ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター   作:ルルルだ。

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11話 イルミナティ

光あふれるイルミナティ本部の広間。

その静寂は、非常警報のサイレンではなく、もっと生々しい「音」によって破られた。

 

「グチャリ」という、濡れた雑巾を絞るような不快な音。

そして、鉄の扉が飴細工のように内側へへこみ、蝶番が悲鳴を上げて弾け飛んだ。

 

そこには、深紅の霧と黒い呪力の残滓を纏った女が立っていた。

スカーレット・ウィッチ。

ワンダ・マキシモフだ。

彼女の足元からは、ドロリとした影が広がり、美しい大理石の床を侵食していく。その影の中には、狭間の地で従えた亡者たちや、東京で取り込んだ低級呪霊たちが蠢いていた。

 

「……お待ちしておりました」

イルミナティのリーダー格、リード・リチャーズ(ミスター・ファンタスティック)が、冷静さを装いながら一歩前へ出た。

「ワンダ、君の苦しみは理解できる。だが、これ以上の暴力は――」

 

「理解?」

ワンダは首を傾げた。その瞳は完全に赤く染まり、人間的な理性が欠落しているように見えた。

「あなたたちに何が分かるの? 息子を失う痛みも、指を喰らう味も、星を砕く高揚感も!」

 

「ブラックボルト!」

リードが叫ぶ。「彼女を無力化しろ! 口を開かせろ!」

 

ブラックボルト王が、ワンダに向かって口を開こうとした。

彼の一声は、山をも砕くソニックブームを生み出す。どれほど強力な魔女でも、声を発する前に吹き飛ばせば終わりだ。

 

だが。

 

「……『沈黙』」

 

ワンダが小さく呟き、指を鳴らした。

瞬間、現実が書き換えられた。

ブラックボルトが口を開こうとしたその時、彼の口があるべき場所には、皮膚しかなかった。

唇が、歯が、舌が、存在しない。

つるりとした皮膚が、鼻の下から顎までを覆っていた。

 

「ムグッ!? ウンウッ!!」

ブラックボルトがパニックに陥り、喉の奥で悲鳴を上げようとする。だが、出口のない衝撃波は彼の頭蓋骨内部で反響し――。

 

バシュッ。

 

鈍い音と共に、ブラックボルトの頭部が内側から陥没し、崩れ落ちた。

 

「ブラックボルト!!」

キャプテン・マーベルが叫び、全身を発光させて突っ込む。

「貴様ァァァ!!」

 

「騒がしいわね」

ワンダは動じることなく、左手をかざした。

東京で五条悟と戦った経験が、彼女に「空間操作」の応用を教えた。

そして、狭間の地で見たラダーン将軍の重力魔法。

 

「地に伏せなさい」

 

ズドォォォォォン!!!

 

マリアの身体に、惑星一個分に匹敵するような超重力がのしかかった。

彼女の強靭な肉体とエネルギーシールドが、メリメリと音を立てて圧縮される。

「ぐ……あぁ……!」

床が抜け、彼女は地下深くまで叩きつけられ、その上の瓦礫が巨大な墓標のように積み重なった。

 

「リード! 下がれ!」

キャプテン・カーターがヴィブラニウムの盾を投げつける。

高速で回転する盾は、戦車すら切断する威力を持つ。

 

しかし、ワンダはその盾を「止める」ことすらしなかった。

「『解』」

 

彼女が指先を振るう。

宿儺の斬撃。

空中で盾が真っ二つに裂け、その延長線上にいたリード・リチャーズの身体が、縦に数本の線を描いた。

 

「え……?」

リードが自分の身体を見下ろす。

次の瞬間、彼の身体は千切れたゴムのようにバラバラになり、床に崩れ落ちた。

血の雨が降る。

 

「化け物……!」

キャプテン・カーターがジェットパックで突進するが、ワンダは退屈そうにあくびをした。

「盾がないキャプテンなんて、ただの兵士よ」

 

ワンダの背後から、禍々しい「黒い茨」のようなエネルギーが噴出した。

それは狭間の地の「死のルーン」と、カオス・マジックが融合したもの。

茨がカーターの腹部を貫き、壁に縫い付けた。

「ガハッ……」

「終わりよ」

ワンダが手を握りしめると、茨が爆発し、カーターの身体は光の粒子となって消滅した。

 

残されたのは、車椅子の老人、チャールズ・エグゼビアだけだった。

彼は静かに目を閉じていた。

物理的な戦闘力はない。だが、彼には世界最強のテレパシーがある。

 

「ワンダ・マキシモフ」

プロフェッサーXの声が、彼女の脳内に直接響く。

「君の中には、まだ良心が残っているはずだ。私はそこへ行く」

 

彼は精神世界へダイブした。

ワンダの心の中にある、瓦礫に埋もれた「本来の彼女」を救い出すために。

 

精神世界。

そこは、燃え盛る荒野だった。

エグゼビアは、瓦礫の下で泣いている赤い服の女性を見つけた。

「ワンダ! 私だ! 手を取るんだ!」

 

彼が手を伸ばそうとしたその時。

背後の赤い霧の中から、四本の腕と二つの顔を持つ、異形の影が立ち上がった。

 

『……誰の許可を得て、俺の庭に入っている?』

 

両面宿儺の意識。

そして、その周囲を飛び回る、おぞましいチェンソーの悪魔の幻影。

さらに、ダークホールドの悪意そのものが、巨大なスカーレット・ウィッチの姿をとってエグゼビアを見下ろした。

 

「な……なんだ、これは……!」

エグゼビアが戦慄する。

彼女の精神は、もはや一人の人間のものではない。

数多の世界の「呪い」と「悪意」が煮詰められた、地獄の壺だ。

 

『消えろ』

 

