ウォールナットの暗号化ログ   作:アラン・リコリス

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北押上駅地下鉄テロ事件(隠蔽済み)

第一章:ブルーライトと機密文書

 

喫茶リコリコの閉店後。静まり返った店内の片隅で、ボク、ウォールナット――今は「クルミ」と呼ばれているが――は、チュッパチャプスを奥歯で噛み砕きながら、眼前に並んだ複数のモニターを睨みつけていた。

 

画面に流れているのは、DA(Direct Attack)のメインサーバーから非合法に引っ張ってきた、最高機密レベルの事後報告書だ。

 

暗号化のレイヤーを何層も剥がし、ようやくアクセスに成功したそのファイルのタイトルには、無機質な文字列でこう記されている。

 

『北押上駅構内における対テロリスト特別制圧作戦(コード:B-09)の失敗、及び事後処理に関する最終報告』

 

「……まったく、いつ見ても胸糞の悪いログだ」

 

ボクはキーボードを叩き、報告書に添付されている防犯カメラの映像データと、サードリコリスたちのバイタルサインの記録を呼び出した。

 

事件が起きたのは、少し前のこと。

 

時刻は夕刻。東京の地下鉄ネットワークが最も混雑する、帰宅ラッシュのピークタイム。

 

標的となったのは、東京都墨田区の巨大ターミナル「北押上駅」だ。

 

真島――あの緑髪のイカれたテロリストが、何を血迷ったのか、地下鉄のホームに陣取り、進入してくる通勤型車両に対してPKM機関銃を乱射するという、あまりにも直接的で狂気に満ちた作戦を実行に移した事件である。

 

ボクは当時のデータと、東京メトロの配車システムを照らし合わせながら、あの日の「裏側」で起きた出来事を、脳内で正確に再構築していった。

 

第二章:完璧な罠と、サードリコリスの奮闘

 

事の発端は、真島一派の通信をDAの諜報部が事前に傍受したことだった。

 

連中の狙いが北押上駅の夕刻の通勤車両であると察知したDAは、珍しく「有能」な采配を見せた。

 

被害を未然に防ぎ、かつテロリストを確実に一網打尽にするため、DAは東京メトロの上層部を脅し……いや、極秘裏に連携し、標的となる時間帯のダイヤを密かにすり替えたのだ。

 

見た目は通常の通勤車両。だが、その実態は装甲材で補強された特別仕様の回送車両。そして、その車内に乗客として乗り込ませていたのは、制服姿のサードリコリスで構成された、対テロ制圧の専門部隊だった。

 

モニターに映し出された防犯カメラの映像が、その瞬間を克明に記録している。

 

夕刻の北押上駅ホーム。

 

一般客の立ち入りを(不自然な車両故障の案内によって)一時的に制限されたホームに、真島と数名の武装したテロリストが姿を現す。

 

彼らはホームの柱の陰に三脚を立て、東側陣営の傑作汎用機関銃であるPKMをセットした。7.62mm弾の弾帯が、蛇のように床を這っている。

 

そして、轟音と共に標的の車両がホームに滑り込んでくる。

 

『撃て』

 

映像に音声はないが、真島のそんな号令が聞こえるようだった。

 

PKMが火を噴く。分間数百発という圧倒的な発射速度で放たれる大口径の銃弾が、容赦なく通勤車両の側面と窓ガラスに叩き込まれた。

当然、ガラスは砕け散った。

 

だがどうも様子がおかしい

撃ったには撃ったが手応えがない…本来あるであろう悲鳴や人が倒れていく音もない。

 

一瞬、真島の動きが止まる。

 

テロリストたちが事態を飲み込む前に、プシュー、という無機質な空気音と共に、蜂の巣にされた車両のドアが一斉に開いた。

 

車内から銃撃してきたのは武装した十数名のサードリコリスたちだ。

 

彼女たちの動きは洗練されていた。車両内より素早く正確な制圧射撃を開始する。

 

