帝国軍人だぞ主人公 作:闘争万歳
次回からは主人公の一人称でお送りします。
なお更新頻度は亀ですごめんなさい。
東部戦域に聳えるノストブルク要塞は、魔王同盟国が保有する軍事拠点の中でも、ひときわ重要な戦略的価値を有する要塞である。
この要塞は険しい丘陵の頂に築かれており、その立地そのものが強固な防御機構として機能している。攻め手は急峻な斜面を踏破しながら進軍せねばならず、その過程で防衛側は高低差を最大限に活用した攻撃を展開できる。
弓兵の放つ矢は射程・威力の双方において大きく強化され、さらに城壁上から投じられる落石や各種防衛設備によって、要塞内部から一方的に敵へ損害を与えることが可能であった。
攻撃手段が多様であるということは、それだけ攻略側が講じなければならない対策も増えるということである。落石への対処ひとつを取っても、損害を覚悟で強行突破を図るか、あるいは専用の攻城兵器や工作機材を用意するしかない。
前者を選べば膨大な兵力を必要とし、後者を選べば軍の行軍速度は著しく低下する。加えて、後者を選んだ場合攻城兵器の護衛に兵力を割かなければならず、さらに軍全体の機動性と白兵戦能力も犠牲となる。すなわち、いずれの選択肢を採ったとしても、攻略側が背負う負担と不利益は増大する一方なのである。
ノストブルク要塞の真価はそれだけではない。
最大の特徴は、その背後に深い渓谷を擁している点にあった。
通常の要塞では東西南北すべての城壁が攻撃対象となり得るため、防衛側は全方位へ兵力を分散配置しなければならない。仮に北壁が激しい攻勢を受ければ、まず西壁から救援を送り、その結果手薄になった西壁を補うために今度は南壁から兵を移動させる、というような複雑な兵力運用を強いられる。
煩雑ではあるが、攻城戦とは本来そうした兵力運用の巧拙が勝敗を左右する戦いである。攻め手は守備側の救援速度を観察して指揮能力を測り、兵の移動傾向や配置の癖を見抜き、防備の薄くなった箇所へ精鋭部隊を投入する。堅牢な城壁を崩すのではなく、防衛側の綻びを突くことこそが攻城戦の常道なのだ。
だが、ノストブルク要塞はその常識を覆していた。
西側が天然の要害たる渓谷によって守られている以上、同方面に大兵力を配置する必要はない。結果として、本来であれば西壁防衛に充てるはずの兵力を東壁へ集中配備できるのである。そして北壁あるいは南壁が圧迫された際には、その余剰兵力を即座に救援として差し向ければよい。
通常の要塞であれば、救援を送るたびに別の城壁の防御が弱体化する。しかしノストブルク要塞では事情が異なる。東壁には過剰とも言える兵力が常駐しているため、救援部隊を抽出したところで防衛体制が揺らぐことはない。防衛側はほとんど綻びを生じさせることなく、各所へ兵力を融通できるのである。
つまり、ノストブルク要塞を攻める者たちは、いくら圧力を加えようとも動揺の兆しを見せない堅固な防衛陣を相手にしなければならない。
降り注ぐ落石。
空を覆い尽くす矢の雨。
高所から叩きつけられる圧倒的な火力。
それらを浴びながら城壁へ取り付き、仲間の屍を踏み越えて前進し続ける。攻め手に求められるのは華々しい勝利ではなく、ひたすら兵を消耗させながら防衛側の限界を待つ、果てしない泥沼の消耗戦であった。
それはもはや戦いではない。
巨大な石臼に身を投じ、ゆっくりと磨り潰されていくような地獄である。
ノストブルク要塞への攻撃命令を受けた兵士たちが抱く感情は、勇気でも名誉でもない。
底なしの絶望のみである。
♢
「弓構えろッ! 放てェ!」
号令が響くや否や、城壁内に展開していた弓隊が一斉に弦を鳴らした。幾百もの矢が空へと解き放たれる。
それは軽快な連射を旨とする短弓ではない。兵の背丈にも迫る長弓より放たれた重矢である。射手の膂力と高所からの落下速度を乗せた矢群は、唸りを上げながら丘陵を駆け上がる蛮族の群れへと襲い掛かった。
