皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
千葉県中央部。
東京中心から車で一時間、府中からなら一時間半ほど。
都心からほど近い郊外に、スピードシンボリら“シンボリ家”のウマ娘たちが暮らす『本拠地』がある。
ささやく木々に囲まれ、池には白鳥が泳ぐ。
まるでヨーロッパの片田舎のような、気品ある風景が広がっていた。
だが、驚くべきはそのトレーニング施設だ。
一周1800メートルの本格的なコース、600メートルの運動場、
屋根付きの全天候型坂路――入口には『錬ウマ道場』の木看板。
長期滞在可能な石造りの合宿所、専属スタッフ、医師まで揃い、
トレセン学園にも引けを取らない設備が整っている。
その右回り1800メートルのメインコースで、
シンボリルドルフは前を行くシンボリフレンドを追っていた。
秋の色づいた葉が舞う一日。
フレンドは学園の休みを利用して里帰りしていた――
いや、休暇というより、鍛錬のための帰郷だった。
「ルドルフ、ピッチを上げろ!」
トレセン学園のジャージ姿のスピードシンボリが、竹刀を振り上げて叱咤する。
「お前も入学すればジュニアデビューだ! うかうかしている暇はない!」
ルドルフは目を見開き、さらに加速する。
前を行く姉の背中が近づくが、フレンドも負けじと速度を上げた。
「おおおおっ!」「うああああぁ!」
二人の雄叫びが混じり合う。
コーナーを回り直線へ――外からルドルフが並びかけるが、
フレンドは肩を突き出し、簡単には抜かせない。
「ルドルフ! シンプルなフェイントに惑わされないで!」
「分かっているよ、姉さん!」
外ルドルフ、内フレンド。
腕の振り、脚の運び――姉妹の走りは完全にシンクロしていた。
「トレーニングは今ので終わりにするぞ!」
スピードが声を張る。
「三十分後に、東条トレーナーが来られるからな」
東条――
シンボリフレンドの担当トレーナーであり、
かつてスピードシンボリのサブトレーナーを務めた男だ。
スピードは目を凝らし、姉妹のマッチレースを見つめる。
ルドルフの走法はフレンドに酷似し、勢いは姉を上回るほどだった。
「やっぱり、『ルナ』とフレンドはよく似ているよな……」
スピードが呟いたその時、背後から声がした。
「本当だよ。やっぱり姉妹なんだね?」
「ひ、東条トレーナー! もう来られていたのですか!?」
端正な顔立ちの男性が、ニヒルな笑みを浮かべながらウマ娘たちを見ていた。
二人がゴールを駆け抜け、巡行速度に落とす。
向こう正面を流しながら戻ってくると、見慣れぬ人影に気づいた。
ツイードのジャケットの男――東条が、口笛を吹く。
「凄いじゃないか、あの娘」
情熱を込めた拍手が送られる。
「何といっても、歩幅が素晴らしい。
体格に比して一完歩のスライドが大きい。
シニアの重賞ウマ娘と同じレベルで走れるなんて」
「しかも息の入りが早い!」
姉とのハードトレーニングを終えたばかりなのに、
ルドルフはケロリとしていた。
類まれなる心肺機能――搭載されている“エンジン”が違う。
東条は我を忘れ、拍手を続けた。
「いや、いいね。二人とも」
フレンドへ向き直り、柔らかく言う。
「フレンドは、レースで苦戦しているのが嘘のようだ」
重賞勝ち以降、安田記念などで結果が出ず、
気分転換に本拠地でのトレーニングを勧めたのも東条だった。
「今の調子なら、チャンスは巡ってくるさ」
フレンドは「頑張ります」と、少し苦い笑みを返す。
そして、東条の視線がルドルフへ向いた。
「それから、君」
ルドルフが反応する。
「デビュー前のジュニアなのに、
シニアで重賞勝ちのお姉さんと同じに走れるんだね」
辛口の東条が、手放しで褒めた。
「ありがとうございます」
ルドルフが頭を下げると、耳のエメラルドが揺れた。
「うん。僕を君のトレーナーにしてくれないか?」
即決だった。
まるで一目惚れのように、東条は相好を崩す。
ルドルフは息を飲む。
入学前のウマ娘をスカウトするなど前代未聞だ。
だが、彼女はしっかりと答えた。
「お誘い頂き、感謝申し上げます。
ただ私は入学前の若輩、浅学非才の身にて……今はご遠慮申し上げます」
深々と一礼する。
東条は驚き、そして満足げに笑った。
「ふふ、ますます気に入った」
紫の瞳が輝く。
「いや、トレーニングが見れてよかった。
スピードのおかげだな」
スピードが懐かしげに言う。
「東条さんとは、サブトレーナーの頃からのご縁ですから」
「ああ、私が現役でヨーロッパ遠征に行っていた頃だな」
東条は若き日の情熱を思い出すように語る。
「今じゃ立派なトレーナー様ですね」
「そんなに偉くはないさ。
偉いのは頑張るウマ娘たちだよ。
僕はほんの少しサポートするだけだ」