皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
コースを走り終えると、三人はクールダウンに入り、それぞれ持参したドリンクを口にした。汗とともに、心地よい息が漏れる。
「ルドルフちゃん、なんか綺麗になったね」
イズモが首を傾げて覗き込む。
「そうだな。髪なんか光ってるし」
ペガサスが白い歯を見せた。
「綺麗かどうかは……まあ、調子はいいぞ」
ルドルフは胸を張る。速歩のキレ、キャンターの力強さ、肩腰のしなり。誰が見ても絶好調だった。
「で、次どうするの? 高松宮杯って噂も聞くけど」
イズモが探るように言う。
「海外遠征って話もあるよな」
ペガサスが反応する。
「いやいや、クラシックのこの時期に国外はないでしょ」
「シニアのトップと当たるなんて、普通はあり得ないぜ」
二人は好き勝手に騒ぐ。チームメイトですら気になるのだ。まして世間はなおさら。東条やスピードの発言が面白おかしく切り取られ、憶測が飛び交っていた。
本来なら、無敗の二冠ウマ娘は夏を休養に充て、当然のように三冠を狙う。だが、菊花賞の話が一向に聞こえてこない。
「特別になりたいんだ」
「とくべつ?」
二人が同時に首を傾げる。
「他の誰とも違う。誰も見たことのない頂きを見てみたい」
その言葉に、二人はぽかんと口を開けた。
ルドルフは腕を軽くさすり、鍛え上げた肉体を確かめるように息を吐く。
彼女の次走は、ウマ娘、トレーナー、ファン、マスコミ――あらゆる者が注目していた。
「アメリカはどうなんだ?」
ペガサスが言うと、
「西海岸のG1、ミリオンレースは七月中旬。芝二千で日本に近い軽いバ場。ルドルフちゃん向きかも」
イズモが詳しく補足する。二人なりに調べ、考えてくれているのだ。
「アメリカか……。スピードシンボリさんもワシントンDCインターナショナルで苦労したって聞くし……」
海外遠征は、環境の変化に適応できるかが鍵だ。
「理事長に相談してみたら? 欧州のウマ娘みたいにリラックスできる環境を整えてもらうとか」
「なるほどな。北米で慣らしてから欧州へ、ってルートもあるか」
ルドルフは頷きかけたが――
「でも、本命はやっぱり凱旋門賞でしょ!」
「そこ狙いだよな!」
二人が声を揃える。
「まだ決めていない。状態を見極めたいんだ」
ルドルフの表情に影が差す。だが、すぐに顔を上げた。
「私は、勝たねばならない。どこで走っても、負けることは許されない」
空気が静まる。
「ああ、どこで走るかは――私が決める!」
朝の空気を裂くような声だった。誰の期待にも縛られたくない。そんな叫びにも聞こえた。
「ルドルフちゃん……」
「ルドルフ……」
二人が言葉を失う。気遣ってくれたのに、怒鳴ってしまった。ルドルフは小さく「ごめん」と呟いた。
「さあ、トレーニングだ。ガンガン行くぞ!」
ルドルフは二人の尻を軽く叩く。
「あと二本こなす」
「え、ダブル!?」
「きついってば……」
文句を言う二人を押し出しながら、ルドルフは言う。
「がっつりやったら、一日休む」
「あっ、それって――」
察したイズモの口を、ルドルフは人差し指でそっと塞いだ。
ハードトレの翌日に休むのは本来なら体調に響く。だが、ルドルフの意図は別にある――イズモは一瞬で理解した。
ただ、それ以上は深くは突っ込めない。
三人は再び走り出す。
ルドルフの走りは珍しく力みがあった。
(こうするしか、ないんだ)
その呟きは、どこか寂しげだった。