純白の濃霧があたりを包む、湿った感覚が肌にまとわりつく。
街道と危険域の境に、黄色と赤色の警告版が立っていた。
『危険域。無許可立入禁ズ』
先が見えない濃霧の先に赤いロープが伸びていた。
四人が息をのむ。
リオは、深刻さを感じ始めた四人を一瞥する。
五分。リオは入山の祝詞をつぶやいた。
――問題はこれからだ。
リオが自分のブーツに灰を塗る。
「皆さんも、この灰を靴底に塗ってください」
「新品のブーツが汚れるじゃないか」
レオンが軽く拒む。
「灰なので洗えばすぐ落ちます」
「いいですか。境界を超えるときは縄を絶対に放さないで下さい」
リオは慣れた手つきで、杖にクリスタルの鈴をつける。
「境で縄を放して帰って来た者はおりません」
リオは、小声で付け加える。
先導を切って濃霧の中に入っていった。
「前が見えない…!」
レオンが悲鳴にも近い声を上げる。
「このロープを放した人はどうなったの?」
魔術師シオンの蒼い目の奥が、かすかに光を帯びた。
「虚空を永遠に彷徨うと言われています」
四人が思わず息を飲む。
「ひぃ!」
治癒術師ミリナが奇声を上げる。先頭のリオが立ち止まる。
「近くに何か黒い影が見えました!」
治癒術師ミリナの報告に、リオの胸の内に小さな警告が鳴る。
十体ほどの黒い影を一瞥する。
――亡者か。まずい。
「急ぎます」
リオは、競歩ぐらいのスピードで進む。
「誰だ?声が聞こえる…」
盾剣士ガルドが、小言をつぶやく。
「絶対に返事はしないで下さい」
リオは息を弾ませ濃霧を進む。
すでに、足元は何を踏んでいるのかすら分からない。
手に伝う縄だけが、現実だった。
「ふむ。幻覚魔法までかかるのか…」
シオンが興味深げにぶつぶつ言っている。
三十分。霧は終わらなかった。
先導するリオが、霧を抜けた。
薄暗い森林地帯だ。
リオは、壁のような濃霧の境界を振り返ると四人を待つ。
レオン。ミリナ。シオン。ガルド。全員無事。境を超える。
「死ぬかと思った…」
「まだ声が聞こえる…」
「だめだ。寒い!」
「誰だ!俺の悪口を言うやつは!」
リオは赤い瞳で四人を確認する。
肩、背、足元。黒い付着。
四名すべて。――亡者を拾っている。
「一度、除霊を行います。少し黙っててください」
四人をリオの前に正座させる。
リオの赤い瞳だけが、暗い森林で灯っている。
リオは三度、ゆっくりと息を吐いた。
クリスタルの鈴が、間を刻む。
霧は壁。
壁は境。
境は選ぶ。
息ある者を通し、
名なき影を退ける。
森の息よ、静まれ。
石の記憶よ、閉じよ。
根の道よ、乱れるな。
我らは生を携え、
死をここに残す。
影よ、帰れ。
声よ、絶えよ。
虚ろなるもの、道を違えるな。
境を守る導きの神、
ヴェルドールよ、見届けよ。
ここより先は、
生者の歩む道。
鈴の音とともに、霧の層が一歩だけ引いた。
リオが、一歩。踏み込む。森の匂いが戻る。
最後に四人に灰を振りかける。
リオが手を叩く。静かな森林に乾いた音。
祝詞が終わると
霧の中で聞いた声だけが、頭に残っていた。
ガルドとミリナが静かに泣き始め、
レオンが卒倒した。シオンも顔が土気色だ。
リオは、倒れたレオンに駆け寄る。
唾液で呼吸が止まらないよう安楽姿勢を取らせた。脈を計る。
ミリナが泣きながら過呼吸を起こしている。
「ミリナさん、深呼吸をしてください」
それでも収まらず、リオは鞄の中から、紙袋を取り出して渡す。
森の奥は、さらに暗い。
――まだ、入口なんだけどなあ…。