白馬姉「私の弟は最強なんだ!」 作:ボックス
「一騎討、か」
「はい……」
時勢を読み違えた。諸葛亮は、何度そう思ったか数えられない。
最初の失敗は、やはり幽州での一件。
上手く行けば、そこである程度の兵数を確保する事が出来た。幽州軍に少々の穴が開くかもしれないが、残念ながら諸葛亮の主は劉備だ。彼女の利になる様に動いた結果、諸侯に痛手が起きることは仕方がないと考える。
だが、上手くいかなかった。自身の腹の内を見透かされた上で見逃されたが、他にもっとやりようがあったかもしれない。
結果として兵は、農民上がりの義勇兵や元黄巾の元農民ばかり。将にしても、関羽と張飛位で彼女らの乗る馬にしても軍馬ともいえない痩せ馬ばかり。
そんな勢力で突撃した所で、城壁を越えることはおろか壁上の兵士の一人も倒せるか怪しい。
となれば、一騎討しかない。
義勇軍に所属している事が不思議な位、関羽と張飛は武将として突出した能力を有している。それこそ、各諸侯の懐刀と比べても遜色がない程に。
だが、
「……すまないが、朱里。あの御仁が出てくるのなら私たちに勝ち目はないぞ」
「ッ…………公孫仲碕ですか」
「ああ」
関羽の脳裏に過るのは、幽州で見た力の権化。
黄巾の一件でも見せた、固く閉ざされた城門を個人の力で粉砕するその姿は暴威がそのままに人の形となって現れたかのようだった。
そんな存在を相手に一騎討を挑んで生き残れるか。そもそも、戦いになるのか。
疑問はあれども、やるしかない。
彼女らの薄暗い未来を示す様に、戦場には鉛色の雲が広がり始めていた。
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今にも降ってきそうな空模様。遠くには雷鳴が聞こえ、不穏な空気が漂っていた。
「来ましたぞ」
槍を小脇に抱えて城壁から外を見ていた趙雲が呟く。
迫る軍勢は、しかし余りにも弱弱しいモノだった。
唯一、痩せ馬に跨った黒髪の女だけが猛々しい。一流の武人としての力を持っているだろう事が分かる。
一軍が一定の距離で止まり、そこから痩せ馬だけが一騎飛び出してくる。
同時に、遂に空模様が崩れた。
疎らに地面を濡らした雨粒は直ぐにその数を増やし、瞬く間に雨脚は強まっていく。
「我が名は、関雲長!劉玄徳が配下にして、その道を切り拓く者!!尋常ならざる決闘をもって雌雄を決する事を望む!!誰か!我が青龍偃月刀を畏れぬ者よ!私は、逃げも隠れもしない!!」
雨に掻き消される事の無い大喝が響く。その声の、芯の強さは彼女自身の覚悟の強さの顕れか。
少しの間をおいて、固く閉ざされていた門扉が軋む。
両開きの扉が開かれ、濡れた地面を馬蹄が踏み締める。
「……やはり、貴殿が出てくると思っていました」
「そうか」
関羽の跨る痩せ馬とは比べ物にならない、逞しい軍馬に跨り右肩に金棒を担ぎ上げた公孫越は馬上よりも決死の覚悟を決めたであろう女を見下ろした。
門が閉じられる。それはそのまま、公孫越の退路が絶たれた事を意味するのだが、当人には一切の緊張は見受けられない。
「死ぬ覚悟が出来てるんなら、話が早い」
「ッ!」
ゾッと、関羽の背筋が粟立った。
一歩。たった一歩軍馬が足を進めた瞬間に、目の前の男から発せられる空気の質と重さが変わった。
雨に濡れながら、担いでいた金棒を地面と平行に横に伸ばしたまま一歩ずつ前へと進む公孫越。
最早、一考の猶予も無い。
「~~~ッ!!」
奥歯を噛みしめ、関羽は瘦せ馬を前へと無理矢理に走らせる。
この間に、関羽の頭の中は異様に静かだった。
雨音も聞こえず、ただ只管自分の中の荒れる心臓の音と薄い呼吸音が木霊する音だけが聞こえてくる。
右手に握った得物が、酷く心許ないモノに思えてしまう。
そして――――
(死――――!)