次の瞬間、先頭集団が崩れる。
分厚い筋肉も、獣皮を重ねた鎧も、その前では意味を成さない。重矢は肉を裂き、骨を砕き、そのまま巨体ごと地へと縫い留めた。
一人が倒れる。
二人が倒れる。
十人が倒れる。
だが、それは始まりに過ぎない。統率された弓隊による一斉射とは、個人の武勇が介在する余地のない殺戮である。
飛来音が鳴り響くたびに蛮族が斃れ、斃れた者がさらに後続の足を取る。転倒した者の上へ新たな死体が折り重なり、やがて丘陵そのものが屍によって均されていく。赤黒い血潮が斜面を流れ落ち、絶叫は途切れることなく響き続ける。空を覆う矢の群れはまるで黒雲の如く、絶え間なく死を降らせていた。
しかし、その光景がいかに一方的な死の坩堝であろうとも、蛮族たちの進撃は止まらない。初めこそ、抗う術もなく蹂躙される斜面を前にして、わずかな動揺が走った。
だがそれも刹那のことに過ぎない。戦場において死することを栄誉とする彼らにとって、後退という選択肢は最初から存在しなかった。
彼らにとって戦場とは試練であり、同時に神へと己を捧げる祭壇でもある。ゆえに、恐怖は意味を持たない。躊躇は生まれない。
血潮は沸騰するように熱を帯び、理性は戦意の熱に呑まれていく。見開かれた瞳はただ一点、ノストブルク要塞のみを捉え続けていた。
やがて一人が咆哮を上げる。獣のそれに等しい雄叫びであった。それは瞬く間に周囲へ伝播し、十が百に、百が千へと膨れ上がる。
戦場全体が、その咆哮に呑まれていく。
いまだ踏みとどまっていた前列は後続に押し流され、あるいは蹴散らされ、進軍の奔流へと組み込まれていった。
蛮族の群れはもはや隊列ではない。ただ一つの濁流であった。倒れ伏した同胞の上を躊躇なく踏み越え、そして砕きながら、その速度はむしろ加速していく。死は障害ではなく、突撃のための踏み台に過ぎない。
三度目の一斉射が放たれる頃には、先頭はすでに城壁まで百メートルの距離に達していた。
「各個自由射撃! 野蛮な豚どもを近づけるなッ!」
「矢は尽きぬ! 撃て、撃ち続けろッ!」
城壁上に展開していた短弓隊が、一斉に身を乗り出す。怒号とともに視線を下方へ走らせ、迫り来る蛮族へと矢先を定めた。各兵がそれぞれの射角と間合いで射撃を行うため、統制された一斉射のような緻密な面制圧は成立しない。
だが短弓は軽量で取り回しに優れ、再装填の間隔も短い。回避の余地を与えず矢を浴びせ続けるには、むしろ最適な方法であった。それを理解しているがゆえに、指揮官は厳密な斉射を放棄し、持続的な投射を優先している。断続的に降り注ぐ矢の雨こそが、敵の進軍速度を確実に削り取る唯一の手段であるからだ。
さらに蛮族の巨躯は密集状態にあり、隊列は左右への回避機動を著しく制限されている。加えて戦興による高揚状態にあるため、飛来する矢への警戒心そのものが機能していない。壁上の弓兵へ視線を向けることもなく、ただ正面の城壁のみを見据えて突進するその姿は、もはや標的と呼ぶほかない。
一瞬にしてその巨体は針山の如き姿となり、体を前へ前へと運んでいた足が地面から離れる。筋肉は収束を失い、大きくのけ反ったまま斜面へと崩れ落ちた。
だがその終焉は停止ではない。後続の濁流に呑まれ、骨ごと踏み砕かれながら進軍の一部へと還元されていく。
矢は途切れることなく降り注ぐ。突撃を続ける蛮族の群れへ休みなく叩きつけられ、赤砂の斜面は次第に黒く濁った血の色へと沈み込んでいった。
それでもなお、濁流は止まらない。止まれない。止まる事を知らない。
矢を受けたままの肉体が歩みを緩めることなく、幾多の同胞を踏み越えながら、彼らはついに城壁の直下へと到達した。途中継続的に転がる岩に体を引き潰されながらも、彼らは確実に辿り着いたのだ。
次の瞬間、最前列の一体が動いた。
