【完結】転生って人の心とかないんか?―有象無象のヒーローごっこ、三歩下がってついといで。 作:まだら模様
今回は、少し趣向を変えて。
喧騒を離れた路地裏で交差する、二人の「孤独」の物語。
雄英を去り、独りで戦い続ける緑谷出久。
そして、彼を「空写」で見守り続けてきた禪院直哉。
止めることも、連れ戻すこともしない。
ただ、壊れかけの少年を前にして、直哉が選んだ「設計」とは——。
京都弁の毒気が少しだけ形を変える、静かな夜の記録をどうぞ。
キャラの語彙などの崩壊やストーリー崩壊の可能性がございます。
ご注意ください。
評価付与、感想は直哉の術式の練度を高めて、更なる高みへ登らせます!
プラスウルトラ!
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直哉が外出届を突き出したのは、まだ日が昇りきったばかりの午前中だった。
担任の相澤が、その死んだような目で直哉を射抜く。
「……理由を聞こうか」
直哉は、わざとらしく小首を傾げ、薄ら笑いを浮かべて答えた。
「術式の実地確認ですわ。あんな狭苦しい屋内やと、俺(自分)の『格』に合うた検証ができひんのです」
「具体的には?」
「『空写』の射程拡張と、反転術式の連続負荷計測。走りながら展開し続けて、どこまで維持できるか……僕の限界(天井)がどこにあるか知っておきたいんですわ。先生らには一生縁のない領域の話やと思いますけど」
相澤は無言で直哉を凝視した。その沈黙すら、直哉には「凡夫が必死に何かを測ろうとしている無駄な時間」にしか感じられない。
「……単独か」
「はい。足手まといがおったら、検証になりませんさかい」
「三時間以内に戻れ。連絡を絶てば、即座に連れ戻す」
「分かってますわ」
直哉は、相澤の視線を背中でせせら笑いながら、制服のまま校門をくぐった。
(嘘は言うてへん。検証はやる。)
(せやけど、この僕がわざわざ足(アシ)を使ってやるんや。ついでに『迷子のドブネズミ』の面(ツラ)でも拝んでいかな、割に合わんやろ)
『空写』を広げる。
泥の中を這いずり回るような、緑谷出久の不快な気配。今朝の確認では南東——。
昨日より距離が縮んどる。街の、淀んだ空気の中に潜んどるな。
(ハッ、向こうから近寄ってくるとはな。
せいぜい、俺の退屈を紛らわすくらいの『不細工な姿』を見せてくれや、緑谷くん)
街は、見るも無惨に変貌していた。
直哉が雄英に入学した頃の、あのくだらない活気すら、今となっては遠い昔のことのように思える。
並んだ店舗の半分はシャッターを固く閉ざし、人通りはまばらだ。数少ない通行人たちは、背後から何かに追い立てられているかのように、一様に足早に去っていく。足を止める余裕すら持たない群衆。空き家となった建物の前には、無造作に放り出されたままの家財道具が、まるで社会の死骸のように積み上げられていた。
(ハッ、不細工な縮図やな。社会そのものが縮んどるわ。ゴミ溜めの中で必死に生き残ろうとしとる凡夫共が、惨めで見てられへん)
直哉は、扇子で口元を隠しながら、冷徹な観察者の足取りで歩き続けた。
相澤に告げた通り、反転術式の負荷計測は「本当に」実行していた。歩きながら術式を絶え間なく展開し、維持時間の限界を測る。三十分、四十分、一時間——。神経を削るような消耗のペースを、自身の肉体を実験台にするかのように淡々と記録していく。この苦痛を表に出さないことこそが、彼の「格」の証明でもあった。
(嘘はついてへん。検証はやる。先生(あんなん)相手に嘘つく手間かける方が無駄やしな。ま、俺の完璧な設計に凡夫の脳みそが追いつけるとは思てへんけど)
同時に、周囲の気配を冷たく浚う。
(南東。近いな。……ヘドが出るほど重い気配や。汚物でも探す方がまだ楽しいんとちゃうか)
商店街の端に差し掛かった、その時だった。
