夏の残響   作:柚葉

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さっちんとカレー先輩

「――二人まとめて処刑します!」

 

夕暮れの路地裏に、黒鍵の雨が降り注ぐ。

シエルが戻ってきた。

ミーナの背後で、吸血種化が進行するさつきを庇いながら、彼女は視線をシエルへ向けた。

その瞳に、先ほどの「残念な臆病さ」は微塵もない。

 

「…シエルさん」

 

声は低く、平坦だ。

それは、思考が極限まで効率化され、感情が排除された死徒のそれ。

知性は高い。

ゆえに、この状況で最も生存確率が高く、かつさつきを救うための「最適解」を、ミーナは瞬時に導き出していた。

 

「私、さっきも言いましたよね。『死にたくない』から、死ぬ気であなたを無力化するって」

 

ミーナは、さつきの首筋から指を離し、ゆっくりと立ち上がる。

その背後で、さつきの肌の病的な白さが、微かに生気を取り戻し始めていた。

ミーナが「簒奪」で吸い上げた毒が、彼女の体を駆け巡っている証拠だ。

 

「貴女、その娘に何を…ッ!?」

 

シエルの顔に、焦りの色が浮かぶ。

だが、ミーナはすでに「覚悟」を決めていた。

このシチュエーション、かつての会社員時代にもあった。納期前日、仕様変更。あの時の絶望を思えば、この程度…!

 

「喰らえぇぇぇぇッ!!」

 

ミーナの右手人差し指が、シエルを真っ直ぐに指し示す。

それは、古流琉球空手の秘伝、『貫手』の構え。だが、指先にはただの膂力だけではない「何か」が凝縮されていた。

周囲の路地裏のコンクリート、アスファルト、電柱。ありとあらゆる「物質の魔力」が、ミーナの指先に強制的に吸い上げられ、異常な速度で圧縮されていく。

 

「な…ッ!? 馬鹿な! 魔力を物質に還元し、さらに加速…電磁投射砲(レールガン)!?」

 

シエルの顔に、恐怖と驚愕が浮かんだ。

魔術師としての知見が、ミーナの放とうとしている現象の恐ろしさを瞬時に理解したのだ。

 

「私の指が、弾体だぁぁぁッ!!」

 

次の瞬間、ミーナの指先から、文字通りの「光の筋」が放たれた。

それは、大気を切り裂き、コンクリートを融解させ、音速を遙かに超える速度でシエルへと迫る。

弾体は、ミーナの右人差し指。

だが、その指に収束された莫大なエネルギーは、ビルを消し飛ばす大質量兵器にも匹敵する。

 

「ぐ…あ…ッ!」

 

直撃を避けたシエルだったが、その脇腹を掠めた光の筋は、彼女の第七聖典の一部を溶解させ、教会の法衣を焼き焦がし、その身を路地裏の壁へ深く叩きつけた。

 

「…ハァ、ハァ…。ざ、残念でしたね、シエルさん。私の指は、もう一本あるんですよ…」

 

ミーナは左手の人差し指を震えさせながら差し出すが、魔力を使い果たし、体はボロボロだ。

しかし、その瞳には明確な「殺意」ではなく、「二度と邪魔をするな」という警告が宿っていた。

 

シエルは壁にめり込んだまま、意識を失っていた。

 

「あは…あははは! 飛んだ、カレーの人が飛んだぁ…!」

 

三咲町の路地裏。

凄まじい熱量でアスファルトが融解し、陽炎が立つ中でミーナは力なく笑っていた。

 

本来、一介の死徒がシエル級の代行者を「行動不能」にまで追い込むには、文字通り魂を削るほどの出力が必要だ。

ミーナはそれを、自身の魔術特性『簒奪』による強引な周囲からのエネルギー徴収と、前世の物理知識を無理やり魔術回路に組み込んだ『指先電磁投射砲』で成し遂げた。

 

だが、代償はあまりにも大きかった。

 

「…あ、れ? 私、なんでここでお箸(指)を構えてるんだっけ? お腹空いたなぁ…お肉、焼けてる匂いがする…(※焼けてるのはシエルの法衣と路地裏の壁です)」

 

