「…さっちん。いい、よく聞いて。これから私たちは、この世界の『中心』に挑みに行くの。…そう、遠野志貴くんの元へね」
廃墟の広間、ミーナは戦国武将のような悲壮感を漂わせて、さつきの肩を叩いた。
知性は高い。
ゆえに、このまま隠れ通すのは不可能だと分かっている。
志貴の「直死の魔眼」は、隠蔽された神秘すら暴く。さつきが死徒になった事実は、いずれ必ず彼の知るところとなる。
ならば、先手を打って「事故でした! 私は悪くない(ちょっと悪い)!」と泣きつくのが、生存戦略上の最適解だ。
「さっちん、もし志貴くんがナイフを抜いたら…その時は、私が前に出るから。あなたは私の後ろで、全力で『簒奪』のバリアを張って。…最悪、戦うしかないわ」
「ミーナさん…。うん、分かった。私、志貴くんを傷つけたくないけど…ミーナさんが殺されるのも、もっと嫌だから」
さつきの瞳が、決意で赤く燃える。
よし、いい感じに護衛対象としての地位を確立したぞ!と、内心でガッツポーズを決めるミーナ。
中身が三十路手前の男なだけあって、土壇場の図太さは健在である。
公園のベンチ。
呼び出しに応じた志貴は、そこに立つ二人の姿を見て、言葉を失っていた。
「…さつき? ミーナさん? 二人とも、どうしたんだよ。そんな、お別れみたいな顔して」
「志貴くん…。あのね、驚かないで聞いて。私…人間じゃ、なくなっちゃったみたい」
さつきが震える声で告白し、その赤い瞳をさらけ出す。
志貴の眼鏡の奥、瞳が細められた。
彼が「死」の線を見ていることを、ミーナの魔術回路が敏感に察知し、総毛立つ。
「…死徒、なのか。さつき、君が」
志貴が一歩、踏み出す。
その手は、ポケットの中の「七夜の短刀」に触れているように見えた。
「待って志貴くん! ストップ! ステイ! 暴力反対!」
ミーナが、さつきの前に割り込んだ。
小柄な体が、志貴の視線を遮るように立つ。
「彼女を噛んだ奴は私がボコボコにして、毒は私が『簒奪』で吸い出したの! 今の彼女は、私が保証する『理性派死徒・一号』よ! だからその、物騒な指先を収めて!」
「ミーナさん…。でも、吸血種は人を襲うものだって、アルクェイドも言ってたし…」
「襲わせないわよ! 私がついてるんだから! 彼女が喉を乾かせたら、私の魔力を吸わせる! 彼女が暴走しそうになったら、私の琉球空手で当身を入れて気絶させる! だから…!」
ミーナは、地面に頭がつく勢いで深いお辞儀をした。
「お願い。さっちんを…弓塚さつきを、殺さないで。…どうしても殺すって言うなら、まず私を十七分割してからにして。…あ、でも痛いのは嫌だから、できれば一撃でお願い…」
知性は高いが、極限状態で出る言葉がやっぱり残念。
だが、その「死ぬほど怖いけど友達を守りたい」という支離滅裂な覚悟は、志貴の心を揺さぶった。
「……。参ったな。ミーナさんがそこまで言うなら、僕にできることはないよ」
志貴がポケットから手を離し、困ったように笑う。
「…信じるよ。さつきがさつきのままだって言うなら、僕はナイフを抜かない。…その代わりミーナさん、さつきのこと、頼んだよ?」
「…! もちろんです! 任せてください、私の知性と生存本能にかけて!」
「ふぅ…。死ぬかと思った。本当に死ぬかと思った…。さっちん、見て、私の足ガタガタだよ」
「ミーナさん…ありがとう。私、一生ミーナさんについていくね!」
「えへへ、それならおやつに焼き鳥買って…あ」
路地裏の向こうから、カレーの匂いが漂ってきた。
ミーナの鼻腔を、ネロが植え付けた「激辛のトラウマ」が刺激する。
「ひっ…!? 辛い! 辛い匂いがする! さっちん、撤退! 志貴くんもバイバイ! 私は辛いもの(シエル)から逃げるわよぉぉぉ!!」
「あ、待ってミーナさん! 置いてかないでー!」
感動のシーンから一転、脱兎のごとく逃げ出すミーナ。
それを見送る志貴は、「…やっぱり、面白い人だな、あの人」と、ポツリと呟くのだった。
「いい、さっちん。和解よ。これからの国際社会(死徒業界)、代行者と手を取り合わないなんて非効率の極み。…鼻栓よし、防護マスクよし、準備万端ね!」
三咲町の公園。
ミーナは重装備だった。
ネロ・カオス特製の「激辛遮断フィルター」付きガスマスク(自作)を装着し、手には「さつきは無害です」と書かれた巨大なプラカードを持っている。
「ミーナさん、その格好…逆に怪しすぎて撃たれる気がするんだけど…」
さつきが不安げに見守る中、月光を切り裂いて「彼女」が舞い降りた。
「――現れましたね、不審者コンビ。…何ですかその姿は。私を馬鹿にしているのですか?」
シエルの声には、前回の『指先電磁投射砲』でボコボコにされた怒りと、目の前の珍妙な光景に対する困惑が混じっていた。
「し、しぇるひゃん! ははひをふひなはい!(意:シエルさん話を聞きなさい)」
ガスマスク越しにモゴモゴと叫ぶミーナ。
だが、シエルが第七聖典を構え、その重厚な魔力が膨れ上がった瞬間――ミーナの生存本能が、過去最大級の警報を鳴らした。
(ヤバい。今の彼女、完全に『殺る気』だ。和解のワの字も通じない。…このままだと私、今度こそバラバラにされて、前世の会社ロゴみたいに粉々に…!)