全方位に広げた『空写』の網が、一際異質な、それでいて見間違えようのない「淀み」を捉えた。
(——いた。ドブネズミ…もとい緑谷くんの巣、発見や。さて、どれだけ無様な姿晒しとるんか、拝ませてもらおやないか)
薄暗い路地の奥だった。
電柱に凭れかかるようにして、緑谷出久がそこにいた。
いや——立っているというより、ただの肉の塊が電柱にぶら下がっているという方が正しい。膝は折れかけ、今にも地面に沈み込みそうなほど、その立ち姿は無惨だった。
(ハッ、なんやその格好。ヒーロー気取りが聞いて呆れるわ。浮浪者の方がまだマシな身なりしとるで)
コスチュームの損耗は目を覆いたくなるほどだ。膝のサポーターは裂け、袖の先は獣に噛み千切られたかのように繊維が垂れ下がっている。フードの縁は焼け焦げ、もはや元の形すら留めていない。
剥がれかけた靴底が、一歩歩くたびに不細工な音を立てるであろうことは容易に想像できた。
顔には額の切り傷や頬の擦り傷が刻まれ、何よりその瞳には、かつての輝きなど微塵もない。泥水のように、ただただ虚ろだった。
直哉が路地に踏み込んだ瞬間、緑谷は即座に反応した。黒い鞭が弾けそうになったが——直哉の顔を認めた途端、その動きが止まった。
「……禪院、くん」
「久しぶりやね。緑谷くん。」
(……うわ、声まで枯れて。反吐が出るほど弱々しいな)
「なん、で」
「…偶然や」
(嘘に決まっとるやろ、ボケ。誰が好んでこんな汚いゴミ溜めの中を偶然歩くねん)
直哉は、緑谷の不潔な空気が服に移るのを嫌うかのように、三歩手前でぴたりと足を止めた。
『空写』で一応周囲を浚う。この路地に他の人間はおらず、近くに脅威もない。今この瞬間、この無防備なドブネズミを襲う馬鹿はいない。
それから改めて、目の前の惨状を見つめた。
(…削れとる)
一目で分かった。肉体の消耗など些細な問題だ。気配の質が、まるで死にかけのロウソクのように薄くなっている。雄英を去った夜に見せたあの気負いですら、もはや灰となって霧散していた。
「緑谷くん、限界まで削れとるな」
直哉は、わざとらしく溜息を吐きながら言った。
緑谷の虚ろな目が、僅かに揺れた。
「……分かるの?」
「分かるにきまっとるやろ。気配の質が変わっとるわ。三週間前に見た時と全然違うやんか」
(ハッ、鈍いな。自分の腐った臭いにも気づけへんほど脳みそまで疲弊しとるんか)
「三週間前——正門で」
「…そうや」
緑谷はしばらく沈黙した。電柱に背をもたせたまま、震える膝を強引に伸ばそうとしている。倒れることすら自分に許さないその必死な様子は、滑稽ですらあった。
「……それで」
緑谷の声が、湿り気を帯びて僅かに硬くなる。
「じゃあ、僕にどうしろと…」
直哉はその問いを、一秒間、無機質な視線で受け取った。
「どうもせえへんよ」
「……え」
「ただ見てるだけやわ」
(君が勝手に自滅していく様をな。高みの見物ほど贅沢な暇つぶしはあらへんわ)
緑谷は、救いを求めるような、あるいは拒絶を恐れるような目で直哉を射抜いた。
直哉は視線を外さない。その瞳の奥には、憐憫も共感も存在しなかった。
「止めに来たわけやない。連れ戻しに来たわけでもない。偶然会ったさかい、話しとるだけや」
(連れ戻す? 誰が好んでこんなボロ布みたいなモン担いで帰らなあかんねん。冗談やめてや)
「……でも」
「でも、って何かあるんか?」
「でも、僕がこんなになってるのを見て——何も言わないの?」
「言うとるよ。限界まで削れとる、とは言ったわ」
(これ以上、何を期待しとるんや。同情か? 甘えか? ヒーロー様が聞いて呆れるわ)
「……それだけ?」
「それだけや」
緑谷は再び黙り込んだ。
直哉は懐から扇子を取り出した。開くことはせず、ただ弄ぶように手の中で転がす。
(——緑谷くんは「止めてほしい」と思っとるのか? 違うな。そんな殊勝な感情は今の緑谷くんにはない。「誰かに分かってほしい」。ただの醜い承認欲求や。でも、それを口にする言葉すら、もう今の緑谷くんには残ってへんのやな。不細工な話やわ……どこまでも悲惨やね)
