【完結】転生って人の心とかないんか?―有象無象のヒーローごっこ、三歩下がってついといで。   作:まだら模様

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本日も無事に投稿!
いよいよ職場体験編に入ります!
ドブカスの描き方に四苦八苦してます…キャラブレがあるかもしれません
とりあえず供養とさせていただきます。
ステインと直哉、どうなりますかね…


職業体験編
第12話:職場体験編 「翼の下で」


 

体育祭から数日後。

 

ホームルームで、ヒーロー名の発表があった。

 

担当はミッドナイト先生だ。「ヒーロー名はブランディングの第一歩! 自分の個性と魅力を込めた最高の名前をつけましょう!」という説明を、直哉は聞いていなかった。窓の外の空を眺めながら、頬杖をついていた。

 

(……お遊戯会でもするん?)

 

教室では、すでに各自が紙にペンを走らせ始めていた。緑谷出久は唸りながら何枚も書き直している。上鳴電気は「カミナリジェット! どう? どう?」と切島に見せて「ちょっと軽くない?」と言われている。

 

(必死に可愛い名前考えて……ほんま、よう飽きんな)

 

直哉は小声でひとりごちた。

 

ヒーロー名なんて、記号だ。呼ばれる側が何者かを示すための符丁に過ぎない。そこに「夢」や「信念」を込めようと躍起になっている連中の顔を眺めていると、なんとも言えない気分になる。気分というより、感覚に近い。腐った水の匂いを嗅いだときの、あの感じ。

 

(弱者が自分を大きく見せるためのハリボテや、ヒーロー名なんて)

 

紙を手に取り、筆ペンで迷いなく一列書く。

それが、直哉の答えだった。

 

 

発表の順番が来た。

 

呼ばれると、直哉は立ち上がり、教室前方のホワイトボードへ歩いた。

マーカーを手に取る。

 

書いた文字を見て、ミッドナイトが困惑した顔をした。クラスメートたちが、一瞬静まった。

ホワイトボードには、大きく達筆で、こう書いてあった。

 

『直哉(ナオヤ)』

 

「……え、本名?」

 

ミッドナイトがおそるおそる確認した。

 

「ヒーロー名でも芸名でもなく、本名そのまま……?」

 

「そうですよ」

 

直哉は振り返り、マーカーをカウンターに置いた。

 

「もう少しヒーローらしいコードネームは考えなかったの? あなた、個性も顔立ちも申し分ないんだから、もっとキャッチーな――」

 

「ミッドナイト先生」

 

直哉は先生の言葉を、静かに遮った。

 

柔らかな口調だった。京言葉の抑揚が、かえって教室の空気を薄くした。

 

「ヒーロー名っていうんは、記号でしょう。誰かに呼ばれるための符丁。それ以上でも以下でもない。……俺が俺であること以上に、価値のある名前なんて、この世に存在せえへん」

 

「そ、それはまぁ……一理あるけど……」

 

「俺が通った後に残るのは、俺の名前だけでええ。余計な飾りなんて、弱者が自分を大きく見せるためのハリボテや。俺には要らん」

 

教室が、しん、と静まった。

 

切島が口をぽかんと開けている。飯田が眉を寄せている。緑谷が何か言いたそうに手をもぞもぞ動かしている。

 

ミッドナイトがもう一度口を開こうとした瞬間。

 

「そもそも」

 

直哉は続けた。

 

「俺は、君らの言う『ヒーロー』になりたいわけやない」

 

「……え?」

 

「俺は、俺が最強であることを証明しに来ただけや」

 

ミッドナイトが、言葉を失った。

 

「名前が気に入らんのやったら、俺より速く動いてから言うてください」

 

それだけ言って、直哉は席に戻った。

 

廊下を歩く足音のような沈黙が、教室に満ちた。

 

 

沈黙が解けたのは、上鳴が「……すご……」と呟いたことで、それがきっかけで緑谷が「い、いや、でもコンセプトとして本名というのも一つの選択肢で……」と早口で補足し始め、ようやく教室の温度が少し戻ってきたからだ。

 

直哉は頬杖に戻った。

 

(次)

 

爆豪勝己の番が来た。

 

