非常階段を延々と降り続けていた。
研究所の内部は異様なほど静まり返っており、玲奈たちの足音だけがコンクリートの壁に乾いた反響させていた。
研究所の内部は、異様なほど静かだった。
誰もいない。物音1つもしない。
ただ、稼働し続ける照明だけが無機質な光を落としていた。
電力はまだ生きていた。
そのおかげで足元が闇に沈まずに済んでいることに、玲奈は僅かな安堵を覚えた。
「大きい…」
思わず漏れた玲奈の呟きが、広い空間に吸い込まれていく。
「そりゃあな…。500人もいたんだろ?」
竜也は肩を
確かにその人数を収容する施設なら巨大で当然だ。
――だが、今は…人の気配が全くない。
その事実が空間をより巨大に、より不気味にしていた。
「隊長、ここから行った方がクイーンの部屋には近いんですが…」
隊長はその言葉の先を見て、小さく息をついた。
彼らの眼前には、濁った水で完全に水没した部屋だった。
ガラス越しに見えるのは、漂う瓦礫と備品。
そして――
「うわっ‼」
毅は思わず腰を抜かした。
その理由は、ぷかぷかと漂う死体だった。
ぶよぶよに膨れた腕が水面に揺れ、目を閉じた顔がゆっくりとこちらを向いている。
同じように玲奈もそれを見ていた。
だが、不思議なことに、恐怖も嫌悪も悲しみも――何の感情も湧いてこなかった。
ただ…「事実」として受け止めているだけだった。
――どうして…。
これには玲奈自身も不思議に思ってしまう。
「仕方ない。向こう側から迂回して行くぞ。憲之、新しいルートを検索してくれ」
「了解」
一行は別ルートで歩き出す。
その背後で…濁った水中で漂う死体が、ゆっくりと目を開き…ガラスに手を張り付けたことに――誰も気が付くことはなかった。
やがて辿り着いたのは、用途不明が機械が並ぶ空間だった。
地面には煙のような靄が低く漂っており、足首に絡みつくような感覚だった。
湿った空気が肺にまとわりつき、息を吸うたびに気分が滅入った。
「…何だ、ここは?」
「分かりません。でもここからならクイーンの部屋に行けます」
隊長は短く頷く。
「よし。葉子と純輝はここでこの警察官を見張っておけ。残りのメンバーでクイーンの制御システムに通ずる部屋に向かう」
命令が飛び、隊列が分かれる。
その頃、玲奈は一人、機械の間を歩いていた。
この場所は異様というより、不気味だった。
機械の隙間から漂う靄が、まるで生き物の呼気のようにゆらゆらと揺れている。
その時、無機質な機械の中に、異様な
液体で満たされた保管カプセル。
玲奈は引き寄せられるように近づき、そっと中を覗き込んだ。
――息が止まった。
中にいたのは、生物だった。
血の気を帯びた赤い肉体。
剥き出しとなった脳。
身体中と繋がる無数のチューブ
眠っている獣の体躯。
――もし、こんなのが動き出したら…。
その想像だけで、背筋に冷たいものが走った。
「玲奈、来い」
遠くから隊長の声が飛ぶ。
玲奈は逃げるようにその場を離れた。
だが、視線だけは最後までカプセルから離れなかった。
葉子、純輝、竜也は先ほどの機械室に残された。
見張りを兼ねているのだろう。
玲奈たちは三又に分かれた部屋へと到達する。
中央の端末に憲之が座り、キーボードを打ち始めた。
「憲之、パスワードは?」
「問題ない。知っている」
「分かりました。クイーンの制御室に通じる通路、開けます」
宣言と同時に扉が開く。
通路の照明は落ちているが、完全な暗闇ではない。
ぼんやりとした光がガラス張りの壁面に反射している。
隊長を含め計4人が慎重にガラス張りの通路へと足を踏み入れた。
憲之は端末の前で待機し、トラブルに備える。
――バンッ!
