ウォールナットの暗号化ログ   作:アラン・リコリス

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大人達の反撃その2

「……日本の治安維持組織は、完全に狂っている……ッ!!」

 

山梨県、某山中。

 

DA(Direct Attack)本部、地下最深部の司令官室。

 

防衛省、警察庁、海上保安庁という『表』の武力機関のトップたちとの、理不尽極まりないリモート会議を強制終了された楠木司令は、デスクに突っ伏したまま、血を吐くような呻き声を上げていた。

 

自衛隊の戦車。空挺部隊。SATにSIT、さらには海保の特殊部隊。

 

テロリスト・真島を討伐するという名目で、彼らはDAに対する長年のルサンチマン(怨嗟)と嫉妬を爆発させ、山を一つ物理的に更地にするという、前代未聞の『合同演習(という名の腹いせ)』をやってのけたのだ。

 

「……司令。お薬、お水でお飲みになりますか」

 

専属の助手が、青ざめた顔で紙コップを差し出す。

 

「……いらん。水で流し込む気力すらない……ッ」

 

楠木は、ボリボリと直接胃薬を噛み砕きながら、ゆっくりと上体を起こした。

 

司令官室の巨大モニターには、ラジアータが収集した『昨夜の演習場周辺の被害状況』と、そして現在の『国内の報道各局のニュース番組』の映像が分割して映し出されている。

 

『――続いてのニュースです。昨夜未明、関東近郊の山間部におきまして、大規模な土砂崩れ、および原因不明のガス爆発と思われる複数回の轟音が確認されました』

 

テレビ画面の中では、朝のニュース番組のアナウンサーが、原稿を読み上げている。

 

その背後には、戦車砲と航空支援によって完全にクレーターだらけになった「かつての演習場」の空撮映像が映し出されていた。

 

『幸い、当該地域は現在立ち入り禁止の国有地であったため、民間人の被害は報告されておりません。また、同時間帯に近隣で自衛隊の夜間訓練が行われていたとの情報もありますが、防衛省は「土砂崩れとの因果関係はない」と発表しており……』

 

「…………」

 

楠木は、そのニュース映像を、死んだ魚のような、一切のハイライトが消え失せた瞳で見つめていた。

 

「司令……。各報道機関、見事に『何も追及していない』ですね……」

 

傍らに立つファーストリコリス・春川フキが、呆れたように呟いた。

 

「……あんな、どう見ても戦車砲で更地にされた不自然すぎる爆撃跡を映しておいて。『ガス爆発』だの『土砂崩れ』だので強引に納得して、誰一人として『なぜ山奥で大規模な戦闘の痕跡があるのか』と突っ込まない。……狂気ですよ、これは」

 

フキの言葉通りだった。

 

テレビのコメンテーターも、専門家も、誰一人として「テロリストと軍隊の交戦の跡ではないか」などという、当たり前の疑問を口にしない。

 

皆、一様に「自然災害は恐ろしいですね」「地盤の緩みには警戒が必要です」と、まるで台本を読んでいるかのように、見え透いた嘘をなぞっているだけだった。

 

「……当然だ」

 

楠木は、深く、重いため息を吐き出した。

 

「狂っているのは、我々(DA)の方だからな」

 

「え……?」

 

フキが目を丸くする。

 

楠木は、忌々しげにモニターのニュース映像を睨みつけた。

 

「フキ。この国のメディアが、なぜこれほどまでに不自然な事件を『深掘りしない』のか、分かるか? ……それは、我々DAが、長年にわたって彼らをそう『調教(コントロール)』してきたからだ」

 

楠木の言葉に、フキはハッとして息を呑んだ。

 

「旧電波塔のテロの時も、延空木の時も、そして日常的に我々リコリスが行っている暗殺任務の数々も。我々はラジアータを用いて徹底的な情報統制(報道管制)を敷き、事実をねじ曲げ、メディアに『これ以上は触れてはいけない領域(タブー)である』と刷り込んできた」

 

楠木は、自嘲気味に口角を歪めた。

 

