皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★プロローグ 姉、シンボリフレンドのこと。 その1 京王杯スプリングハンデ(前編)──春のスプリント決戦!

薫風が緑の芝の香りを運んでくる。四月下旬の東京レース場。

空は春を謳歌するように、少し早い五月晴れの伸びやかな青で塗られていた。

シンボリルドルフは胸いっぱいに空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

左から右へ白いメッシュが流れる前髪は、月光のように淡く輝く。

高貴な紫の双眸には、誰にも負けたくないという勝気な意志が宿っていた。

観客席スタンドの少し高い位置から、彼女は広いコースを睥睨する。

鹿毛の髪はベルベットのように艶やかで、腰まで伸びたそれが春風に揺れた。

「ルナ。トレセン学園の冬制服、よく似合っているな」

幼名である『ルナ』と呼ばれ、ルドルフは優しい声音の主へ視線を向ける。

「スピードシンボリさん」

大人のウマ娘が右手を上げて応えていた。

グリーンジャケットに白のパンツスーツが、引き締まった身体をさらに凛々しく見せる。

『シンボリ家』の筆頭ウマ娘にして、国民的スポーツ『トゥインクル・シリーズ』を主催する

URA(Uma musume Racing Association)の要職に就く存在。

尻まで伸びたラフな髪、緑の瞳に宿る強い意志。

野武士のような風貌が、ふっとほほ笑んだ。

「君の姉貴、シンボリフレンドの制服だからな」

入学前のルドルフは、トレセン学園の制服を借りていた。

今日、姉フレンドが『トゥインクル・シリーズ』のレースに出走するためだ。

姉の服を身に纏って応援に来たその姿は、気合のほどを物語っていた。

「少し大きいですね」

ルドルフは袖をつまんで緩みを確かめる。

「ふふ。『ルナ』が入学する頃には、ちょうど良くなるさ」

幼名は母の名の一部を取り、美しい月にちなんで付けられた。

この呼び名を許されるのは、ごく親しい者だけだ。

「ええ。早くフレンド姉さんに追いつきたいです」

希望の光を宿した瞳で、ルドルフは力強く言った。

「ああ。今日のレース、その目に焼き付けておけよ、シンボリルドルフ!」

スピードが鼻を鳴らし、コースへ視線を向ける。

その時、刺すような視線を感じた。

隣に立つ、同じ年頃のウマ娘。

トレセン学園の制服姿で、栗色の髪を揺らしながら、ルドルフを睨みつけている。

だがルドルフは気に留めず、これから走る姉へと意識を戻した。

今日のメインレースは、重賞・京王杯スプリングハンデ。

芝1400メートルの短距離戦。

向こう正面右手、バックストレッチ半ばがスタート地点だ。

重賞に出走する栄誉を得たウマ娘たちが、輪を組んで歩きながらゲートインを待つ。

九人立てと人数は控えめだが、粒ぞろいのメンバーが揃っていた。

なかでも注目は、現役最強スプリンター・サクラシンゲキ。

前走スプリンターズステークスを六バ身差で圧勝した怪物だ。

彼女の存在を恐れて回避したウマ娘も多い。

“一人抜けている”――それがレース前の下馬評だった。

出走ウマ娘がターフに姿を現す。

クルーネックの体操服にゼッケン。

8枠8番はシンボリフレンド。

ルドルフに似た鹿毛の姉は、真剣な眼差しで胸を張っていた。

「バ体もいい具体だ。これなら好勝負できる」

スピードシンボリは満足げに頷く。

フレンドと同じ年になれば、『ルナ』の方が一回り大きくなる――そう確信していた。

隣の9番はビゼンコクリュウ。

前走の金蹄賞でフレンドと一、二着を分けたライバルだ。

コクリュウは後ろから鋭い視線を送るが、フレンドは意に介さない。

「いいね、フレンド姉さん。気合が入っているけど、冷静だ」

ルドルフは思わず声に出す。

「今までは気負いすぎて苦戦していたが……前走同様、今日はいい。好勝負必至だよ」