掲げられた金棒が振り下ろされた瞬間、関羽の時間は限りなく圧縮された。
降り注ぐ雨粒の一つ一つすら視認できるようなゆっくりとした時間の中で、彼女はその光景を見ていた。
ゆっくりとした時間の中ですら分かる速度と力をもって、雨粒の壁を叩きながら自身へと迫って来る黒鉄の金棒。
それを前に、関羽はゆっくりとした時間の中相応の緩慢とした動きで得物である、青龍偃月刀を掲げていた。
金棒の軌道は見える。そのルートに青龍偃月刀の柄を割り込ませるような形だ。
一秒後、激しい衝撃が戦場を揺らし、泥飛沫が間欠泉の様に勢いよく吹き上がった。
粉塵が上がる事は無い。雨が瞬く間に飲み込んでしまうから。
舞い上がった泥飛沫が地面に落ちた時、そこには大きなクレーターが刻まれていた。
その中央。無惨に潰れて原形をとどめていない元痩せ馬。そして、柄が中ほどでへし折れて最早原型を失った青龍偃月刀。
大の字で泥水に体を半分沈めながら、ピクリとも動かない関羽の姿。
それを一瞥してから、公孫越は金棒を連合軍へと向けた。
「次だ」
その呟きと同時に、集団から一騎飛び出してくる。
「愛紗ーーーーッ!!!」
得物である蛇矛を手に、痩せ馬にまたがるは小柄な影。
頬を涙で濡らしながら、怒りをもって目の前の仇を討たんと張飛は止める声を聞かずに飛び出したのだった。
対して、公孫越はその目を僅かに細めると足で馬へと指示を出す。
指示に従い、軍馬はその強靭な筋肉の出力のまま前へと一気に駆け出した。
両者が馬に乗って互いに距離を詰めるのだ。
接触は、直ぐの事だった。
そして、決着も。
「ギッ……!?」
悲鳴も出ない。
擦れ違いざまの一閃。ただ力任せに片手で振り抜かれた金棒に対して、張飛は迎撃するようにして蛇矛を振り下ろしていた。
だが、振り下ろされた蛇矛が軌道の半分も進まないうちに金棒は張飛へと届いていた。
公孫越は、怪力だ。その力の強さは、人一人を一撃で粉砕して余りある。堅く閉ざされた城門を殴り壊した点からも、ソレは明らか。
だが、もう一つ彼の動きには明確な強みがあった。
それは、速度。
先の通り、人から外れた剛力をもって動けばその体は人知を超えた速度でカッ飛ぶのだ。
振り下ろす軌道で振るっていた蛇矛のお陰で、直撃は防がれた。
だが、金棒の勢いはそんなものでは止まらない。
蛇矛の柄を折り砕いて、張飛の小柄な体を空高く大きく殴り飛ばしたのだから。
高さにして数十メートルは飛んだだろうか。そのまま、その小さな体は雨水によってぬかるんだ地面へと叩きつけられ転がった。
鎧袖一触。最初から、一騎討など成立するものではなかったのだ。
心の拠り所であった将二人が一蹴され、義勇軍は心が折れる。
武器を取り落す者、腰を抜かして立てない者、呆然と立ち尽くす者。最早、戦うという行為すらとることはできないだろう。
夢は覚めた。圧倒的な力の前に。
張飛を殴り飛ばして、馬足を緩めた公孫越。
馬がただそこに立っているだけにも拘らず、まるで空間がそこだけ歪んでいるかのような重さがそこにはあった。
義勇軍の熱が冷めていく中で、一人の女性が現れる。
「………」
常の快活さやお花畑のような雰囲気は欠片も感じ取れない、淀んだ目をした劉備その人であった。
その手には、宝剣が握られている。
もっとも、彼女の手は戦場に立つには余りにも柔らかいものだったが。
「…………降伏、します」
公孫越の前にまで進み、劉備は呟くように告げる。
宝剣を目の前に投げ捨てて両膝をつき、そして深々とその頭を地に擦り付けたのだ。
「私の首なら差し上げます……!だから、どうか……!皆の事は、助けてください………!!」
その声は、泣いていた。
夢だけを抱いて村を出た少女。
心強い義妹を得て、軍師を得て、多くの民が彼女の夢に続いてきた。
だが、夢というものはいつかは醒めるもの。永遠に見続けられる夢など存在しないのだ。
義妹二人が地に沈み、兵たちの心も折れた今、劉備の心もまた折れていた。
真綿で包むように大事にされてきた彼女にとって、現実という毒はあまりにも激烈に過ぎたのだから。
服を泥水に濡らし、嗚咽を漏らしながら土下座をする劉備を見下ろして、公孫越は空いた左手でうなじを掻いた。
「……分かった」
呟き、馬に指示を出す。
すると、軍馬はその逞しい左前脚を持ち上げると、力のままに勢いよく振り下ろすではないか。
泥飛沫が舞い上がり、土下座をする劉備へと降りかかった。
そして、宝剣はその逞しい馬蹄によって真っ二つに折り砕かれる。
「コレで、お前は死んだ。後の判断は、姉上に任せる。妙な真似をするなよ?金棒の染みにはなりたくねぇだろ?」
それだけを言い捨てて、公孫越は馬を走らせた。
既に、趙雲と華雄の別動隊がそれぞれ汜水関の裏門より連合軍の背後を突いているのだ。
最早天候すらも董卓軍に味方している始末。
馬蹄が向かうは、覇王の卵。
殻すら割れずに潰されるか、或いはこの場を切り抜け雄飛を目指すか。
全ては、間もなく決まるだろう。