ウォールナットの暗号化ログ 作:アラン・リコリス
第一章:ブルーライトと不機嫌なエリートたち
「……あーあ。日本のエリート官僚サマたちも、本当にご苦労なこった」
深夜の『喫茶リコリコ』。ボクは自室のゲーミングチェアの上で膝を抱えながら、トリプルモニターに映し出された無数のテキストデータを眺めて、コーラ味のチュッパチャプスを転がした。
世界一の治安を誇る国、日本。
深夜に女の子が一人で歩けて、スリも暴動も起きない奇跡の国。その平穏の裏で、犯罪者やテロリストを未然に消去する秘密組織『DA(Direct Attack)』と、制服姿の暗殺者『リコリス』が暗躍していることは、ボクのような裏の人間にとっては常識だ。
だけど、表の法治国家を運営している霞が関のお偉いさんたちが、DAという「影の軍隊」を諸手を挙げて歓迎しているかというと……実態は全くの逆だ。
ボクは今、政府の極秘イントラネット「霞が関WAN」の最深部にバックドアを仕掛け、各省庁の局長級たちが交わしている暗号化メールや、内部の愚痴(という名の公文書)をタダ読みしているところだ。
いやあ、これが下手なコメディ映画より面白い。超法規的措置を乱発するDAの尻拭いをさせられ、胃に穴を開けている大人たちの悲鳴が、サーバー中に溢れかえっているんだからね。
第二章:警察庁(NPA)の屈辱 ―― 奪われた管轄と見えない死体
まずは、DAを一番憎んでる連中……警察庁だ。
モニターに、警視庁組織犯罪対策部のベテラン警部が上に提出した「捜査打ち切り報告書」を映し出す。文字面からだけでも、怒りでキーボードを叩き割らんばかりの気迫が伝わってくるよ。
『半年間内偵を進めていた広域指定暴力団の武器密輸ルートに関する一斉摘発作戦ですが、突如として”対象組織が消滅”したため、捜査を打ち切らざるを得ない状況です』
そりゃそうだ。警察が「よし、明日ガサ入れして逮捕だ!」と息巻いていた前夜に、DAのリコリスが乗り込んでいって、構成員を一人残らず物理的に「消去」しちゃうんだから。
ボクはハッキングした現場の防犯カメラの映像を別窓で開く。
DAの隠蔽部隊(クリーナー)の仕事は完璧だ。血痕は特殊な薬品で完全に漂白され、薬莢の一つすら残っていない。後日、現場に踏み込んだ刑事たちが見るのは、「不自然なほどピカピカに掃除されたもぬけの殻の倉庫」だけ。
警察の仕事は、犯人を逮捕し、裁判にかけ、背後関係を解明する「法治国家のプロセス」を守ることだ。でもDAは、裁判も証拠も無視して即座に処刑する。これじゃあ黒幕まで辿り着けないし、ただのトカゲの尻尾切りだ。
警察庁の上層部からすれば、DAは「法を無視する統制不能な殺人狂の集まり」でしかない。警察庁長官が『DAの権限を縮小し、警察の指揮下に置くべき』っていう稟議書を何度も出してるけど、政治家は「治安維持の即効性」に依存しきってるから、全部シュレッダー行きだ。
「……優秀な刑事さんたちのプライド、ズタズタだね。ま、ボクも警察に追われるのは御免だから、DA同士で勝手にいがみ合っててくれる分には都合がいいけど」
第三章:財務省(MOF)の憂鬱 ―― 領収書のない殺人とブラックボックス
次にボクが開いたのは、国家の金庫番、財務省主計局の極秘監査ファイルだ。
「うわっ、エグい額……」
ボクは思わずチュッパチャプスを噛み砕きそうになった。
DAの運営資金、リコリスの装備代、そして何より莫大な「事後隠蔽工作費」。これらは防衛装備庁の機密費や、内閣府に紐づくダミー法人を経由して、複雑にマネーロンダリングされてDAに流れている。
財務省の担当官がDAの財務局長に送った、抗議のメールを見つけた。