説明しよう。

ミーナは過剰な魔力摂取および演算限界突破により、論理回路が一時的にオーバーヒートすると知性指数、ストップ安を記録。

人格の維持にも支障をきたすのであった。

 

知性は高い。

高すぎた。ゆえに、パンクした時の落差もまた、二十七祖級の絶望だった。

かつて時計塔で「神童」と呼ばれ、前世では「仕事の効率化」に命を懸けた男の魂は、今や完全に幼児退行…いや、「ただの残念な生き物」へと成り果てていた。

 

「わーい、さっちん、お顔が白いね! お豆腐かな? ミーナ、お豆腐だいすき!」

 

「…み、ミーナさん? あの、大丈夫…?」

 

吸血毒を「簒奪」で吸い出され、なんとか人としての形を保っているさつきが、おそるおそるミーナの肩を揺らす。

だが、ミーナの赤い瞳には知性の欠片もなく、ただ「あへー」と間抜けた笑みが浮かんでいるだけだ。

 

「さっちん! お外、暗いから怖いね! ネロおじさんに、お歌うたってもらおう!」

 

「ネロ、おじさん…?」

 

ミーナは、ふらふらとした足取りでさつきの腕を引き、夜の街へと歩き出す。

その歩法は、もはや琉球空手の神髄など微塵も感じさせない、酔っ払いのような千鳥足。

 

その様子を物陰から一羽のカラスが見守っていた。

 

『…ミーナ。貴公、まさかその知性を対価に一撃を放ったのか。…非効率を通り越して、もはや芸術的な愚行だな』

 

ネロ・カオスの呆れ果てた思念が響くが、今のミーナには届かない。

 

「カラスさんだ! 美味しそう! 焼き鳥にしよう!」

『……。…回収する。これ以上、この個体を放置すれば三咲町の神秘が別の意味で崩壊する』

 

その夜、廃墟の拠点にて意識を失ったさつきと、ヨダレを垂らしながらネロのコートの裾を掴んで「お腹空いた」と連呼するミーナ。

ネロ・カオスは、数百年の人生で最大級の「どうしてこうなった」という感情を押し殺し、二人の面倒を見る羽目になった。

 

「ネロおじさーん、高い高いしてー!」

 

「…。…貴公が正気に戻った時、今の記憶を簒奪することを強く推奨するぞ、ミーナ・アルナストラ」

 

「あへー、さっちん、お目々がぴかぴかしてるねぇ。信号機かな? 赤信号だから、ミーナ、止まらなきゃ!」

 

廃墟の冷たい床の上、知性がストップ安を更新し続けているミーナは、さつきの赤く輝く瞳を指差して無邪気に笑っていた。

 

一方、弓塚さつきは、自分の体に起きた劇的な変質に震えていた。

喉を焼くような渇き。

世界がひっくり返ったような鋭敏な五感。

そして、自身の内側に目覚めた「固有結界」の萌芽。

ミーナが無理やり毒を簒奪し、代わりに自身の莫大な魔力を流し込んだ結果、さつきは「理性と高いスペックを維持したままの死徒」という、極めて稀な変異を遂げていた。

 

「ミーナさん…私、分かっちゃう。あなたが私を助けるために、大事な『頭』を壊しちゃったこと…」

 

さつきは、幼児のように床を転がるミーナをそっと抱き上げた。

かつての大人しく、守られるだけだった少女の面影はない。

その瞳には、親友(兼、恩人兼、知性の死んだ残念な子)を守り抜こうとする、新米死徒としての強い決意が宿っていた。

 

「…ほう。変異は安定しているようだな。弓塚さつきと言ったか」

 

影の中からネロ・カオスが滲み出る。

混沌の王は、知性が消滅し「ネロおじさんのヒゲ、おいしそう!」と寝言を言っているミーナを一瞥し、重い溜息をついた。

 

「ミーナがその状態では、もはや論理的な対話は不可能だ。弓塚、貴公が彼女の『ストッパー』となれ。彼女の簒奪の魔力が暴走すれば、この町は文字通り食い尽くされる」

 

「…言われなくても分かってます。ミーナさんは、私が守ります」

 

