皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ―   作:久遠 透

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★第二章三冠編 その17 ジャパンカップ(PART3)──最悪

『カツラギエース、逃げ切った──ゴールイン!』

アナウンサーの絶叫が府中の空気を震わせた。

カツラギエース、堂々の逃げ切り。念押しするように、さらに大きな声が重なる。

シンボリルドルフは、ちらりと左へ視線を送る。

さらに内には、ベットタイムの姿もあった。

「三着か……」

淡々と事実を噛みしめる。

レースは終わった。ルドルフはゆっくりとスピードを落とした。

そのとき──背後から、まだレースが続いているかのような気配が迫る。

『負けちまったなぁ』

振り返れば、ストロベリーロードが肩をポンと叩いていた。

泥だらけの顔に白い歯を見せ、ニカッと笑う。その無邪気さに、ルドルフの表情がわずかに緩む。

『ルドルフさんよ。勝負は時の運だ。次があるさ』

ノーマークの逃げウマ娘が穴を開ける──そんな展開は珍しくない、と言わんばかりだ。

もう次のレースのことを考えているらしい。

その打たれ強さ、切り替えの早さに、ルドルフは羨望すら覚えた。

自分にはまだ足りないもの──

したたかさ。

そして、異国のウマ娘ともすぐに打ち解ける天真爛漫さ。

(もし海外勢と本気で戦うなら……タフさこそ武器になる)

負けても負けても立ち上がり、ついにG1を勝ち取ったウマ娘。

その強さは、ルドルフの胸に深く刻まれた。

『ストロベリーロード。海外へ遠征することがあれば──一緒に走ろう』

敗戦の痛みを隠すように、ルドルフはロードの腕を軽く小突いた。

日本のウマ娘からの誘いが嬉しいのだろう、ロードは満面の笑みを浮かべる。

『ぜひともだ。そうなるように願っているさ』

痛がる素振りもなく腕を突き上げ、軽快に走り去っていった。

──そして、ルドルフは気づく。

初めて負けたのに、悔しくない。

これも、ストロベリーロードのタフさに感化されたからだろうか。

ただ、身体は限界だった。

上半身はふらつき、脚はガクガクと震える。

(ここまで……身体に“ガタ”がくるとは)

レース中は夢中で、体調不良など意識の外だった。

だが、終わった瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、精神的な疲労が一気に噴き出した。

悪寒が走る。

視界が白い濃霧に包まれていく。

 

『あっと驚くカツラギエース!』

アナウンサーがダークホースを称える。

「おれ……勝ったんだ……?」

名を呼ばれ、状況を理解したカツラギエースは、自分の顔を指差して呆然とした。

スタンドは騒然としていた。

ミスターシービーでも、シンボリルドルフでもない。

第三のウマ娘が、日本に初のジャパンカップ優勝をもたらしたのだ。

「いいぞー、カツラギエース!」

「優勝おめでとう!」

「エース、お前が一番だ!」

素直な称賛が飛び交う。

その声援を浴び、エースの胸に熱いものが込み上げる。

ゆっくりと一コーナーへ向かう。

一歩一歩、ターフを踏みしめるたび、歓喜が膨れ上がる。

「いっやったーっ!!」

腕を突き上げると、スタンドが揺れた。

拍手の嵐。

誰もが、勝者はエースだと認めた瞬間だった。

エースはもう一度、天へ向けて腕を突き上げた。

最高の瞬間だった。

スタンドでは、マルゼンスキーが清々しい表情で立ち上がり、スタンディングオベーションを送っていた。

「エースちゃん、やってくれるじゃない」

この言葉の真意を理解できるのは、覇者と同じ“逃げ”を極めたマルゼンだけだ。

一方、ビゼンニシキは茫然と立ち尽くしていた。

「ルドルフが……ベストの中距離で負けるなんて……」

ショックが大きすぎて、声が震えていた。

そんなビゼンの肩を、マルゼンが軽く叩く。

「分かっているでしょうけど──勝負事には色々あるのよ」

ノーマークの逃げウマ娘がスローに落としてマイペース。

ルドルフは中団で海外勢を牽制。

シービーは最後方でスローペースに苦しんだ。

すべてが噛み合った結果、エースが逃げ粘った──と。

ビゼンは、まるで自分が負けたかのように憮然としていた。

そこへ、マルゼンが平然と告げる。

「レースに負けるのが嫌なら、出走しなければいいの」

そして、内緒ねと人差し指を口に当てた。

大先輩の真言に、ビゼンもさすがに頷くしかない。

「ルドルフちゃん、本調子じゃなかったのかもね」

マルゼンの言葉に、ビゼンは少し救われた気がした。

「次に期待しましょ」

勝者を称え、前を向く。

そう思うと、晩秋の冷たさが少しだけ和らいだ気がした。

 

初めての黒星。

敗者となったシンボリルドルフは、本バ場をすぐに後にし、地下バ道へ向かう。

肩は重く、脚は前に出ない。

息も絶え絶え。

視界は靄がかかったように揺らいでいた。

反対側から、見慣れたウマ娘が歩いてくる。

だが、名前が思い出せない。

「ルドルフ、お疲れ」

「……スーさん」

やっとのことで名前を思い出す。

スピードシンボリは、労わるように微笑んだ。

「頑張りましたね」

石上サブトレーナーも、憔悴した顔で寄り添う。

ああ──いつもと変わらない。

そう思った瞬間、力が抜けた。

二人の顔が歪む。

「ああ、待って」と手を伸ばしたが、視界が暗転する。

背中から崩れ落ちる寸前、スピードシンボリが抱きとめた。

「ルドルフ、大丈夫か!」

その声が遠ざかる。

顔に靄がかかる。

URAスタッフが叫んでいる。

普段は大人しい石上が、警備員に怒鳴っている。

周囲が一気に慌ただしくなる気配だけが、最後に残った。

──シンボリルドルフが東京レース場で覚えているのは、ここまでだった。

 

 

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