【完結】転生って人の心とかないんか?―有象無象のヒーローごっこ、三歩下がってついといで。 作:まだら模様
「ワン・フォー・オール」という宿命を背負い、仲間を巻き込まないために独り戦場へ戻る決断をしたデク。
残されたクラスメイトたちが動揺と無力感に包まれる中、直哉だけは夜明けの空気からその「不在」を察知します。
冷徹なリアリストとして、デクの決断をどう受け止めるのか。
そして、闇に消えていこうとするデクとオールマイトの前に、直哉が姿を現します。
「黒デク」編の幕開けとなる、静かな、けれど決定的な夜の対話が始まります。
キャラの語彙などの崩壊、ストーリー崩壊などの可能性がございます。
ご注意ください。
評価付与や感想は直哉の投射呪法に磨きがかかり、あっち側への渇望をより強くします!
第40話:黒デク編「孤立の始まり」
直哉が目を覚ましたのは、夜明け前だった。
理由は分からない。ただ、意識が唐突に、鋭く覚醒した。
部屋の外は、死んだように静まり返っている。寮の廊下に人の気配はない。窓の外は重苦しい闇が支配し、空の端だけが、まるで血の気が引いたように薄く白んでいた。
直哉はしばらく、無機質な天井を見つめていた。
(……何かあるわ)
説明のつかない違和感だった。空写を広げるまでもなく、肌に触れる空気の質が変質している。戦場の前夜、あるいは決定的な破綻が訪れる朝。そういう時、空気の「密度」はいつも歪んで感じられる。それは、前世から染み付いた呪術師としての忌まわしい嗅覚だった。
直哉は音もなく起き上がり、枕元の扇子を手に取った。
ゆっくりと、水面に波紋を広げるように「空写」を常駐展開する。
廊下——誰もいない。
一階——誰もいない。
食堂——誰もいない。
そして、緑谷の部屋——。
(……空やな)
直哉は、わずかに目を細めた。
もう一度、今度はノイズを削ぎ落として丁寧に読み直す。やはり、気配がない。微睡(まどろ)んでいるのではない。主を失った部屋が、ただそこに「箱」として存在しているだけだ。
(……出ていったんか、あのあほ)
直哉は扇子を、パチンと静かに閉じた。
廊下に出ると、ポストの前に切島が立ち尽くしていた。
その手には一通の封筒。朝の光に照らされた彼の顔色は、酷く悪かった。
「…禪院」
「おはようさん。早起きやね。切島くん。」
直哉が声をかけると、切島は力なく封筒を差し出してきた。封はすでに乱暴に破られている。中には、折り畳まれた便箋が一枚。
「……これ、見てくれ」
「緑谷くんから、か」
「全員のポストに入ってた。気づいた時には……もう、いなかった」
直哉は無造作に封筒を受け取ると、中の便箋を広げた。
そこには、緑谷の筆跡があった。丁寧で、几帳面で、あの煮え切らない少年の性格を煮詰めたような字だ。
綴られていたのは、簡潔な告白だった。
オールマイトとの関係。ワン・フォー・オールの真実。自分が狙われているという事実。そして、自分がいれば雄英の設計が壊れ、皆に危険を及ぼすという危惧。
だから、ここを離れる。
(……よく書けた手紙やわ)
直哉は、淡々と便箋を折り畳んだ。
(自分が何をしとるか分かって、言葉にして、その上で泥沼に飛び込んだ。ただの感情論やない。緑谷くんなりの、最低な設計や)
「……禪院は」
切島が、縋るように言葉を絞り出した。
「止めに行かへんのかって聞きたいんか?」
「……ああ」
「行く気はないわ。一ミリも」
切島が息を呑む。廊下に重苦しい沈黙が落ちた。直哉は、手の中の封筒をゴミでも返すように切島の胸元へ押し戻した。
「あれは緑谷くんが自分で決めた設計図(プラン)や。俺にそれを書き換える権利もなけりゃ、破り捨てる義理もないわ」
「でも……っ、あいつ一人で、全部背負い込んでるんだぞ!」
「それがどないしたんや?俺ならそうする、とも思いますわ。緑谷くんの立場なら」
切島は何かを叫びたそうに、けれど正論の冷たさに言葉を詰まらせ、拳を震わせるしかなかった。
直哉はその歪な顔を眺めることもせず、優雅な足取りで廊下を歩き始める。
