「終わったか。手間かけさせやがって」
用が済んだと言わんばかりに、メツは乱暴にニアの首から手を離した。
解放された瞬間、ニアは喉を押さえて激しく咳き込み───そして、目の前で赤黒い血の海に沈むラキアへ一目散に駆け寄った。
「ラキア! おい、ラキア!!」
膝をつき、ラキアの身体を抱き起こす。
だが、手応えがない。胸を深く貫かれた傷口からは溢れる血が止まらず、その温もりが、冷たい空気の中にみるみる奪われていく。
「嘘だろ……おい! しっかりしろよラキア!!」
「お嬢様……」
背後に寄り添うビャッコの声にも、深い悲痛が滲んでいた。
ラキアは、ぶっきらぼうで───けれど、ガキ扱いしながらも気遣ってくれた。そんな彼が、自分が人質に取られたせいで、手出しもできないまま命を奪われたのだ。
罪悪感と猛烈な怒りが、ニアの胸をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
ニアは血に濡れた顔を上げ、冷酷に立ち尽くす仲間たちを鋭く睨みつけた。
「メツ! シン! なんでラキアを殺したんだよ! なんで殺す必要があったんだよ!!」
雨音を切り裂くような怒号。しかし、シンは血のついた長刀を納めながら、どこか遠くを見るような目で静かに口を開いた。
「導かれていた──────」
「え……?」
「あの男、何かの意思によって導かれていた。……だが、どれほどの男かと思えば、あの程度だった」
「やっぱり、お前には何か見えてたんだな」
「ああ」
「だが分からねぇな。何故お前にそれが見えた?」
「俺にもわからない。俺の目に見えたのは、幼い影だけだった。……だが、もう終わったことだ」
「他でもないお前が言うならいいさ」
淡々と交わされる二人の会話に、ニアは困惑し、激しく狼狽えた。
「意味が分からないよ……! 理由になってない!あいつはただのサルベージャーで、アヴァリティアから雇われただけで……っ!」
尚も声を荒らげるニアに、メツが心底ウザそうに蔑みの視線を向ける。
「何喚いてんだよ。やっぱりガキだな。たかが人間が一人死んだ程度でピーピー言ってんじゃねぇぞ」
「メツ、お前……!」
「あいつはお前に随分と肩入れしてた様子だったからな。ああすれば動きが止まると思ったぜ。にしても、とんだお人好しのバカだったな」
「何だと……!?」
「キーキーうるせぇぞニア! シン、さっさと天の聖杯を運び出すぞ」
「ああ」
「ザンテツ、手伝え」
「はいよ」
ニアの悲痛な叫びなどハエの羽音ほどにも気に留めず、メツたちは〈天の聖杯〉が眠るカプセルを持ち上げると、何事もなかったかのように歩き出した。
「……」
取り残されたニアは、床に伏したラキアの亡骸を見つめる。
もう動かない。息もしていない。
「ごめん……ごめんな、ラキア……あたしのせいで……」
冷たくなった頬にそっと触れ、小さな謝罪を落とす。
これ以上ここに留まることも許されず、ニアは鉛のように重い足取りでメツたちの後を追った。主人の傷心と言葉にできない葛藤を察し、ビャッコが無言で寄り添う。
甲板へ出ると、暗雲から大粒の雨が叩きつけていた。
まるで、ニアのぐちゃぐちゃに引き裂かれた心を映し出すかのように。
俯き、誰とも言葉を交わす気力もなくメツの後ろを歩いていた、その時───メツが足を止め、不意に振り返った。
「おいニア。ここにいる奴ら、全員殺せ」
「……は?」
突きつけられた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
甲板には、船を引き上げたサルベージャーたちが作業を終え、無邪気に談笑している。
「な、なんでだよ……! この人たちは関係ないじゃんか!」
「俺達が天の聖杯を手に入れたって話を広められたら手間だからな。ここで口封じしておくのがベストなんだよ」
「で、できないよ……そんなの……!」
激しい動揺に、ニアの瞳が泳ぐ。
「それに、こいつらの命の代金はすでにバーンに支払ってある。何も問題ねぇからさっさと殺せ」
「代金って……この人たち、何も知らないんだぞ! 関係ないだろ!!」
「おかしなことを言う。お前、自分が何のためにここにいるか忘れたのか?」
「で、でもさ……っ!」
尚も躊躇し、武器を構えようとしないニアに、メツは心底嫌気がさしたように吐き捨てた。
「ああもう……てめぇは本当に面倒くせぇな! もういい、俺が殺す。ガキは黙って見てろ」
メツはカプセルをザンテツに押し付けた。
「おい、頼んだぜ」
「はいよ、メツ」
メツは自らの手で甲板の人間を血祭りにあげようと、青い光を纏う『旋棍』を握り直す。
「さてと……殺るか」
メツの殺気の矛先は、手すりに寄りかかって呑気に喋り込んでいるサルベージャーたちへ向けられた。自分たちの命が商会に売られ、今まさに奪われようとしていることなど、知る由もない無垢な人々。
(ダメだ……止めなきゃ……でも、あたしの力じゃ……!)
無力感に苛まれ、ニアがぎゅっと目を瞑った、次の瞬間───。
イーラの誰も───あのメツやシンすらも予期していなかった異変が起きた。
ザンテツが担いでいたカプセルが、突如として激しい爆発とともに燃え盛る大炎を噴き上げたのだ!
「なに!?」
メツが素早く踵を返す。
「ザンテツ、放り投げろ! それはただの炎じゃねぇ!」
「ちっ、熱っちいな! 冗談じゃねぇ!」
ザンテツが悲鳴を上げてカプセルを投げ捨てる。
ガシャンッ!と凄まじい音を立てて甲板へ転がったカプセルは、瞬く間に紅蓮の炎に包み込まれた。
そして───長き眠りから解き放たれた真紅の炎は、天に向かって渦を巻く巨大な爆炎の柱へと変貌を遂げる!
雨を蒸発させ、漆黒の夜空を黄金色に染め上げる炎の柱。その頂に、静かに降臨した存在。
流れるような美しい髪、身体を走る翠玉色のエーテルライン、そして胸元に輝く意匠───。
赤き焔を纏った、アルスト最強の存在。
───〈天の聖杯〉ホムラの目覚めだった。
雨の中に佇む神々しい姿を見上げ、メツが狼狽の声を漏らす。
(ドライバーもなしに目覚めただと!? そんなバカな……ッ!)
甲板を見下ろすホムラの姿。だが、メツの目は彼女の胸元に刻まれた「ある違和感」を見逃さなかった。
(胸のコアクリスタルの形……欠けている!? まさか……!)
───グラッ!!
衝撃とともに、古代船の甲板が激しく揺れた。
ホムラが解き放った炎の奔流に呼応するように、甲板の鉄板が真っ赤に溶け落ち、直下から一筋の炎が噴き出す!
その炎を打ち破り、雨の甲板へと躍り出たのは───!!
「さっきは、よくもやってくれたな」
つい先ほど、冷たい血の海に沈んだはずの男───ラキアだった。
その手には、ホムラの命そのものである〈天の聖杯の剣〉が力強く握られている。
「ラキア……!?」
ニアは信じられないものを見たように目を見開き、掠れた声を漏らした。絶望の底にいた彼女の瞳に、再び強い光が宿る。
静まり返る甲板。
死の淵から舞い戻った男の眼光が、まっすぐにメツをとらえていた。
つづく
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