ホワイトボードに書かれたのは「爆殺王(仮)」。

 

直哉は斜め前の背中を一瞥して、視線を窓の外に戻した。

 

(……派手なだけで品がないねぇ)

 

内心でつぶやく。コメントする価値もない、と思ったが。

 

「……中学生の落書きかなんか、それ」

 

声が出た。

 

無意識だった。ほとんど独り言の音量だったが、静かな教室には届いたらしく、爆豪が振り返った。

 

「あ? なんか言ったかコラ、ドブカス野郎」

 

「なんも言ってへんやろ。早う座りぃ」

 

「んだとテメ――」

 

「爆豪くん! 発表中は席に!」

 

ミッドナイトに制止されて、爆豪は舌打ちして着席した。直哉は何も変わらない顔で外を向いていた。

 

(……あの個性と戦闘センスで、あの名前か。もったいないやら何やら)

 

次に、緑谷出久の番が来た。

 

黒板に書かれたのは「デク」。

 

由来を聞いて、直哉は一拍置いた。

 

(……デク、か)

 

「ハ」

 

笑いというより、音が出た。

 

「お似合いやん」

 

「へ?」

 

緑谷が振り返る。その顔が「なんで笑われてるんだろう」という混乱で満ちているのを見て、直哉はわずかに目を細めた。

 

「一生、木偶人形みたいに誰かに操られてな」

 

静かな声だった。毒を込めていない。それがかえって、刃のように教室に落ちた。

 

緑谷の顔が、微妙に歪んだ。傷ついた、というより、何か言い返したいのに言葉が出ない、という顔だった。

 

「……デクって名前には、僕は意味を込めてるんです」

 

「知っとるよ」

 

直哉はあっさりと答えた。

 

「だから言ったんやろ。意味を込めた名前は、その意味を体現できんかった時に一番惨めや。……木偶人形にならんよう、頑張りや」

 

それ以上は何も言わなかった。

 

緑谷が「……うん」と小さく答えたのを、直哉は聞いていなかった。もう外を向いていた。

 

 

発表が終わりに近づいた頃、ミッドナイトが一度全体を見渡してから、こう言った。

 

「禪院くんのコードネーム、本名のままっていうのは……まぁ、前例がないわけじゃないし、受理はしますけど。あなた、将来プロになったとき、ファンへの親しみやすさという点で――」

 

「先生」

 

直哉が再び、穏やかに遮った。

 

「俺に親しむのは百年早いです」

 

ミッドナイトが目を丸くした。

 

「それ……ファンへの発言としてはちょっと……」

 

「ファンがほしいわけやないので」

 

「……じゃあ何が欲しいの?」

 

「強さだけです」

 

教室がまた静まった。

 

ミッドナイトは何か言いかけて、やめた。苦笑いに似た表情で「……まぁ、受理します」とだけ言った。

 

直哉は頷いた。

 

(この先生、服の話はせんとこ)

 

脳裏に浮かんだ言葉を、今日は飲み込んだ。言って得することが何もない。

 

別に、抑制したわけではない。

 

ただ、口に出す価値がなかっただけだ。

 

 

体育祭が終わった翌週。

 

雄英高校一年Aクラスの教室に、職場体験の案内書きが配られた。

 

「うわーっ、俺、ファットガムのとこから来た……!」

 

「エンデヴァーって繋がりあんじゃん!お前ズルくね!?」

 

「私はミルコさんから指名きて欲しかったんだけど……てゆかミルコさんって指名する人なのかな……」

 

がやがやと騒ぎ立てる有象無象どもの声が、直哉の耳にはただの雑音として届いていた。

 

(……ほんま、騒がしいなぁ)

 

窓際の席で頬杖をついたまま、禪院直哉は配られた書類を一瞥した。その端整な横顔に、何ら感情の色はない。眺めているのは指名の件数ではなく、窓の外の空だ。気怠げに伸ばした足先が机の脚を軽く蹴る。

 

指名件数は――体育祭の成績に鑑みれば、優勝した直哉にそれなりの数が来るはずだった。実際、封筒に目を通せば、幾つかの事務所名が並んでいる。

 