(……止めへん。それだけや)
背後で切島が立ち止まったままなのを空写で感じながら、直哉は一度だけ、薄く唇の端を吊り上げた。
(せいぜい独りでボロボロになって、勝手に潰れればええ。……格の違いを教えるんは、その後や)
食堂は、いつもの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
全員が揃っているはずなのに、食器が触れ合う音すら控えめに響く。
緑谷出久の椅子だけが、ぽっかりと空いていた。
誰もそこに座ろうとはしない。まるでそこだけが、触れてはいけない空白の欠落であるかのように。
直哉は、淀みのない所作で味噌汁を口に運んだ。
向かいには砂藤力道が座っている。その手元の箸は、先ほどから一度も動いていない。
「……禪院。お前、知ってたのか? 緑谷が出ていくこと」
「知らんかったわ。本人から挨拶された覚えもあらへんし」
「そうか……」
「せやけど、今朝の空気で分かったわ。あぁ、もう緑谷くんは出ていった後なんやなって」
砂藤は力なく視線を落とし、沈黙した。
「止められなかったのかな。俺たちがもっと、早くに気づいていれば」
「止めれたとしても、緑谷くんはいずれ出ていったと思うわ。遅かれ早かれな」
「……なんでそんなこと言えるんだよ」
「あれは、緑谷くんの独りよがりな『優しさ』から来た決断や。そういう手合いは一度決めたら止まらへん。今回止めても、また次の機会を狙って出ていく。ただそれだけのことやと思うけど」
砂藤はしばらくの間、直哉の言葉を咀嚼するように黙り込んでいた。
「冷たいな、禪院」
「そういうもんやないの?俺は客観的な事実を述べとるだけやわ」
「いや——怒ってるわけじゃないんだ。ただ……そう言い切られると、あいつを止めようとしてた俺たちが、なんだか無駄なことをしてたみたいで」
直哉はゆっくりと箸を置き、砂藤を真っ直ぐに見据えた。
「止めようとした行為そのものは、無駄やない。せやけど、止めれたかどうかという『結果』と、止めるべきやったかという『是非』は、全く別の話ですさかい」
「……俺は、止めるべきだったと思う。仲間なんだから」
「さいですか」
「禪院は思わないのか? あいつが一人で傷つくのを止めるべきだって」
「思わんよ」
直哉は再び味噌汁を啜り、事も無げに言い放つ。
「緑谷くんが一人で戦いたいと願って、その道を選んだんなら、好きにさせればええんや。緑谷くんの人生(物語)は、緑谷くんの所有物であって、君らのもんやないさかい」
(……勝手に一人でヒーローごっこに酔い痴れてる奴に、外野が口を出すなんて無粋なだけやわ)
直哉は、最後まで温度の変わらない食事を続けた。
(せいぜい独りでボロボロになって、己の矮小さを知ればええ。……その時、僕がその上から絶望を上書きしたるわ)
午前中、相澤から集合がかかった。
ホームルームを包む空気は、湿った鉛のように重く、澱んでいた。相澤は教卓に立ち、感情を削ぎ落とした声で短く状況を告げた。
「緑谷の件は、全員が把握している通りだ。本人の判断に基づき、オールマイトと共に学校を離れた。現在の居場所は当局が把握しており、一定の安全は確保されている」
「先生」
飯田くんが、弾かれたように手を挙げた。その声は鋼のように硬く、震えていた。
「……緑谷くんを連れ戻す、という選択肢は、ないのですか?」
「今はない」
「なぜ……なぜですか!」
「本人が決めたことだ。今の段階で強制的にそれを覆せば、状況をより複雑にする」
飯田くんは血が滲むほどに唇を引き結んだ。到底納得などしていないが、委員長という立場が無理やりその言葉を飲み込ませている——そんな、ひどく無様な顔だった。
「……いつまで、このままなのですか?」
「分からない。ただ——俺たちは俺たちの場所にいる。今は、それだけだ」
相澤の言葉は簡潔だった。だが俺には、その余白にある濁った重みが、手に取るように聞こえていた。
