ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター   作:ルルルだ。

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13話 侵蝕する境界

それは終わりではなく、より深い混沌(カオス)への入り口に過ぎなかった。

 

ワンダ・マキシモフがウンダゴア山で自らを犠牲にし、ダークホールドを葬り去ってから数週間。

スティーヴン・ストレンジは、日常を取り戻したように見えた。だが、彼の肉体と魂には、決して消えることのない「爪痕」が刻まれていた。

 

ニューヨーク、ブリーカー街。

午後の日差しがサンクタムの丸窓から差し込んでいるが、ストレンジにとっては、その光さえもが不快なノイズのように感じられた。

 

「……ッ、ぐぅ……!」

 

ストレンジは洗面台の鏡を鷲掴みにし、激しい頭痛に呻いた。

視界が歪む。鏡に映る自分の顔が、一瞬だけ別の誰か――腐敗したゾンビのような自分や、三つ目の悪魔のような自分に重なって見える。

 

額が熱い。焼けるようだ。

彼がおそるおそる額に手を当てると、皮膚が裂け、そこから「第三の目」がギョロリと開いた。

だが、その瞳が見ているのはこの世界の風景ではない。

 

『ギャアアアア……』

『殺してやる……人間……』

 

幻聴ではない。

それは、別次元から漏れ聞こえる怨嗟の声。

東京での戦い、ワンダが引き起こした次元融合の影響で、アース-666の霊的防壁には目に見えない「亀裂」が生じていた。その隙間から、彼らの世界には本来存在しないはずの「呪い」の瘴気が、霧のように滲み出し始めていたのだ。

 

「まだ……終わっていないというのか」

 

ストレンジが冷たい水で顔を洗おうとした瞬間。

 

バシュッ!!

 

背後の空間が、鋭利な刃物で切られたように裂けた。

紫色のエネルギーが渦巻き、サンクタムの保護魔法をまるで紙切れのように引き裂いていく。

 

「誰だ!」

ストレンジが振り返り、魔法円を展開する。

 

裂け目から現れたのは、白銀の髪に紫の戦闘衣を纏った、冷ややかな美貌の女性だった。

彼女の瞳には、地球の魔術師とは異なる、暗黒次元(ダーク・ディメンション)の深淵な魔力が宿っている。

 

「ドクター・ストレンジ」

彼女――クレアは、敵意とも親愛ともつかない複雑な表情で彼を見据えた。

 

「あなたが引き起こした『インカージョン』のせいで、多元宇宙の境界線が腐り始めているわ」

クレアは、エネルギーの刃を作り出し、空間の裂け目を指し示した。

「責任を取ってもらうわよ。……ついて来て」

 

「インカージョンは阻止したはずだ」

「いいえ。物理的な衝突は防いだけれど、『概念』の汚染は止まっていない」

クレアは一歩近づき、低い声で告げた。

「聞こえるでしょう? この街の地下から響く、チェンソーの音と、呪いの王の笑い声が」

 

ストレンジの第三の目が激しく脈打った。

彼は悟った。ワンダが消えても、彼女が持ち込んだ「異物」はこの世界に残されたままだということに。

 

「……分かった。行こう」

 

ストレンジはマントを翻し、クレアと共に暗黒の裂け目へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

同時刻。ニューヨーク、ヘルズ・キッチン地区。

湿った路地裏のゴミ捨て場。

 

オレンジ色の小さな犬のような悪魔――ポチタ(あるいはその眷属)が、あの日ワンダと共に消滅したはずの「宿儺の指」を飲み込んでから、数時間が経過していた。

 

「ワン……」

 

ポチタが苦しげに鳴いた。

可愛らしいその体が、内側からの拒絶反応でボコボコと膨れ上がる。

「指」は消化されない。それどころか、特級呪物としての強力な自己防衛本能と、悪魔の再生能力が、最悪の形での化学反応を起こしていた。

 

ドクン。ドクン。

 

心臓の鼓動が変わる。

エンジンのアイドリング音のような「ブルルルル……」という音に、重低音の呪いの鼓動が重なる。

 

影が伸びる。

路地裏のネズミたちが、恐怖で硬直死するほどの殺気が爆発した。

 

「ギ……ガァ……」

 

オレンジ色の体が裂け、黒い紋様が浮かび上がる。

頭部のチェンソーが黒く変色し、その刃の一枚一枚が、宿儺の斬撃のような鋭利な呪力の刃へと変質していく。

 

ギャリギャリギャリギャリ……!!