「メディアのトップ連中は、バカではない。彼らはとっくに気づいているんだ。この国には、警察や自衛隊とは別の『見えない力』が存在し、自分たちがそれに触れようとすれば、不自然な圧力がかかり、最悪の場合は社会的に抹殺されるということをな。……だから彼らは、今回のような明らかに異常な事態(山が戦車で吹き飛んだ事件)に直面しても、『ああ、またいつもの“触れてはいけないヤツ”だな』と瞬時に自己検閲を働かせ、用意された官僚の言い訳(ガス爆発)を、一切の疑問を抱かずに垂れ流す」

 

「……」

 

フキは、言葉を失った。

 

今回の、警察と自衛隊によるDAへの腹いせ(合同演習)。

 

それが、なぜ社会的な大パニックや、マスコミの猛烈な追及を引き起こさなかったのか。

 

皮肉なことに、それは他でもない『DA自身が構築してきた完璧な情報隠蔽システム』と、『メディアへの同調圧力』が、他省庁の軍事行動(暴走)をも完璧にカバーしてしまったからだ。

 

「……因果応報、というやつだな」

 

楠木は、椅子に深く背中を預け、天井を仰いだ。

 

「我々が作り上げた『臭いものには蓋をする』というこの国の歪んだ天秤が、今回は我々自身に牙を剥き、あの大規模な理不尽(戦車)を完全に正当化してしまった。……我々は、警察や自衛隊に対して、一言も文句を言う権利などないのだ。彼らはただ、我々が作った『隠蔽のルール』に乗っかって、憂さ晴らしをしただけなのだから」

 

もし、楠木が「あれは自衛隊の越権行為だ! テロリストを不法に攻撃した!」と表立って告発すればどうなるか。

 

それはすなわち、DAという超法規的暗殺組織の存在を、自らの口で世間に公表(自爆)することを意味する。

 

警察も、海保も、自衛隊も、それを分かっていた。

 

『DAは絶対に表舞台には出てこれない。だから、俺たちがどれだけ派手に暴れて「演習だ」と言い張っても、DAは泣き寝入りするしかない』と。

 

完全に、将棋で言えば「詰み」の状態であった。

 

「……フキ」

 

「はっ」

 

「……通常業務に、戻れ」

 

楠木は、一切の感情を排した、極めて事務的な声で命じた。

 

「……よろしいのですか? 真島一派の残党の行方や、今回の他省庁の暴走に対する、何らかの牽制は……」

 

「できない。物理的にも、政治的にもな。……それに、真島の奴は、おそらくあの戦車砲の直撃で粉微塵になったか、運良く逃げ延びたとしても、国家の正規軍(本気)に囲まれて完全にトラウマを植え付けられ、当分は身動き一つとれないだろう」

 

楠木は、デスクの上に山積みになった、日常の(細々とした)犯罪予測のレポートを手に取った。

 

「警察や自衛隊も、溜まりに溜まったガス(鬱憤)を抜いたことで、これ以上我々の領域に踏み込んでくることはない。……今日からはまた、お互いに『見て見ぬふり』をする、歪んだ日常(共犯関係)の再開だ。我々は、我々にしかできない仕事(暗殺と隠蔽)を、黙々とこなすしかない」

 

「……了解いたしました」

 

フキは、敬礼をし、重い足取りで司令官室を後にした。

 

日本の平和は、こうして守られている。

 

正義と正義のぶつかり合いでもなく。

 

ただ、大人たちの意地の張り合いと、強固すぎる『事勿れ主義(隠蔽体質)』という、途方もない泥沼のバランスによって。

 

「……胃が、痛い……っ」

 

フキが去った後の司令官室に、日本の治安の裏の最高責任者の、情けない呻き声だけが虚しく響き渡った。

 

 * * *

 

同日。昼下がり。

 

東京・墨田区、和風喫茶『リコリコ』。

 

「……というわけで。日本の大人たちのメンツと思惑が複雑に絡み合った結果、真島は戦車にミンチにされかけ、DAの楠木のおばさんは完全な泣き寝入りを強いられたってわけだ」

 

