白馬姉「私の弟は最強なんだ!」 作:ボックス
『――――私なんて、弟の足元にも及ばないさ』
曹操は、時折そんな友人の言葉を思い出す。
私塾に通っていた時のことだ。既に幼くして突出していた彼女だが、そんな自身に追いすがる者が居た。
赤い髪を揺らし、純朴な顔立ちをした彼女は事あるごとに自身の弟を褒めていた。
西楚の覇王であった項羽が、漢の初代皇帝となった劉邦に打倒されたその日から大陸では女こそが政治の中心であり、戦争の中心であったのだから。
曹操自身、男でも優れた者が居る事は理解しているが、心のどこかでそんな存在も女の前では形無しだと思ってしまっているのだから。
「――――ここに居られましたか、華琳様」
「秋蘭」
物思いに耽っていれば、怜悧な声に顔を上げた曹操。
見れば、自身の懐刀である麗人が側についていた。
夏侯淵。曹操の弓にして左腕。軍略家としても武将としても一線級の逸材である。
「何か、ありましたか」
「ふふ……そうね。秋蘭は、白蓮を覚えているかしら?」
「公孫伯珪殿ですね」
「ええ。あの子が、常々言っていた弟の事を考えていたの」
「弟……公孫
「そうよ。白蓮は……才能あふれる子じゃない。けれど、その素養は一流に届きうるものよ」
「…………」
夏侯淵が思い出すのは、赤毛の少女の姿だった。
公孫瓚。現在は、幽州において太守を務めており、日夜中華へと押し寄せようとする異民族と相対する女傑である。
しかし、その一方で彼女は決して天才ではない。
才能がない訳ではない。だが、大陸に瞬く綺羅星の如し諸侯と比べれば、その才覚は一歩も二歩も譲る事になるだろう。
秀才止まり。それでも十分すぎるほどの傑物であるのだが。
曹操の言葉を受けて、夏侯淵は記憶の棚から該当する情報を引っ張り出してきた。
「公孫仲碕、公孫越は伯珪殿とは違い私塾には通わず、幼少の折より戦場を駆けていた、という話でしたね」
「言っては何だけど、珍しくはないわね。既に長女である公孫伯珪が居るのなら猶の事よ」
先の、項羽と劉邦の関係性から女性優勢の社会。男が政治中枢に着くとすれば、宦官か或いはそもそもの家柄から。或いは、余程の傑物か。
故に、曹操の言うように長女が既にいる場合はその下の男の姉弟は戦地に立つか、或いは家同士の婚姻などに宛がわれるか、しかない。
「これから、天下が荒れるわ」
「であるのなら、相対する場面もあるかと」
「ふふふ……轡を並べるかもしれないわよ?」
既に、この国の中枢には力が無い。
屋台骨は腐りきっており、建て直すぐらいならば自分こそが新たなる帝と成ろうとするような野心家ばかりなのだから。
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場所は変わり、幽州。
「では、お前は私に仕える、という事で良いのか?」
「客将として、ですがね」
苦笑いして顎を撫でるのは、赤毛の女性。相対するのは、水色の髪に白い装束が印象的な不敵な笑みを浮かべた女性だった。
赤毛の女性は、公孫瓚。ここ幽州の太守であり、日夜異民族へにらみを利かせる北部の雄である。
そんな彼女へと自身を売り込みに来たのが、白装束の彼女。
名を、趙雲。槍の名手であり、同時に大胆不敵な胆力を持つ。
「……まあ、それでも構わないか。ただ、機密に触らせることはできないからな。それだけは把握しておいてくれ」
「ええ、勿論。それはそうと、こちらも質問をよろしいか?」
「どうした?」
「ここを訪れる前に、幽州を見て回ったのですがね。何でも、幽州太守の公孫瓚は鬼を飼っている、と。そんな噂を何度となく耳にいたしまして」
「ああー……それかぁ………」
「お心当たりが?」
「飼っている……というか、弟さ」
「弟君……というと、公孫越殿の事でしょうか?」
「ああ。丁度、そろそろ戻ってくる所だろう」
公孫賛がそう言うと同時に、部屋の外がにわかに騒がしくなった。
廊下を踏み荒らす様な足音が響き、扉が吹き飛ぶのではないかと思える勢いで押し開かれる。
「戻ったぞ!姉上!」
「おかえり、越。それはそうと、もっと扉を優しく扱え。この前も、一枚吹き飛ばしただろう?」
「わっはっはっは!気を付けよう!」
部屋へとやって来たのは、公孫瓚よりも鮮やかな赤毛をうなじの辺りで切りそろえた青年だった。
趙雲よりも頭一つ高い背丈に、縁に赤い炎のパターンが刻まれた黒い漢服を身に纏っている。
何より、趙雲が気付くのはもう一つの事。
(この御仁……強い……!)