突如、甲高い音とともに通路が白く照らされた。
「何だ?」
『自動的に付くようです。問題はありません』
無線越しの憲之の声に、隊長は小さく頷く。
再び前進し、閉ざされた扉に解除装置を取り付けた。
ピピッ――
電子音が鳴り、扉が開きかける。
だが次の瞬間、無情にも閉まり始め、入口側の扉までもが降下した。
「おい!憲之!どういうことだ⁈扉が閉まっていくぞ!」
『防御システムがあったようです。解除を試みます!』
憲之の額に汗が滲む。
画面には意味不明の文字列が流れ続け、その中に不吉な表示が浮かび上がる。
――『武器システム作動』
「何かしてくる!早く開けて!」
玲奈が叫ぶ。
その直後だった。
ガラス張りの通路の奥が、青く発光し始める。
「何だ?」
4人が認識するより早く、横一線の青白い光線が形成され、高速で迫ってきた。
「伏せろ‼」
光線の正体など分からない。
だが、即座に危険だと察知した隊長は叫んだ。
颯介は即座に伏せたが、幸太の反応は遅れた。
隊長は彼を抱き込み、床に叩きつけるようにして伏せさせた。
「ぐああああああ!」
光線が通過して1秒も経たぬうちに、幸太の絶叫が響く。
右手の指が全て、綺麗に焼き切られていたのだ。
「幸太!…くそっ、衛生兵‼」
医療担当の春奈に向けて隊長が叫ぶ。
振り返ると、春奈は立っていた。
だが、首に細い赤い線が浮かび上がり――つぅー……と血が滲む。
次の瞬間、彼女の頭部がずるりと滑り落ちた。
「早く!早く開けて‼」
「今やってる!ぎゃあぎゃあ喚くな!」
幸太は激痛とショックで痙攣し、過呼吸に陥っていく。
「気絶するなっ‼気をしっかり持て!幸太‼」
必死の呼びかけも虚しく、幸太の意識は闇に沈んだ。
「…くそっ!」
「隊長!」
伏せていた颯介が叫ぶ。
「また来ます!」
再び、青い光が足元に走る。
隊長と颯介は立ち上がり、後退する。
だが、光線は気絶した幸太の体を頭頂から切断し、そのまま2人へと迫る。
颯介は重装備のまま跳躍した。
だが、光線はまるで意思を持つかのように急上昇し――彼の腹部を切り裂いた。
「っ‼」
臓腑を撒き散らしながら、颯介は絶命する。
一方、隊長は天井の鉄骨にぶら下がり、身体を水平にして光線をやり過ごした。
しかし装備していたナイフの刃が切断され、金属音を立てて床に落ちる。
「早くなんとかして‼」
「うるさい!もうすぐ終わる!」
憲之は必死に解除を進めていた。
あと一歩。
あと少し、隊長が持ちこたえれば。
隊長は地面に降り立つ。
3度目の光線が襲来する。
だが今度は――避けさせるつもりも、生かすつもりもなかった。
光線は一本の直線から、網目状へと変形する。
「……チッ…!」
舌打ちとともに、隊長は唇を噛む。
「間に合えっ…!」
憲之が「解除」を押す。
だが――遅かった。
網目状の光線は隊長の身体を通過し終えたところで停止する。
数秒の静止。
その後、彼の身体は積み木のように崩れ落ち、肉塊となった。
その光景から、玲奈は思わず目を背ける。
武器システムが停止し、扉が開く。
通路には、見るも無惨な4人の死体が転がっていた。
憲之は唾を飲み込み、黒い鞄を握りしめる。
「任務は……果たさないと……」
独り言のように呟き、震える足で通路へ進む。
その背中は、今にも恐怖に押し潰されそうだった。
「すまない、手伝ってくれ」
声を掛けられた玲奈は、びくりと肩を震わせる。
断りたい。
だが、この状況で拒むこともできなかった。
さっさとこんな恐ろしい場所から離れたい。
それだけが彼女を動かしていた。
クイーンの部屋に到着すると、2人はすぐ作業に取りかかった。
憲之は鞄からアタッシュケース型の装置を取り出し、制御盤へ接続していく。
「どうするの?」
「パソコンと同じさ。シャットダウンさせる」
『やめなさい』
不意に、少女の声がスピーカーから響く。
同時に、赤い少女のホログラムが浮かび上がった。
「こいつがレッドクイーンだ。気にするな。こいつのせいでここの職員も、隊長たちも死んだ」
『半分正解ね。だけど、これはあなたたちのために言ってるのよ?私の電源を切ると、全ての電力が停止する。そうなれば…』
「うるさい」
クイーンの言葉を遮り、憲之は電源を落とす。
『待ちなさい!今すぐ停止しなさい!』
「黙ってろ!!」
憲之の言葉と共にクイーンの画像が薄れ始める。
そして消える直前、クイーンは告げた。
『奴らの餌にならないようにね』
「
玲奈の胸の中に不吉な言葉が残る。
――奴ら
この言葉を意味を知るまでに、時間はかからなかった。