皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第二章三冠編  その12 菊花賞? ジャパンカップ?(後編) ──新たなるライバルの想い

クラシック級のウマ娘たちは、ルドルフの決断など知る由もない。クライマックスである菊花賞に向け、各地で死闘が繰り広げられていた。

その一つが京都新聞杯。京都レース場のゴール前では、スズマッハとニシノライデンの激しい競り合いが続いていた。逃げるマッハ、追うライデン。勝負は、ゴール直前で決した。

「よし、差し切ったで!」

菊花賞トライアルを制したニシノライデンが、歓喜の右手を突き上げた。

「くっそ……三着か……」

ダービー二着のスズマッハは、後塵を拝した悔しさに唇を噛む。

ルドルフへの挑戦権を得たライデンは、地下通路で寮の友人と陽気にハイタッチを交わした。だが、すぐに表情を引き締める。次走の本番が脳裏をよぎったのだ。

「あいつ……ほんまに淀まで来よるんやろか」

栗東寮のウマ娘たちの本音。菊の頂を狙う者にとって、皇帝の動きが気になって仕方ない。

「去年シービーさんが三冠取ったばっかりやで。続けてなんて、考えにくいやろ?」

親友が、根拠のない希望的観測を口にする。

「せやなぁ……」

ライデンは天井を仰ぎ、トレセン学園で習った三冠の歴史を思い返す。

三冠ウマ娘は三人のみ。皐月賞とダービーを制しながら、菊花賞で涙を飲んだ者は四人。二冠を獲りながら、故障で進めなかった者も二人いる。

「三冠なんて……あんまり深く望まん方が、ウマ娘は幸せなんやろな」

淀で散った数多のウマ娘。その歴史を学んだニシノライデンは、自然とそう思う。だが、胸の奥底から叫びがこみ上げた。

「頼む……ルドルフだけは来んでええ!」

ライデンは、天に向かって叫んだ。

 

翌日。東京レース場ではシニア秋G1、天皇賞秋の激闘が繰り広げられていた。菊花賞が終われば、ルドルフらクラシック級もシニアクラスと対戦する。その前哨戦とも言える伝統の一戦が、今まさに幕を開けた。

スタート直後、カツラギエースは好発進を決めた。いつも以上に気合が入っている。

「やっと奴とG1戦だ。もう“トライアルホース”なんて言わせない」

今日は激しい逃げ争いを避け、三番手の好位で追走。ここまではよかった。だが、気負いが裏目に出る。

「ちきしょう……気持ちが抑えられねぇ!」

エースは折り合いを欠き、無駄に脚を使ってしまっていた。

一方、ミスターシービーは縦長の隊列の最後方。いつもの定位置だ。

「私は、自分の好きなようにするだけさ」

飄々とした声。だが、その奥には確かな自信がある。

先頭から二十バ身離されていたが、三コーナーからスパート。バ群を縫うようにして、徐々にポジションを上げていく。

エースも負けじと直線で加速し、前の二人をかわす。

「よし、やった!」

先頭に立ったエースは、小さくガッツポーズを見せた。

「このまま押し切ってやる!」

気力を振り絞る。だが、その背筋に冷たい風が走った。

「はああああぁぁ!」

大外一気。前を行くウマ娘をごぼう抜きにする影――

「シービーか……やらせるかぁ!」

エースの叫びを無視するように、突風が駆け抜けた。

「!!」

気づけば、他のウマ娘にも抜かれ、結果は五着。無理な追走で消耗したのが響いた。勝ちタイムは1分59秒3のコースレコード。エースは、ただの道化役となってしまった。

勝利インタビューでシービーは言い放つ。

「バテて下がるウマを見ると、やる気が出るんです」

天衣無縫。まさにミスターシービーの独壇場だった。

地下バ道には、敗者たちの悔しさが漂っていた。ばらばらと控室へ消えていく中、疲れた脚を引きずるウマ娘に声がかかる。

「カツラギエースちゃん!?」

振り向くと、制服姿のマルゼンスキーが右手を小さく振っていた。

「……何か、用ですか?」

ぶっきらぼうな返事。レース直後なら無理もない。

エースはマルゼンの姿を見て、思わず目を細めた。相変わらずの完璧なプロポーション。ウマ娘から見ても、羨望の的だ。

対して自分は――幼い頃は脚ばかり長く、ひょろっとしていた。入学後も動きが悪く、関係者をやきもきさせた。それでも、ここまで努力してきたのだ。

「次、頑張ればいいじゃない。G1ウマ娘さん」

気楽な笑顔の慰めが、逆に胸に刺さる。

「ええ……宝塚記念はシービー不在だから勝てたって、言う人もいますよ」

仏頂面で続ける。

「確かに、毎日王冠はシービーに勝ちました。でも……今日は完敗です」

悔しさが滲む。

「前哨戦は強いが、本番ではシービーに負ける――そう言われても仕方ないですよね」

エースは唇を噛む。だが、マルゼンは変わらず微笑んでいた。その優しさが、逆に自分を惨めにする。

八つ当たりしたくなる自分が、許せない。

「俺は……」

言い淀んだ瞬間、名を呼ばれる。

「カツラギちゃん、どうかした?」

マルゼンスキーが顎に手を当て、首を傾げる。その存在を意識したエースは、息を止め、考え、そして吐いた。

目を見開き、一歩前へ。腕を伸ばし、直立不動。

「勝つための極意を、教えてください!」

最敬礼。八戦八勝のスーパーカーに、恥も外聞もなく食らいつく。

「極意、ねぇ……」

マルゼンは依頼を咀嚼し、エースの覚悟を測る。腰は折れたまま、微動だにしない。

その姿勢に、マルゼンは小さく息をついた。

「手がないわけじゃないけど……」

甘い声音が漂う。

「次はジャパンカップよね?」

確認するように念を押す。

「相手は海外の強豪ウマ娘に、シービーちゃん……」

指を折りながら数え、そして止まる。

「……そして、ルドルフちゃん。噂ではね」

エースの背中が震えた。見上げる目は、不思議そうで、どこか怯えている。

菊花賞を使うルドルフが、中一週でジャパンカップに来るはずがない――常識ではそうだ。だが、マルゼンの言葉はそれを否定していた。

「ルドルフちゃんは、レベルの高い戦いを望んでいるわ」

真剣な声音で断言し、エースを見据える。

「正直、あなたの能力では足りないかもね……」

残酷な宣告。だが、事実だ。

エースは前へ飛び出し、マルゼンの肩を掴む。燃えるような瞳が、必死に訴える。

「死中に活路を求めるなら……」

マルゼンは続ける。

「みっともないかもしれないけど――」

「そんなの構いません!」

エースの声が震える。

「ならば――」

マルゼンは不敵に笑い、エースの耳元へ唇を寄せた。

「あなたの象徴。この“音”を司る部分。ここから変えるのよ」

「どういうこと、ですか?」

「それはね……」

さらに近づく。敏感な耳朶が熱を帯び、毛が逆立つ。

そこへ、ハスキーな囁きが落ちた。

――エースの触覚を、根底から揺さぶるアドバイスが。

 

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