(……相澤先生も、本当は止めたかったんやろな。せやけど、合理性が情を上回ってしもた。俺と同じ判断を下しながら、俺よりもずっと惨めな場所で、泥を啜るような思いをしてるんやわ)
俺は、やり場のない視線を窓の外へ投げた。
皮肉なほどに、空は晴れ渡っていた。緑谷くんという「欠陥品」が独りで飛び出していった朝と同じ、雲一つない、白々しいほどに澄んだ青だ。
(止めたところで、緑谷くんはまた逃げ出す。ヒーローなんていう呪いに憑かれた奴を繋ぎ止める鎖なんて、この世界にはあらへんからな)
俺は、手元の扇子でトントンと机の端を叩いた。そのリズムは、絶望に沈むクラスメイトたちを嘲笑うかのように軽やかだった。
(せいぜい、独りで限界まで磨り減ればええ。……その果てに、やっぱり俺がおらんと何も出来へんかったと、泣いて縋らせるんが一番美(ええ)わ)
俺が本当のことを知ったのは、その夜だった。
指先で弄んでいた「空写」が、夜の静寂を裂いて一つの『違和感』を拾い上げた。
(……まだおったんか、あのアホ)
正門の方向。二つの気配。
一つは、枯れ木のようになり果てた伝説の残滓——オールマイト。そしてもう一つは、今朝方出ていったはずの、煮え切らない弾道。
俺は音もなく自室を後にした。
正門の外、月明かりの下に緑谷が立っていた。
ボロボロのコスチュームを纏い、黒鞭を身に巻いたその姿は、まるで自らを縛り上げる罪人のようや。
「禪院……くん」
俺の姿を捉え、緑谷くんが微かに目を見開く。その瞳の奥には、俺が最も好まない、それでいて最も食い出のある『独りよがりな決意』が渦巻いとる。
「気配があったさかい、来たわ。……そんな顔せんといて。引き止めに来たわけやない、安心せえや」
緑谷くんは痛みを堪えるように顔を歪めた。何かを言いかけては、言葉を飲み込む。
近くで見れば、その疲弊は想像以上や。目の下には深い隈。蛇腔市からこの方、まともに眠る暇も自分に許さなかったんやろな。
「一個だけ聞いてもええ?」
「……うん」
「死ぬつもりは、あらへんのよな?」
緑谷くんは、夜の風を吸い込んでから短く答えた。
「……ない」
「そう。ならええわ」
俺は、いつものように扇子を広げた。
「それだけ聞けたら、十分や」
「……禪院くんは、引き止めないの?」
「言ったやろ。緑谷くんが決めた設計図(プラン)や。俺にはそれを破る権利も義理もないわ」
「……怒ってない?」
「怒る理由がないわ」
(怒る? そんなわけあらへん。緑谷くんが独りで勝手に壊れていくのを眺められるんや。愉悦以外の何物でもないわ)
「みんなに、ごめんって……」
「自分で言えばええやん。戻ってきた時に」
「……戻ってくる、つもりだよ?」
「知っとるわ。緑谷くんはそういう、諦めの悪い人やからな」
緑谷くんは、ひどく疲れた、けれど本物の笑顔を浮かべた。その無防備な顔を見るたびに、俺の奥底でドス黒い何かが、鎌首をもたげる。
隣のオールマイトが、重々しく頷いた。
「禪院少年。……頼んだよ。みんなのことを」
「何を。……それは俺には向いてへん仕事や。俺は誰かを守るためにここにおるわけやない」
オールマイトは、俺の不遜な物言いに苦笑を返した。
「それでも、頼む」
俺は扇子をパチンと閉じた。
(……まぁ、かまへん。俺の視界(せかい)を邪魔するゴミを掃除するついでや。できる範囲でやったるわ)
俺は半歩引き、夜の闇へと続く道を空けた。
「……お気をつけて。緑谷くん」
彼は俺を一目見てから、前を向いた。
歩き出した。その隣を、かつての平和の象徴が並んで歩く。
二人の背中が、夜の暗がりに溶けて見えなくなるまで。
俺は正門の前に立ったまま、動かなかった。
部屋に戻り、俺は無機質な机に向かってノートを開いた。
今日という一日の「設計」を、事後処理として書き留めるために。
今夜の整理:
緑谷くんが雄英を去った。
『ワン・フォー・オール』の継承者であることを手紙で開示した上で、自分の判断で離れた。プロヒーローのトップ三人と連携しながら、AFOと死柄木を追う。
俺がすべきことは変わらへん。