さつきの背後から、陽炎のような魔力が立ち昇る。

彼女に宿ったのは、周囲の枯渇を加速させる「枯渇庭園」の萌芽。

だがそれは今、知性を失って魔力を垂れ流すミーナを包み込み、外界から隠匿するための防壁として機能していた。

 

「さっちん、だっこぉ…。ミーナ、おやつたべたい…」

 

「はいはい、ミーナさん。おやつは後でね。…まずは、志貴くんにバレないように、この廃墟をお掃除しちゃいましょうか」

 

さつきは、ミーナをまるでお米の袋のようにひょいと担ぎ上げた。

死徒の怪力、便利である。

 

知性は高いが、今はゼロ。

最強の戦闘力を持ちながら、中身は完全に「お世話される側」に転落したミーナ・アルナストラ。

そして、彼女を救うために人ならざる者へと覚醒し、意外としっかり者な「飼い主」の才能を見せ始めた弓塚さつき。

 

「あうー、さっちん、力持ちー! くるまみたーい!」

 

「もう、ミーナさん…。静かにしてないと、メッ、ですよ?」

 

こうして、三咲町の闇に、「最強のバカ」と「最強の苦労人」という、原作知識の斜め上を行く死徒コンビが誕生してしまった。

 

「あはー、ネロおじさん、これなあに? 赤いお水? いちごジュース?」

 

廃墟の奥底、知性指数がマイナスに突入しそうな勢いのミーナは、ネロ・カオスが差し出した不気味に赤黒く煮え立つ液体を、キラキラした瞳で見つめていた。

 

「…ミーナ、それは貴公の脳細胞を再起動させるための『荒療治』だ。弓塚、彼女を押さえていろ」

 

「…なんか、すごく嫌な予感がしますけど。…はい、ネロさん」

 

さつきが後ろから、暴れるミーナをがっしりとホールドする。死徒同士の力比べ、本来ならミーナが勝つはずだが、今の彼女は「さっちん、ぎゅーってしてくれてる! あったかーい!」と完全に骨抜き状態だ。

 

「よし。…喰らえ、ミーナ。私が厳選した、並の生命体なら概念ごと燃え尽きる超激辛・魔境特製スパイス抽出液だ」

 

ネロがその液体をミーナの口へ流し込んだ。

 

「………」

 

一瞬の静寂。

 

「…あ、あ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 熱い! 痛い! 脳が! 私の高性能な演算回路が物理的に燃えてるぅぅぅぅ!!」

 

ミーナの瞳に、知性の光が爆速で帰還した。

ストップ安だった株価が一気にストップ高へ。

彼女はさつきの腕を振りほどき、口から火を吹かんばかりの勢いで廃墟の中をのたうち回る。

 

「ネロさん! 貴方、何を食べさせたんですか! 私、前世から辛いのは苦手だって言ったでしょ! 回路がショートしちゃう!」

 

「…ふむ。言語能力の回復、論理的思考の再開。実験は成功だな」

 

ネロが満足げに手帳に記録する。

一方、ミーナは床に這いつくばりながら、涙目でさつきを見上げた。

 

「さ、さっちん…。私、戻ったよ。…って、ええええ!? さっちん、あなた本当に死徒になっちゃったの!? 私の簒奪、中途半端だったの!?」

 

「あ、ミーナさん…お帰りなさい。…うん、なんかこうなっちゃったみたい。でも、意外と平気だよ?」

 

「平気なわけないでしょ! ああもう、私の計算ではこうなる前にシエルさんを無力化して…。…あ」

 

シエル。

その名前を思い出した瞬間、ミーナの脳内回路にネロが仕込んだ「激辛の記憶」が強烈にリンクした。

 

「…う、ううっ。シエルさん…カレー…辛い…。ダメ、シエルさんの顔を思い出すだけで、喉の奥がヒリヒリして、鼻水が出てくる…。ああっ、もうシエルさんなんて見たくなーい!」

 

知性は戻った。しかし、重度の「シエル=激辛=トラウマ」という条件反射が刻み込まれてしまったのだ。

 

「…なるほど。強敵に対する恐怖心を、味覚の苦痛で上書きすることで回避能力を高めるか。副産物としては悪くない」

 

