白馬姉「私の弟は最強なんだ!」 作:ボックス
冀州の城が落ちた時点で、黄巾は終わりだ。
その内の残党は、西、南、北へと逃げた場合いずれかの諸侯に討取られ、或いは降伏して兵として併合されていった。
唯一の逃げ道は、東。
青州。恐らく、現状の中華においても屈指の治安の悪さを誇る地区だろう。
端的に言えば、賊の温床。そこに、黄巾の残党も合流し賊の戦国時代である。
とはいえ、対応するのは青州に接している兗州と冀州、それから徐州の三州。
この内、兗州は青州を押さえられたのならばそのまま海に出る事も出来る様になる。
海に出られれば、海産物などの珍しい資源が手に入り、更に水軍の編成といった事にも手を出す事が出来る様になる。
しかし、最も大きな利益は、塩である。
生活必需品であり、生物が生存する上でナトリウムを摂取できるかどうかは場合によっては命に関わる。
だが、漢においては塩というのは酒や鉄と同じく中央の専売。手に入れるには、中央が高値で売りつける塩を買わねばならない。
だからこそ、治安の悪い青州の価値が上がる。
治安が悪いという事は、そのまま中央の影響力を受けていないという事でもある。或いは、中央の手は届いているがそこまでの成果が挙げられてない、とも。
となれば、当然ながら塩を専売するために海岸部に設置された塩官と呼ばれる塩の専売を行う官吏が機能していない可能性もある。
塩を自領で賄えるのならば、その分の資金を他に回す事が出来る様になる。
長々と連ねたが、海に面した州というのは何かと恩恵があるという事。
一方で、沿岸州であるが海に塩を求めなかった州も存在したりする。
「ふむ……目録通り、か」
「無論。我ら烏桓は、公孫
目録の竹簡へと目を通す公孫賛に対して、腰を低く拱手の礼のまま頭を下げるのは、黒が印象的な毛皮と鎧を合わせた装束を着た大男。
目算で、公孫賛よりも頭三つは大きいだろうか。巌のような筋肉を有しており、ソレが巨木のように堅牢な骨を芯として人型となっていた。
この大男こそ、烏桓の王。漲る覇気は、中華の一流の武将と比べても劣る事は決してない。
彼らの背後では、幽州兵と烏桓の戦士たちが揃って力を合わせながら互いに持ち寄った荷の受け渡しを行っている所。
異民族との取引。事の発端は、幽州太守となった公孫賛による北伐の結果降参した異民族たちからの服従の貢物に始まっている。
彼らの文化は、単純だ。
強い者に従う。獣の理に近いかもしれない。
故に、彼らはより強い相手には尾を振るし、掌を返す事も躊躇う事はない。
そんな異民族にとって、幽州兵とりわけ先頭を走ってくる
遊牧民族であり物心つく頃には乗馬のスキルを身に付ける彼らをして、手に余る様な暴れ馬を乗りこなし。最強であった王を一撃で肉片へと変えた、正に怪力乱神。
そして、そんな最強の怪物を顎で使える(様に見える)公孫賛に対しても彼らは服従の姿勢をとった。取らざるを得なかった、とも言うが。
とにかく、そんな理由で送られた貢物だったが、公孫賛としてはこれは一つの大きなチャンスが転がり込んできたようなもの。
即ち、異民族との取引である。
一方的に、搾取し続けることは難しくない。しかし、その一方的な状態は公孫賛にとって精神衛生上宜しくない。
彼女にとっての第一は弟の存在だが、それはそれとして彼女自身の持ち合わせた精神は善性の物。
そうして始まった、物々交換による幽州と異民族の貿易。
幽州からは、海産物や生薬、その他食料品など。異民族側からは、毛皮や弓矢。他地方の特産物。
特に大きな取引が、馬と塩。
前者は、白馬義従などの幽州の主力に充てられており、後者は岩塩などが主に該当する。
こんなやり取りが、烏桓だけでなく鮮卑や匈奴などとも行われているのだ。齎される利益は計り知れない。
「公孫大人、咆雷単于はどちらに?」
「弟は今、別件だな。もう少しすれば帰って来るだろう。何だ、会いたかったか?」
「…………」
公孫賛の問いに烏桓の王は黙り込んだ。
咆雷単于とは、公孫越に対する異民族側からの呼び名だったりする。
戦場全域にまで響き渡る咆哮と、迅雷の如し行軍速度を加味しての呼称は畏怖をもって異民族間で広く知れ渡っていた。
言葉を選び、烏桓の王は口を開く。