スピードの声にも期待が弾む。

フレンドは札幌の新バ戦を勝った後、ジュニアステークスに挑んだが惨敗。

ウマ込みで揉まれ、気性の悪さが出てしまった。

それ以来、レースでの過度な意気込みが課題となり、出世を妨げていた。

だが今日は違う。

気分よく、クレバーに走れる――スピードはそう確信していた。

その時。

「頑張れーっ! コクリュウ姐さんーっ!!」

隣から大声が響き、周囲の視線が集まる。

黒鹿毛のウマ娘が、手を振って応えていた。

赤紫の瞳を輝かせ、両手をメガホンのようにして声を張り上げている。

(あの出走ウマ娘はビゼンコクリュウさんか。

あの栗毛の娘も、私と同じく姉の制服を着て応援しているのだな)

ルドルフはそう見透かし、再びゲートへ意識を戻した。

『さあ、いよいよ本日のメインレース――京王杯スプリングハンデ!

春の芝短距離王に輝くのはどのウマ娘か!?』

女性アナウンサーの甲高い声が響き、場内が歓声で沸く。

重賞ファンファーレが鳴り響き、拍手がレース場を揺らす。

九人のウマ娘が無言でゲートへ吸い込まれていく。

奇数ゼッケンから入り、4番サクラシンゲキ、そしてシンボリフレンド。

最後に大外のビゼンコクリュウ。

体勢が整い――ゲートが開く。

スタート。

全ウマ娘が一斉に飛び出す。

予想通り、シンゲキが天性のスピードで先頭へ。

フレンドは一人置いて好位の三番手。

向こう正面の坂を駆け上がる。

「いい位置だ。これならシンゲキさんをマークできる」

ルドルフの声にも力が入る。

フレンドを見据え、コクリュウは中団五番手。

『10』の標識を過ぎれば、もう三コーナーだ。

シンゲキが快調に逃げる。

フレンドは三番手をキープし、虎視眈々と前を狙う。

コクリュウも差しのタイミングを伺っていた。

三四コーナーの中間、府中名物の大欅。

事故が多い“逢魔が辻”だが、九人は迷いなく駆け抜ける。

「最初の1ハロンから、12.3―11.2―11.6―11.6秒か……」

スピードシンボリが腕を組み、冷静にラップを読む。

「短距離らしい淀みのないペース。さすが名スプリンター、サクラシンゲキ先輩の逃げだ」

ルドルフも体内時計でラップを刻んでいた。

その時、隣から声が飛ぶ。

「アンタ、自分の姉さんが走ってるんでしょ?

ライバルを応援してどうするのよ!」

栗色のウマ娘が頬を膨らませていた。

そして前を向き、

「コクリュウ姐さん、タイムが落ちてきた!

前はバテてるし、差し切りのチャンスよ!」

と檄を飛ばす。

1000メートルのラップは12.2秒、通過58.9秒。

先団がどこまで持つか――勝負はこれからだ。

ルドルフは姉へ意識を戻す。

フレンドは好位で落ち着いていた。

 

四コーナー、フレンドが二番手へ。

先頭シンゲキの背中が視界に入る。

(よし、脚は残っている。あとは直線で――)

その時。

「フレンド! シンゲキをマークしてるんだろ?

逃げウマのペースで楽させるな!」

後方からビゼンコクリュウの怒声。

「ふん、分かっているさ」

フレンドはプレッシャーをかけ、抜きにかかる。

だが、稀代のスプリンター・サクラシンゲキ。

簡単には抜かせない。

「このまま押し切ってやるわ!」

挑発する声が前から飛ぶ。

だがフレンドは焦らない。

(シンゲキ……少し失速している)

府中の直線の坂――高低差2メートル。

心臓が潰れそうな苦しさの中、フレンドは余裕を残していた。

先頭が坂を登り切り、平坦へ。

逃げるシンゲキ、ここで二の脚を使うか――

だが、意外にもスピードが緩み始めた。

 




次は、3月24日20時を予定しております。
今後は、金曜と火曜の20時に作品を公開予定です。
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