宇宙暦0087年。 銀河の辺境、廃棄されたコロニー群が集まる通称ジャンク・ベルト。酸性雨が降りしきるネオン街の片隅にその店はあった。
看板にはAbcbの文字。 表向きはレトロな喫茶店兼バーだが、裏では「運べないものはない」と謳うヤバい運び屋のアジトである。
「で、話というのはそれだけか?」
店の奥、薄暗いVIPルームで、アバカブ号の船長であるマスターが低い声で唸った。 対面に座っているのは、この星系を牛耳る犯罪シンジケートの幹部たちだ。
「おいおいマスター、渋い顔をするなよ。報酬は弾むと言ってるだろう?」 トカゲのような肌をした異星人の幹部が、テーブルに分厚いクレジットの束を叩きつけた。
「報酬の問題じゃない。軍の厳重警戒網を抜けて、第7セクターまで行けだと? 自殺志願者じゃないんだぞ」
横に控えていたパイロットの八田が怯えた様子で口を挟む。 「そ、そうですよ船長! 第7セクターなんて、ブラックホールと海賊だらけだ! 俺の可愛いアバカブ号がスクラップになっちまう!」
「黙ってろ八田」 メカニックの小松が八田の背中をスパナで小突いた。「船長の判断を待て」
シンジケートの幹部が目を細めた。 「断るのか? 我々の頼みを?」
合図とともに、部屋の影に潜んでいた武装兵たちが一斉に銃を構えた。カチャリ、と無機質な音が響く。
「ひいっ!?」八田がテーブルの下に潜り込む。
マスターは眉一つ動かさずに葉巻を吹かしたが、内心は冷や汗をかいていた。(やはり、こうなるか)
「交渉決裂だな。やれ」 幹部が命令を下した、その瞬間だった。
『ヒュンッ!』
赤い閃光が走り、幹部が持っていた銃が手元で弾き飛ばされた。 「なっ!?」
「うちの店で暴れるのは禁止よ。掃除が面倒だから」
部屋の入り口、紫煙の向こうから気だるげな声が響く。 そこに立っていたのは長い黒髪をなびかせた少女、鮎川まどかだった。 フライトジャケットにタイトなジーンズ。首元には赤いチョーカー。そして指先には今まさに投げられたのと同じ、鋭利な赤いピックが挟まれている。
「女だ! やっちまえ!」 兵士たちが照準をまどかに向ける。
しかし、彼女はもうそこにはいなかった。 「遅い」
まどかは目にも止まらぬ速さで懐に入り込むと、最初の一人の腕を取り、関節を極めて投げ飛ばした。その勢いのまま回し蹴りを放ち、二人目のヘルメットを粉砕する。 ブラスターの光線が飛び交うが、彼女はまるでダンスを踊るように最小限の動きで回避していく。
「あ、鮎川さん! 後ろ!」 八田が叫ぶ。
背後から大柄なサイボーグがナイフを振りかざしていた。 まどかは振り返りもせず、カウンターにあったウィスキーの瓶を掴んで背後へ放り投げる。瓶はサイボーグの顔面で砕け散り、怯んだ隙に彼女の赤いピックが正確に敵の動力パイプを貫いた。
「ガガガ」 サイボーグがショートして倒れる。
わずか数十秒の出来事だった。 部屋に立っているのはまどかとアバカブ号のクルーだけ。
まどかは乱れた髪をかき上げ、怯える幹部の前に立つ。 「で? 交渉の続き、する?」
幹部は青ざめて頷いた。 「わ、わかった! 報酬は倍だ! それに前金で払う!」
「毎度あり」 まどかは冷たく微笑むと、部屋を出て行った。
「ふぅ。寿命が縮んだぞ、鮎川くん」 マスターが深いため息をつく。
「まったく、あの人は人間じゃないですよ」八田が震えながら出てくる。
「さて、仕事だ」 マスターは預かったデータチップを端末に差し込んだ。ホログラムが浮かび上がる。 「今回の積み荷は、これだ」
映し出されたのは、古めかしい金属製の『コールドスリープ・カプセル』だった。
「中身は不明。だが、依頼主は『数百年前の遺物』だと言っていた。丁重に扱えよ」
格納庫へ向かう通路で、まどかはふと、搬入されるカプセルを見つめた。 分厚いガラスの向こう、液体窒素の霧の中に、少年のような人影がぼんやりと見える。
(この積み荷、何かが違う)
彼女の野生の勘が告げていた。 これはただの「モノ」ではない。自分たちの運命を変える何かが始まろうとしていると。
「鮎川! 出発だ! エンジン始動!」 小松の声にまどかは思考を打ち切り、愛用のサックスケースを持って船に乗り込んだ。
アバカブ号は噴射炎を上げ、暗黒の宇宙へと飛び立った。 まだ見ぬ波乱に向けて。
(第2話へ続く)