三冠未遂   作:ひまんちゅ

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才能への手紙

「皆さん、こんばんは」

 

カメラ越しの挨拶に、チャットが一斉に沸いた。[待ってました!!][今日は何話す?][あの新人分析お願いします!]数字が刻一刻と増えていく。けれど、彼女の視線はいつも遠く──まるで画面ではなく、もっと大きな何かに向いているように見える。

 

「今日は少し、個人的な話をしようと思います」

 

チャット欄が一瞬凍りついたあと、「……え?」「珍しすぎ」「大事件では」と慌ただしく流れた。

 

「以前から何度も話題にはしていたのですが、正式に『指導』という形で関わることになりました」

 

コメント:[待ってまって!?][どっち!? 育成か!? コーチング!?][夢見たいwww][引退後のG1勝利とかすごすぎる]

 

「正確には“分析スタッフ”として協力することになります。まだチーム名も非公開ですが──次の世代のために、私の知識が少しでも役に立つのなら嬉しいです」

 

マイクを握る指がわずかに震えた。過去のすべてが詰まった一本の棒を、誰かに託すような感覚だった。

 

「そして今日このタイミングを選んだのは……実は彼女からの提案があったからです」

 

コメント欄がさらに騒然となった。[まさかの本人降臨フラグ!?][顔出しある!?][名前教えてくれぇええええ]

 

「……ここで明かしてしまうと、デビュー前に情報戦が仕掛けられる可能性もあるので──」

 

言葉を切り、軽く笑った。

 

「もし気になる方は、次のG1までお待ちください。きっと注目の中心にいますから」

 

コメント欄:[まじで天才枠なんだろうな][勝負服が気になる][どんな体型なんだ……]

 

「体型……は、標準的だと思います。でも、反応速度と末脚の伸びが尋常じゃないです。今のうちに押さえておくといいですよ」

 

カメラを少し近づけた。彼女の瞳の奥に、かつて自分が追いかけた夢の残像が宿っている。

 

「私がハナ差で止まった。だからこそ、次はハナ差を超えてほしいんです」

 

コメント欄が一瞬で静寂に包まれたあと、[尊死][泣いていいですか][この人やっぱ神][次走絶対追いかける]という文字列が滝のように流れ始めた。

 

「では、最後にもう一度。新加入の皆様、これからどうぞよろしくお願いします。そして──」

 

画面越しの未来へ向けて、彼女はゆっくりと微笑んだ。

 

「いつかまた、一緒に走りましょう」

 

エンディングテーマが流れ始めると同時に、窓の外から夕陽が差し込んだ。オレンジ色の光の中で、彼女はカメラに向かって小さく手を振った。

 

**チャンネル登録者数:1,043,298**

**最高同時視聴者数:153,789**

**コメント総数:576,324**

 

彼女の物語はまだ終わっていない。

ハナ差の先を、新しい世代とともに進んでいる。

 

---

 

夏合宿。地方の坂道グラウンドでひとりだけ別人のような動きを見せていた彼女——今春デビュー予定の新人ウマ娘は、正式名称を伏せて"X"と呼称されていた。指導スタッフとしての初接触は、汗臭いロッカールームだった。

 

「……来てくれてありがとう。正直助かる。俺の技術じゃ太刀打ちできなくなってた」

 

現チームトレーナーが苦笑する。Xは端っこで水を飲んでいたが、元クラシックウマ娘を見るとすぐに背筋を伸ばした。

 

「あなたに会えるのが一番楽しみでした」

 

真っすぐすぎる眼差しに苦笑しながらも、元クラシックウマ娘は資料を開いた。

 

「まずはここを見て。君は序盤から過剰にテンションが上がる傾向がある。これだと消耗しすぎて終盤に持ちこたえない」

 

「……分かってはいるんです。けど抑える方法が──」

 

「私が教える。呼吸法から。筋肉の緩和具合から。完璧なラップコントロールまで」

 

ノートに書き殴った図表を見せると、Xの表情が変わった。目が輝く。そこにあるのは恐怖ではない。学習への飢餓感だった。

 

「……すごい。こんな細かいことを毎日考えてたんですね」

 

