皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
「フレンド姉さん、そこだぁ!」
スタンドにルドルフの大声が響き、彼女は思わず身を乗り出した。
隣の大柄なウマ娘が気圧されてのけ反る。
シンボリフレンドが、温存していた末脚を解き放つ。
最後の200メートル。
逃げるシンゲキ、追うフレンド。
さらにビゼンコクリュウが四番手から押し上げてきた。
「差せ! 差せ! コクリュウ姐さんっ!!」
隣のウマ娘も必死に腕を振り続ける。
ターフの上では、誰もが顔を歪め、歯を食いしばり、心臓を限界まで膨らませていた。
――これがレースだ。
迫真の競争が、観客の魂を揺さぶる。
だが、行き脚はどのウマ娘も同じになりつつあった。
このままではシンゲキが逃げ切る。
「姉さん、ギアを入れろっ!!」
普段は冷静なルドルフが絶叫する。
その声に応えるように、フレンドの加速が一段階上がった。
シンボリフレンドは左右に大きく腕を振り、前を獲物のように捉える。
『シンボリフレンド、先頭を伺う! サクラシンゲキ、粘る粘る!』
アナウンスが響く中、フレンドは先頭に並びかけた。
『粘っているが、これはどうか? フレンドも一杯になったか?』
その声が耳に届いた瞬間、前のウマ娘が叫ぶ。
「負けない、負けたくない!」
その宣言に、フレンドの気迫が燃え上がる。
「こっちだって、勝ちたいんだよっ!!」
相手の意志を砕くような叫びとともに、フレンドは前へ出た。
「妹、『ルナ』の面前で、恥ずかしいレースは出来ないッ!」
二人のマッチレース。
一歩ごとに先頭が入れ替わる。
「まだ、まだっ!」
シンゲキは叫ぶが、息は上がっている。
フレンドはその失速を見逃さない。
「よしっ!」
掛け声とともに大地を蹴り上げる。
一歩先んじた瞬間、視界が開けた。
空は青く、ターフは緑に輝く。
自分だけの世界が拓ける。
(ルドルフ……いつかお前も、この光景を見るのだな)
そう感じながら、フレンドはさらに脚に力を込めた。
左の景色が一瞬変わり、ゴール板の鏡が後方へ流れていく。
『シンボリフレンド、今、一着でゴールイン!』
アナウンスが響き、フレンドは勝利を確信した。
(勝ったぞ……)
『サクラシンゲキに一バ身差をつけ、優勝です!
春のベストスプリンターは、重賞初制覇のシンボリフレンド!』
フレンドは右手を高く突き上げ、歓声に応える。
(……見たか、『ルナ』よ?)
重賞勝ち――一流ウマ娘の仲間入り。
それは妹への最高の贈り物だった。
「やったな、フレンド姉さん!」
ルドルフは両手を三度叩き、胸を張る。
スピードシンボリも満足げに頷いた。
フレンドは腕を振りながら逆走し、観客の声援に応える。
ルドルフは胸いっぱいに春の芝の香りを吸い込んだ。
そこへ、ウイニングランを終えたフレンドが駆け寄る。
「勝ったよ! ルドルフ!」
「うん、姉さん。おめでとうございます!」
ルドルフは涙を堪えきれず、目尻が熱く濡れた。
「『ルナ』は、フレンドが大好きだな」
スピードが優しく頭に手を置く。
「だって……」
ルドルフの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
――いつも自分を守ってくれた姉。
――走り方も、心の持ち方も教えてくれた。
――母の代わりに、育ててくれたような存在。
フレンドがトレセン学園に入学した時、ルドルフは泣いた。
新バ戦を勝った時は、自分のことのように喜んだ。
勝気な性格が災いして結果が出ない時も、
フレンドは他のウマ娘を励まし続けた。
もっと自分を出してもいいのに、とスピードは言っていた。
そんな苦労人の姉が、ついに重賞ウイナーになった。
ルドルフの胸は、誇りと感動で満たされた。
「じゃあ、またね。『ルナ』ちゃん」
フレンドはウイニングライブへ向かう。
名残惜しく視線を交わしながらも、ルドルフの胸は幸福でいっぱいだった。
その時、悔しげな声が聞こえる。
「コクリュウ姐さんは、三バ身差の四着か……」
栗毛のウマ娘が涙を堪え、震える腕でルドルフを指差す。
「今度は、負けないから」
勝気な瞳が、姉の勝利を喜ぶ妹を射抜く。
「コクリュウ姐さんが、フレンドに勝つんだから!」
鼻先が迫り、影が落ちる。
「アンタ、シンボリルドルフって言うんでしょ?
私もあなたに勝つわ!」
突然の宣言にルドルフは目を丸くする。
「見たところ、同い年のようじゃない?
トレセン学園に入学したら、打ちのめしてあげるわ!」
ルドルフは小さく息を吐き、淡々と返す。
「何を言っているんだ? 次に走ってもフレンド姉さんは勝つだろうし」
瞳孔が開き、鋭い目力が相手を射抜く。
「私も、キミに打ち克つさ」
自然な口調で、当然のように言い放つ。
“絶対に倒す”という確信を込めて。
「勝てるって簡単に言うけど……根拠あるの!」
「いや、気を悪くしたら申し訳ない。ただ、キミの前を走っているイメージしか思いつかないんだ」
柔らかな憐憫が漂い、相手は顔を赤らめる。
「そういえば、キミは誰だ?」
ルドルフが首を傾げると、栗毛のウマ娘は怒りを爆発させた。
「ビゼンニシキ!」
「いい名前だな。才気煥発で、キミに相応しい」
ルドルフは手のひらを軽く叩き、親しげな目線を向ける。
「あんたって人は……!」
歯ぎしりが舌打ちに変わる。
「もう、いいわ。絶対に負けたくない」
踵を返し、捨て台詞を残す。
「覚えてらっしゃい、シンボリルドルフ!」
「ああ、大丈夫だ。私は一度見た顔は忘れないんだ」
天然な返しに、ビゼンは呆れたように去っていった。
――これが、シンボリルドルフとビゼンニシキの初めての会話だった。
ルドルフには悪い印象はない。
むしろ、綺麗で気の強いウマ娘。
切磋琢磨できるライバルは必要だと感じていた。
この出会いが、後に“忘れえぬ因縁”となることを、
この時のルドルフはまだ知らない。