皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
その晩、東条組は浴衣姿で地元の夏祭りへ繰り出した。
浴衣はそれぞれの勝負服をモチーフにしている。
ルドルフは緑地に白い朝顔。
ペガサスは漆黒に桃色の風鈴。
イズモは鮮やかな赤に黄色の百合。
スピードシンボリが着付けをしてくれ、三人は息抜きに送り出された。
石畳の参道を、下駄の音がカラコロと響く。
両脇には射的、あんず飴、わたがし、金魚すくい――色とりどりの屋台が並び、
お囃子が風に乗って流れていく。
「はい、ルドルフちゃん」
イズモがわたがしを差し出す。
ペガサスが「ワタシのは?」と嘆くと、イズモは隠していた分を渡した。
「ありがとな!」
ペガサスは大口でかぶりつき、頬に白い飴をつけた。
それを見た二人が指差して笑う。
「なんだよ!」
むくれるペガサス。
だが三人は、腹を抱えて笑い続けた。
「花火、もうすぐだよな?」
「あと三十分くらいだね」
「その前に、お参りするか」
三人はゆっくりと参道を進む。
浴衣の話、スピードのセンス、明日のトレーニングの愚痴――
他愛のない会話が続き、気づけばわたがしは消えていた。
神殿で賽銭を投げ、二礼二拍一礼。
レースの無事と勝利を祈る姿は、三人とも真剣だった。
踵を返したその時――。
(あれは……)
大きなご神木の前に、夏制服のウマ娘がひとり。
浴衣や私服の中で、制服は彼女だけ。
栗色の髪が月光に照らされ、どこか寂しげな横顔。
「ビゼンニシキ……」
ルドルフが手を伸ばしかけた瞬間、
「ルドルフ、ほっとこうぜ!」
ペガサスが袖を引いた。
だがルドルフは、ビゼンから目を離せない。
その姿は、まるで何かを抱え込んでいるようだった。
背中を叩く音。
振り向くと、イズモが笑っていた。
「行ってらっしゃいな」
“いいライバルなんでしょ? 気になるなら行っておいで”
そんな優しい目だった。
ルドルフは小さく頷き、人混みをかき分けてビゼンへ向かった。
「ビゼン……」
呼びかけても、彼女は俯いたまま。
その時、夜空に澄んだ音が走る。
ヒュー……ドンッ!
赤、青、紫――
色とりどりの花火が夜空に咲き、二人の顔を照らした。
花火が一段落すると、静寂が戻る。
「どうかしたのか?」
ルドルフの真っ直ぐな問い。
ビゼンは一瞬驚いたが、すぐに表情を緩めた。
「……アタシ、あんたともう走れないや」
月が雲に隠れ、ビゼンの顔に影が落ちる。
「今日、トレーナーさんと決めたの。今後の路線を」
弥生賞、皐月賞でルドルフと激闘を演じたビゼン。
だがダービーでは距離が合わず惨敗。
トレーナーから“マイル路線へ転向”を提案されたという。
「悩んだけど……あの内容じゃね。三千の菊花賞なんて、とても」
ビゼンはため息をつく。
「スピードタイプなんだってさ、アタシ」
制服姿でトレーナーと話し合った結果だという。
「私と走れなくはないぞ!」
ルドルフが強く言うと、
「下手な慰めはやめてよ!」
ビゼンが怒りをぶつけた。
「ワタシが同情を一番嫌うって、あんたが一番知ってるでしょ!」
「ああ、そうだな」
夜風が二人の間を抜ける。
「……現実的に、菊花賞は無理なの」
「それでも、キミと走れるレースがある」
ルドルフは鼻を掻きながら続けた。
「来年の秋――天皇賞があるじゃないか」
ビゼンが顔を上げる。
「マイルが得意なキミ。2400がベストな私。
ちょうど真ん中の距離だ」
「……」
「そこで雌雄を決めよう。弥生賞や皐月賞と同じ距離だ」
ビゼンの目が潤む。
「……いいわ。受けて立つ!」
指を伸ばし、ルドルフの鼻先へ突きつける。
「もちろん、負ける気はないけどね!」
「いい心構えだ、ビゼン」
二人は向かい合い、互いの強さを認め合う。
「負けないでね。アタシと走るまで」
「負ける? この私がか?」
ルドルフがキョトンと自分を指差す。
「ふふ、相変わらずね。……約束よ」
ビゼンが小指を差し出す。
「ああ、約束だ」
二人の小指が絡む。
「来年の天皇賞秋まで、お互い無敗で行くわよ!」
「楽しみにしている」
その時――。
「おーい、ルドルフ!」
ペガサスの声が届く。
ビゼンは指を離し、少し寂しげに微笑んだ。
「じゃ、またね」
「ああ、またな」
ビゼンは参道の人混みに消えていった。
ルドルフは、仲間に肩を叩かれるまで、その背中を見つめ続けていた。