「当たり前じゃない。私は才能がない。だから考えた。一日一秒も無駄にしてられなかった」

 

Xがペンを取り、真似るように書き始める。「模範解答」を叩きつけられるのではなく、プロセスそのものを手渡される感覚。それは彼女にとって初めての体験だった。

 

「よし、実技練習するよ。模擬コースに出て」

 

陽射しの照りつける坂路で、二人のシルエットが並んだ。かつて"最速"だった者と、今"最速"になりうる者。だが今日は同じ道を走るだけで、互いの境遇を交換し合うように。

 

「いい? ここで息を吸う。吸い込む時に全身の筋を緩める。そうすると酸素が行き届く」

 

「なるほど……!」

 

Xの声は高揚していた。未知の技術を体得する快感に溺れそうになっている。しかし一方で、教えている側もまた胸の奥に微かな疼きを覚えていた。

 

(走る楽しさ、忘れてた。私はもうレースに出ないけど……ここにまた灯が点るのか)

 

夏の夜、合宿所近くの居酒屋にて。

 

「相変わらず鋭いわね」

 

乾杯もせず、梅酒ソーダを舐めるように呟いたのは、かつて同じ土俵で鎬を削った元ライバルだった。テーブルの向かいに座る現役コーチは、ニヤリと口角を上げる。

 

「そっちこそ、顔見せ程度に新人を送り込んできたのはどういうつもり?」

 

「うっさい。あの子はあなたにしか教えられないと思ったから。それだけよ」

 

元クラシックウマ娘はグラスを置き、深く息を吐いた。

 

「君は今、どんな気分?」

 

「え?」

 

「ライバルの末裔が、別のライバルを育てようとしてる。複雑じゃない?」

 

「全然。むしろ清々しい。競い合うために走ったんじゃない。伝えるために走ったんだから」

 

そこまで言うと、元ライバルは真面目な顔に戻った。

 

「あんたが引退するって言った時、裏切られた気持ちだった。でも、今は違う。あの日、“あなたが誰かの糧になる”って確信したから」

 

「糧、か」

 

「うん。ハナ差の向こう側にいるあなたが、その距離を橋渡ししてる」

 

その言葉を噛みしめていると、突然スマホが鳴った。着信はXからだった。通話ボタンを押すと、興奮気味の声が飛び込んでくる。

 

『先輩! さっき教えてもらった走り方でタイム更新しました! 二秒速くなりました!』

 

思わず笑みが漏れる。

 

「二秒? 一日で?」

 

『はい! 本当にありがとうございます! ずっと見ていてください!』

 

「もちろん。じゃあまた明日、昼食後にコースで」

 

通話を切ると、隣の元ライバルが目を丸くしていた。

 

「すごいじゃない。もう師匠モード入ってる」

 

「まだ“指導員見習い”だけどね」

 

「謙遜は似合わないよ。──さて、私たちも昔みたいに飲もうか」

 

グラスがぶつかる音が響いた。

 

---

 

秋の風が冷たく感じる頃、公式サイト上で一文が掲載された。

 

《当チームに、新たに"元クラシックウマ娘"氏を迎え入れました。専門スタッフとしての第一歩に、ご期待ください》

 

記事公開直後からSNSは荒れた。

 

(冗談だろ? あの人、引退即復帰じゃないか)

「糧、か」

 

「うん。ハナ差の向こう側にいるあなたが、その距離を橋渡ししてる」

 

その言葉を噛みしめていると、突然スマホが鳴った。着信はXからだった。通話ボタンを押すと、興奮気味の声が飛び込んでくる。

 

『先輩! さっき教えてもらった走り方でタイム更新しました! 二秒速くなりました!』

 

思わず笑みが漏れる。

 

「二秒? 一日で?」

 

『はい! 本当にありがとうございます! ずっと見ていてください!』

 

「もちろん。じゃあまた明日、昼食後にコースで」

 

通話を切ると、隣の元ライバルが目を丸くしていた。

 

「すごいじゃない。もう師匠モード入ってる」

 

「まだ“指導員見習い”だけどね」

 

「謙遜は似合わないよ。──さて、私たちも昔みたいに飲もうか」

 

グラスがぶつかる音が響いた。

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