「悪くないわけないでしょ! これからどうやって志貴くんの学校に通えばいいんですか! 廊下ですれ違うたびに私が激辛地獄で悶絶することになるんですよ!?」

 

知性は高いが、相変わらず残念。

むしろ、特定のキャラに対して「戦う」どころか「辛すぎて近寄れない」という致命的な弱点を抱えてしまったミーナ。

 

「…ミーナさん、大丈夫だよ。シエルさんが来たら、私が前に立って隠してあげるから」

 

「さっちん…! あなた、死徒になってから私より頼もしくなってない…?」

 

最強のバカから、最強の「激辛恐怖症」へと進化したミーナ・アルナストラ。

彼女と、そんな彼女を飼い慣らす新米死徒・さつきの、奇妙な共同生活(とシエル回避作戦)が本格的に始まろうとしていた。

 

「いい、さっちん? 私はもう、シエルさんとは戦えない。あのお方の顔を見るだけで、私の脳内にはネロさんが注入した死のスパイスが駆け巡って、物理的に回路が焼き切れるの…。だから、私を守って。私はあなたの後ろで、ただの可愛い荷物になるから!」

 

廃墟の広間。

ミーナはキリッとした顔で、とんでもなく情けない宣言を放った。

知性は高い。

ゆえに、「自分が戦うよりも、ポテンシャルの高いさつきを育成して盾にする方が生存率が跳ね上がる」という結論に達したのだ。

 

「ええっと…。つまり、ミーナさんが私を特訓してくれる、っていうことでいいのかな?」

 

さつきはおずおずと尋ねる。

その背後では、彼女の固有結界『枯渇庭園』の影響か、廃墟の隅に生えていた雑草がみるみるうちに萎れ、さらさらと砂になっていた。

 

「そう! 名付けて『さっちん最強ボディーガード計画』! 私の琉球空手の理論と、時計塔仕込みの魔力運用、そして私の特性である『簒奪』の応用…これを全部あなたに叩き込むわ!」

 

ミーナは小柄な体を精一杯伸ばし、さつきの前に立つ。

白髪を揺らし、赤い瞳を輝かせるその姿は、一見すると可憐な師匠のようだが…。

 

「まずは基本の構え! 敵が来たら、こう、正中線を守りつつ、相手の魔力を吸い取りながら突きを放つの! はい、やってみて!」

 

「えいっ…!」

 

ドォォォォォン!!

 

さつきが軽く放った突きが、廃墟の太い柱を一本、粉々に粉砕した。

ただの筋力ではない。

ミーナが教えた「簒奪」のコツを無意識に混ぜたせいで、柱を構成する概念強度そのものを吸い取りながら破壊したのだ。

 

「………」

 

「あ、あの、ミーナさん? 壊しちゃった…」

 

「…完璧。完璧すぎて、師匠の私が震え上がってるよ。さっちん、あなた才能の塊すぎない? これ、私がヒロインで、あなたが主人公の物語(ルート)じゃない?」

 

ミーナは、自分よりも遥かに破壊の才能がある教え子を見て、ガタガタと膝を笑わせた。

知性が高いゆえに理解してしまう。

自分を護衛させるために育て始めたさつきが、わずか数分で「自分をワンパンで沈められる存在」に成長しつつあることを。

 

(…待って。私、さっちんを怒らせたら、この町で一番最初に消されるの私じゃない!?)

 

「あ、あの、ミーナさん? 次はどうすればいい?」

 

「ひっ!? い、いえ、次は…そうね、私の後ろに隠れる練習! 私が『辛(シエル)い!』って叫んだら、マッハで私を抱えて逃げる練習をしましょう!」

 

「…それ、特訓なのかなぁ…」

 

さつきは苦笑いしながらも、一生懸命に「バカで残念な師匠」をひょいとお姫様抱っこして、廃墟内を爆走する練習に付き合ってくれた。

 

『…生存本能が強すぎて、弟子の育成すら「自分が逃げるため」に特化させるとはな。ミーナ、貴公のその徹底した卑屈さは、もはや一種の神秘に到達しているぞ』

 

カラスを通じて観測していたネロ・カオスは、もはや感心を通り越して「新しい生命哲学」を見出したような気分でペンを走らせていた。

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