春の陽光が、府中のトレセン学園のターフを黄金色に照らし出していた。風にそよぐ芝の青い匂い。規則正しく、そして力強く大地を蹴り上げる蹄鉄の音。
「……ふぅっ!」
メジロマックイーンは、流れるような美しいフォームでコーナーを立ち上がった。名門メジロ家の令嬢としての気品と、アスリートとしての研ぎ澄まされた肉体が躍動する。額に浮かぶ汗すらも宝石のように輝くその姿は、まさにトレセン学園が誇る「美しきスポ根」の象徴であった。
トゥインクル・シリーズ。それはウマ娘たちが己の魂を燃やし、数多の観客を魅了する夢の舞台。彼女たちを導くトレーナーとの二人三脚の絆は、時に奇跡すら呼び起こす。
(今日の調子は上々ですわ。……さて、次はあの方と併せの約束でしたが)
マックイーンは息を整えながら、ターフの端に設置された練習用のスターティングゲートへと視線を向けた。そこには、彼女の畏友であり、学園随一のトリックスターであるゴールドシップが待機しているはずだった。
しかし、マックイーンの足がピタリと止まる。
「……ゴールドシップさん?」
ゲートの中にいるのは、確かに芦毛のウマ娘だ。しかし、彼女はスタートの姿勢をとるどころか、ゲートの狭い空間に巨大な全自動洗濯機を持ち込み、なぜかその中で大量の「白菜」を塩揉みしていた。
「……ピス、ピス、ピス。こちらゴルシ。現在、第3ゲートにてキムチの錬成に成功。これより白菜の細胞壁に対する武力介入を開始する。オーバー」
通信機など持っていないのに、手首に向かって真顔で報告を続けるゴールドシップ。
マックイーンが「ツッコミを入れるべきか、見なかったことにして保健室へ行くべきか」という究極の選択を迫られた、まさにその時だった。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
突如、トレセン学園の地殻が悲鳴を上げた。美しく整備されたターフが、まるで内側から巨大な爆弾を起爆されたかのように隆起する。
「な、何事ですの!?」
マックイーンがたじろぐ中、芝生を突き破り、大地から天を衝くように出現したのは——巨大な「ちくわ」だった。太陽の光を浴びてテカテカと輝く、全長10メートルはあろうかという巨大ちくわ。その先端がパカッと開き、中から一つの巨大な影が舞い降りた。
ズバァァァン!!
着地と同時に、衝撃波で周囲の芝が吹き飛ぶ。
そこに立っていたのは、サングラスに筋骨隆々の肉体、そして頭頂部にそびえ立つ黄金の24金アフロヘアーを持つ、トレセン学園のセキュリティと世界観を根本から粉砕する謎の巨漢であった。
「毛抜き草の匂いがするな……!!」
男は腕を組み、誰に言うでもなく叫んだ。
「貴様ら! にんじんハンバーグにタバスコを一本丸ごと使い切らずして、何がトゥインクル・シリーズかァァーーッ!!」
空間が、凍りついた。爽やかなスポーツの世界観が、男が放つ圧倒的な「ハジケ」のオーラによって、ドロドロのゼリー状に塗り替えられていく。
「な、なんなのですかあの不審者は……!? 警備員! 警備員さーん!?」
マックイーンが悲鳴を上げかけたその時、白菜を塩揉みしていたゴールドシップが、ゆっくりと洗濯機の中から立ち上がった。
「あ? おっさん誰だ?」
ゴルシの目は据わっていた。見知らぬ巨漢の乱入に対する驚きではない。「自分の白菜揉みを邪魔された」ことへの純粋な怒りだった。
「俺の名はボボボーボ・ボーボボ! 今日から貴様の専属トレーナーだ! さぁ行くぞゴールドシップ、まずはこのゲートを『毛抜き器』に改造し、全宇宙の毛根を救済する特訓からだァァ!!」
ボーボボがビシッとゴルシを指差す。トレーナー就任の熱い宣言。しかし、ゴルシは鼻で笑った。
「ハッ、寝言はタカ派のハトになってから言いな。アタシは今、この白菜から抽出したダークマターで次世代型ルービックキューブを練成してんだよ。三流トレーナーの出る幕じゃねぇな」
会話が、全く成立していない。
ボーボボの「毛根救済」という謎の理屈に対し、ゴルシは「白菜からダークマター」という全く別の銀河系のルールで応酬した。
「愚か者ォォ!! トレーナーの指示が聞けない不良ウマ娘には、愛のムチが必要のようだな!!」
ボーボボの両鼻の穴が、異常なほどに膨らんだ。
「くらえ! 『鼻毛真拳奥義・にんじんハンバーグ・ディスコ・インフェルノ』!!」
バチィィィィン!!