地下の隠し部屋で、天才ハッカー・クルミは、ポテトチップスをボリボリと齧りながら、モニターに映し出されたニュース映像(ガス爆発の嘘報道)を見て、ケラケラと悪びれる様子もなく笑っていた。

 

「いやぁ、最高に滑稽な三つ巴の戦い(コント)だったな! ボクの天才的なシミュレーションでも、まさか自衛隊の空挺部隊まで降ってくるとは予測できなかったぜ」

 

クルミは、一人で大いに楽しんでいた。

 

DA、警察・自衛隊、そしてテロリスト。

 

彼らが血みどろ(あるいは土煙まみれ)の縄張り争いを繰り広げている裏側で、この喫茶リコリコの二人の少女だけは、その大人の事情から完全に蚊帳の外に置かれ、圧倒的な『平和』を享受していたからだ。

 

「おーい、クルミ! お昼ご飯できたよー! 今日はたきな特製のオムライスだよっ!」

 

隠し部屋のドアが開き、錦木千束が、ほかほかと湯気を立てるお盆を持って、満面の笑顔で入ってきた。

 

その後ろには、紺色のエプロンをつけた井ノ上たきなが、満足げな顔で続いている。

 

「おお、オムライスか。サンキュー、千束」

 

クルミはモニターを素早く切り替え(真島の無様な逃走劇の録画を隠し)、オムライスを受け取った。

 

「ねぇねぇクルミ、今日のニュース見た? 山奥ですっごいガス爆発があったんだって! 自然災害って怖いねー!」

 

千束は、オムライスにかかったケチャップ(たきなが書いた『千束命』という文字)を嬉しそうに眺めながら、全く危機感のない声で言った。

 

「ああ、見た見た。……まぁ、世の中には『見なくていい真実』ってやつがいっぱいあるからな。お前は一生、そのケチャップの文字みたいに、おめでたい頭のままでいいさ」

 

クルミがニヤニヤと笑う。

 

「むっ、なんかバカにされてる気がする!」

 

「千束。クルミの言う通りです」

 

たきなが、千束の横に並び、極めて真面目な声で同調した。

 

「千束の視界に、不快なニュースや裏社会の泥沼を映す必要はありません。……もし、あのようなガス爆発(物理的脅威)が千束の身に降りかかる確率が0.01%でも生じた場合、私が全資産を投じて、迎撃用の弾道ミサイル防衛システムを……」

 

「だからスケールが狂ってるってば!!」

 

千束がたきなのほっぺたを両手でムギュッと引っ張る。

 

「ふぁい、ひゅいまへん(はい、すみません)」

 

たきなは、引っ張られながらも、千束に触れられていることが嬉しくて、だらしなく目を細めている。

 

(……このバカップルは、本当に何も知らないな)

 

クルミは、呆れながらも、温かいオムライスを口に運んだ。

 

真島が戦車に追い回され、DAのトップが胃潰瘍になりかけているというのに。

 

この二人は、そんな国家規模のドンパチなどどこ吹く風で、ただ「今日のオムライスが美味しい」「千束が可愛い」という、半径5メートルの平和な世界を全力で謳歌しているのだ。

 

「……まぁ、お前らが無事なら、それでいいさ」

 

クルミは小さく呟き、アイスコーヒーを飲んだ。

 

 * * *

 

だが。

 

いくら大人たちが「大掛かりな憂さ晴らし(演習)」を終えてスッキリしたとはいえ。

 

日本の裏社会の犯罪が、完全にゼロになるわけではない。

 

その日の午後。

 

喫茶リコリコに、楠木司令から『通常業務(日常の汚れ仕事)』の依頼が舞い込んできた。

 

『……墨田区内の廃倉庫において、不法滞在者を中心とした武装強盗団の取引が行われるとの情報が入った。対象は十数名、アサルトライフル等で重武装している可能性が高い。……錦木、井ノ上、直ちに現場へ急行し、制圧せよ』

 

通信端末から流れる楠木の音声は、いつにも増して低く、そして疲労困憊(胃痛)の極みにあることが手に取るように分かった。

 

「はーい、了解です、司令! ちゃちゃっと片付けてきまーす!」

 

千束は、いつもと変わらぬ元気な声で通信を切り、赤い制服のジャケットを羽織った。

 

