魔法少女を守る魔人に憐れみなんて要らないよ   作:足洗

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4話 異変

 

 

『お兄ちゃん、私、魔法少女に選ばれたの』

 

『魔法。魔法が使えるんだよ。あはは、嘘みたいだね』

 

『今度はこの力で私が守る。守るよ、そう今度こそ』

 

『お父さんとお母さんの時は私、なんの力もなかったから。なにも、できなかったから……お父さんもお母さんもきっと応援してくれるよね?』

 

『きっと、私達のこと』

 

『だからお兄ちゃん。私は大丈夫だよ』

 

『知ってる? 魔法少女ってすんごい給料良いの。いひひひ。10代にして高給取りなんです、わたくし』

 

『……お兄ちゃんはずっと、ずっとずっとずっと私の為に、私の為だけに全部捧げてくれた』

 

『もう十分。もう、頑張らなくていい』

 

『今度は私の番! 私が頑張る。私が絶対』

 

『お兄ちゃんを、幸せにしてあげるから────』

 

 その言葉だけで嬉しかった。その想いだけで全てが報われた。

 父母亡き後の、妹との暮らし、あの子の将来の為に己の心血の許す限りに注いだ努力の全てが。

 救われた。そんな心地がした。

 勿論、あの子には内緒だ。こんな大仰に感動しているなんて知られた日にはまた盛大にからかわれてしまう。

 お祝いに、食事に行こう。昔、俺もお前もまだ物心つくかつかないかというくらいの昔に、家族皆で行ったレストラン。お前の好きなハンバーグを食べに。

 子供扱いするな、とお前は怒って俺を小突いた。

 魔法少女なのだから子供だろう、としたり顔で言ってやるとお前は俺の腕を引っ張って体重を掛けてぶらぶらとふざける。

 子供だ。まだまだ子供だった。それでよかった。

 いずれ大人の女性になる。なら今だけはこれでいい。いいに決まっている。

 

 ────咲弥(サクヤ)

 

 名前を呼ぶとその緑の黒髪を宙に泳がせ、あどけない笑顔がこちらを見

 

 

 助けてお兄ちゃん

 

 助けて、助けてよ

 

 助けて、痛い、痛いよ、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い

 

 死にたくない

 

 死にたくない

 

 死にたくないよ

 

 お兄ちゃん

 

 オニイチャン

 

 

 胸から下を噛み千切られてそれでも、あの子は俺に手を伸ばし、最後まで、最後まで。

 縋る瞳が、震える声が、血に沈む。

 その瞬間、鬼火が目を焼いた。

 蒼くくゆる仄暗い光。死と黄泉、生命を吸い殺す滅びの彩。

 蒼い鬼火の眼をした魔物。

 妹を喰い殺した魔物。

 魔物。

 魔物。

 魔物。

 

 

 殺してやる

 

 殺してやる

 

 殺してやる!!

 

 

 

 一息、深く鼻から吸気する。

 一瞬、冷えた空気が喉と肺を凍らせる。

 錯覚だ。冷えているのは血だ。寒々しい心胆。怖気と悪寒と憎しみが精神をひたすら不穏にする。

 

「……」

 

 今朝も目覚めは変わらない。夢見は最悪と言っていい。いつも通りに。

 マットレスから起き上がり、洗面台で身繕いを済ませ、水道でコップ一杯の水を飲む。

 始業までは間があるが足は迷いなく外へと向かう。ここは寝床と着替えと公的手続に記載する住所記録以上の意味を持たぬ空間だった。

 仕事に行こう。

 すべきことをしよう。

 今日も、それだけの為に生きている。

 それをする為に肉体を維持している。

 魔物を殺す為の生を遂行する。

 

 

 

 

 

 魔性存在対策課のオフィスへ直接向かう……そのつもりだったが、駅のロータリーに入った瞬間、足が止まる。

 背後の会社員男性が舌打ちし、その後も続々と通行人達が立ち尽くすこの障害物を迷惑そうに追い越していく。

 己は踵を返して駅前の大通りへ出た。

 通勤ラッシュはピークを過ぎた頃合いとはいえ、交差点は人波が騒めき自動車のエンジン音やバイクのエグゾーストがいかにも耳に障る。

 来るのか。こんな場所で。

 身構えている暇はなかった。

 奴らには予兆などという行儀の良いプロセスは存在しない。瞬き一つ、その間隙に、虚空には既に“穴”があった。

 瘴気が吹く。極彩色の風、玉虫色の気流である。

 流れ込む。肌身を炙り神経を焼く寒気とも熱感とも違うこの、触感。魔力質量の流入により大気が押し流され、逆巻く。

 

「なになに」

「あれ」

「穴だ」

「やば、あれって」

「あれじゃん。マモノの」

 