(勝手にボロボロになって……何よりも……俺の目の前以外で擦り切れとるのがより腹立たしいわ。俺が一番目立っとる最強(オールマイト)の後継者……主役を俺の力で最速で叩き潰すのが一番気持ちええにきまっとる。せやけどAFOの存在もあるやろし、断片的な知識やけどA組と対立するタイミングがあるはずや……それまではまだ手は出せへん。本当にもどかしいわ)
荒廃した路地に、乾いた風が吹き抜けた。
緑谷の被るフードが力なく揺れる。そのほつれた縁は、彼の精神そのもののように、風に煽られるたび少しずつ崩れ落ちていくようだった。
「……何日ぶりに人と話したか、分からなくなってるんだ」
緑谷が漏らした声は、誰かに届けるためのものではなく、ただ空気に溶けていく独り言のようだった。
「…そうなんか」
(ハッ、改めてみても惨めで滑稽やね…独りよがりを決め込むからそうなるんや)
直哉は、手の中の扇子を弄びながら、冷めた目でその憔悴を見つめる。
(こんな様子じゃまともに戦っても面白味に欠けるやろし、ほんまにしらけるわ…)
「エンデヴァーたちとは連携してるけど——話す、っていうのとは違うから」
「まあそうやね。情報交換と会話は別物やないん?」
(ハッ、せいぜい今は『No.1』の道具として、その錆びついた体(スペア)を使い潰されるんやな。どこまでいっても不細工な話や)
「……そう。そういうこと」
緑谷はゆっくりと、電柱から重い身を引き剥がした。自らの足で立とうとするものの、その膝は生まれたての小鹿のように震え、今にも崩れ落ちそうだ。それでも彼は、泥にまみれたプライドだけで立っていた。
「禪院くんは——みんなのこと、言わなかった? 僕のこと」
「詳しいことは言ってないわ」
「…空写で僕のことは把握できるんだよね…じゃあなんで」
「情報の精度が低いさかいですわ。方向と生死くらいしか分からへんのに、それを言っても混乱させるだけさかい」
(当たり前やろ。この『獲物』がどこにおるか、他人に教えるメリットがどこにあるねん。自分一人の手元に置いておくのが一番やさかいな)
「……じゃあ、みんなは僕が——」
「今どこで何をしてるか、正確には知っとらんね。ただ…」
直哉は言葉を切り、緑谷の絶望を煽るように、それでいて甘美な情報を一滴だけ垂らした。
「——轟くんと爆豪くんには、緑谷くんが生きとると言っとる。それだけや」
その瞬間、緑谷の瞳に色が戻った。虚ろだったはずの底に、一瞬だけ確かな熱が宿る。
「……そっか」
「それだけ知っとけば十分やと思いましたさかい」
(ハッ、ええ顔するやんか。せいぜいその程度の希望に縋っとけ。最後にそれを僕が踏みにじる時、もっと『いい顔』が見れるやろからな)
「うん」
緑谷は短く応え、僅かに視線を落とした。
直哉はその横顔を、値踏みするように見つめ続ける。
削れている。だが、折れてはいない。折れないからこそ、逃げ道もなく削られ続けている。その姿は、あまりにも醜悪で、同時に滑稽なほど「特別」だった。
「禪院くん」
緑谷が、絞り出すような声で名を呼んだ。
「なんや」
「……怪我、治せる?…オーバーホールと戦った時に禪院くんが使ってた…反転術式だっけ?」
直哉は一瞬、心底理解不能なものを見るように眉をひそめ、それから冷笑を漏らした。
「…ハッ、緑谷くん。反転術式のアウトプットを言うとんのか? 寝ぼけとるんか、それとも脳みそまで削れたんか?」
(反吐が出るわ。他人に使うとか、反吐が出るどころか考えただけでも虫唾が走るわ。本来、反転術式は自分の肉体を癒やすための自己完結した術式や。他者へ流し込むなんて、そんな不細工で非効率な『高等術式』、できる奴の方が頭おかしんやわ)
「……あ。そう、だよね。ごめん、無理を言った」