しかし、多くはない。

 

原作知識があるから当然だとは思う。体育祭の決勝で直哉がやらかしたことを、各事務所のスカウト担当が「危険因子」と見做したのも理解できる。だが。

 

(「性格に難あり」か。……ほんまにその通りやな)

 

内心で自嘲に似た何かが過ぎったが、それは一秒も持たなかった。自分を省みる習慣は、禪院直哉という人間にはそもそも備わっていない。

 

問題は、その数少ない指名の中に、二つの名前があったことだ。

 

ひとつは、「ミルコ」。

 

もうひとつは、「ホークス」。

 

(……なるほどな)

 

直哉は静かに書類を閉じた。それ以上、教室の誰とも話すつもりはなかった。

 

指名? んなもん、俺が選ぶんや。俺を使いこなせるヒーローなんて、この世におらんやろ。

 

そう思いながら、ゆっくりとまぶたを閉じる。放課後まで、ここは仮眠の時間でいい。

 

 

放課後の廊下で、飯田天哉が几帳面な顔つきで追いかけてきた。

 

「禪院くん!職場体験の希望提出は明後日が締め切りだが、方針は決まったか? 緑谷くんたちもまだ迷っているようだったが――」

 

「決まってるやん」

 

振り返りもせず、直哉は答えた。

 

「ホークス事務所に行くわ」

 

「……ホークス!? おお、あの若くしてトップ3位の……」

 

飯田が勝手に感嘆しているあいだに、直哉はもう角を曲がっていた。

 

 

希望を出した翌々日。

 

担任の相澤が短く「受理された」と言った。それだけだ。

 

「早っ」

 

「ホークスって確か福岡が拠点だよな……新幹線で行くのかな……」

 

「でも禪院のこと受け入れるって、勇気あるよねホークス事務所……」

 

最後の声は上鳴電気が囁いたもので、聞いていた切島鋭児郎が慌てて口を塞いでいた。

 

直哉の耳はよく聞こえていたが、振り返らなかった。振り返る意味がない。

 

(雑魚の罪は、強さを知らんことや)

 

 

職場体験当日、朝七時の静岡駅。

 

プラットフォームに立った直哉は、乗車案内のアナウンスを聞きながら、スマートフォンの画面を眺めていた。ヒーロービルボード・チャート最新版。3位の名前を確認して、画面をポケットにしまう。

 

新幹線「のぞみ」の指定席に座り、窓側に肘をついた。

 

隣席には誰もいない。

 

向かいの座席には、中年のサラリーマンが書類を広げている。直哉は一瞥した。投射呪法で一秒間の軌跡を読む癖が、習慣になっていた。手の動き、視線の揺れ、ボールペンを持つ角度――どれも「普通の人間」の範疇。呪力の欠片もない、ただの一般人だ。

 

(世界中のほぼ全員が、こういう人らなんやな)

 

溜め息が出た。退屈という感情ではなく、もっと根深い何か。

 

前世の記憶の中に、禪院甚爾がいる。

 

呼吸するように人を殺せる男。天与呪縛によって呪力ゼロの肉体を手に入れた代わりに、人間の域を超えた肉体能力を持つ「逆算の化物」。あの男が鍛え上げた身体を見た時、幼少期の直哉が感じたのは恐怖ではなく、飢えだった。

 

あっち側に立つんは、俺や。

 

その思いだけが、直哉を動かし続けている。

 

だが、今の自分はどうだ。

 

体育祭で使えた技術は、投射呪法による軌跡読み、接触型の呪力集中、足裏呪力展開のみ。いずれも粗削りで、連続使用には課題が残る。黒閃はまだ遠い。領域展開なんて、影も形もない。

 

(……焦ってもしゃあないか)

 

新幹線が加速する。東京の街並みが後ろへ流れていく。

 

直哉はイヤフォンを耳に差し込んだ。音楽は流さない。ただ、外部の雑音を遮断するための措置だ。瞼を閉じ、呪力の流れを体内で確認する。手先から足先まで、ゆっくりと循環させる。これも鍛錬のひとつだ。

 

新幹線は、南へ走る。

 

 

博多駅に着いたのは昼前だった。

 

