インテリは愚行を犯す。賢い貴方は気をつけて   作:実験者

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二話

 はじめまして、こんにちは。

 私は先生です。

 先生といってもシャーレに所属する先生ではなく、そこから派生した裏であり、闇の部分です。

 

 もちろん、生徒の皆さんに危害を加えるつもりはありません。先生という立場は同じです。ただし私が手を伸ばすのは『誤った生徒』です。

 

 私が発生するのは誤った生徒。その自己批判精神に則り、考える機会を与え、誤りを正し、何を謝るち溢れたものを掬う為に活動します。

 今回の相手は桐藤ナギサさん。

 彼女はどんなふうに自分を責めているのでしょうか?

 

 

 トリニティ総合学園の桐藤ナギサの私室。

 絵画や紅茶が趣味らしいが、それ以外はベットしかない部屋だった。

 

 トリニティ総合学園の生徒寮、最上階の一室。桐藤ナギサの私室は、まるで彼女自身をそのまま映し出したかのように、静かで、控えめで、それでいてどこか気品を失わない空間だった。

 

 壁には三枚の古い油絵が掛けられている。どれも風景画で、遠くの丘陵や霧に包まれた湖畔を描いたものだ。色調は抑えめで、派手さはない。窓辺には小さな丸テーブルがあり、そこに銀のティーセットが置かれている。

 

 ポットからはまだ温かな湯気が立ち上り、部屋全体にアールグレイの優しい香りが漂っていた。しかし、それ以外の家具はほとんどない。ベッドが一つ、部屋の中央にぽつんと置かれているだけ。

 

 余計なものを排除した潔さは、彼女がどれだけ「無駄」を嫌うかを物語っていた。

 夕暮れの光が、カーテンの隙間から細く差し込み、床の白いシーツに淡い金色の帯を描いている。ナギサはベッドの端に腰掛け、巨大な翼を丁寧に畳んで背中に収めていた。

 

 制服の襟を正し、膝の上で両手を重ね、姿勢を崩さない。金色の瞳は静かだが、どこか疲れを隠しきれていない。僕はドアの近くに立ち、軽く頭を下げた。

 

「ごめんなさい、ナギサさん。無理を言って話す時間を貰ってしまい恐縮です。エデン条約の事後処理で忙しいですよね? 本当に申し訳ありません」

 

 ナギサはゆっくりと首を横に振った。声は穏やかで、いつものように丁寧だ。

 

「いえ、先生のお願いなら断る理由はありません。何か大切な用、なのでしょう。お礼も謝罪も不要です」

「そうはいきません。時間を作ってくれたことに感謝しますし、迷惑をかけた事は謝らないといけません」

 

 僕はベッドの反対側に腰を下ろし、彼女と向き合った。距離はちょうど一メートルほど。部屋の静けさが、二人の間の空気をより重く感じさせる。

 

「それで、ご要件は?」

 

 ナギサの視線が、わずかに鋭さを帯びる。僕は微笑んだまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「ご要件は? と言われると難しい。逆に問いかけるね。何か言いたい事あるのではないでしょうか?」

「……言いたい、こと」

 

 心理効果とか、そんなものではない。

 私は桐藤ナギサの自己批判精神である。つまり同一人物。

 桐藤ナギサが桐藤ナギサに問いかけるという構図は、己との対話。

 自らの心を認識する大切な儀式だ。

 

 彼女の長い睫毛が、ぴくりと動いた。金色の瞳が一瞬、床のシーツに落ちる。そこに小さな影が落ちたように見えた。

 

「疑心暗鬼になっていたのは認めますし、多くの人を切り捨てる判断をしたのはモラルに欠けた行いでした」

 

 声は低く、しかし言葉の一つ一つに重みがあった。僕は静かに頷き、相槌を打つ。

 

「そうですね、そうかも知れません。でも、何か変だなって感じているのでしょうか?」

「はい。私は失敗した部分ばかり糾弾されます。しかし、果たしてそれは当然なのではないでしょうか? 守る立場、かつ組織のトップならばトラブルが起きる前に解決するのが理想です。そしてそれを成し遂げてきた自負があります」

 

 ナギサの言葉に、微かな熱が宿る。彼女は目を細め、過去の記憶を辿るようにゆっくりと続けた。

 

「エデン条約の調印式まで進み、セイアさんの死亡以外に大きな抗争は起きず、補習授業部の選定も正当な手順を踏んだものだった。その後の……道を潰す行為は確かに許されざるものでしたが、それ以前のプロセスでは、私は最善を尽くしたと信じています」

 

 僕は心の中で深く頷いた。彼女は自分の成功と失敗を、きちんと分けて見つめている。能力不足ではなく、与えられた負荷があまりに過大だっただけだ。セイアは死に(生きていたとしても)、ミカは暴走し、周囲は次々と予想外の事態を起こした。予測不能な嵐の中で、彼女はよく耐え、よく持ちこたえた。

 

 それを自覚しているからこそ、なおさら苦しいのだろう。

 

「構造的にも体制側は叩かれますからね」

 

