皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

67 / 69
★第二章三冠編 その17 ジャパンカップ(PART2)──前に、ウマ娘がいる

四コーナー近くのメインスタンド。冬制服の二人が並んで腰掛け、眼下のレースを見つめていた。

一人は腕を組み、満足げに頷く。

「まずは、いいペースよね」

マルゼンスキーは、ハスキーな声でカツラギエースの大逃げを楽しんでいた。

まるで、この光景が永遠に続けばいいとでも言いたげな表情だった。

「まさか、耳カバーがここまで効くなんて」

明るい声で手を叩くマルゼン。

隣のビゼンニシキが、痛めた脚をかばいながら問いかける。

「何かしたのですか?」

「耳を塞ぐ皮の覆いモノよ。ほとんど周りの音が聞こえないの。

それから――“自分の世界に入り込んで、思いっきり楽しんで”ってね」

マルゼンはウインクを添えて言った。気持ちの面からのアドバイスだ。

「その結果が、あの大逃げですか……」

ビゼンは目を見張る。

そして、逃げるエースの姿を見つめながら、小さく呟いた。

「……本当は、復帰したい。私も、レースに出たい……」

その声は風に溶けるほど弱かった。

マルゼンはそっとビゼンの肩を叩き、親指を立てて励ます。

ビゼンは照れたように視線を戻し、再びレースへ集中した。

確かに、エースはいい調子で逃げている。

宝塚記念を勝った中距離適性は本物だ。

だが、ここは阪神2200ではない。

府中2400、しかも直線の長い東京。

単純な逃げが通じる舞台ではない――誰もがそう思っていた。

海外勢も同じ判断だ。

先行するベットタイムは射程圏で牽制し、

六番手のルドルフ、最後方のシービーも、冷静に状況を見ている。

1000メートル通過は61秒6。

ミスターシービーは相変わらず後方待機。

 

ルドルフは、淡々とレースを分析していた。

「もう少し前目がいいのか……?」

だが、菊花賞のように確信が持てない。

思いつきに近い。

追う側のプレッシャーが、無意識に脚を鈍らせているのか。

何より――

「体がふわふわして軽い……ただ、脚が動かない。重い……」

三コーナー。

二番手が後方に飲み込まれ、集団がひとつに固まる。

ルドルフはそこで、わずかに前へ出た。

反撃の足場だけは確保したい――その一念だけが身体を動かしていた。

三、四コーナー。

その動きを見透かしたように、エースが再び加速する。

二番手集団を突き放しにかかる。

『玉砕的な逃げか!?』

アナウンサーの絶叫が響く。

さすがに後方勢も、これ以上離されてはまずいと悟り、追い始めた。

シービーも手足を動かし、捲りにかかる。

「よし、詰められる……!」

ルドルフも、重い腕を振り、脚を前へ繰り出す。

『動くのか、ルドルフ!』

まず反応したのはストロベリーロード。

『動くのね、ルドルフ!』

ベットタイムも呼応する。

二番手以降が一気に奔流となる。

ターゲットはただ一人――カツラギエース。

ダークホースが、主役へと躍り出た瞬間だった。

スタンドでは、スピードシンボリと石上が祈るように声を漏らす。

「行ける!」

「ダービーの時と同じだ!」

ルドルフはカツラギを射程圏に捉えた。

シービーも追い出すが、まだ後方だ。

 

トレセン学園のチームハウス。

赤いジャージの二人がテレビの前で固まっていた。

「大丈夫かな、ルドルフちゃん……」

「まあ、な。奴なら何とかするだろ」

ペガサスもイズモも、ルドルフの走りに違和感を覚えていた。

中央で喉仏を動かした男が、低く呟く。

「ルドルフ……」

東条トレーナーは、いつもと違う雰囲気を感じ取っていた。

だが、それ以上は言葉にしなかった。

 

大欅を過ぎる頃、後方集団が一気に迫る。

差は縮まり、誰もが「ここまで」と感じ始めていた。

ベットタイムが二番手へ。

ルドルフとストロベリーロードも続く。

シービーもジリジリと上がってきた。

「まだまだ、粘ってやる!」

エースは先頭を譲らない。

直線へ。

カツラギエースが真っ先に府中のホームストレッチへ躍り出る。

『堂々と先頭!』

だが、差は一バ身。

ベットタイムが内から迫る。

『主役交代よ、ラビットさん!』

外からはルドルフ。

ダービーの再現のような豪脚で襲いかかる。

ストロベリーロードは少し遅れた。

シービーはさらに外から追い込む。

エースは飲み込まれそうだった。

半バ身、クビ――差が詰まる。

「まずい……ここまでか……?」

エースの心が揺れる。

背後から迫る圧迫感。

その正体は――シンボリルドルフ。

「ここだぁっ!!」

ルドルフの雄叫びが響く。

踏み込みが強くなり、泥が後ろへ跳ね飛ぶ。

『2』の標識を過ぎ、ルドルフが加速する。

「いけぇっ!!」

厚い耳覆い越しにも、ルドルフの咆哮が届く。

「やはり来たか、無敗の三冠ウマ娘……! 負けるかぁ!!」

エースも意地の再加速。

疲れているはずだった。

距離の壁があるはずだった。

だが、逃げて差す――奇跡のような踏ん張りを見せる。

後方では、シービーが苦しんでいた。

「ここまで……脚が動かないなんて……!」

スローペースで前が脚を残している。

差し追い込みの切れ味が生きない展開。

早めに動けば体力を失う――そのジレンマがシービーを縛る。

片目を瞑り、歪む顔。

遠ざかるルドルフの背中。

遥か先で点のように逃げるエース。

最後は三人のデッドヒート。

内・ベットタイム。

外・シンボリルドルフ。

前・カツラギエース。

『GO! GO! GO!』

ベットタイムが叫ぶ。

「行けるぞ!」

ルドルフが二番手から迫る。

「うぉぉぉぉ!!」

エースが魂で走る。

フォームは乱れ、暴力的なほどだが――それでも前へ。

二人が肉薄し、交わそうとする。

だが、エースは粘る。

差が詰まらない。

そして――三人の脚色が、完全に同じになった。

その瞬間、ルドルフの胸に違和感が走る。

最後の勝負所。

直線のラスト。

本来なら、ターフの行く末は開けているはずだった。

誰もいない、自分だけの舞台のはずだった。

だが――前に、ウマ娘がいる。

初めての光景だった。

「このままではッ!!」

ルドルフが絶叫する。

だが、景色は変わらない。

腕が重い。

脚が前に出ない。

(は……腹が……痛い……)

初めての感覚だった。

縮まらない差。

そして――終末は、突然に訪れた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。