今回も特に言う事はありません。
嗅ぎなれない薬品の匂い。何かの液体に入った標本にぐるりと囲まれた生物室。幼乃のお気に入りの場所で彼女の基地らしい。
放課後、俺はそんな所で幼乃と二人きり。幼乃は猫のジローと遊んでいる。
「お前、今日、研究しねぇの?」
「今日は猫と遊ぶ日じゃ。それより、お前は何しに来たんだ?」
「えっ?ああ、いやぁ……」
いきなり話を切り出すのはどうかと思った俺は話を逸そらした。
「そういや、ジロー見つけたんだな」
「まぁ、儂の一番の友達じゃからな。儂がどんなに嬉しい時も苦しい時も悲しい時も辛い時でもジローはジローのまんまでいてくれる。ジローは猫じゃ。猫は人の言葉なんぞ分からん。だから、接しやすい。相手の顔色をうかがうなんてもう嫌だ」
「つまり逃げてんだな。お前は弥生から逃げてんだな」
「に、逃げてなどおらん……」
「そうか、ならお前は何で弥生に裏切られた時、何も言えなかった?」
「な、何でお主がそれを?」
「ああ、それは弥生から聞いたわ。まぁ、理由は後で話すけど」
「理由?……コンテストの出場を辞退しろという事か?」
「おっ、だいせ〜かぁい。いきなり図星きたね。まぁ、そっちの方が楽でいいや。幼乃がコンテストに出ないようにしてくれって言われた。まぁ、俺は受けたぞ。その依頼」
幼乃はそれを聞いても動揺はしなかった。「またか……」とでも言いたいような顔である。
もう、彼女はこれに慣れた。そして従っていた。
幼乃も姉の事が好きだった。姉がもっと有名になってほしい。もっと評価されてほしい。そのような思いがあった。そして、姉は幼乃の期待通りに有名になった。
でも、時が経つにつれて姉が羨ましくなった。同じ研究者として姉の称号がほしくなった。みんなに認められたかった。
それにも理由はあった。弥生が有名になるにつれて幼乃は欠陥品のような扱いを受けた。
それが幼乃は嫌だった。だから、幼乃は頑張って研究をした。すると、友達といる時間も減り、いつしか周りにいる人が段々といなくなっていった。
幼乃は友達を作るのが下手くそになった。人と話すのも下手くそになった。人とコミュニケーションもとれない。だから、さらに彼女の周りから人が消えてゆく。
北瀬みたいな奴はどうせいなくなるだろうと思っている。もちろんそれは俺も同じように思われている。でも、弥生だけは違った。弥生とは姉妹関係である。切っても切れない関係。だから、幼乃は弥生を必要としている。
必要としているから、捨てられたくない。だから、相手の要望にはなるべく答える。
幼乃はいつもそうしている。弥生にも捨てられると幼乃は本当の孤独になるから。
そして、俺はその複雑な個人事情に対して非常にイラついている。
「で、お前はどうするの?出るの?出ないの?本心は?」
「……出ない。弥生がそう言うなら出たくない」
本当にそう思っているのであろうか?彼女は嘘をついているのであろうか?
幼乃がそう言うとジローが俺の方によってきた。俺はジローを抱えた。
「そうか、そうか。ジローお前は正直者だな。偉いぞ偉いぞ。あんな糞女よりも俺の方がいいもんな?」
「何だと?私が悪いか?」
「悪いっていうよりもウザい。目障り」
「目障りだと?」
「うん。姉が作った鳥籠の中だけで生きようとしていて、『鳥籠の中だけで生きる事が本望です』って
「わ、私はそんな事などしていない。私は自由に研究して……」
「じゃぁ、その成果を見せてみろよ。コンテストで。お前には飛べる羽があるんだから鳥籠の中から出て、大きくて青くてつめてぇ空を飛べよ。鳥籠の方が室温で快適ですってか?ふざけんなよ。ゆとり世代ですかっつーの。世の中には色んな人がいて迷子になっちまう。それでも自分の力で飛べよ。見知らぬ空を飛ぶんだよ。天才ってのは先頭に立つもんだ。先頭に立ってみんなの道標になるんだよ。お前はなりたくねぇのか?姉貴に裏切られたままでいいのか?他の飛んで行く鳥が羨ましくねぇのか?」
俺がそう言うと彼女は何かが吹っ切れたようにこう反論した。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!うるさぁぁぁい!私がそうしたいからそうしてんの!私はいいの!天才なんていらないの!私は静かにしていたいの!」
「じゃぁ、お前一生研究すんなよ。お前の研究なんか全てぶち壊してやるから。データも、資料も、何もかも」
俺が研究資料の所に行こうと足を動かした。これは本気である。
すると、幼乃は物凄い
「やめてよ。何でそんな事しようとするの」
「いやいや、俺はGHBだ。お前がさっき静かにしていたいっていったから静かにしてやろうとしてんだよ。研究とか邪魔だろ?」
「邪魔じゃないよ。研究は楽しいよ。私の頑張りが研究なんだ。だから、研究の資料は私の子供みたいなもの。可愛い可愛い私の子供よ。私の研究の邪魔をしないでよ!」
……やっと言ったじゃねぇか。本音。
「なら、お前はどうする?」
「どうするって?」
「弥生がお前を裏切ったんだろ?なら、可愛い可愛いお前の子供を奪ったも同然。ゆるさねぇはずだよな」
「……それは……」
「なぁ、仕返そうぜ。弥生に」
「え?何を?」
「だってお前ら研究者なんだろ?じゃぁ、研究者として叩きのめすにはあれしかないっしょ」
俺はポケットからあるチラシをバンと机の上に置いた。
「桜木コーポレーション主催のコンテストに出ろよ。んで、弥生を蹴り落として天才になれよ。なりてぇんだろ?天才に」
「いや、私は嫌ッ‼︎」
幼乃は部屋から出て行った。
……はぁ、何とかいけると思ったんだけどなぁ。