 

路地の壁が、触れてもいないのに切り刻まれていく。

そこに誕生したのは、チェンソーマンでも宿儺でもない。

「恐怖」と「呪い」が融合した、理屈の通じない捕食者。

 

『特級特定呪霊・チェンソーの悪魔』

 

怪物は、虚空に向かって咆哮した。その声は次元の壁を震わせ、遠く離れた日本の呪術師たちにさえ届くほどの波動となっていた。

 

 

 

 

アース-JJK(呪術廻戦)。

復興作業が進む高専の瓦礫の上に、一人の男が立っていた。

 

五条悟ではない。

袈裟を着た、額に縫い目のある男――羂索。

 

彼は、ワンダによって一時的に開けられた次元の穴の痕跡を、恍惚とした表情で見上げていた。

 

「素晴らしいね」

羂索は笑みを浮かべた。

「私が目指していた『天元と人類の同化』……その先にある混沌を、あの魔女は一瞬で見せてくれた」

 

彼の背後には、特級呪霊たちが控えている。

「宿儺の指が一本、向こうの世界に持ち去られた。普通なら回収は不可能だが……今のこの『穴』の状態なら、こちらの呪力を送り込むことはできる」

 

羂索は、懐から取り出した特級呪物「獄門疆・裏」のようなキューブを弄んだ。

 

「世界が混ざり合っている今こそ、死滅回游のルールを追加しよう」

「ルール追加。――『他次元からの参加者を認める』」

 

コガネが飛来し、承認のアナウンスを告げる。

羂索の狙いは、マーベル・ユニバースに残された「呪いの火種」を利用し、地球全土を巻き込んだ巨大な呪術儀式を行うこと。

 

「さあ、始めようか。五条悟が向こうの後始末に気を取られている間に」

 

 

 

ニューヨークの上空。

ストレンジとクレアが次元の裂け目から飛び出すと、眼下の街は異様な光景に変貌していた。

 

マンハッタンの一部が、グニャリと歪んでいる。

ビル群が肉のように脈打ち、窓ガラスが無数の「目」に変わり、道路からは巨大な骨のような棘が突き出していた。

 

「領域展開……!?」

ストレンジが息を呑む。

それは、かつて渋谷で見た光景に似ていたが、もっと無秩序で、制御不能な浸食だった。

 

その中心に、黒いチェンソーの轟音を響かせる「影」がいる。

 

「あれは悪魔であり、呪いでもある」

クレアが魔術のダガーを構える。

「ドクター、あなたの世界は今、パラサイトに寄生されているのよ。外科手術が必要だわ」

 

「ああ。麻酔なしの大手術になりそうだ」

 

ストレンジは第三の目を見開き、マント・オブ・レビテーションをなびかせて降下を開始した。

その時、彼の背後のポータルが再び開く。

 

「先生! 待って!」

アメリカ・チャベスが飛び出してきた。

そして、彼女だけではない。

彼女のポータルの向こう側から、見慣れた、しかし場違いな二人の少年が転がり落ちてきた。

 

「いったぁ……! んだよここ!?」

ピンク髪の少年、虎杖悠仁。

「……最悪だ。また繋がったのか」

黒髪の少年、伏黒恵。

 

五条悟の指示か、あるいは宿儺の指への共鳴か。

呪術師たちが再び、アース-666の地を踏んだ。

 

「ようこそ、地獄のニューヨークへ」

ストレンジは皮肉っぽく笑い、彼らに告げた。

「観光案内は省略する。……あの『音』が聞こえるか?」

 

街の中心から響く、エンジン音と斬撃の嵐。

虎杖の顔色が変わる。

「宿儺の気配……でも、なんか違う。もっとヤバい何かが混ざってる!」

 

世界と世界の傷口から膿み出した、新たな災厄。

魔術師と呪術師、そしてデビルハンターの概念が混ざり合う、第2ラウンドのゴングが鳴らされようとしていた。




※この世界の羂索はワンダが残したダークホールドの残骸を取り込んだカオス・マジックを自身の術式で取り込み、五条悟を封印せず無理矢理『死滅回遊』を開始しました。
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