ただ——。
俺はペンの動きを止めた。
(「みんなのことを頼む」、か)
(オールマイトにそう言われた時の、あの男の縋るような目は滑稽ですらあったわ)
「俺には向いてへん仕事や」直哉は答えた。それは嘘偽りのない本心や。俺は守る側の人間に興味なんてあらへん。
(でも、かまへんとも言った。……俺の視界を汚すゴミ(ヴィラン)を片付けるついでやからな)
窓の外に視線を向けると、正門の方向に星が瞬いとった。
(あいつは今、どの辺りの泥を舐めとるんやろな)
空写の届く範囲は、もうとっくに抜けた。今の俺の手札では、あのボロボロの背中を捉え続けることは出来へん。
(……いや、ええわ。緑谷くんが戻ってくることは、俺には分かっとる。後半の知識はもう殆ど断片的で憶えてへんけど、シナリオの流れ的に的に帰ってくるやろな…原作通り——なんて言葉は、今の俺には不要やわ。緑谷はああいう、反吐が出るほどに『諦めの悪い人間』や。せやから、絶対に戻ってくる)
ペンを置き、俺は扇子を静かに開いた。
夜の静寂が、より一層深まっていく。
寮の廊下に、僅かな振動が走った。誰かの足音がある。この期に及んで眠れない誰かが、情けなく彷徨い歩いているようだった。
直哉が空写を僅かに広げると、廊下を幽霊のように歩く切島の姿が視界に混じった。部屋に戻る気にもならない、青臭い感傷。
(……あいつにはあいつの、惨めな夜がある。俺には俺の、完成された夜がある。それだけの話や)
扇子をゆっくりと閉じ、俺はノートに最後の一行を刻んだ。
「緑谷くんの物語は、まだ終わってへん」
それだけを書き殴り、俺はノートを閉じた。
翌朝の食堂も、昨夜の残滓を引きずったように静かだった。
けれど、昨日とは僅かに「色」が違う。
昨日は「消えた」という事実に怯える静寂だった。
今日は「消えたことを無理やり飲み込んだ」という、諦念の混じった静けさだった。
(人間は一晩で勝手に変わる。……それは、前世で嫌というほど見てきたわ)
(大切な人間を失うても、絶望の淵に立たされても、腹は減るし朝は来る。そうやって、みんな必死に自分を納得させて「格下」の日常に戻っていくんや)
直哉はいつもの席に腰を下ろし、淡々と朝食を口に運んだ。
緑谷くんの椅子は、今日もぽっかりと空いている。
誰もそこに座ろうとはしない。まるでそこだけが、触れてはいけない『聖域』か何かにでもなったような雰囲気だった。
(……阿呆らしい。次に緑谷くんがここに戻ってきた時、自分の意志でそこに座ればええだけの話や。それまでは、ただの「空席」として空けとけばええねん)
直哉はそう冷めた思考を巡らせながら、味噌汁を啜った。
味に変化はない。朝の食堂が提供する、いつも通りの、ひどく退屈な味。
(……それで十分や)
変わらぬ味と、変わらぬ俺の設計図。
周囲が感傷に浸り、勝手に心を磨り減らしているのを眺めながら、直哉は一人、淀みのない「日常」を消費し続けた。
(せいぜい、その椅子を『思い出』にして拝んどきや。……俺は、その先にある「弾道」を見させてもらうわ)
40話をお読みいただきありがとうございました。
今回は、独りで背負い込む道を選んだ緑谷と、それを「止める権利はない」と断言する直哉の対比を描きました。
直哉はデクを引き止めません。それは冷たさではなく、他者のエゴや覚悟を何よりも重んじる彼なりの「誠実さ」でもあります。
特にオールマイトとのやり取りで見せた、面倒くさがりながらも「かまへん」と引き受ける姿は、直哉が自分でも気づかないうちに雄英という場所に「根」を張り始めていることを示唆しています。
「緑谷出久の物語は、まだ終わっていない」
ノートに記されたこの一行。
これから闇の中を突き進むデクと、要塞化した雄英を守る側となった直哉。
二人の道が再び交差する時、直哉の術式はどのような「正解」を定義するのか。
激動の展開が続きますが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。