今回は少し哲学的ですね。
25の若さで死ぬという事はとても辛い事なのだろうか。
俺は16歳だし、『死』という言葉にはまだ
確かに俺は中一ぐらいの時に『死』を僅かだが考えてみた。哲学的な事を
死んだ後は人は霊になって現世を
俺は考えている時に一つだけ怖いなと思わされる
死んだ後、人は意識も、記憶も、人格も、思考も何もかも失い『無の存在』になるのではという考えだ。
何もかも失い『無の存在』になると俺は真っ暗な世界の中で思考もなくただ前を呆然と見ながらいるのだろうか。
『無の存在』という事はどのようなものなのかが不明確だ。人は多分不明確なものをあまり好きではないらしい。見通しのつくものを人は好む。
結局、俺は『死』と『無の存在』の答えは出なかった。もちろん、それに本当の答えは生きている最中は無理だと思う。そして最終的な答えはわからないままだから、さらに嫌になってしまう。というより怖くなる。どうなるか分からない道に行くのは怖い。
答えは出なかった。けど、その過程で知る事もできた。
人は、生物は、命あるもの全ていつかは死ぬ。どうせ死ぬ。という事を。
その考えは多分GHBの活動にも影響を及ぼしていると思う。どうせいつか死ぬならそれまで楽しもう。人生という限られた時間の中でどれだけ楽しめるか。そして人生を悔いのないものにする。それが、GHBの考え。
GHBは高校生活の中でしか味わえない。でも、その思いを、考えを持って人生を生きる事は可能だ。
俺はそう思うと幸せ者だと思わされる。そういう所に入って、そういう境遇に立たされて。
ココはどうなのだろうか。25の若さで死ぬという事でも、人生を最大限楽しめたならいいと思う。でも、もし楽しめなかったのなら、人生に悔いがあるのなら、運命を憎むのなら、俺はそんなココを抱いてあげたい。少しの間だけでもいいから彼女を幸せ者にしたい。俺が持っている幸せを分けてあげたい。半分こにしたい。
だって俺はココが好きだから。ココは俺の家族だから。大切な大切な俺の家族。
例え裕福な家族であっても家族内で話し合わなかったらそれは家族ではなく同居人のようなもの。俺の思う家族は貧しくても話し合って手を取り合う。
今、俺の目の前にいるココは24歳らしい。しかももうすぐ誕生日。
そんなココはウキウキしながら
俺がそんな事を考えている間にも時計の針は回ってる。秒針がカチッカチッと右回りに動いてゆく。分針も時針もそれにつられてゆっくりと動く。
ココが死ぬ1週間と4時間39分7秒前に俺は生前のココと出会った。