『先月の渋谷区での銃撃戦(表向きは大規模ガス爆発事故)の隠蔽費用について。現場の監視カメラ映像の差し替え、目撃者数百名への口止め料、損壊した商業ビルの買収費用。これだけで国家の予備費が数十億円消滅しています。しかも、”まともな領収書”が一枚も存在しない! 会計検査院の目を誤魔化すために、我々がどれほど裏帳簿の辻褄合わせに奔走しているか!』
笑える。エリート財務官僚が、DAの「使途不明金」というブラックボックスのせいで、ただの粉飾決算の共犯者に成り下がってるんだ。
財務省からすれば、DAは「際限のない税金のドブ捨て装置」だ。一発数百円の弾丸でテロリストを始末しても、その後の揉み消しに数十億円かかるならコスパ最悪ってわけ。
「DAの連中、いくらなんでも金遣いが荒すぎるよ。楠木司令も、もうちょっとスマートにやればいいのにさ。……まあ、真島みたいな規格外のバカが暴れるから、予算がいくらあっても足りないんだろうけどね」
第四章:外務省(MOFA)の綱渡り ―― 外交問題と消えたスパイ
お次は外務省だ。ここはDAのせいで、文字通り国際的な綱渡りをさせられている。
ある日の外務省・中東アフリカ局の通信ログ。某国の大使館から、烈火の如く怒り狂った抗議が来ている。
『我が国の文化交流アタッシェが昨晩から行方不明だ! 日本政府はどう責任を取るつもりか!』
そのアタッシェの正体は、テロ支援組織のリエゾン(連絡係)だ。で、その裏でDAから外務省に届いた事後報告書がこれ。
『対象は違法な武器取引の現場にて、我が方のリコリスにより制圧。遺体は焼却済み。遺留品は東京湾へ投棄完了』
「あーあ、やっちゃった」ボクは肩をすくめた。
外務省の役人からすれば、外交特権を持ったスパイは「生け捕りにして外交カードに使う」のが国際政治の常識だ。情報を引き出したり、人質交換に使ったりね。
それを、DAの現場のリコリスが「テロリストだから」って理由で即座に頭を吹き飛ばしちゃうんだから、たまったもんじゃない。相手国からは報復措置として不当な関税をかけられたり、日本企業の駐在員が嫌がらせを受けたりする。
「DAは国内の平和しか見てないから、外交っていう繊細なチェス盤をハンマーで粉砕してる自覚がないんだよね。外務省の連中、これで何度国際会議で土下座させられたことか……同情はしないけどさ」
第五章:国土交通省(MLIT)の偽装 ―― 破壊されるインフラと建築基準法
先日の北押上駅の地下鉄爆破テロでも、鉄道会社とDAがバチバチにやり合ってたけど、あの「インフラ崩壊の尻拭い」をさせられてる胴元が、国土交通省だ。
ボクは国交省・住宅局のデータベースに侵入した。
DAが派手に市街地戦をやるたびに、高速道路にヒビが入り、高層ビルが蜂の巣になる。国交省の仕事は、それを「テロ」じゃなくて「老朽化」とか「手抜き工事」にすり替えることだ。
『先週の新宿の銃撃戦で損壊したビルについて。建築基準法の耐震偽装問題にすり替えて、取り壊し命令を発令済み。設計を担当した建築士の免許は剥奪しました』
「うわぁ、エグい。完全にトカゲの尻尾切りだ」
DAの裏金でビルのオーナーには補填がいくんだろうけど、無実の建築士は「手抜き工事をした最低の欠陥建築家」として業界から追放される。日本の建築技術の安全神話を守るために、善良な市民がスケープゴートにされてるんだ。
国交省の官僚からすれば、DAは歩くゴジラみたいなもんだ。暴れるたびに嘘の報告書を書き、誰かを社会的に抹殺して辻褄を合わせなきゃいけないんだから。
第六章:厚生労働省(MHLW)の共犯関係 ―― 消えた子供たち