 ナギサがぽつりと呟く。僕は苦笑しながら応じた。

「成果の非対称性。または失敗は目立つが、成功(非発生)は目立たない。報われない話ですよ」

「ちゃんと治安を維持しているのに、一部の例外で無能と言われる現象ですね。我々は悪いことが起きないように、地味にリソースを割き続けているのに、悪いことが起きた瞬間にだけ注目され、『こんなことも防げないのか』と一般論で叩かれる。よくある光景です」

 

 彼女の声には、疲れと、どこか乾いた諦めが混じっていた。僕は静かに続ける。

 

「この非対称性が極端に働くから、批判側が正しく・熱心に見える構造が生まれてしまうのが問題でしてね。予防に成功している側は黙って当たり前のことをしているだけに見え、失敗を指摘する側は問題をちゃんと見つけている熱心な人に見えてしまうのです」

「後から見返すと、本当にイレギュラーばかりでした。もちろん、駄目なところは駄目でしたが……私は、精一杯やったのだと、そう思いたいのです」

 

 ナギサの声が、わずかに震えた。僕は深く息を吸い、ゆっくりと核心に触れた。

 

「ナギサさん。桐藤ナギサさん。貴方は何に苦しんでいるのでしょう? 何故辛いのでしょう? 後悔や悔恨に悩まされて泣いているそれは、どういうものなのでしょうか?」

 

 金色の瞳が、僕をまっすぐに見つめた。そこには、気品ある仮面の下に隠された、剥き出しの痛みがあった。長い沈黙が流れる。

 

「先生は知らないのですか? 教えてほしいくらいでした」

「はい、知りません。貴方が知っているんです。桐藤ナギサさん。貴方が貴方を苦しめる病巣の正体。自らの首を絞める愚行の根底」

「……私が私を苦しめるもの」

 

 ナギサは目を伏せ、両手を膝の上で強く握りしめた。指先が白くなるほど力を込めて。長い沈黙の後、彼女は静かに、しかしはっきりと口を開いた。

 

「立場を優先してしまった。無垢な善意を利用され、その責任を取ることに引っ込みがつかず、上手く解決しようと空回した暴走して、クーデターまで引き起こしてしまった聖園ミカに、寄り添うことができなかった」

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕は小さく笑った。優しく、しかしどこか切なく。

 

「なるほど、なるほど。幼馴染の味方ではいられない事は確かに責める要因になり得ます。しかし今の状況を見るに、対等な友人関係を結べているようですが?」

 

 ナギサは首を振った。翼が小さく震え、夕陽に照らされて金色にきらめく。

 

「それでは、駄目だと思うんです。あの時、切り捨てるのではなく、殴ってぶつかって、衝突して、ミカさんから本音を話してもらえたなら……今のような、戦犯として、魔女として扱われることはなかったかもしれないのに」

 

 彼女の声は、かすかに掠れていた。瞳の奥に、涙の影が揺れている。普段は決して見せない、脆い部分。部屋に、再び深い静寂が訪れた。

 

 ティーセットの湯気が、ゆっくりと薄れていく。外では風がカーテンを揺らし、微かな音を立てていた。ナギサは唇を噛み、両手をさらに強く握りしめた。爪が掌に食い込むほど。

 

「……私は、友人として、彼女を救えなかった。あの瞬間、立場ではなく、ただのナギサとして、ミカさんの側に立つことができなかった。それが、今も私を苦しめ続けているんです」

 

 その一言が、部屋の空気を一気に重く沈めた。夕陽が部屋を赤く染め、二人の影を長く、歪に伸ばしていく。僕はそっと手を伸ばし、彼女の肩に触れそうで触れず、ただ静かに見つめた。

 

「ナギサさん。貴方は、精一杯やったんですよ。立場も、責任も、全部背負って。それでも足りなかった部分は、誰だってある。ミカさんだって、今は貴方を恨んでなんかいない。むしろ、貴方がいてくれたからこそ、今ここにいられるんです」

 

 ナギサは答えず、ただ俯いたままだった。肩が小さく震えている。僕は言葉を続け、静かに、しかし確かな声で。

 

「後悔は、消えないかもしれない。でも、それだけ貴方がミカさんを大切に思っていた証拠でもある。責め続けるのは、もう少し緩めてあげてもいいんじゃないですか? 自分自身を」

 

 彼女はゆっくりと顔を上げた。金色の瞳に、涙が一筋、静かに伝う。

 

「……先生」

 

 小さな声。初めて聞くような、弱々しい響き。僕は微笑み、そっと頷いた。

 

「少しずつでいい。少しずつ、自分を許していきましょう」

 

 夕陽が最後の光を落とし、部屋はゆっくりと闇に沈み始めた。でも、その闇の中でも、ナギサの瞳はまだ金色に輝いていた。

 

 少しだけ、柔らかく。彼女の心に巣食う病巣は、まだ完全に消えたわけではない。けれど今、この瞬間だけは——自分を責める声が、ほんの少し、遠ざかった気がした。

 

 

 

 

 

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