「……千束。楠木司令の声紋分析の結果、極度のストレスと胃粘膜の損傷が疑われます。何か、本部で重大なインシデントでもあったのでしょうか?」

 

たきなが、ハンドガンをホルスターに収めながら、首を傾げる。

 

「えー? ただの寝不足じゃない? 大人は色々と大変なんだよ! さ、行こっか、たきな!」

 

「はい。千束の死角は、私が完全にカバーします」

 

二人の少女は、いつも通り、カランコロンとドアベルを鳴らして、平和な東京の街へと飛び出していった。

 

 * * *

 

指定された、墨田区外れの廃倉庫。

 

重い鉄扉の向こうからは、外国語の怒号と、金属がぶつかる嫌な音が漏れ聞こえていた。

 

「よし、たきな。いつものパターンで行くよ!」

 

「了解しました。突入と同時に、私がスタングレネードで視界を奪い、千束が制圧。……漏れた敵は、私が足を撃ち抜きます」

 

二人は、壁に身を潜め、完璧なタイミングで突入の合図を交わそうとした。

 

――その時である。

 

『――そこまでだ!! 動くな!! 武器を捨てろ!!』

 

倉庫の内部から、拡声器を使った、図太い男たちの怒号が響き渡った。

 

「……えっ?」

 

千束とたきなが、顔を見合わせる。

 

そっと倉庫の窓から内部を覗き込むと。

 

そこには、武装強盗団を完全に取り囲む、重武装の男たちの姿があった。

 

ネイビーブルーのタクティカルスーツに、防弾ヘルメット、そしてクリアシールド。

 

背中にはデカデカと『POLICE』の文字。

 

警視庁の誇る特殊犯捜査係、すなわち『SIT』の部隊だった。

 

「なんで警察が……? ここはDAの管轄(裏の仕事)のはずじゃ……」

 

たきなが、眉をひそめる。

 

倉庫の中では、昨夜の山奥での『大立ち回り』を終えて、見事に元の業務(公務員)に戻ったSITの隊員たちが、極めて迅速かつ無駄のない動きで、強盗団を制圧にかかっていた。

 

『抵抗するな! 伏せろ!!』

 

バンッ! バンッ!

 

威嚇射撃とゴム弾の容赦ない制圧。強盗団は、突然の警察の突入にパニックを起こし、次々と床に叩き伏せられ、手錠をかけられていく。

 

「……ありゃりゃ。警察のお兄さんたち、お仕事早いねー」

 

千束は、窓枠に肘をつき、感心したように呑気にその光景を眺めていた。

 

すると。

 

倉庫の入り口付近で指揮を執っていた、恰幅の良いSITの部隊長(※昨夜、拡声器で「DAに手柄を取られてたまるか!」と叫んでいたオッサンである)が、窓の外からこちらを覗き込んでいる千束とたきなの姿に気がついた。

 

部隊長と、千束の視線が交差する。

 

「…………」

 

数秒の、気まずい沈黙。

 

DAのエージェント(リコリス)と、表の警察の特殊部隊。

 

本来であれば、現場で鉢合わせした場合、管轄権を巡って一触即発の事態になるか、あるいは警察側が『あ、あのヤバい連中(女子高生)が来たから、俺たちは引こう』と、苦々しい顔で現場を譲るのが、これまでの『お約束』であった。

 

だが。

 

今日の部隊長の顔は、違った。

 

彼は、千束たち(赤い制服と紺色の制服)を見ると。

 

深く、深くため息を吐き。

 

そして、手で『シッシッ』と、犬でも追い払うような、極めて面倒くさそうなジェスチャーをしたのである。

 

「……えっ?」

 

千束が目を丸くする。

 

部隊長の目は、こう語っていた。

 

『お前らの出番はねぇよ。ここは俺たち(警察)がもう片付けた。……昨日の山奥での「憂さ晴らし」で、俺たちもすっかり満足したしな。お前らの存在は見て見ぬふりをしてやるから、大人しくカフェに帰ってパフェでも食ってろ』と。

 