 どよめき、驚き、いっそ呑気な群衆の感想会が終わるのを待たず。

 魔力質量が、その名にし負う質量を、実体を成した。

 着地したと同時に、ぽふん、となにやら柔らかでコミカルな音色が響く。足下から伝った地響きの強さから言って相当な重量物である筈の対象から発する音とは思えない。それはどうやら自ら発した()()()であるらしい。

 それは、巨大なクマのぬいぐるみだった。

 おもちゃ屋か気の利いた雑貨店などに置いてありそうな茶色のテディベアは、何故かスーツにネクタイを締め片手にブリーフケースを提げている。吊り上がった両目の下には、くっきりと隈が浮いていた。

 仕事に疲れた会社員に扮したクマ……それが此度の、奴らの装いであるらしい。

 体高は10メートル強。小ぶりな筈の熊の耳が街頭ビジョンを遮っている。

 

「すげぇ」

「あれマモノ?」

「初めて見た」

「かわいい~」

 

 怪現象を前にした人々の反応は極めて平穏そのもの。

 危機意識は、まるでない。

 無理もない。彼ら彼女らの態度をして、無神経だの、平和ボケなどとどうして詰れる。魔性存在によって万単位の死傷者を出したあの大災禍より15年。たった15年だ。

 しかし、慌てふためく者はいない。怯え竦む者、恐慌し逃げ惑う者の姿もまた一人としてない。

 これこそが────現政府の死力を尽くした情報戦略により操作・醸成された民衆の社会認識だ。

 

『ぐまぁ!』

 

 熊が咆哮する。

 間の抜けた声。よたよたと覚束ない足取り。

 観客から失笑が湧いた。なるほど確かに、あの魔物の造形(デザイン)は滑稽である。子供向けのキャラクターグッズにでもありそうな。

 ……しかし、彼ら彼女らは一瞬でも想像したのだろうか。体高10メートルを超える巨体から概算される重量と、その自重を支え得る強度と膂力が周囲に振るわれた時、一体どのような被害が出るのかを。

 どうする。

 隊から招集ないし出動の指令がない以上あれは自分の殲滅対象である“カテゴリーA相当”に当たらぬ弱性個体ということ。魔力質量の検知器を用いずとも、己が感覚器もまたそれを裏付けている。

 出る幕ではない。

 あらゆる意味合いでも、この場で俺が出しゃばることはできない。

 

「……」

 

 逡巡する間に来てくれた。粗忽者なりの安堵を噛む。

 道路の電工標識が『魔物発生中!』に切り替わる。そうして、通りの向こうから、街路の角から、地下道から、赤色灯を点した無人緊急警察車両である地上走行ドローン達が整然と列を成して現れた。

 

『只今より魔物の駆除が行われます。危ないですから、ドローンの案内に従ってお下がりください。繰り返します』

 

 ドローン達はプログラムされた完璧な挙動で円陣を組んで野次馬を遠ざけていく。瞬く間に、魔物を中心として半径50メートルは完璧な空白となった。

 観客が動揺せず、スムーズに、従順に誘導に従ったお陰だ。それは彼ら彼女らにとって当然のこと。何故ならこの場に居合わせた誰も彼もそれを期待している。待望のショーを。その進行を妨げようと思う者などここには一人としていない。

 それは来た。

 世界の救世主。本物の偶像。

 

「見ろ!」

「上!」

「やばいやばい!」

「魔法少女!?」

「知ってる!」

「ウソ!? マジ本物!?」

「“トリステラ”だ!!」

 

 青、赤、緑、三条の輝彩が空から舞い降りた。

 魔法少女ユニット『トリステラ』の少女達である。

 

「フィールド」

 

 青い装束を纏った少女の呟きが虚空を走って己の耳に届く。

 魔力質量の増大と共に、地上に半球形の光の障壁が展開した。まさしくそれは巨大な円形闘技場(フィールド)。あらゆる破壊的現象を一分も漏らさず内部に封じ込めて一般市民を危険から遠ざける魔法少女固有の絶対守護魔法……そう喧伝されている。

 現実には、この観衆向け安全確保領域が阻止できるのはカテゴリーD相当の魔力質量まで。それを上回る()()攻撃をぶつけられた場合、防壁は保たない。

 

「クマ害、遂に都会にまで下りて来たか。猟友会さんに代わって討伐してやんよ」

「もしかして、熊害(ゆうがい)って言いたかったり? それもちょっと違うと思いますけど」

 

 赤い装束の少女が大剣を肩に担いで凄む。

 その語気をややからかうように緑の装束の少女が弓を両手に提げて小首を傾げた。

 観客が笑う。ひどく和やかな空気。ファンにとって彼女らのこういった遣り取りはきっとお馴染みのものなのだろう。

 その時、緩慢だった巨大テディベアが突如として暴れ出す。

 魔法少女の魔力に反応したのだ。

 両腕、とりわけ右手のブリーフケースが振るわれ、数平方メートル近い面積で大気が薙ぎ払われる。防壁がなければその強風で看板や街路樹程度吹き払ってしまっていただろう。

 赤と緑、少女らは機敏な身のこなしで危なげなく攻撃を飛び避けた。

 回避するのみに留まらぬ。彼女らは空中を翔け抜け様に攻勢に転じている。

 