改札を抜けると、背の高い男がスマートフォンを持って立っていた。年齢は二十代後半といったところ。ホークス事務所のサイドキックだと、直哉はすぐに分かった。

 

「あー! 禪院直哉くんやろ? お疲れやったー! 俺、ホークス事務所のサイドキックで、矢久保っちゅうもんよ。今日一日、よろしくね!」

 

はきはきとした九州弁で、矢久保は笑顔で手を差し出した。

 

直哉はその手を見て、一拍置いてから握手した。

 

「……禪院です。よろしゅう」

 

(この人、それなりには鍛えとるな)

 

握手の感触から、筋肉の質と骨格を読む。サイドキックとして現場に出ている人間の手だ。有象無象よりはマシ、という程度の評価が、直哉の中で静かに下された。

 

「いやー、体育祭の映像見たよ! めちゃくちゃやったねー! 速かったし、あの機動力、個性? あれ何なん?」

 

「投射強化、です。身体増強系の個性と思ってもらえれば。」

 

「おー! なるほどなー! なんか俊敏に動いていたような感じよなー! ホークスが指名したのも分かる気がするわー」

 

矢久保は事務所への道すがら、陽気に喋り続けた。

 

直哉は相槌を最低限に返しながら、街の構造を目に焼き付けていた。東京より空が広い。建物の圧迫感が薄い。風の通りが違う。

 

(……翼のある個性には、こういう土地が向いてるな)

 

合理的だと思った。ホークスが九州を拠点にするのは、単に出身地というだけでなく、個性の運用を最大化する環境選択でもある。

 

(この人は、馬鹿やない)

 

 

ホークス事務所に到着したのは、昼過ぎだった。

 

建物は思ったより小規模だが、機能的に作られている。無駄な装飾がない。入口に並ぶ羽根型のモチーフだけが、「ここがホークス事務所だ」という唯一の主張だ。

 

ロビーに入ると、数人のスタッフが一瞥し、また各々の作業へ戻っていった。直哉への興味はおおよそ三秒で尽きたらしい。

 

それでいい。興味を持たれる方が面倒くさい。

 

「今日のホークスはちょっと外せん案件があってさー、午前中は不在やったんよ。昼過ぎには戻るっち言うてたけど……ま、それまでの間に事務所の説明するね」

 

矢久保はそう言って、直哉を奥の部屋へ連れて行った。

 

「職場体験っちゅうてもね、正直一日じゃ現場は難しいから。今日は事務作業の流れと、事後処理の手順を覚えてもらえたらそれでいいかな。実際に手を動かしてもらうよ」

 

「……事務作業」

 

直哉は声の平坦さを保ちながら、内心でため息をついた。

 

(事務。……まぁ、ええか。どうせ半日や)

 

矢久保は説明を始めた。

 

「ヒーロー事務所の事後処理いうのはさ、大体こういう流れになっとるよ。まず、現場報告書の作成。事件の概要、対応ヒーロー名、使用した個性の記録。次に、被害状況のまとめ。建物や物品への損壊があった場合は、写真と共に保険会社へ提出する書類も別途必要やけん。それから、一般人への対応記録。現場で負傷者が出た場合は医療機関との連絡も含まれる。――分かる?」

 

「分かります」

 

「あとさ、ヒーローランキングが定期的に更新されるやろ? あれ、実は活動件数と解決率と市民評価の三軸で計算されとるんよ。うちはホークスやけん、一件あたりのスピードと解決率が特に重要でさ。書類の正確さと提出タイミングも評価に影響するんよね」

 

直哉は黙って聞いていた。

 

聞きながら、同時に考えていた。

 

(解決率とスピードの評価。……なるほど、あの人の戦い方は、ランキング維持のためにも最適化されとるわけか)

 

ホークスの戦闘スタイルを原作で見ていた。無数の羽根を使った「先読み」と「速度」による制圧。無用な消耗をしない、徹底した合理主義。

 

(雑魚の罪は、強さを知らんことや――)

 

自然と、その言葉が頭に浮かぶ。

 

甚爾君と同じにはならんけど、この人も「格」がある側や。

 

