皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
菊花賞から一週間が過ぎた。
トレセン学園でも、話題はシンボリルドルフの“無敗三冠”一色だった。
学園へ戻るや否や、トレーニングパートナーのホッカイペガサスとイズモランドに、もみくちゃにされる。
まずは笑顔で、祝福の“手荒い洗礼”を受けた。
理事長への挨拶こそ済ませたものの、マスコミ取材やイベント対応は、すべてスピードシンボリが抑えて取り仕切った。
ルドルフの体調回復を最優先にするためだ。
だが、その配慮が結果として――
ルドルフのジャパンカップ出走を求める声を、さらに盛り上げてしまっていた。
出走登録はすでに済んでいる。
しかし「チーム・シンボリルドルフ」の東条トレーナーは、出走の可否について頑として口を開かない。
トレセン学園のトレーニングコース。
制服姿の生徒たちが、見慣れぬウマ娘たちの走りに目を奪われていた。
コース上では、注目の海外ウマ娘たちが加速していく。
サード、フォース、トップ――ギアが噛み合い、未知のコースをものともせず駆け抜ける。
まず、栗色の髪のウマ娘に視線が集まった。
「いい動きだ」
腕を組んだシンボリルドルフが、素直に感心する。
「ベットタイムって名前らしい。ジャパンカップに出走する海外ウマ娘だよ」
ミスターシービーが解説する。
G3を三連勝し、海外勢の中でも最も勢いがあるという。
「あちらのウマ娘は?」
ルドルフがもう一人を指す。
鹿毛色の髪を揺らし、ドタドタとした走法で迫力ある走りを見せていた。
「でも、力強いですね」
「さすがルドルフ。お見通しだね」
シービーが頷く。
「ストロベリーロード。豪州出身で欧州を転戦、ドイツで初G1を勝って、今度はアメリカへ。これでデビューから三十二戦目。タフさが売りだよ」
「やはり、世界は広いですね」
ルドルフは感心し、鼻から勢いよく息を吐いた。
「呼び出してよかったよ。つまらなかったって言われたらどうしようかと思ったけど」
シービーが冗談めかして笑う。
「ええ。いい刺激になりました」
ルドルフの瞳が輝く。
「それと――無敗の三冠ウマ娘、おめでとう」
「ありがとうございます。シービーさんこそ、秋の天皇賞優勝おめでとうございます」
シービーは肩に手を置き、にやりと笑う。
「シービーでいいよ。ため口で、フランクにな」
「……分かりました」
「まさかね。今まで三人しかいなかった三冠ウマ娘が、二年連続で出るなんて思ってなかったんじゃない?」
シービーが少し腰をかがめ、ルドルフの顔を覗き込む。
「確率論でトゥインクルシリーズに出走しているわけではありませんので」
ルドルフがしれっと返す。
「そーゆー言い方するんだ」
「よく“堅い”と言われます」
「そうかなぁ?」
シービーが意外そうに首を傾げる。
「どういう意味ですか?」
「君のレースはね、基本“自由奔放”なんだよ」
シービーが笑いながら指を向ける。
「新潟千直でデビューして、次は府中のマイル。どう見てもダービーの予行演習だ」
「ビゼンニシキとの二度の激闘。出走停止まで喰らう熱い戦いだったじゃないか」
白い歯を見せて笑うシービーに、ルドルフは苦笑するしかない。
「ダービーではボクと同じ直線一気。
菊花賞では無敗三冠がかかってるのに、勝負あったらゴール前で流すし」
シービーは頬を膨らませてみせる。
「どこが“エリートのレースぶり”だよ」
天を仰ぎ、両手を突き上げる。
「見た目はそつなく走ってるように見えるけど、やってることは破天荒だよ」
「……そうかもしれませんね」
ルドルフは苦い笑みを浮かべる。
「笑っちゃうよね。皆、本質が分かってない」
シービーが一歩近づく。
「うん、君とボクは似た者同士かもな」
右の人差し指で、ルドルフの頬を軽く突く。
「そうですかね。シービーは誰の指図も受けないじゃないですか?」
「まあね。でも、トレーナーの情報はありがたく参考にしてるよ」
そして、ルドルフを見つめて言う。
「君の方こそ、周囲に恵まれてる。
東条トレーナー、スピードシンボリ、石上サブトレーナー、ペガサス、イズモ、シリウス……」
ルドルフは無言で頷くしかなかった。
「それにしても――菊花賞の後、中一週でジャパンカップなんて」
シービーが息を吐く。
「世間の常識ではあり得ない。でも、君は挑戦した」
「強い相手と、レースがしたいんです」
ルドルフの瞳が、シービーのそれを捉える。
食らいついたら離さない、あの目だ。
「ふふ、やっぱり出走するんだ。いいね、その意気」
シービーが手を差し出す。
三冠ウマ娘同士、強者にしか分からないシンパシーが、手の温もりで伝わる。
「どっちが勝っても、日本初のジャパンカップ制覇だよ」
握った手の力が、ふっと抜ける。
シービーが相手の握力に合わせた瞬間――胸に不安がよぎる。
(まさか体調……?
セントライト記念は八分のデキでレコード勝ち。
菊花賞がピーク。
京都遠征の疲れもある。
……やせ我慢してるのか、ルドルフ?)
ルドルフはするりと手を離した。
まるで、何かを見透かされるのを嫌がるように。
「まだ判断は決めかねていますが……出走するなら、期待に応えてみせます」
「そうか。じゃあ、レースで」
シービーは手を上げ、走り去る。
「自分の意志で、走りなよ! ルドルフ」
最後のセリフに、ルドルフは何か重大なことに気づいた。
だが、それを言葉にするのは――今ではなかった。