「当たり前や。俺の呪力は、俺を完璧に保つためだけにある。一滴たりとも他人に分け与えるもんやない。今の荒んだ君は…自分の血反吐で勝手に溺れとけばええんや」
(俺のためだけの反転やろが。なんで俺が今、ボロの布切れみたいなドブネズミのために自分を削らなあかんねん。勘違いも甚だしいわ)
緑谷は力なく右腕を下げた。ボロボロの袖の下で、青黒い痣が毒々しく拍動している。その痛みすら耐えるのが当然というように、彼はまた電柱に背を預けた。
直哉は、その無惨な様子を値踏みするように見つめる。
(——治してやりたいなんて、微塵も思わん。
せやけど、今のこの不細工な状態で無理に動いて、俺の知らんところで勝手に壊れられるのは、俺の計算上は都合が悪いわ。俺が叩き潰すその瞬間まで、こいつは『完璧な獲物』でおらなあかんのやからな)
「……しゃあない。治すんは無理やけど、条件付きで『手入れ』くらいはしたるわ」
「条件?」
「この後三十分、ここで休め。飯も食うことやな。怪我人は怪我人らしく、俺の目の前で大人しくしとけ。無駄骨折るんは嫌いやねん」
(治されへんのなら、せめて休ませてこれ以上劣化するんを防ぐしかないわな。この三十分、俺が高みの見物させてもろて、じっくりとその絶望を観察させてもらうわ)
緑谷は逡巡するように視線を彷徨わせたが、力なく頷いた。
「……三十分」
「三十分や。一分も負けへんで。そこに座れや」
直哉は路地の壁に背をもたせ、退屈そうに空を仰いだ。
緑谷もまた、電柱に背を預けたまま、地面を見つめて黙り込んでいる。
二人を繋ぐのは、重苦しい静寂と、冷たい風の音だけ。それが、直哉が一方的に強いた「三十分の休憩」の形だった。
直哉は『空写』を展開し続け、周囲の気配を読み取る。脅威はない。この薄汚れた路地に来るような酔狂な奴もいない。
(ハッ、こんな吹き溜まりで、最強の後継者様と二人きりか。滑稽やな。僕が守ってやらな、飯もまともに食えんのか、こいつは)
緑谷はポーチから、泥に汚れた手で携行食を取り出し、機械的に咀嚼し始めた。疲労のせいで口の動きは鈍く、ただ胃に流し込んでいるだけのように見える。
「……禪院くんはさ」
緑谷が、重い口を開いた。
「なんや?」
「止めないの?本当に」
「本当に止めへんよ。何度言わせんねん」
(当たり前やろ。お前が勝手に絶望して、勝手に限界まで削れるからこそ、最後に僕が叩き潰す時の味が最高になるんや。今止めてしもたら、僕の楽しみが台無しやわ)
「……なんで、そんなに徹底してるの?」
「緑谷くんが、自分の頭で考えて、自分の意志で決めた行動やさかいな。それを外側から止めるなんて、そんな野暮で不細工な真似、俺にはできひんわ」
(……ハッ、嘘やけどな。本当はお前がどんだけ苦しもうが知ったこっちゃない。お前という『作品』が、僕の理想の壊れ方をしてくれればそれでええんや)
「でも——僕が死んだら」
直哉の扇子を弄ぶ手が、一瞬だけ止まった。
「……死なせるつもりはないわ」
「え」
「死にそうになっとったら、助けてやるわ。せやけど、今のこの程度の削れ具合では手は出さへん。それだけや」
「どこが、死にそうのラインなの?」
「『空写』で見とる。俺が判断するわ。緑谷くんが心配することやない」
(今死なれたら困るんや。俺以外の不細工な雑魚の手にかかって死ぬなんて、そんなん俺の設計図にはあらへん。お前の命の使い道を決めるんは、俺やさかいな)
緑谷はしばらく黙り、喉の奥へ携行食を押し込んだ。
「……禪院くんって」
「なんや」
「…不思議だな」
「そうなん?そない不思議なことやっとるつもりはないねんけど」
「止めないけど、見てる。助けないけど、こうして待っててくれる。……どっちなの?」
直哉は扇子をパサリと僅かに開いた。その瞳には、相変わらず冷徹な光だけが宿っている。