「戦士として情けない限りだが、かの御仁とはこうして刃を交えぬ場でしか会いたくはない」
「まあ、確かにあの時の状況は軍を率いる人間として同情を覚えるよ」
苦笑いする公孫賛。
彼女の脳裏に過ったのは、異民族を始めて討つ事になった戦いの事だ。
相手は、荒野を埋め尽くさんとする大軍。対して幽州軍は、その三分の一以下。数の上では大敗を喫していた。
その、異民族の大軍を一人の若武者が率いた騎馬隊が真っ二つに引き裂いた。
最初は、強者を求める異民族も沸き立った。強い者はそれだけ大歓迎だったからだ。
だが、ソレが四度、五度と続けば歓迎ムードは恐怖の引き攣りに変わっていった。
当然だろう。どれ程勇ましい戦士であろうとも、勇者と称されるような者であろうとも、その若武者の前に立てば等しく馬蹄と棍棒によって轢殺され、殴殺されていったのだから。
誰も止められなかった。同時に、先頭を駆け抜けていく若武者に対して騎馬隊の士気が上がり続けた結果一種のトランス状態のようなものに陥っていた事もこの結果に拍車をかけている。
結果、異民族の大軍は散々に幽州騎馬隊に引き裂かれ、三々五々に逃げ散る事となった。
当時の事を思い出したのか、烏桓の王は首を振る。
「アレは、悪夢だ。咆雷単于が、あの暴れ馬を手なずけ、更に金棒握った折に敵対しなかった事が唯一の幸運だった」
「その悪夢を強化した一端はお前たちにもあるけどな?」
「故に、我らは抗しない。盟約は果たされる」
「私たちが生きている間は、な」
公孫賛が見やる貿易の現場。
中華内であったなら、義理と人情で相手を縛る事も出来る。
だが、異民族は違う。彼らとの繋がりは、あくまでも利害関係の一致。そして、幽州側の圧倒的な武力によって成り立っている。
その暴力装置は、もう間もなく本拠地へと帰って来る事になるのだ。
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この時代の旅というのは、基本的に徒歩となる。
馬というのは、金がかかるのだ。エサ代だけでも、旅人が一瞬で干乾びてしまう。
裏を返せば、多くの馬を持ち合わせる者はそれだけの数を養えるだけの財力を有しているという事でもある。
そして、この理論は軍隊にも当てはめる事が出来た。
「馬車の旅って、快適なのね」
「いいえ、ちぃ姉さん。多分、幽州軍が特別なんだと思いますよ」
布地の屋根が設けられた馬車に乗せられた張宝の呟きに、張梁が補足を挟む。
幽州軍に攫われる形となった張角、張宝、張梁の三姉妹は、現在布地の屋根を設けられた馬車の中で幽州への旅路を進んでいた。
馬車の中は、かなり快適だ。
対面で向かい合わせになる様に設けられた長椅子が設置されており。その椅子自体も革を張り、その中に綿を詰め毛皮などで覆う事でクッション性を確保していた。
長椅子の間には、馬車の中央線を取る様に長机が設置され中間部分で通路代わりの隙間が設けられている。
十人以上は乗れるだろうか。そんな馬車を、逞しい軍馬四頭で引っ張るのだ。
そんな幌馬車を、張三姉妹は三人だけで使わせてもらっていた。
途中、夜を迎えた事もあったがその際にも夜伽を命じられるような事も無かった。
そもそも、幽州軍の軍規は他諸侯と比べても厳しい。
略奪、虐殺は禁止。もし、投降してくるのならば武装を全て奪った上で受け入れる。
虐殺は未だしも、略奪に関しては軍に対して認めている諸侯が多い。その理由としては、兵への褒美の側面を含めているからだ。
だが、公孫賛はコレを良しとしなかった。代わりに、末端の兵に至るまで給金福利厚生の充実を行っていた。
それでも、粗野な者、荒っぽい者が多いのが軍というもの。中には、欲に目が眩んで不貞を働こうとする者も居た。
そして、それら輩はその悉く
姉が望まない。その時点で、公孫越にとって不貞を働いた輩は一切の慈悲を許す必要のない存在だったのだ。
結果として、馬鹿は死滅し、狡猾な者は学習した。
邪魔者が消えれば、後は公孫賛の手腕の見せ所。
彼女が頑張れば頑張るほどに、幽州は豊かになった。異民族からの襲撃もぱったりと止み、寧ろ彼らからの貢物によって暮らしは更に楽になる。
一括りに兵といっても、その生い立ちは様々だ。