認めるのは、悔しいことではない。「あっち側」にいる人間を認識することは、直哉にとって当然の話だ。

 

ただ。

 

(俺がこの書類を処理しなあかん理由は、ゼロやな)

 

そう思いながら、差し出された書類をデスクの上に並べた。

 

 

矢久保が説明した内容を踏まえ、直哉は現場報告書の記入を始めた。

 

前日に発生した軽微な事件の書類だ。不法侵入犯一名、個性「硬化」持ちの男が建物に立て籠もったが、ホークスが八分以内に制圧・確保。被害は窓ガラス一枚の破損のみ。

 

「この被害額の算定、どないするんですか」

 

「あー、市の補修費用の標準単価表があるけん、それと照らし合わせてね」

 

矢久保がバインダーを渡してくる。直哉はそれを受け取り、表を確認した。

 

(……細かい)

 

ガラスの種類によって補修費用が三段階に分かれており、かつ場所(商業地域か住宅地域か)によって係数が変わる。該当箇所を探し、数値を記入する。

 

「で、この『対応ヒーロー名』欄はホークスの本名を書くんですか?」

 

「いや! 活動名で書いてね。本名は別の書類。というか、そっちは俺が書くから気にせんでいいよ」

 

「なるほど」

 

機械的に手を動かす。書き慣れない形式だが、構造自体は単純だ。情報を整理して、定められた欄に埋めていくだけ。パズルに近い。

 

直哉はこういう作業が嫌いではない。感情が介入しない分、かえって楽だ。

 

「早いねー! そこ一番みんな詰まるとこやのに」

 

「……そうですか」

 

褒められても特に何も感じない。これは「普通の作業」に過ぎない。

 

三十分ほどで一件分の書類を仕上げると、矢久保が別のファイルを持ってきた。

 

「次はこっち。これ、市民からの苦情対応の記録ね。うちは件数少ない方やけど、対応した内容を記録せなあかんから」

 

苦情の内容を眺める。「現場で個性を使ったせいで商品が落ちた」「爆風で植木鉢が割れた」「ヒーローが走り去った後に羽根が残って掃除が大変だった」。

 

(……羽根の後始末か)

 

直哉は静かに書類へ目線を落とした。

 

ホークスの羽根は遠隔操作可能な強靭な羽根であり、現場で使用した後は基本的に本人が回収するが、完全に回収しきれないケースもある。その場合の対応として、「市民への謝罪連絡と補償対応の記録」が必要になる。

 

(……これを毎回やっとるんか)

 

なんとなく、考え込んだ。

 

ヒーローは「戦う」だけでなく、その後始末まで含めて仕事だ。その後始末の書類を処理するスタッフがいて、スタッフを管理するサイドキックがいる。ホークスが「速さ」で現場を片付けている裏で、大量の事務仕事が積み上がっている。

 

(非効率やな)

 

と思う反面。

 

(でも、この積み上げがなければ、あの人の「速さ」も維持できん)

 

矛盾するようで、矛盾していない話だ。

 

「禪院くん、地元では有名な家系やっけ?」

 

矢久保がふいに言った。

 

「……静岡の方ではわりと名家と呼ばれとります。」

 

「九州でも禪院家を知ってる人はわりとおるよ。昔はこっちの有力名家と交流があったらしいけど、今はあまりないなぁ。でも禪院くんの家系っちゅうのは、最近少しずつ体育祭のおかげでより知られてきとるけんね」

 

「知ってます」

 

短く答えて、直哉は書類に戻った。

 

余計な話は要らない。

 

 

午後二時を過ぎたころ。

 

ドアが開いた。

 

軽い音だったのに、直哉の感覚はそこに「重さ」を感じた。

 

「ただいまーっ、お待たせお待たせ、もう昼飯どこかで食った?」

 

ホークス――鷹見啓吾が事務所に入ってきた。

 

直哉は書類から目を上げた。

 

原作知識として知っていた。テレビでも見ていた。体育祭の観客席に来ていたことも分かっていた。

だが。

 

(……なるほど)

 

生で見ると、違う。

 

