担当ウマ娘は頼めばやらせてくれる 作:カランコエ(Kalanchoe)
「……危なかったね、お兄ちゃん」
「……だから、やめようって言ったんだ」
不思議な顔をしながらトレーナー室を去るスペシャルウィークさんをブエナと二人で見送る。
「スペさんが気づかなくて良かったね……」
「……よく気づかれなかったよな」
苦笑するブエナに苦笑で返す。
「
「お兄ちゃんだってネクタイがズレてるよ」
ブエナの手が自然と俺の首元へ伸びてくる。慣れた手つきでネクタイの結び目を直し、軽くポンと胸を叩かれた。俺も同じように、彼女のブラウスの襟を指先で直してやる。
ドラマか漫画の影響だと思うがブエナはこういったお決まりのシチュエーションが好きだ。
まあ、そんなブエナに影響されて俺も好きなんだけど。
「当分、トレセン学園内でキスは禁止」
「……三年間ずっとしてたのに」
「バレたら一緒に居られないから仕方ないだろ」
「……ぶぅぶぅ」
「ぶぅぶぅ言ってもダメ」
「でも──」
「でもじゃないの」
「……ぶぅぶぅ」
俺がブエナを散々甘やかした結果、ダダをこねれば良いと思ってる節がある。これがブエナなりの甘え方なのはよく知ってるけど、何事にも節度というものがある。
「あのなブエナ。確かに俺たちが付き合い始めてからトレセン学園で担当契約を結ぶまで、恋人らしいことはひとつもしてない」
「……お兄ちゃん、ずっと勉強ばっかりだったもん」
「それは俺が悪かった」
「私だってお兄ちゃんと青春したいもん……」
「だからって、二人きりになったらキスはやめないか?」
「一回くらいはダメ…?」
「一回じゃ済まないでしょ」
ぶぅぶぅ言い出した唇を軽く塞ぐとブエナはすぐに大人しくなる。よくよく考えれば幼い頃からの習慣だが、これも良くないんだろう。
「毎週土日の外泊届だって結構言われてるんだぜ?」
「お泊まりはジェンティルさんもすっごい興味津々だったよ……」
結構言われてると言っても理由の欄に『本人の希望のため』と書いて通ってしまう程度には上役からも信頼されている。あるいは俺とブエナの幼なじみという関係性から諦められている。周りの他のトレーナーからの野次の方がうるさいくらいだ。
その程度で許されるのはGⅠを6勝したブエナの戦績と、俺とブエナの幼少期からの関係性が話題を呼んだから、というのは少し思い上がり過ぎだろうか。
「……ジェンティルドンナに全部話した訳じゃないよな?」
「話せる訳ないよ……」
「ま、話せる訳ないか」
「……いじわるはお
わざとらしくニヤリと笑うと、わかりやすくブエナは苦笑する。
「そうやってすぐに話題変えちゃうの悪い癖だよ?」
「こればっかりは治らないもんだ」
お決まりの上機嫌な叱責に
そして子供の頃から変わらず伸びてくるブエナの手。グニグニと好き勝手にされる頬。
あの頃から変わらない愛情表現。昔は力加減もわからずおっかなびっくりだった手つきが、今や慣れた手つきで軽やかに所有権を主張する。
「ねえ、私、我慢するよ。キスは一日一回にする。学園に来る前に一回。代わりに、お泊まり増やしたいな♪」
すさまじいおねだりが耳朶を叩いたので、
「ばか」
バッサリと罵倒を叩きつける。
だがそれでも、しっかりと手を組んで、うるうると上目遣いで迫ってくる幼なじみ。もう何度見たかわからない甘える構え。
「週7でお泊まりしたいなぁ♡」
「それはもう同棲なのよ」
「ね、同棲、いいでしょ?」
「寮とジェンティルドンナはどうするんだ?」
「毎日お味噌汁作るよ?お背中も流すよ?」
「卒業してからな」
「……ぶぅぶぅ」
こんなの普段のじゃれあいの延長線上だ。お互いに本気で押し付けあっている訳じゃない。
ぐりぐりと
「子供の時みたいに泣き落としでもしてみるか?」
冗談混じりに揶揄うと、
「お兄ちゃんこそ、あの頃みたいに私の口を塞いでくれないの?」
打てば響くようにブエナからも揶揄いが返ってくる。
「俺も大人になったんだよ」
「私だってそうだよ?」
すでにお互いに笑いが
もう小言でもお願いでも文句でもなく、ただいつも通りのじゃれつきにしかならない。
「確かめてみる?」
「帰ってからな」
バカ言ってる幼なじみを適当にあしらう。構っておかないと面倒なことになるのはわかりきっていて、構い過ぎるとより面倒になることもわかっている。だから、ほどほどに、適当に。
それはブエナもわかっているだろうけど。
「いいよ。トレーナーさん。学園ではちゃんと担当ウマ娘とトレーナーとして我慢する」
わかっていてもいなくても、ブエナは昔から聡い子供だった。だから今だって、真面目にしないといけない境界線はよくわかっている。
名残惜しそうに俺の胸のあたりに頬擦りしてから温もりが離れる。
「あの日の約束を。あの日見た絶景を。そして、私のためにトレーナーになってくれたあなたのためにも。真剣にしないといけないのは、わかってるから」
さっきまでの幼い頃からお馴染みの甘えるような声とは違う、トップアスリートとしての静かな声音。
だからね?と少し寂しげに、あの頃よりもずいぶんと大人っぽい顔をしたブエナが微笑む。
そして、その微笑みの裏に子供っぽいブエナが居ることがわからないほど付き合いは短くない。
「……はぁ、金曜──」
ちらり。うるうる。
「──と、月曜か木曜でなんとか打診してみる」
「やったー!お兄ちゃん大好き♡」
「これから打診するんだから、せめて通ってからやれ」
「はーい♪」
早速反故にされる約束と、結局流される俺。
一般的に担当トレーナーは担当ウマ娘のために人生を賭けられると畏敬と皮肉を以て讃えられるが、俺たちの
「……はぁ、せめて俺くらいは自制できるつもりだったんだけどなぁ」
「ちょっと私がくっつくと崩れる自制心だったよね?」
「無理に決まってんだろ。こちとら女性経験一人だぞ」
今更『一人』の部分で喜ぶようなブエナでも無い。別に隠してる訳でもない。散々ブエナに揶揄われた理由でもあり、散々ブエナが喜んだ理由でもある。
ただ、俺の腕に絡みつく手のひらの力が、ほんの少しだけ強くなり、ぴたりと体温が重なる。
「私はお兄ちゃんに我慢して欲しくなかったから」
「俺だってブエナを待たせてたのは知ってるから」
自然に距離が縮まる。
「やめやめ。そろそろミーティングに戻るぞ」
「……はーい。トレーナーさん」
温もりが離れていき、ようやく学園での、トレーナーとしての生活が戻ってくる。
「……そういえば、今日のお夕飯どうしよっか?」
「帰ってからでもいいだろ、そういう話は」
翌週の月曜日、たづなさんが
……まあ、せめてもう少し隠す努力くらいしろってことだな。