農家の三男であったり、豪族の末っ子であったり。或いは一旗揚げようとする若者であったり。
それら家々の格に限らず恩恵を齎す公孫賛。
そして、公孫賛の金棒であり立ちはだかる障害の一切合切を叩き壊していく公孫越。
財神と武神。幽州の民の脳は良い焼き加減をもって統治されている。
「虎が出たぞぉ!!」
「虎!?」
物思いに耽っていた張角の肩が跳ねた。
中華において、百獣の王。龍と並び、権力と威厳の象徴である存在。
虎狩りは、皇帝や貴族が行う一種の儀式的な側面を持っている。宮廷行事や、或いは虎を仕留めるだけの武勇の誇示など。
一方で、民にとって虎というのは自分達を襲う害獣的な対象でもあった。
当然だろう。粗末な農具をもって2m越えの大型肉食獣に立ち向かえるはずがない。
ギュッと寄り集まった三姉妹は、幌馬車の前方部の隙間から外を窺う。
馬車の回りでは、白馬義従の中でも取り分け精鋭が配備されており、指揮を執るのは趙雲だ。
不安そうな視線を感じたのだろう、趙雲は馬車へと声を掛けた。
「ご安心を、お三方。虎ごときに後れを取る我々では御座いませんので」
彼女の言葉と同じくして、一人が虎が見つかった場所へと足を向けていた。
黒い漢服に鮮やかな赤毛を揺らした青年。
公孫越は、得物である金棒を持つ事無く素手のまま無防備に虎が居る茂みへと近付いていく。
「出て来な。こちとら、丸腰だぜ?」
呼びかける公孫越。
梢が風に揺れる音が響き、同時に風とは違う別の擦れ合い揺れる音が聞こえてくる。
茂みより現れるのは、成熟した大人の虎だった。体長は目算で3mを優に超えているだろうか。
涎を垂らし、公孫越から数メートルという所でその足を止める虎。
宛ら西部劇のガンマンの決闘。
素手の人間と腹をすかせたネコ科の猛獣。その勝敗など、本来は語るまでも無く自明の理というもの。
だが、
「…………」
動かない。
虎は警戒しているのか姿勢を低くしながらも、目の前の獲物に飛び掛かろうとしない。公孫越は公孫越で、自分からこれ以上の距離を詰めるような事もしない。
独特な緊張感が漂う中、この空気を破ったのは第三者だった。
「………ん?」
公孫越が眉を上げる。目を向けたのは、虎の背後の茂みだ。
小さく揺れて、顔を覗かせるのは三頭の子虎。
まだまだよちよち歩きの子供たちは、親であろう虎の足元にじゃれてくる始末だ。
微笑ましいとすらいえる光景に、公孫越は頭を掻いた。
そして徐に背後に向けて指示を飛ばす。
「おいっ!肉を一塊持ってこい!昨日狩った
「は……はっ!了解しました!」
兵が数名慌てて食料を纏めている荷車へと駆けていく。
それらを横目に見送って、彼は虎の前にどっかりと胡坐をかいて座り込む。
「まあ、待ってろ。どうせ、ガキ抱えて狩りするなんざ出来ないんだ。大人しくしてな」
言葉など通じないであろう相手に、しかし公孫越は静かに語った。
虎は虎で、我が子である子虎三頭を連れてこの場から逃げることは難しい事を理解している。少なくとも、
程なくして兵二人で抱えた大きな肉の塊が持って来られた。
「こいつをくれてやる。代わりに、お前は今後一切人間を襲うな。襲えば、お前たちを殺さなくちゃならない」
傍らに置かれた肉を叩いて、公孫越は真っすぐに虎の目を見返しながら告げる。
言葉は通じない。しかし、虎は唸り声を収め、牙を隠し爪を収めた。
その姿を確認して、公孫越は肉の塊を掴むと腕力で虎の目の前に投げ渡してみせた。
肉の塊に鼻を鳴らして、ジッと公孫越を見返した後、虎は肉の塊を咥えた。
そして、振り返る事無く最初に現れた時のように茂みの中へと子虎を引き連れてその姿を消した。
完全に虎の気配が消えた事を確認して、公孫越は立ち上がる。
尻を叩いて土埃を払う彼に、馬蹄が近づいてきた。
「お優しい事ですな」
「そうか?」
「ええ……誰ぞ、襲われるかもしれませんが」
「その時は、責任もって俺が殺すさ」
ジッと茂みを見つめて、公孫越は伸びをする。
「虎だろうが人間だろうが、子供には親が必要だろ?悪人だろうが何だろうが、な」
「ふふふ……戦場では、その親を悉く滅ぼしておられるというのに」
「まあな。所詮は綺麗事さ」
ヘラリと笑った公孫越は肩を竦める。
趙雲の指摘通り、所詮は綺麗事。
矛盾を抱える彼もまた、確かに人間だった。