背は高くない。笑顔は軽薄そうに見える。だが、廊下を歩いてきた足音のリズム、室内に入った瞬間の視線の動かし方、スタッフへの挨拶の素早さ。全部が「研ぎ澄まされている」。

 

無駄がない。というより、「無駄をなくすことを無意識に選択している人間」の動きだ。

 

(……速い)

 

ホークスは直哉を見つけると、すぐに笑顔を向けた。

 

「禪院くん! 待たせてごめんね、案件が長引いちゃって。矢久保くん、ちゃんとお世話した?」

 

「まぁそれなりに」

 

矢久保が肩をすくめる。

 

「書類仕上げてもらったよ。早かったよ」

 

「へえ」

 

ホークスが直哉の書類を手に取り、さっと目を通す。その速度は異常だ。直哉が三十分かけた書類を、十秒で確認している。

 

「うん、問題ない。矢久保くんより丁寧かも」

 

「それはさすがに言い過ぎっしょ」

 

「褒めてんだよ」

 

ホークスが直哉の方を向いた。

 

「改めて、ホークスです。体育祭、見たよ」

 

「……禪院直哉です」

 

「個性、投射強化だっけ。あの動きは面白かった。身体増強系の個性って、みんなパワフルで……まぁいいや、後で聞くわ。とりあえず、今日の午後の現場に一緒に来てもらっていい? 観戦だけでいいから」

 

「構いません」

 

「よし。じゃあ五分で準備して」

 

「……今すぐですか」

 

「速さが命なんで」

 

そう言ってホークスは笑い、一分も経たずに装備を整えて出てきた。

 

(……速い。こいつ、ほんまに速い)

 

直哉は立ち上がり、ジャケットを手に取った。

 

 

福岡市内のとある通り。

 

個性「拡大」を持つ少年が、感情的になって近くの自動販売機を肥大化させ、道路を塞いでいるという通報だった。

 

ホークスは直哉を連れて屋根に降り立ち、状況を俯瞰した。

 

「あー、これは軽いやつ。三分で終わる」

 

「……三分」

 

「場合によっては二分」

 

直哉は眼下の光景を見た。大きくなった自動販売機(元の三倍ほど)が道路のど真ん中に鎮座し、周囲に野次馬が集まっている。警察が規制線を張っているが、少年はまだ自販機のそばで泣きながら喚いている。

 

「個性使える?」

 

ホークスがさらりと聞いた。

 

「……今日は観戦だけやないんですか」

 

「状況見てから変えてもいい?」

 

直哉は少年を見た。年齢は中学生くらい。呪力はゼロ。個性によって状況を作り出したが、本人に悪意はない。誰かに怒鳴られたか、学校でのトラブルか、そういう類だ。

 

(関係ない)

 

直哉の中で判断が下った。

 

「観戦だけでいいです。俺が手出しすべき案件やない」

 

「了解了解」

 

ホークスは軽く笑って、屋根から飛び降りた。

 

その後の動きは、直哉がどれだけ投射呪法で追いかけようとしても、「想定軌道」と「実際の動き」がわずかにずれ続けた。

 

(……なんや、これ)

 

羽根が飛ぶ。少年の手首を優しく、しかし確実に押さえる。自販機が少年の集中から外れ、元のサイズに戻る。野次馬に向けて一言声をかけ、笑顔を作り、警官へ簡単に引き渡す。

二分四十秒。

 

(投射呪法で、軌跡が読めへんかった)

 

それが直哉には、予想外だった。

 

直哉の投射呪法は「直前の物理挙動パターン」から次の一秒を予測する。機械は完璧に読める。人間も、動きの癖があれば読める。だが、ホークスの羽根は「一秒の中に複数の変化点」を内包している。羽根が独立して動く。しかも、ホークス本人の動きとリンクしながら、かつ独立して。

 

(……あれを読むには、もっと精度がいる。今の俺じゃ無理や)

 

悔しい、という感情は出てこない。ただ冷静に、自分の現在地を測る。

 

ホークスが屋根に戻ってきた。

 

「どう?」

 

「……速かったですね」

 

「褒め言葉として受け取っとく。禪院くんは、あの羽根の動き、追えた?」

 

「途中から外れました」

 