「…どっちでもあんねん。矛盾なんてしてへんわ。俺のやることは全部、俺の『設計』の中に入っとるさかいな。緑谷くんの判断を尊重することも、死にそうになったら拾ってやることも、俺の中では美しく繋がっとるんや」
(緑谷くんの全てを、俺の掌の上で管理してやる。そう言うとるんや。気づかんうちに、お前はもう俺の檻の中におるんやで……不細工な話やけどな)
緑谷はまた黙った。
その瞳から少しだけ刺々しさが消え、柔らかい色が混じる。直哉が、自分の意志を肯定してくれているのだと——そんな致命的な勘違いをしているようだった。
「……そっか」
それだけ言って、緑谷はまた静かに携行食を食べ始めた。
三十分が経った。
直哉は、正確に刻まれる自らの設計図(時間)を計っていた。きっかり三十分が経過したその瞬間、手にしていた扇子をパサリと閉じた。
「時間や」
「うん」
緑谷はゆっくりと立ち上がった。その足取りは、さっきまでの生まれたての小鹿のような危うさが消え、治療と休息の効果が確かな芯となって彼を支えていた。
「ありがとう、禪院くん」
「構へんよ」
(ハッ、礼なんてええわ。お前のその動けるようになった体が、また削れていく様を特等席で眺める権利をもろただけやさかいな)
「また——会うかな?」
「さあな。緑谷くん次第やろ」
「…でも空写で、見てるんでしょ?」
「見とるわ。緑谷くんがどこで、どんな無様な醜態を晒しとるか、全部筒抜けや」
「……気持ち悪くない? 一方的に見られてるの」
直哉は少し考えた。その沈黙は、獲物をどう弄ぶかを楽しむための「間」だった。
「緑谷くんが選択した結果でこないな姿になったって、クラスメイトも心配しとる。一方的に告げて出ていって行方もしれとらん。…そんな状況でも気持ち悪いと言えるなら、今すぐ言えや。そしたら止めたるわ。」
緑谷は少し考えた後自虐的に少し笑った。泥に汚れ、疲弊しきった笑顔。だが、それは久々に人と繋がっていると感じた。目に光を戻した姿だった。
「…やっぱり続けておいて。やめなくて良いから」
「……了解や」
(ハッ、自分から『監視し続けろ』と僕に縋ったな。ええよ、望み通り地獄の底まで覗いたるわ。お前はもう、僕の視線という鎖から逃げられへんのや)
緑谷は重いフードを被り直した。ほつれた縁を指先で整えようとするが、それは直しきれず、また無惨に垂れ下がる。
「みんなに——」
「言わへん。何度も言わすな」
「……うん」
「せやけど」
直哉は、去りゆくその背中に、自分でも意外なほど滑らかな言葉を投げかけた。
「——早う戻ってこいや。みんな、待っとるさかいな」
(ハッ、自分でも驚いたわ。こんな殊勝なセリフが吐けるとはな。……でも、嘘やあらへん。お前が帰るべき『檻(雄英)』には、俺もおる。お前が一番輝いて、そして一番残酷に壊れる場所は、俺の目の前以外にあらへんのや)
緑谷は少し目を細め、その言葉の裏にある「毒」に気づかぬまま、最悪の信頼を寄せた。
「……うん。必ず」
それだけ言って、彼は路地の奥……再び雨と血の臭いが漂う戦場へと歩き出した。
黒鞭が、蔦のようにその体に巻き付く。一瞬だけ重力から解放され、空へと浮かび上がった。そして——その気配は、急速に遠ざかっていく。
直哉は路地の入り口に立ったまま、扇子の先でトントンと自身の肩を叩く。
その気配が、『空写』の射程外に完全に消えるまで、冷たく、執拗に、その背を見送り続けた。
雄英への帰り道、直哉は歩きながら、今日の出来事を脳内の設計図に整理した。
(思ってたより、削れとった。あんなボロボロの姿、他の連中には見せられへんわな。でも折れてへん。緑谷くんはやっぱり原作通り…俺が直に見て思った以上にしぶとい。簡単に壊れへんからこそ、弄り甲斐があるっちゅうもんや)
(あの僅かな休憩は正解やったか? たぶん正解や。今の状態で三日休めへん理由があるなら、無理にでも動ける状態にしてやった方がいい。僕の知らんところで勝手に野垂れ死なれるのは、俺の計算上、一番都合が悪いさかいな)