「死にたくない…! 私、まだ有給消化もしてないし、美味しいものも食べてないし、何より死にたくないんだよぉぉぉッ!!」
その瞬間。
極限の恐怖と、「生」への執念が臨界点を突破した。
ミーナの魂の奥底、転生時に根源を通過した際に刻まれた「 」が、彼女の叫びに呼応して震える。
「…え?」
世界が、一瞬だけ音を失った。
ミーナの周囲から色が消え、シエルが放った黒鍵も、振り下ろされる第七聖典も、そのすべてが「存在しなかったこと」のように霧散していく。
「存在の、消滅…? いいえ、これは『無』への回帰…!? 貴女、一体何をしたのですか!?」
シエルが驚愕に目を見開く。
ミーナの頭上には、虚無を体現したような、吸い込まれそうなほど真っ白な「穴」が開いていた。
根源に直結したその力が、一瞬だけ彼女のロックを無理やり抉じ開けたのだ。
「…あ。…あ、ああああ」
だが。
ミーナ・アルナストラは、やはりどこまでもミーナだった。
「…すごいの出たぁ…。でも、これ使うと頭が…脳みそが『無』になっちゃう…。あう、あうあー…」
「あへ…?」
カッコよく覚醒したのも束の間、ミーナの瞳から光が消え、そのままガスマスクをつけたまま「パタン」と前のめりに倒れ込んだ。
「………」
「………」
静まり返る公園。
シエルは武器を構えたまま固まり、さつきは顔を覆って天を仰いだ。
「シエルさん。…あの、見ての通り、この人…こういう『残念』な人なんです。…だから、見逃してくれませんか?」
「……。…その『無』の権能、放置するには危険すぎますが…。今の姿を見せられて戦意を維持できるほど、私も冷徹ではありません」
シエルは深いため息をつき、第七聖典を消した。
どうやら、あまりの「残念さ」が、埋葬機関の殺意すら『簒奪』してしまったらしい。
「…うう。シエルさん…激辛…無…有給…」
寝言を言いながらうなされるミーナを、ネロ・カオスが観察していた。
『…根源への接触か。文字通り、死ぬ気で生きようとした結果、世界の真理をノックするとはな。ミーナ、貴公はやはり、知性は高いが運用の仕方が壊滅的だ』
ミーナ・アルナストラ。
根源に接続し、真祖と渡り合い、代行者をボコる二十七祖候補。
…その実態は、今日も今日とて「死にたくない」と震えながら、さつきに膝枕を強請る残念な美少女死徒であった。
「さっちん…明日は…ハンバーグがいいな…」
「はいはい、ミーナさん。…平和が一番だね」
三咲町の夜は、今日も騒がしく、そして少しだけ優しい。
「…ふむ。観測データは十分に揃った。三咲町の変質、真祖の動向、そして貴公という『知性あるバグ』の生態。これ以上ここに留まるのは、私の『混沌』にとっても過剰摂取だ」
ネロ・カオスは、まるで出張終わりのサラリーマンのような淡々とした口調で、影の中に沈み込んでいった。
「えっ、ネロさん帰っちゃうの!? 唯一の相談相手が! 学者仲間のよしみで見捨てないでよ! さっちん、引き留めて!」
「あはは…。でもミーナさん、ネロさん、なんだか『ここは自分の出番じゃない』みたいな顔してるよ?」
「…。ミーナよ、最後に一つ忠告だ。この三咲町の夜、私の代わりに現れる『影』には気をつけろ。」
「そんなの原作にあったっけ!? 」
ネロは答えず、一羽のカラスを残して夜の闇に消えた。
「…ねえ、さっちん。ネロさんがいなくなったってことは、これから来る敵、私の知らない奴が来るってことなんだよね」
「…みたいだね、ミーナさん」
「よし、決めた。寝よう。 寝て、起きたら世界が元に戻ってるか、志貴くんが全部解決してくれてるのを待とう。それが私の最新の生存戦略だ!」
「…ミーナさん、現実逃避も『簒奪』できるといいのにね」
知性は高いが、やはり頭が残念。
それでも根源に愛され、最強の弟子(さつき)を抱えたミーナの明日は、果たしてどっちだ。