腕を大きく伸ばし、石造りの城壁へと手をかける。その動作には迷いも逡巡もない。ただ到達した者だけが持つ確信がある。隆起した腕が石の継ぎ目を捉え、全体重が垂直方向へと移される。足はわずかな凹凸を正確に拾い上げ、巨体を支えるにはあまりにも不安定な構造の上で均衡を成立させる。
そして、登攀が始まる。
一段、また一段と、石壁を確かめるように上昇していく。その動きは慎重さよりもむしろ確実性に支えられており、異様なまでの速度を伴っていた。
本来であれば、城壁という垂直の障壁は進軍を拒むために存在する。しかし今、その境界は一時的に「接触可能な地形」へと変質している。
もちろん、それを許容するつもりはない。ノストブルク要塞は、ただ沈黙してそれを見守る存在ではない。即座に、次なる対応が戦場へと投入されていく。
「側防塔の連中は、壁面に取り付いた豚供を叩き落とせッ!」
「城壁弓兵、後方へ下り矢の補充を行え! 重装歩兵、前面へ展開!」
即座に命令が戦列を駆け抜ける。その声は単なる号令ではなく、要塞全体の意思を統御する指揮そのものであった。城壁上の構造が、瞬時に再編されていく。革鎧に身を包んだ軽装の弓兵たちは、迷いなく一歩、また一歩と後方へ下がり、前面に形成される重装歩兵の壁へと位置を譲る。
その動きには一切の混乱がない。予め幾度も想定され、反復されてきた戦術機動の延長として、身体に刻み込まれた反応である。弓兵の一部は後退の最中にあってもなお射撃を継続している。矢を放ちながら位置を下げるその所作は、もはや熟練という言葉では足りない。戦場に適応しきった機能そのものに近い。
重装歩兵は無言のまま前へと進み出る。分厚い鎧が擦れ合う鈍い金属音が連なり、城壁上に新たな防壁が形成されていく。それは単なる人垣ではない。接触戦を前提とした人力の城壁であった。
一方で、側防塔では弓兵が即座に射角を調整し、城壁面へと取り付く敵勢へと狙いを集中させていた。壁をよじ登る蛮族は次々と地面へと叩き落とされるように滑落していき、城壁の陣形変換の時間を稼いでいる。
高低差と構造を最大限に利用した配置転換は、わずかな時間差すら許さない精密な運用として成立していた。
要塞の兵士にとって、蛮族の襲来そのものは、もはや驚異というよりも一種の周期現象として認識されつつあった。無論、年中絶え間なく続くものではない。だが、特定の季節においては、食料を求めた侵攻が繰り返されることは、過去の記録が示す通りである。
それは偶発的な侵攻ではなく、一定の条件下で必ず再現される戦争現象として、歴史の中に蓄積されてきた事象であった。
ゆえに守備側にとって、それは未知の脅威ではない。
予兆を読み、規模を見積もり、対応手順を選択する。その一連の流れはすでに体系化されており、要塞防衛の運用体系の一部として組み込まれている。恐怖や混乱は、そこには入り込む余地がない。あるのは、反復されてきた状況に対する、冷徹な処理手順だけである。
そうした経緯を踏まえ、ノストブルク要塞の兵士たちは、目前に敵勢が迫ろうとも揺らぐことはない。彼らにとってそれは、未知の危機ではなく、繰り返し観測されてきた戦況の一形態に過ぎないからである。
ゆえに彼らは確信している。
この要塞は崩れない、と。
そして、この防衛線は必ず機能する、と。
恐慌は生じない。過剰な緊張も存在しない。そこにあるのは、長年の経験に裏打ちされた静かな確実性だけである。
兵士たちは各々の持ち場に従い、淡々と、しかし正確に戦闘準備を整えていく。その動作には迷いがなく、要塞全体がひとつの意思のもとに統御されているかのようであった。
そう。ここはノストブルク要塞。
そして今日もまた、その防衛体系は予定された通りに機能を完遂する。
結果として残るものは、いつもと同じである。
すなわち──要塞は守り抜かれ、戦況は終息する。