担当ウマ娘は頼めばやらせてくれる 作:カランコエ(Kalanchoe)
トレーニングが終わり、シャワーで汗を流した後。ヘアケアも当然済ませ、ミーティングが終わった頃。窓から差し込む夕陽も、すっかり傾いてきた時間帯。
そわそわと。ふわふわと。浮足立った尻尾ばかりが揺れ、頬を朱色に染める少女の内心を表している。
なお、それを横目に眺める男は、別に初めてでもないんだから、そんなに緊張しなくても。と手元のパソコン端末を触りつつ呑気に考えている。
すぅはぁと少女ゼンノロブロイは深呼吸し、何度か口をぱくぱくと開閉して、緊張から言葉が出ていないことに気付き、それからようやく言葉を紡ぐ。
「あの……今日も、よろしくお願いします」
たったそれだけ。どう考えても逡巡していた時間の方が圧倒的に長い。
その主語を欠いた圧縮言語に、ただゼンノロブロイのトレーナーは首肯だけを返す。
ぱぁっと花開くように咲く笑顔。先程の逡巡とは打って変わって軽い足取りで少女は歩を進める。
ぱたぱたと。そわそわと。文字通り浮足立つようなステップをたった数歩だけ少女は歩む。
別に初めてでもないんだから、そんなに喜ばなくても。と男は手元のパソコン端末を閉じつつ呑気に考えている。
「では、お邪魔します…!」
ぽすん。
最近お気に入りの特等席。剣が鞘に収まるようにトレーナーの膝の上にゼンノロブロイは収まる。小さな背中を男の体に沿わせ、両膝で男の両膝をゆるく挟む。お腹に回ってきたゴツゴツとした手に手を重ね、少し胸元に寄せて感触を楽しむ。
「えへへ…♪」
空いている男の手は少女の頭の上へ。邪魔な尻尾は男の腰を一周するように。ピコピコと耳は上機嫌に揺れ、ニヘラと蕩けるように頬が緩む。
そしてゼンノロブロイは溶ける思考の中の、唯一冷静な部分で毎回同じことを考える。
──私から頼んだ事とはいえ、トレーナーさんなら断ってもおかしくないんじゃないかな…?
背中に感じる温もり。ふわりと香る男性の匂い。少し乾燥ぎみの手は私の手の内。
明確に、異常なほど、距離感が近い。望んだのは私だけれど、私たちウマ娘だってトレーナーとの距離感について注意されることもある。あらぬ疑いをかけられて懲戒になるトレーナーだって居ると聞かされる。
それを理解した上でダメ元でお願いしたんだけど、まさか二つ返事で了承されるなんて。
絶対断られると思ってた。いつも通り理路整然と私が納得するように優しく諭して。
でも、しなかった。断らなかった。ずっと幸せな時間が続いていて惰性で聞けなかった。
だから、今日こそは。
「あの、トレーナーさん……」
「なんだい?」
言葉にできたのはそこまで。
「な、なんでもないです……」
「そう?」
問い返すトレーナーに元来引っ込み思案な少女は気後れする。今でさえ迷惑をかけているのに、さらに困らせるようなことを尋ねたくない。
そう思って口を
「"どうしてスキンシップを許してくれるのか"……いや、"どうしてこんなに優しくしてくれるのか"。そう聞きたいんじゃないかい?」
飲み込んだ言葉を正確に言い当てられ、思わずぎゅっと重ねた手に力がこもる。
「……やっぱりトレーナーさんはトレーナーさんですね」
驚きは少ない。三年間二人三脚でトゥインクルシリーズを駆け抜けてきた
──飲み込んだ言葉くらいは察してくれなくても良いのに。
少し恨みがましく思いながらも、それ以上に理解の深さに少女の胸が高鳴る。それだけ少女をよく見ているという証左だから。
だから、彼の優しさに甘える。
「どうして……」
それでもやっぱり迷惑かなと思ってしまうのは少女の美徳であり、自分に自信が無い時の名残でもある。
それでも彼女は一度決めたことは必ずやり遂げる。たとえそれが、ただ疑問を呈するだけでも。
「……どうしてトレーナーさんはこんなに優しいのですか?今の様子を誰かに見られたら問題になると思いますし、普通はトレーナーさんも断るんじゃないかな、と少し、思いまして……」
歯切れが悪いのは彼女の不安の表れ。ゼンノロブロイが想像できる程度の問題を、彼女のトレーナーが想定していないはずがないという信頼。ゆえに、なぜ?という疑問から不安ばかりが
「そんなの簡単なことだよ」
苦笑しつつも男はあくまで軽い口調で続ける。
「ロブロイ、きっと君は断られても諦められないだろう?」
反射的にそんなことは!と少女は言葉にしようとするも、どこか納得している自分に困惑もしている。
「"英雄"という称号にあれだけ
わざとらしく圧縮された言語。語るまでもなく伝わるという信頼と、具体的な言葉にしないことで念の為に他人に聞かれないようにとの配慮を感じる。
そして納得する。そもそもこのスキンシップはご褒美に
「そうですね。断られたくらいでは諦めないと思います」
仮に告白が断られたとしてもと心の中で付け加える。泣いて諦めようとして、でも諦めきれなくて、今度は色々と──胸とか脚とか──アピールする姿が簡単に想像できる。
例えば、今重ねているこの手を胸に押し付けるとか。
「……ロブロイ」
「もし、誰かに見つかったら、マッサージしてたと言ってください。口裏は合わせますから」
咎めるような彼の呼びかけに、詭弁で答える。
無理があるだろ、というトレーナーのつぶやきは意図的に聞かなかったことに。
だって、このドキドキはもうハグだけじゃ収まりそうにない、
「今日はこのくらいで勘弁してあげます」
「それはまた、ずいぶんとお優しいお姫様もいたもんだ」
全然物足りないと訴える文句。呆れ声の皮肉。
普段の二人を知る者なら目を見張るだろう軽口。それだけ二人の関係は気安い。
「今度のお休み、あなたのお
「良い訳ないだろ。何のためにハグで済ましてると思ってるんだ」
下心見え見えのお願いが即時却下される。実は彼女の蔵書に官能小説が少々あることは共有済み。健常な学生として興味があることも知っている。
そしてゼンノロブロイは意外と大胆である。
「では、せめて尻尾を
「……最初からそれが目的じゃないだろうな?」
この思慮深く理知的な一方で、一度決心すると頑固で感情的な少女が
「ふふっ♪幸せ、ですね♪」
「お気に召したようでなにより」
尻尾の毛を梳く度にふわりと漂う甘い香り。
ドキドキと高鳴る男の熱情を環境音に少女は
「次回から尻尾を梳くのもお願いに加えましょうか」
「……まあ、仕方ないか」
たった一言。それだけで二人の関係は進展する。お互いにわかっている。上機嫌な揶揄いと、柔らかな声での悪態からわかっている。
以心伝心だからこそ言葉にしない。だって今の関係は沈黙の上に成り立っているのだから。
「どうせなら髪も触ってくれたり──」
「頼めば何でもすると思ってないか?」