暗い森は暗くなる。夜気を纏う。
一行は、ビバークを張る。
リオは慣れた手つきで、イトヨリの糸を一定の間隔で木々に結んでいく。
結界式。簡易型だが、この地では十分だった。
焚火が上がる。
火だけが現実を保っている。
誰も食事に手を付けなかった。
レオンは地図を開く。リオの白い手が現在地を示す。
「やっと三分の一か…」
リオは肩をすくめる。
――頑張った方だ。
「私が見張りを行います。皆さんは目をつむってください」
三十分後。
ミリナがリオの傍に静かに近づいた。
「リオさん。少しだけ、そばにいてもいいですか?」
リオは小さくうなずく。
「どうしてこの仕事を?」
リオの瞳孔がわずかに開く。平然と答える。
「生きるためです」
――それ以上の言葉が見つからない
「寝てください」
それ以上は続かなかった。
会話が切れる。
深夜二時。
月光が森林に差し込む。
ミリナが小さく嗚咽を漏らす。
結界の外側。
巨大な黒い塊が、こちらを見ていた。
結界の糸だけが、静かに赤い色を失っていく。
――干渉している。
リオのこめかみがわずかに痛んだ。
――上位の存在。
「静かに」
リオはローブでミリナを包む。
リオは杖を握る。
鈴を鳴らさない。
刺激すれば崩れる。
「おいで」
リオは杖を置いたまま歩き出す。結界から離れる。
境界の薄い場所へ誘導する。
森が開けた。
花畑。
月光だけが満ちている。
花が、月光ではなく、その影に向かって揺れていた。
黒い塊が現れる。巨大な猫の輪郭だった。
猫に敵意はない。ただ、こちらを観ている。
「クロ」
リオは名を与える。
猫の影がわずかに揺れた。
リオは右手を差し出す。呼応し猫は鼻先で触れる。
冷たい。だが、死の安らぎに似ている。
胸の奥に、記憶が流れ込む。
景色。
山の輪郭。
崩れた祭壇。
古い冬。
この土地の、かつての支配者。
言葉ではない理解。
クロは、リオに寄り添った。
リオは、クロを静かに撫でる。
心拍が落ち着くまで。
リオが目を覚ます。朝の陽射しの木漏れ日の中。
花畑の中央で寝ている。
上半身を起こす。クロの姿はすでにない。
――夢…?
リオのグローブに黒い砂が憑いている。
赤い瞳で周りを視ても、クロを感じない。
ただ、クロが座っていたところの花は枯れている。
――どこかにいってしまったのだろう。猫だし。
リオは柔らかく口角を上げる。結界に急いだ。
結界では、四人が心配していた。
「リオさん!無事だったのですか」
ミリナが不安がていた。
「なあ、あんただけ、魔物に襲われないみたいだな」
レオンはリオに突っかかる。
リオは黙る。ただ、静かにレオンを見つめる。
「あんた、本当に人間か?」
ガルドが不満を漏らす。
シオンはその成り行きを観察している。
「出発しましょう」
リオは、静かに赤い糸を片付け始める。
――糸が大きく歪んでいる…。
リオの胸の内に違和感が膨らんだ。
「ねえ、リオ」
シオンがリオに声をかける。
「結界が5.3ミルも歪んでいるわ」
魔力を観察するシオンの視線は外れない。
異常値。3ミルをゆうに超える。
「問題ありません」
リオは言ってから赤い糸を手繰る。
おそらくはクロの影響かもしれない、と遅れて気づく。
――あまり、クロには会わない方がいいのかもしれない。