精神世界のスカーレット・ウィッチが、エグゼビアの首を掴み、へし折った。

 

現実世界。

車椅子の上のエグゼビアの首が、カクリと力なく垂れ下がった。

彼の目は虚空を見つめたまま、二度と動くことはなかった。

 

全滅。

あのアベンジャーズすら凌ぐと言われたイルミナティが、わずか数分で壊滅した。

 

「……弱すぎる」

ワンダは血に濡れた素足で、死体の間を歩いた。

彼女の視線は、部屋の奥にある重厚な扉に向けられていた。

そこに、スティーヴン・ストレンジとアメリカ・チャベスの気配がある。

 

「ストレンジ! 逃げるぞ!」

モルドは、あまりの惨状に戦意を喪失し、裏口へと走り去っていた。

ストレンジとアメリカは、混乱に乗じて、イルミナティが隠していた「ウェイポイント」の扉を開けた。

そこは、宇宙と宇宙の狭間(ギャップ・ジャンクション)へと続く通路。

『ヴィシャンティの書』への道だ。

 

「急げ、アメリカ! 彼女が来る!」

 

二人が通路へ飛び込むと同時に、背後の壁が爆発した。

粉塵の中から、鬼神の如き形相のワンダが現れる。

その姿は、映画で見た母親の面影など微塵もない。

全身に呪いの紋様が浮かび上がり、背中からは呪霊の翼と、カオス・マジックのオーラが混ざり合った、禍々しい光輪が出現していた。

 

「逃がさないと言ったはずよ、スティーヴン」

 

彼女は床を蹴った。

その速度は、音速を超えていた。

通路の床がめくれ上がり、彼女の通過した空間がガラスのようにひび割れていく。

 

「走れ! 振り返るな!」

ストレンジが叫び、通路の足場を魔法で崩して妨害しようとする。

だが、ワンダは崩れる足場など意に介さず、空中に「足場」という概念を創造して駆け抜けてくる。

 

「しつこすぎる!」

アメリカが悲鳴を上げる。

 

前方には、神々しい光を放つ祭壇が見えた。

夢で見た場所。

そして、そこにある『ヴィシャンティの書』。

 

「あれだ! あれがあれば!」

ストレンジが手を伸ばす。

 

しかし、ワンダとの距離は縮まっていく。

「させるかッ!!」

ワンダの手から、宿儺の炎『開』が放たれた。

一直線に迫る灼熱の矢。

 

ストレンジは走りながら振り向き、全力で防壁を展開する。

「ヴィシャンティの加護よ!」

 

ドォォォォォォォン!!!

 

炎が防壁に激突し、爆風がストレンジとアメリカを祭壇の方へ吹き飛ばした。

二人は転がりながら、ついに祭壇の前にたどり着く。

 

「本を! 取れ、アメリカ!」

 

アメリカが光り輝く書物に手を伸ばす。

しかし、その指が表紙に触れる寸前。

 

ヒュン。

 

赤いカオス・マジックの鞭が、本を絡め取った。

「え?」

 

「残念」

背後から、冷酷な声。

ワンダが空中に浮き、本を引き寄せていた。

 

「ヴィシャンティの書……どんな魔術も無効化する、至高の白魔術」

彼女は本を目の前で浮かせ、小馬鹿にするように笑った。

「でも、私が使っているのは魔術だけじゃない」

 

彼女の左手が黒く変色し、呪力が練り上げられる。

「『呪い』の前では、聖なる書物などただの紙切れよ」

 

ボッ。

 

ワンダの手の中で、全マルチバースの希望であった『ヴィシャンティの書』が、黒い炎に包まれて燃え上がった。

「嘘だろ……」

ストレンジが絶望に膝をつく。

 

「終わりよ、スティーヴン」

ワンダは燃えカスを捨て、ゆっくりと二人に近づいた。

「アメリカ・チャベス。あなたの力を頂くわ」

 

絶体絶命。

イルミナティは全滅し、ヴィシャンティの書は燃えた。

最強の魔術師ストレンジにも、もう打つ手がないように思えた。

 

その時。

アメリカのポケットの中で、何かが小さく振動した。

それは、東京で別れ際に五条悟が「お土産」と言ってこっそり入れた、奇妙な包みだった。

 

『困った時は、それを開けな。……まあ、劇薬だけどね』

 

アメリカは震える手で、その包みを握りしめた。

「……まだ、終わりじゃない」

 

彼女の瞳に、星型の光が宿る。

そして、彼女は包みをワンダに向かって投げつけた。

 

「これを食らえッ!!」

 

包みが空中で解ける。

中から飛び出したのは、赤黒い干からびた物体。

高専でワンダが取り込み損ねた、「宿儺の指」の一本だった。

 

「指!?」

ワンダが反応して手を伸ばす。

その一瞬の隙が、運命を変える。

 

「ストレンジ! 今!」

アメリカが叫び、自らの能力を暴走覚悟で解放した。

星型のポータルが、ワンダの至近距離で炸裂する。

 

「どこへ飛ばす気だ!?」

「あいつが一番嫌がる場所! ……あいつの『原点』へ!」

 

ポータルの向こうに見えたのは、廃墟と化したウェストビューの街並み。

そして、そこに佇む「もう一人のワンダ(アース-969)」の家だった。

 

「ダメ……そこはダメよ!」

ワンダが初めて狼狽した。

子供たちとの思い出、そして自らが壊した幸せの残骸。

 

ストレンジは残りの魔力を全て叩き込み、ワンダをポータルへと押し込んだ。

「自分自身と向き合え、ワンダ!」

 

光が弾け、三人は再び次元の彼方へと消えていった。

最終決戦の舞台は、全ての始まりの場所。

そして、そこには意外な「助っ人」が待ち受けていた……。

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