反射的に、入室の際に預けた自身の愛槍を無意識に探してしまう程の存在感。
力そのものが人の形に圧縮され、その内側に燃え盛る炎のように渦巻いているかのような雰囲気。並の者が戦場で相対すれば、その気迫だけで戦意を喪失させてしまうかもしれない。
青年、公孫越はそこで初めて趙雲に気付いたらしい。
人好きの笑みを浮かべて、彼女の前へと大股に足を進めた。
「お初にかかるな!俺は、公孫越。ここ幽州で将軍を任されている。貴殿の名を聞こうか」
「ッ……姓は趙、名は雲。字は子龍。客将としてよろしくお願いいたしましょう」
「ほう……姉上!」
「越、子龍はお前に任せる。幽州の戦いを教えてやってくれ」
「あい分かった。では、趙子龍。早速だが、俺と共に征こうではないか!」
「征く……戦場に、という事でしょうか」
「応とも。俺は、頭が宜しくない。ガキの頃から、戦ばかりで碌に書の一つも読んでは来なかった!言葉が達者なつもりもない。故に、戦場に立とう」
武官なのだろう?と公孫越は問う。
圧倒されていた趙雲だが、彼女とて遊びに来た訳ではない。
後の世で、全身レバーとも称されたその胆力は既に目の前の圧倒的存在感にも適応していた。
「それは、私を副将として連れて行こう、という事ですかな?」
「わっはっはっは!構わんとも!姉上!」
「ああ、白馬義従を連れていくと良い」
「応!行くぞ、趙子龍!」
わっはっは!と呵々大笑と共に肩で風を切って部屋を出ていく公孫越。
その背を見送る形になった、趙雲に対して公孫賛は軽く声を掛けた。
「馬はこちらで用意したものを使ってくれ」
「…………それは、白馬ですかな?」
「白馬も黒馬も用意しているとも。異民族に武威を示すのは、騎馬がもっとも有効だからな」
「成程」
頷き、一つ礼を挟んでから趙雲は部屋を後にする。
去って行った白い背を見送ってから、公孫賛は息を吐き出した。
「ふぅー……中々に豪胆らしいが、アイツについて行けるだろうか」
公孫賛は、早い内に己について
突然変異、とも。鬼の子、とも称された自身の弟。
郡太守であるの子であった公孫賛。
しかし、その両親は決して大物という訳ではなかった。身分相応の、或いはそれ以下の特筆するような強みの無い秀才に辛うじて手が届くような者たち。
そんな二人から生まれた公孫賛は、両親よりも優れた素養を持っていた物の、それでも名家名族の選りすぐった血筋の才覚には及ぶことはない。
そこに生まれたのが、武の極致のような男だった。因みに、公孫賛が二つになった頃の話である。
生まれた頃より力が強く、父親の長く結ばれた髪を掴んで引き千切った事から始まり、つかまり立ちが出来る様になった頃には掴んだ柱をぷくぷくとした指の形のまま毟り取ったほど。
剛腕剛力は、歳を重ねるほどにその強大さを加速度的に増していった。
同時に、力だけの猪武者ともならなかったのは、彼の武人としての才覚に他ならない。
剣を振るえば、岩を断ち切った。槍を振るえば、巨木を抉った。斧を振るえば、地盤を割断した。
戦術や戦略を一ミリも理解しないままに、戦場を縦横無尽に駆け回って10にも届かない年齢で山一帯を縄張りとした盗賊の頭の首を取ってきた事もあった。
怪物である。しかしその一方で、公孫賛が弟を疎ましく思う事は無かった。
理由としては単純で、公孫越は今日に至るまで姉である公孫賛への敬意を忘れた事は無かった。
姉上と慕い。決して軽んじることはなく、寧ろ一つ何かを教えれば目を輝かせて「流石だ!」と叫ぶ始末。
故に、公孫賛は早くから己の武力を見限った。
無論、大将首としての自衛能力は求める。だが、武将として他陣営の強者を討取る様な力を求めることはなくなった。
代わりに、弟を活かす力を求めた。
「政治は、私が行おう。場を整える戦略も、私が整えよう。兵を揃え、調練し。質のいい馬を集めて、騎馬隊を組織した。必要な物資を揃え、人を揃えよう。――――後はお前を活かすだけだ」
彼女の行動は、既に一定以上の成果を上げていた。
幽州の名の知れた賊徒は、その大半が壊滅した。常に頭を悩ませてきた異民族は、定期的な貢物を捧げてこちらの機嫌を窺ってくる。
兵は精強で、民は豊か。連合体制を取っている幽州だが、その豪族の大半は既に公孫賛のYESマンへと成り下がっている。
全ては、弟の為に。公孫賛は、油断しない。