(止めるべきやったか? 違うわ。今のあいつに止める言葉なんて届かへん。今のあいつに届く言葉なんて、俺(まともな人間)は持ってへんし、持つ必要もあらへん)
「早う戻ってきて」と言ったあの瞬間の、自分でも意外だった言葉を思い返す。
(……まぁ、いいか。本当のことや。緑谷くんの帰るべき檻を、俺が一番ええ状態で守って待っといてやる。それが一番、真正面から叩き潰す近道やさかいに…最後にAFOを潰す前にOFAにも一度は今の力を試すべきや…いい感じに緑谷君も強くなっとるしな。)
(…そして結局この世界には「原作」が根底にある。なら雅に味わうためにも希望のスパイスもある程度は残しておくべきやわ)
パサリ、と扇子を開いた。夕暮れの湿った風を仰ぐ。
(緑谷くんがどこで何をしてるか、俺は知ってる。ただ、誰にも言わんだけや。俺一人が握っていれば、それでいい情報の価値。せやけど今日みたいに、たまたま会うことはある。そういう時は——今日みたいに『手入れ』してやればええんや)
視線の先に、雄英の外壁が見えてきた。
セメントスが突貫で作った灰色の壁が、夕暮れの光の中に不気味に浮かんでいた。直哉は、その景色の「格」を確認するように足を速めた。
相澤先生への報告がある。術式の検証結果という、完璧な「建前」も準備済みだ。
(嘘は言わんで済む。わざわざ隠す必要もない。俺が『空写』で見つけたのは、あくまで訓練のデータと、路地裏の静寂だけや。……それでいい)
正門をくぐった。
寮の明かりが点いていた。
第二十二夜:方向、南東→南。移動中。生存確認。
備考:本日直接接触あり。外傷(右腕打撲・筋損傷)。
(反転術式による治療は不可能のため拒否…そもそも俺のためだけの術式を他人に分け与えるなんて不細工の極みや。ただし、三十分の強制休息(手入れ)により、最低限の活動継続は可能と判断。…気配の質——疲弊重篤。ただし意志は継続中。折れていない)
ペンを置いた。
窓の外の空を見やる。南の方角に、澱んだ雲が低く垂れ込めていた。
(今夜、緑谷くんはどこで眠っとるんやろ。……ハッ、眠れるわけないわな。泥水でも啜りながら、独りで震えとるんが関の山や)
(あの腕は、ちゃんと動いとるやろか。……動かんのなら、それはそれでええ。痛みがお前を、俺の視線(空写)に繋ぎ止めてくれるんやからな)
パサリ、と扇子を開き、月明かりを仰いだ。
「こないな時にヒロイン?なら『早う戻ってきてくれ』とでも思うんやろね…どうでもええ考察やな」
(……そないどうでもええことを考えるくらいには今の俺は緑谷くんに注視しとる…それはたぶん、世間一般で言う『心配』という感情に近いんやろか?…ハッ、笑わせてくれるわ。俺が、緑谷くんを心配? 違うわ。君(主人公)という最高の獲物を、最高の舞台で、俺の手で最速でぶち抜きたい……その渇望に名前をつけとるだけや。めんどくさい感情やけど——かまへん、か。それも全部、俺の設計のうちやさかい)
扇子を閉じた。
カチリ、と電気を消す。
暗い部屋の中で、直哉は一人、暗闇に沈む緑谷の輪郭を思い浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。
第42話「黒デク・街での遭遇」をお読みいただき、ありがとうございます。
普段は「格」や「血統」にこだわる直哉ですが、ボロボロになった緑谷を前にして、彼なりの「敬意」の払い方を見せた回になりました。
反転術式で治しながらも、「三十分休め」と条件を付けるあたり、直哉らしい合理性と隠しきれない過保護さが滲み出てしまった気がします。
「早う戻ってきてくださいよ」
この一言に込めた直哉の本当の気持ちが、少しでも皆様に届いていれば幸いです。
次回、直哉の報告を受けた雄英側、そして……。
もしよろしければ、今回の直哉の「設計」について、感想や評価(ポイント)で教えていただけると、執筆の大きな励みになります!