「トロいぜ、クマ野郎」

「足許がお留守ですよ」

 

 赤い少女は大剣を下段から軽々と一閃し、テディベアの右腕を切断した。

 緑の少女は目にも止まらぬ(つが)えにて一息に四射、テディベアの両膝を射貫いた。

 そして────青い鋭鋒が奔った。

 

「……」

 

 青、深く鮮烈な、藍にも近しい色彩が。

 槍だ。

 少女の身の丈など優に超える。その身長の倍近い長槍を両手に確と握り腰溜めに構え、奔る、翔ける。遊びなく余剰なく容赦なく、彼女は進突した。自身こそが槍の矛たらんと示すが如く。

 速度、圧倒的な速度。

 実行された超高速を余すことなく一点に収束した恐るべき貫徹力が、今。

 魔物の顔面を捉え────消し飛ばす。

 断末魔さえ許さなかった。

 その刹那、観衆の誰一人、一声も発する者はいなかった。できなかったのだ。

 乾坤一擲。一撃必殺。

 見事。見事としか言いようのない決着。

 

 歓声が沸き起こった。

 救世主、魔法少女の可憐な戦いに観衆全員が魅了されていた。

 美しいのだ。頼もしいのだ。

 彼女らは人々の希望なのだ。

 

「アリスちゃんかっこいいぃぃ!!」

「マコト様ー! こっち向いて! あ、あ、目が合った! 今! 絶対!」

「りうちゅぁあああん!! 結婚してくれぇぇええええええ!!」

 

「やだよバーカ!!」

 

 ここはもはや闘争の場ではない。熱心なファンとアイドルが交流する空間、現実の世界、ありふれた、平和で真っ当な場所になった。

 俺はまた、一人筋違いな安堵を噛み……。

 

「…………」

 

 人々が諸手を上げてこの空間の主役を賛美する中で、全ての視線が空中に佇む美麗な少女達に注がれている只中で。

 倒れ伏したテディベアの成れの果てを見据える。

 右腕を失い、両膝を矢で折られ、頭部すら喪失した残骸を。

 未だ消滅しない、骸……馬鹿な。魔物は生物ではない。少なくとも地球上の正常な生物とは根本的に異なる存在。魔性。化物。

 ぴくり、ぴくりとその巨大なるモノは。

 

(まだ動く)

 

 そして己が感覚器は宿主にそれを報せた。ありえぬ筈の、その異変を。

 

(魔力質量増大……カテゴリーDを、超える……!?)

 

 ありえない。そんな実例は存在しない。現実世界に侵入した段階で魔物はその性質を固定化されるという。魔力質量は増減せず、カテゴリーが下落することもないが上昇することもない。増殖型と呼ばれる個体でさえあくまで同質同量の分身を増やすだけだ。

 魔物は成長しない。進化などできない。それが通説。15年間そうだった。そうだったと……記録されている、だけ。

 市民向け安全確保領域の魔力耐久限界はカテゴリーD。

 それ以上に成れば、防げない。

 

「────」

 

 確信した瞬間に肉体は動いていた。驚愕を置き捨てて、心を無視して、御霊と骨に刻まれた至上命題を遂行する。

 2%、いや1%で事足りる。右手掌限定の変異、極小の“魔人化”。

 だが見られてはならぬ。動作、己の行動の意味をこの場の誰にも覚られてはならぬ。露見すれば混乱は必定。全て密やかに済ませてしまおう。

 人混みに紛れ、人々の喧騒を隠れ蓑に、人間の知覚速度よりも速く動けばいい。

 容易なこと。この、おぞましき、肉体の性能あらば。

 右の掌の骨が軋み、肉がずれる。

 魔物を滅ぼす“容”に変わる。

 

 手刀。空間を一刺しに。

 

 打つ────

 

「……」

 

 魔力防壁は軽度な損傷ならば自動修復される。

 指先一本分程度の穴が空いたところで誰も気付きはしない。

 テディベアの残骸は、今度こそ塵となって空間に溶けていった。

 今度こそ俺は人波を掻き分けてその場を後にする。

 

 功労者達への賞賛の嵐はいつまでも鳴り止まなかった。

 それが少し、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「アリスー? どうしたんだよ」

「りうちゃんがまた何かやっちゃいましたか?」

「なんでだよ。やってねぇよ、なんも……やってねぇよな?」

 

 消滅を始めたクマの成り損ないを見下ろして、寄り集まった群衆に目を凝らす。

 微かな違和感。しかしそれは確かめる前に霧散してしまった。

 何か、今まで感じたことのないもの。それこそ、暗闇の中、突然鼻先に槍の穂先を突き付けられるような……恐るべき戦慄に似た、何か。

 

「気の所為、か……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

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