PKMの射手を一瞬で蜂の巣にし、随伴していたテロリストたちを次々と床に沈めていく。圧倒的な制圧劇。サードとはいえ、腐ってもDAの殺人兵器だ。

 

作戦は、DAの完全な勝利に終わるはずだった。

 

「……ここまでは、DAの作戦勝ちだったんだ。ここまではな」

 

ボクはモニターの端に表示されている、サードリコリスたちのバイタルサインのグラフに目をやった。

 

全員が緑色(生存・健康)を示している。だが、タイムコードが「作戦開始から3分後」を指した瞬間、事態は暗転する。

 

第三章:ちゃぶ台返しと沈黙のバイタル

 

真島という男の恐ろしさは、その火力の高さでも、異常な聴覚でもない。

 

「自身の敗北」すらも想定の範囲内に置き、平然と盤面ごとひっくり返す、その狂った執念だ。

 

防犯カメラの映像の中で、配下を全滅させられ、自身も肩を撃たれて血を流している真島が、追い詰めてくるサードリコリスたちを見て……笑ったのだ。

 

彼は懐から、小さな起爆装置を取り出した。

 

「まさか……」

 

サード部隊の小隊長らしき少女が、慌てて射撃姿勢を取る。

 

だが、遅かった。真島が起爆装置のスイッチを押し込む。

 

その瞬間、北押上駅のホーム全体を、激しい閃光と爆炎が包み込んだ。

 

真島は、ホームの構造柱や天井裏に、事前に大量のプラスチック爆薬を仕掛けていたのだ。

真島の反応からして爆破はいわゆる保険もしくは仕上げ用として仕組まれていたんだろうがそれでもイカれている。

 

轟音と共に、地下鉄のホームが崩落する。

 

カメラの映像はそこで途切れ、砂嵐になった。

 

「……」

 

ボクは息を呑み、バイタルサインの画面を見た。

 

先程まで緑色に点灯していた十数個のランプが、爆発のタイムコードと同時に、一斉に赤色(心停止)へと変わった。

 

サードリコリス部隊、全滅。

 

防弾車両の装甲も、天井が崩れ落ちるほどの爆圧と瓦礫の前には無力だった。

 

そして、崩落した瓦礫の隙間を通る下水溝のルートから、真島のバイタルサインだけが、ゆっくりと、しかし確実に現場から遠ざかっていくのが、追跡レーダーのログに記録されていた。

 

奴だけが、生き延びて逃亡したのだ。

 

第四章:四社間協議と終わらない隠蔽

 

「……さて。ここからが、日本の官僚主義の真骨頂ってやつだ」

 

ボクは二つ目のチュッパチャプスを取り出し、銀紙を剥きながら溜息をついた。

 

テロリストを取り逃がし、部隊を全滅させられたDAの失態。だが、本当の地獄は「事後処理」だった。

 

北押上駅は、単なる地下鉄の駅ではない。

 

京成電鉄、東京都交通局(都営地下鉄)、東京地下鉄(東京メトロ)、そして東武鉄道。この巨大な四つの鉄道会社が乗り入れる、東京東部の交通の心臓部なのだ。

 

DAは事件の直後、警察とメディアを総動員して、情報統制を敷いた。

 

発表された公式声明はこうだ。

 

『東京メトロ所属の無人回送車両が、ポイントの切り替えミスにより脱線。駅構内の設備に衝突し、大規模な崩落事故が発生』

 

……無理がある。いくらなんでも無理があるだろう。

 

PKMの弾痕が残る壁、爆破された構造柱、そして何より、瓦礫の下から回収しなければならないサードリコリスたちの遺体。

 

ボクは、交通局の内部サーバーからハッキングした「緊急四社間協議」の議事録を開いた。

 

そこには、各鉄道会社の重役たちと、DAの交渉担当者(おそらく楠木司令の部下だろう)との、血で血を洗うような責任の押し付け合いと、隠蔽の擦り合わせの記録が残っていた。

 

