皇帝の蹄跡 ― ウマ娘 シンボリルドルフ物語 ― 作:久遠 透
そして、東条はルドルフへ向き直る。
「いつも新鮮な気持ちでいる。
目標は――君以上のウマ娘を育てることだ」
スピードシンボリの視線が重なる。
「何より、ダービートレーナーになりたいんだ!」
ダービー制覇――
ウマ娘にとっても、トレーナーにとっても最高峰の栄誉。
東条の瞳の奥で、強いきらめきが燃える。
ルドルフはその光を正面から受け止めた。
「私も、ダービーウマ娘になりたいです」
その言葉に、空気が一瞬止まる。
東条は満足げに微笑んだ。
「志は高いほどいい。そして、その想いは実現するためにある」
ルドルフの腕を軽く叩く。
「頑張ろうな、『ルナ』ちゃん」
――その瞬間、空気が凍りついた。
スピードシンボリが慌てて駆け寄り、ルドルフの肩を掴む。
フレンドも両手で妹の肩を抱きしめる。
ルドルフは動けなくなっていた。
“シンボリの者以外”から幼名を呼ばれたのは初めてだった。
まるで禁忌に触れたかのように。
東条は三人の異様な反応に戸惑い、後悔の色を浮かべる。
その時、車のエンジン音が近づいた。
「東条さん、時間ですよ」
助手席のドアを開けたのは、若い男――石上サブトレーナーだった。
東条はごまかすように手を上げ、車に乗り込む。
スピードが重い足取りで近づき、窓を叩く。
「『ルナ』に……ルドルフに関心を持って頂き、ありがとうございます。
でも、ダメなんです」
「何が?」
東条は分かっていた。
“シンボリルドルフのトレーナーになる資格がない”ということだ。
「背筋にさ、雷が迸ったんだよ。
彼女を一目見た時に」
東条の言葉に、スピードは静かに告げる。
「今は、まだちょっと……」
東条の関心は逆に強まる。
二人の間に、海外遠征を共にした者同士の火花が散る。
「それでも、諦めるつもりは毛頭ない」
石上はハラハラしながら見守るしかなかった。
「決めるのはルドルフ本人です。
……でも、その前に『御大』に相談されるのがいいでしょうね」
『御大』――
シンボリ家の主であり、ウマ娘管理の全権をスピードに委ねている人物。
めったに姿を見せない謎の存在だ。
スピードは言い放つと背を向け、去っていった。
車が動き出す。
ルドルフは平然と立っていたが、どこか悲しげだった。
東条は思わず車を飛び出し、ルドルフへ駆け寄る。
「危ないっ!」
石上が急ブレーキをかけるが、バンパーが東条を軽く弾く。
東条は倒れこむが、すぐに起き上がり、右手を伸ばした。
「君のこと、理解するようにするから」
ルドルフの顔が強張り、首を下げて背を向ける。
スピードに似た調子で、逃げるように去っていった。
「東条トレーナー、すいません!」
フレンドが深く頭を下げ、妹を追う。
「じゃあ、二人とも。今度はトレセン学園とレース場で会おう!」
だが、ウマ娘たちは振り返らずに消えていった。
石上が声をかける。
「東条さん……大丈夫ですか」
東条は無言でシートに腰を落とす。
車が本拠地を離れ、道路を走り出す。
しばらくして、石上が口を開いた。
「さっきの娘さん、シンボリルドルフって言うんですよね?
オーラがありますね」
「まあな。姿形や走法は姉に似ている。
問題は気性だ」
姉フレンドは気性が災いして結果を出せない時期があった。
だが、京王杯スプリングでは最速スプリンター・サクラシンゲキを破った。
「シンボリルドルフ……ポテンシャルは姉以上かもしれない。
メンタルと体調をコントロールできれば、とんでもないウマ娘になる」
東条は目を閉じ、想像に浸る。
石上も頷く。
「何より、プロポーションのバランスが絶妙でした。
まるでヨーロッパの古い絵画に描かれた名ウマ娘のようで」
「そう、グッドルッキングホースガールだ。
あの身体は、シャンティやニューマーケットにもそうはいない」
東条の声には、深い愛おしみが滲んでいた。
「でも、なぜスピードさんは、あんなに拒むんでしょう?」
石上の疑問はもっともだった。
「理由は分からん。
体験入学の時も、フレンドがフォローしたようだしな」
ルドルフの“姉への依存”が強すぎるのでは――
二人の男は同じ懸念を抱いていた。
「まあ、確かに。最近の僕の成績はパッとしないからな」
東条は苦笑する。
かつては、名トレーナーだった。
「何とかチームを立て直したいんだ。
入学予定のウマ娘にも声をかけている」
そんな中での、シンボリルドルフとの衝撃的な出会い。
彼女が加入すれば、間違いなく中心となる。
「今は、まだちょっと……か」
スピードの言葉を噛みしめながら、東条は窓の外を見つめた。
秋のレースシーズンが終わり、年が変わる。
新たな希望は、すぐそこまで来ていた。
そしてウマ娘たちの物語は、静かにページをめくろうとしていた。
その先にあるのが幸福か、悲劇か――
それは、まだ誰にも分からない。