もはや、そこにはDAに対する『嫉妬』も『恐怖』もなかった。

 

あるのは、国家の公務員としての「日常業務への回帰」と、「お互い、面倒なことはナシにしようぜ」という、完全なる『事勿れ主義の究極の共犯関係』であった。

 

「……千束。あの警察官、私たちに向かって『帰れ』というハンドサインを出しています。……制圧しますか?」

 

たきなが、スッとハンドガンのグリップに手をかけ、極めて物騒な提案をする。

 

「しないしない!! 警察の人制圧しちゃダメでしょ!!」

 

千束は慌ててたきなの手を押さえた。

 

「でも、おっかしいなー。いつもなら、私たちが来たら警察の人たち、すっごく嫌そうな顔して場所譲ってくれるのに。今日はなんか、『俺たちの仕事だ!』って感じで、すごくスッキリした顔してるね」

 

千束は、不思議そうに首を傾げた。

 

彼女は知らない。あの部隊長が、数時間前まで、自衛隊の戦車と一緒になって、テロリストを相手に『鬱憤晴らしの大サバゲー』を繰り広げていたことを。

 

あのスッキリした顔は、完全に「ストレス発散後の賢者モード」の顔なのだ。

 

『――各員、制圧完了! 被疑者を護送車に乗せろ!』

 

部隊長の号令と共に、SITの隊員たちが強盗団を連行していく。

 

その間、彼らは誰一人として、窓の外にいる千束とたきなを「見ようとしない」。

 

完璧なまでの『見て見ぬふり(スルー技術)』。

 

「……終わっちゃいましたね、千束」

 

たきなが、少しだけ不満そうに呟いた。

 

「うん! まぁ、警察の人が頑張ってくれたなら、私たちが手を汚す必要もないし! 結果オーライじゃない?」

 

千束は、あっけらかんと笑い、伸びをした。

 

「それに、今日は一発も弾を撃たなかったから、制服も汚れなかったし! このまま帰って、クルミのゲームでも手伝おっか!」

 

「……はい。千束が安全であるなら、誰が敵を制圧しようと、私の知ったことではありません」

 

二人は、倉庫の裏手を回り、夕日に染まる東京の街へと歩き出した。

 

日本の平和は、今日もこうして守られている。

 

DAという影の組織が、理不尽な暗殺を請け負い。

 

それに不満を持った表の組織(警察・自衛隊)が、時折『演習』と称してテロリスト相手に派手に憂さ晴らしをし。

 

そしてスッキリした後は、また互いの存在を黙認し合い、馴れ合いの『通常業務』へと戻っていく。

 

テロリスト(真島)からすれば、これほど理不尽で、イカれた天秤(バランス)の国は他にないだろう。

 

『――あ、楠木司令? ごっめーん! 現場着いたら、もう警察の人たちが制圧終わってたわ! だから私たち、そのまま帰還しまーす!』

 

帰りの道すがら。千束が通信端末で、DA本部へと呑気に報告を入れる。

 

『……そうか。分かった。そのまま帰投しろ』

 

楠木司令の声は、もはや怒る気力すら失せ、完全に悟りを開いた僧侶のように平坦だった。

 

『……あ、司令? なんかすごく疲れてるみたいだけど、大丈夫? 今度、リコリコの特製スタミナパフェ、出前してあげよっか?』

 

千束が気遣うように言う。

 

『……いらん。私に必要なのはパフェではなく、強力な胃薬と、あと一週間の睡眠だ。……通信終了』

 

ブツンッ。

 

通信が切れ、千束は「あはは、司令も大変だなぁ」と笑った。

 

「千束。歩きスマホ(通信)は危険です。前を見てください」

 

「もー、たきなは心配性なんだから! 大丈夫だよ、ここは平和な日本なんだからさ!」

 

千束は、たきなの手をギュッと握り、楽しそうに笑い合った。

 

彼女たちが歩くこの国は、確かに『狂っている』のかもしれない。

 

だが、その狂った天秤の最前線で。

 

今日も二人の少女は、互いの体温だけを絶対の真実として、くだらなくて、愛おしくて、最高に平和な日常を歩き続けているのだった。

 

 

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