「へー、途中まで追えたんだ。結構すごいよそれ」

 

直哉は何も言わなかった。

 

「すごい」という評価を他人からもらうことに、直哉は価値を感じない。それは「あっち側にいない人間からの、あっち側にいない人間への言葉」に過ぎない。

 

しかし。

 

(この人の速さは比較的あっち側の方やな)

 

その事実は、静かに刻まれた。

 

 

事務所に戻り、残りの書類を仕上げた。

 

ホークスはその間、自分の書類と直哉の作業を並行して進めていた。喋りながら作業するタイプで、矢久保と短い会話を挟みながらも、手は止まらない。

 

「書類ってさ、本音は嫌いなんだよね」

 

ホークスが突然言った。

 

「……そうですか」

 

「でも、これがないと仕事できない。後処理を疎かにすると、市民への信頼が落ちる。信頼がなければ俺たちは動けない」

 

直哉は書類の手を止めずに答えた。

 

「……構造は分かります」

 

「分かってる顔してたよ、今日。そういうの、ちゃんと見えてる子って少ないんだよね。みんな『現場に出たい』しか言わない」

 

「現場も大事ですが」

 

「そうそう、バランスや」

 

ホークスは「バランスや」とわざと関西弁を真似て笑った。

 

直哉は反応しなかった。

 

(……この人、人の扱いが上手いな)

 

それは、褒め言葉でも貶し言葉でもない。純粋な観察だ。ホークスは、相手を動かすのが巧い。距離の詰め方、話題の選び方、笑いの使い方。全部が計算されているのか、天然なのか、境界線が見えない。

 

(どっちにしても、やりにくい種類の人間や)

 

「今日はお疲れ様でした」

 

矢久保が声をかけてきた。

 

「明日は?」

 

直哉が尋ねると、矢久保が笑顔で答えた。

 

「今日と同じような感じやけど、もうちょっと違う案件が入るかもね。ホークスが直接つれていくって言っとったよ」

 

「そうですか」

 

「宿泊は市内のホテルやけど、不便なことあったら遠慮なく連絡してね。九州弁分からんことあったら聞いてね」

 

「……方言で困ることはないです」

 

「あー、そっかそっか! じゃあよかった!」

 

矢久保はそう言って、陽気に手を振った。

 

直哉は軽く頭を下げ、事務所のドアを出た。

福岡の夕暮れが、東京とは少し色が違う気がした。

 

(……明日か)

 

空を仰ぎながら、直哉は歩き出した。

 

ホークスの羽根の軌跡が、まだ頭の中で再生されていた。あの一瞬、投射呪法が「外れた」感覚。自分の術式の限界点を、今日初めて明確に認識した。

 

(一秒の精度を上げる。それだけや)

 

感傷も焦りもなく、ただ冷静に次の鍛錬課題を据える。

 

繁華街の灯りが、少しずつ増えていく。

 

背広姿のサラリーマンたちが、疲れた顔で電車の方へ歩いていく。学生が笑いながらすれ違う。どこかの居酒屋から、酔っ払いの声が聞こえる。

 

(……有象無象やな。全員)

 

そう思いながら、直哉は夕闇の中を静かに歩き続けた。

 

空の向こうで、ホークスはまだ飛んでいるかもしれない。

 

(雑魚の罪は、強さを知らんこと――)

 

あっち側に立つまで、俺はまだここにいる。

 

それだけが、禪院直哉という人間を動かす、唯一の燃料だった。

 

 

 

 

 

 

 




「なんでホークスなん? って? ……当たり前やん、あの中やったら一番『マシ』な顔しとったからや。不細工なプロの横歩くの、僕の美学に反するねん」

はい、直哉節全開ですが、行き先はホークスです。
自由人な鳥男と、選民思想の塊な直哉。果たして職場体験になるのか、それともただの口喧嘩になるのか……。

続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひ評価や感想をお願いします。
読者の皆さんの応援が、直哉の「投射呪法」をさらに加速させます!

※時系列的に飯田くんは兄の負傷で落ち込んでるとも考えられますが、私の場合はあえていつものように振る舞うことで平成を保とうとしている。という解釈です。
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