『無人回送車両の事故で、なぜうちの路線のホームまで爆発するんですか! 復旧工事の費用は誰が持つんだ!』

 

『都営線のダイヤ乱れによる損失額、試算が出ました。DAさん、国庫から補填していただけるんでしょうね?』

 

『東武への乗り入れはどうなる! 明日の始発までに瓦礫を撤去しろだと? 物理的に不可能だ!』

 

議事録の文字からだけでも、スーツを着たおっさんたちの胃がマッハで穴を開けていく音が聞こえるようだった。

 

DAの事後処理班及びそれの下請けであろうクリーナーたちは、徹夜で瓦礫を撤去し、血痕を洗い流し、弾痕をパテで埋め、サードの遺体を秘密裏に搬出するという、想像を絶するブラック労働を強いられたはずだ。

 

「……こればかりは、DAの連中に少しだけ同情するよ。あんなバカげた尻拭い、ボクなら絶対に御免だね」

 

ボクは呆れ半分、哀れみ半分でそう呟いた。

 

秘密組織が秘密を維持するためには、表の世界の「面倒くさい大人たちのルール」に付き合わなければならない。その矛盾が、今回の事件で最悪の形で露呈したのだ。

 

第五章:代替バスの行列と、クソ野郎の論理

 

そして、その隠蔽と後処理のシワ寄せは、最終的に誰にいくのか?

 

言うまでもなく、名もなき一般市民だ。

 

ボクは道路交通情報センターの過去ログを開いた。

 

事件翌日の朝。北押上駅が「復旧作業中」のため全面封鎖されたことで、周辺地域は地獄絵図と化した。

 

京成、都営、メトロ、東武がそれぞれ手配した「代替バス」が駅周辺の道路に殺到。さらに、地下鉄を使えない数万人の通勤客が押し寄せたことで、主要な幹線道路は完全に麻痺。

 

迂回路として指定された道路もキャパシティをオーバーし、大渋滞によりバスは一時間経っても数メートルしか進まないという事態に陥ったのだ。

 

画面に映し出される、交差点で立ち往生する無数の車と、疲労困憊の顔で歩道を歩くサラリーマンたちの映像。

 

「……クソ野郎」

 

ボクは、真島の顔を思い浮かべながら、忌々しそうに吐き捨てた。

 

あいつは「バランス」だの「真実」だのと高尚なことを宣っているが、やっていることはただのインフラ破壊だ。

 

人々の平穏な朝を奪い、交通網を麻痺させ、満員電車に揺られて会社に向かうだけの善良な人間たちの時間を、理不尽に奪い取る。

 

命を奪われたサードリコリスたち。徹夜で瓦礫を片付けたクリーナーたち。満員の代替バスで押し潰された市民たち。

 

そのすべてを嘲笑いながら、あいつは今もどこかの暗がりで、この渋滞のニュースを見て笑っているのだろう。

 

「表の平和を守るのも、裏のバランスを崩すのも、結局は泥臭い実務とインフラの上に成り立ってるんだよ。……真島、お前はただの迷惑な『クソ野郎』だ」

 

チュッパチャプスの棒をゴミ箱に放り投げ、ボクは乱暴にキーボードを叩いた。

 

一連のログを再び強固な暗号化の海へと沈め、モニターの電源を落とす。

 

暗闇に戻った店内で、ボクは大きく伸びをした。

 

DAのやり方には賛同できない部分も多いが、少なくとも、今日この街のインフラが機能し、リコリコに平穏な朝が来るのは、あの中で命を散らしたサードたちや、徹夜で隠蔽工作に奔走した大人たちがいるからだ。

 

「……さて。明日はボク特製の、最高に美味しいコーヒーでも淹れてやるか。平和な日常に感謝して、ね」

 

誰にともなく呟いて、ボクはカウンターを後にした。

 

真島との決着は、いずれ誰かがつけるだろう。その時まで、ボクはこの暗がりから、世界を監視し続けるだけだ。

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