今回は一人称が倉本さんです。
しかも今回はただただ倉本さんの過去を語る回です。
まぁ一応参考にしてください。
私はある冬の日に生を受けた。
家族は三人。私は一人っ子。だから親からたくさんの愛情を受けた。その時の事はあまり覚えてはいない。
楽しい事はすぐ忘れる。でも嫌な事はずっと心の中にいる。
いつしか父親の愛情はおかしくなっていた。
それは身体、心理、性的虐待へと変わっていた。
毎日毎日、朝から晩まで母親が見ていない所で暴力を振られ、暴言を吐かれた。時には性的に身体を汚された。
それは多分、父親の愛情だったのだろう。ただ、それが変な愛情だった。それだけ。
そう受け止めれば今のようにはならなかった。
一人ぼっちにはならなかった。
ある日に父親の行為が母親にばれてしまった。
そしてそれが原因で幸せな家族に亀裂が入り、親は離婚をした。
私は母親と一緒に住む事となった。
私は嬉しかった。やっと普通に生活が出来るんだって。
でも、もう私は無理だった。父親からの虐待の影響で顔に表情を出す事が出来なくなっていた。笑えなかった。泣けなかった。まるで氷漬けにされて固まっているかのように。
それにまだ普通の生活を送るには問題があった。
それまでは親が共働きだった。三人分を二人で稼いでた。
でも、今は二人分を一人で養わなければならない。
母親は離婚して鬱になっていた。それでもかろうじて仕事には通っていた。でも、段々と疲労が多くなってきた。
私が小学校六年生の時にはもう母親はボロボロであった。そして中学に上がったぐらいの時に母親は仕事場で倒れた。
原因は過労である。
私は母親が倒れた事を知るとすぐに母親が搬送された病院へ行った。
その時には母親はもう死にそうなほど弱っていた。私はその姿を見ると泣き崩れてしまった。
あれ?何で私泣けているの?
その時、私は泣くという事を知った。
そして寂しさも知った。私を一人にしないでほしかった。
でも、その願いは届かなかった。
後日、懸命の治療も水の泡となった。私は本当に一人になった。
周りから憐れみの目で見られた。
「かわいそう」
「でも、私たちじゃ養えない」
うるさい!そんな事は望んでいない。母親を返してくれればそれだけで……。
その後、私は母親の遺品を見つけた。それは母親の日記だった。
その日記は母親が亡くなる直前まで書かれていた。
その日記には色々な事が綴られていた。
「父親がいなくなったのは辛いが、娘のために頑張る」
「この頃娘と遊びに行けてない」
など、多くの事が私の事であった。
その日記を見た私は泣きたかった。でも、泣くわけにはいかない。
その日記にはこういう事も書かれていた。
「あの子が全然笑わない。あの時の笑顔をもう一度見たい」
笑顔。私はそんな事も母親にしてやれなかったのか。
私はその時に笑顔を知ろうと頑張った。でも出てくるのは笑みではなく涙だった。
やっぱり私には無理なんだ。笑う事は。
何もありません