。これは、もしかすると……」
大本命は五バ身以上も後方!
「スズだけじゃ、ないでしょ!」
二番手のウマ娘が怒鳴り、必死に脚を繰り出す。
「スズはスズでも、私、パレードの方よ!」
スズパレードが懸命に食らいつく。
三人の激しい鍔迫り合い。
そこから抜け出したのは――
『スズマッハ先頭! まだ粘っている。他の二人は遅れた!』
アナウンサーの声が響く。
「まだ、目の前には誰もいない!」
マッハが歓喜の声を上げる。
「悔しいけど……」
パレードが涙を浮かべながら二番手争い。
もう一人も顔をくしゃくしゃにして走る。
スズマッハは坂の途中で勝利を確信した。
意欲が全身に滾る。
無我夢中で脚を繰り出す。
「あと ちょっと!」
誰もいない草原を駆ける。
パレードらも最後の粘りで迫るが、蹄音は届かない。
ついにゴール板が見えた。
三人が再び競り合う――
マッハがぐいと前に出る。
「よし、勝った!」
勝利を確信し、右手に力こぶを作った。