ボーボボの鼻の穴から、鋼の如き強靭な鼻毛が無数に飛び出した。それは鞭のようにしなり、ゴルシが乗っていた全自動洗濯機に絡みつく。すると次の瞬間、洗濯機はまばゆいネオンカラーに発光し、巨大なミラーボールへと姿を変えた。ターフには突如として80年代のユーロビートが鳴り響き、謎の黒服たちが踊り狂い始める。
「なっ……アタシのキムチ専用洗濯機が、ジュリアナ東京に!?」
さすがのゴルシも目を見張った。だが、彼女は決して怯まない。むしろ、その口角が獰猛に吊り上がった。
「なるほど、ステップ踏みたいお年頃ってわけね! 上等だ、その喧嘩買ってやるよ! 食らえ、アタシの『第8宇宙式・スライム蹄鉄ブーメラン』!!」
ゴルシは何もない空間から、ゼリー状にプルプルと震える巨大な蹄鉄を取り出し、それをブーメランのようにボーボボへ向かってぶん投げた。
「甘いな!! ゴールドシップ!!」
ボーボボはそれを避けることなく、己のアフロヘアーで真正面から受け止めた。ボヨォォン! という気の抜けた音と共に、スライム蹄鉄はアフロに吸い込まれ、代わりにアフロの中から大量の「たい焼き」が弾け飛んだ。
「たい焼きだと……!? ちぃっ、このおっさん、アフロの中身が四次元の屋台になってやがるのか!」
ゴルシが舌打ちをする。
「見事だ……俺の『毛魂』をたい焼きに変換するとは」
ボーボボはサングラスの奥の目を細め、静かに頷いた。
「へっ、これくらいアタシの『黄金の不沈艦(ゴールドシップ)』の右舷の装甲にも満たねえよ」
「……お前のその白菜に懸ける情熱、確かに受け取った。どうやら俺はお前を甘く見ていたようだな」
「フン、分かればいいんだよ。アタシのキムチは銀河を越えるからな」
おかしい。
全く会話のキャッチボールをしていないし、お互いのギャグの文脈も完全にすれ違っている。それなのに、なぜか二人の間には「ライバルを認め合った男たちの熱い友情」のような、謎の爽やかな風が吹いていた。
「行くぞゴールドシップ。俺には未来(ビジョン)が見える」
ボーボボは突如、己の金髪アフロを中央からパカッと開いた。
そこには、謎のオレンジ色のトゲトゲした生物——首領パッチが、なぜかフル装備のジョッキー姿で、巨大な「大根」に跨ってスタンバイしていた。
「パッチボボ・レーシングファームへようこそ!! 俺様が主戦騎手の首領パッチ様だァァ! 今日の馬場状態は『重(オモ)』! 俺様の心は『超(チョベリバ)』だぜェェ!!」
「うおおおお!?」
それを見た瞬間、ゴルシの瞳に初めて「尊敬」の光が宿った。
「マジかよ……その大根、前脚の筋肉の付き方がハンパねえ! G1を総ナメにする器だぜ……! アンタ、ただの屋台のおっさんじゃなかったんだな!」
「当然だ。俺たちはこれから、有馬記念を超える伝説を作る」
二人の間に、これ以上の言葉はいらなかった。
「ハジケリスト」の魂と、「黄金の不沈艦」の電波。決して交わるはずのなかった二つの狂気が、ここトレセン学園のターフ上で、奇跡のシンクロニシティを果たしたのだ。
「行くぞゴルシ! 今日のトレーニングは、理事長室の扉を外してサーフボードにし、ところ天の助(芝の状態:不良)の上で波乗り日本ダービーだァァーッ!!」
「おうさ!! ついでに給食室の鍋を全部ドラムセットにして、ヘヴィメタルのライブハウスにしてやろうぜェェーッ!!」
ドゥルルルルルルルルルッ!!!
謎の爆発音とユーロビートが鳴り響く中、新任トレーナーと担当ウマ娘は、どこからともなく現れた「キャタピラ付きのコタツ」に乗り込んだ。
そして、練習用のターフではなく、学園の正門(物理的な壁)を一直線にぶち破り、夕日を背にして明後日の方向へと爆音と共に爆走していった。
⬛︎
もうもうと巻き上がる土煙。破壊された正門。散乱するたい焼きと、謎の巨大ちくわ。
その騒動の震源地からわずか50センチ。真横の芝生に、メジロマックイーンはただ一人、彫像のように立ち尽くしていた。
最初から最後まで、この次元の崩壊を至近距離で目撃してしまった彼女の目は、完全にハイライトを失っている。
「…………わたくしは、一体何を見せられているんでしょうか?」
虚無の底から絞り出したような呟き。
「わたくしはただ、彼女と併せの約束をして、ここで待っていただけなのに。どうしてちくわからおじさんが出てきて、洗濯機がジュリアナ東京になって、コタツで壁をぶち破って走っていくのでしょうか」
ふと視線を落とすと、なぜか彼女の足首には、先ほどまでアフロの中にいたはずの謎のオレンジ色のトゲトゲ——首領パッチが、いつの間にかセミのようにガッチリとしがみついていた。
「……で、駅から徒歩5分の1K、南向きバストイレ別なんスけど、家賃おいくらまでイケます? 敷金礼金はチャクチ(着地)で交渉可能ッスよ」
首領パッチが、どこから取り出したのか不動産屋の間取り図を広げて、媚びるような笑顔で尋ねてくる。
「……とりあえず、その間取り図をしまっていただけますか?」
マックイーンは、消え入りそうな声で答えた。
「あと、わたくしの脚から離れなさい。この、オレンジ色のトゲトゲ」
ツッコミという概念すらチリと化した空間で、名門メジロ家の令嬢の胃に、かつてない重さのストレスがのしかかった瞬間だった。
彼女が胃薬を常備するようになるのは、この翌日からのことである。