……そして、最後。
ボクは少しだけ表情を引き締め、キーボードを叩く指の速度を上げた。
霞が関の中で最も深く、最もドス黒い闇でDAと結びついているのが、厚生労働省だ。
「千束やたきなみたいな『戸籍のない孤児』が、今の日本にそうポンポン湧いて出てくるわけがない。……必ず、供給元(パイプ)があるはずなんだ」
厚労省の子ども家庭局の、さらに奥深く。スタンドアローンの極秘サーバーをクラッキングして、ボクは一つのリストを引っ張り出した。
『本年度・児童養護施設等における行方不明、および乳幼児突然死症候群等による死亡児童リスト』
年間、数十名から百名近くの子供たちが「書類上、死んだこと」あるいは「失踪したこと」にされている。そして、そのデータには不可解な暗号化タグが付与され、最終的な移送先が……DAの訓練施設になっている。
「……なるほどね。児童相談所や乳児院のネットワークから、身体能力や適性のある孤児を意図的にこぼれ落として、DAに『素材』として出荷してるってわけだ」
官僚たちは、建前では「国民の命と健康を守る」と謳いながら、裏では戸籍をロンダリングして子供たちを暗殺者に仕立て上げている。
さらに酷いのは、任務で死んだリコリスたちの遺体処理だ。彼女たちには戸籍がないから、正規の火葬許可証は下りない。厚労省は「無縁仏」や「献体」のシステムを悪用して死体検案書を偽造し、彼女たちがこの世に生きていた痕跡すらも、合法的に焼却炉の灰に変えているんだ。
「……胸糞悪い」
ボクはコーラの飴をガリッと噛み砕いた。
警察や財務省の連中はDAに文句を言ってるだけマシだ。厚労省の連中は、自らの手を汚さずに子供の命をシステムに組み込む、完全な「共犯者」だ。この事実が表沙汰になれば、厚労省の幹部たちは軒並み国家反逆罪レベルで吊るし首になるだろうね。
終章:歪な均衡(バランス)の果てに
月に一度、内閣府の地下で関係省庁の局長級が集まる「治安維持連絡会議」というのがあるらしい。
議事録を見る限り、毎回各省庁がDA(というか楠木司令)に対して怨嗟の声をぶちまける、ただのガス抜きの場だ。
『捜査権をこれ以上侵害するな』『予算の領収書を出せ』『外交問題を増やすな』『インフラを壊すな』
でも、楠木司令はいつも冷徹に、たった一言で彼らを黙らせる。
『我々が手を引けば、明日にもこの街は火の海になります。……それでもよろしいのですね?』
その一言で、お偉いさんたちは黙り込むしかない。
結局のところ、日本政府は「世界一の治安」という甘い麻薬に依存しきっていて、DAという猛毒の劇薬なしでは立ち行かない体になってしまっているんだ。
現場で血を流すリコリスたち。彼女たちを使い捨てながら、保身と省益のために泥仕合を続ける大人たち。
「……あーあ、馬鹿馬鹿しい。どいつもこいつも、自分の見たい平和しか見てないんだから」
ボクはすべてのウィンドウを閉じ、霞が関のサーバーから完全に痕跡を消してログアウトした。
深夜の静寂が戻ってきた部屋で、ボクは大きく伸びをする。
こんなドロドロの裏事情、千束やたきなには一生教えるつもりはない。あいつらは、ただ目の前の敵を蹴散らして、終わったらリコリコで美味しいパフェでも食べていればいいんだ。
「さて、と。世の中の不条理を堪能したところで、ボクは寝るよ。……明日はミズキに、とびきり高いケーキでも奢らせようっと」
モニターの電源を落とし、ボクは暗闇の中でベッドに潜り込んだ。
法治国家の薄氷の上で、明日もまた、この歪で滑稽な世界は回り続ける。ウォールナットの出番は、その氷が割れそうになった時にでも取っておくとするよ。