ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター 作:ルルルだ。
「伏せろ、子供たち!」
スティーヴン・ストレンジの叫びと同時に、目の前の空間が「断裂」した。
ギャリギャリギャリギャリギャリッ!!
耳をつんざくようなエンジンの空吹かし音。だが、それは物理的な空気の振動ではない。空間そのものがノコギリで削り取られるような、精神を逆撫でする不協和音だ。
ストレンジが展開した「セラフィムの盾」に、目に見えない斬撃が激突する。
オレンジ色の火花が散り、魔法の盾に亀裂が走った。
「なッ……!」
ストレンジが驚愕する。ヴィシャンティの書を失ったとはいえ、彼の防御魔法は核攻撃さえ防ぎ得る強度を持つ。それが、たった一撃でバターのように削られたのだ。
「先生、あいつだ!」
アメリカ・チャベスが指差す先。
マンハッタンの交差点、蒸気を吹き上げるマンホールの上に、その「怪物」は鎮座していた。
大きさは大型犬ほど。だが、その姿は生物の理を逸脱している。
全身がコールタールのような黒い粘液で覆われ、そこからオレンジ色のチェンソーの刃が突き出している。そして何より異質なのは、その胴体に浮かび上がる、両面宿儺特有の「刺青」の紋様だった。
『ヴォォォォォン……!!』
怪物が唸る。その口元からは、よだれのように呪いの瘴気が垂れ流されている。
ポチタの愛らしさは微塵もない。宿儺の指を取り込んだことで、悪魔の心臓が「呪いの炉心」へと変質し、破壊衝動のみが肥大化した殺戮兵器。
「特級特定呪霊……いや、悪魔とのハイブリッドか」
伏黒恵が冷や汗を拭いながら、即座に印を結んだ。
「虎杖、気をつけろ! 宿儺の気配がするが、動きは獣だ。予測できない!」
「おう!」
虎杖悠仁がアスファルトを蹴った。
超人的な身体能力で、ビルの壁面を三角飛びし、怪物の頭上へ躍り出る。
「返せよ! それは俺たちの世界の落とし物だ!」
虎杖の拳に、赤黒い呪力が圧縮される。
「逕庭拳!」
ドガァッ!!
遅れてやってくる二重の衝撃が、怪物の脳天を直撃した。
普通の呪霊ならこれで吹き飛ぶはずだ。だが、怪物は頭を僅かに揺らしただけで、背中のハンドルをブルンと震わせた。
ギャンッ!
背中から第三のチェンソーが出現し、虎杖の胴体を薙ぎ払おうとする。
「危ない!」
ストレンジが「エルドリッチ・ウィップ」を飛ばし、虎杖の足首を掴んで空中に引き戻した。
一瞬遅れて、虎杖がいた空間が、不可視の斬撃によって真空状態となり、背後の信号機が粉々に砕け散った。
「魔法使いのおっさん、サンキュ!」
虎杖が空中で体勢を立て直す。
「礼は後だ。……おい、呪術師。あいつには魔法が効きにくい。物理的な質量よりも、『負の感情』と『恐怖』で構成されているからだ」
ストレンジは第三の目を開き、怪物の構造を解析していた。
「あいつの刃は、触れた対象の『概念』を切断する。盾も鎧も意味がない」
「なら、影で沈めるまでだ」
伏黒が影の中に沈み込み、怪物の死角から飛び出した。
「『玉犬・渾』!」
巨大な黒い狼が顕現し、怪物の喉笛に食らいつく。
同時に、ストレンジの隣にいたクレアが、暗黒次元の短剣を生成し、投擲した。
「挟み撃ちよ!」
魔法と式神の同時攻撃。
怪物は「ギャウッ!」と声を上げたが、次の瞬間、その全身からドス黒いオーラが爆発した。
『――解』
宿儺の斬撃が、チェンソーの回転に乗せて全方位に放射された。
玉犬が弾き飛ばされ、クレアの短剣が粉砕される。
さらに、斬撃の余波が周囲のビル群を襲った。
ズズズズズ……。
タイムズスクエアの巨大な広告塔が、斜めに滑り落ちる。
「嘘だろ……」
アメリカが絶句する。
逃げ惑うニューヨーカーたち。
悲鳴とサイレンが響き渡る中、怪物は瓦礫の山頂で、月に向かって遠吠えをした。
その声に呼応するように、マンハッタンの空色が変わり始めた。
空が、夜の闇よりも深い「墨汁」のような黒に覆われていく。
それは、虎杖や伏黒が見慣れた光景だった。
「『帳』……!?」
伏黒が空を見上げる。「誰が降ろした? この世界に呪詛師はいないはずだ」
「いいえ、いるわ」
クレアが忌々しげに吐き捨てた。
「あの怪物が『楔』になっている。あいつが放出する膨大な呪力が、この街全体を異界として隔離しようとしているのよ」
その時。
ストレンジ、虎杖、伏黒、アメリカ、そして逃げ惑う市民たちの頭上に、小さな妖精のような式神が出現した。
目玉に羽が生えたような、不気味な造形。
『ピンポンパンポーン!』
コガネの陽気な声が、絶望的な状況に不釣り合いに響く。
『新規プレイヤーの参加を確認しました! アース-666、ニューヨーク・コロニーへようこそ!』
「コロニーだと?」
ストレンジがコガネを睨む。「何だこのふざけた使い魔は」
『現在、"羂索"様によるルール追加が行われました』
コガネがくるりと回り、空中にホログラムの文字を投影する。
【死滅回游・追加ルール】
・ニューヨーク(マンハッタン島)を結界内(コロニー)と認定する。
・結界内における「超人(ヒーロー)」および「魔術師」を、泳者(プレイヤー)と見なす。
・異界の「呪物(宿儺の指)」を飲み込んだ「特級悪魔」を祓った者には、100点が与えられる。
「ふざけるな!」
虎杖が叫ぶ。「こっちの世界まで巻き込む気か、羂索!」
「状況は把握した」
ストレンジは冷静さを取り戻し、マントをなびかせた。
「つまり、あのチェンソーの化け物を倒せば、このふざけたゲームも終わるということだな?」
「基本的にはそうです」伏黒が答える。「ですが、この結界……ただ閉じ込めるだけじゃない。一般人の負の感情を吸い上げて、中の呪霊を活性化させる仕組みになっています」
見れば、路地裏の影から、有象無象の低級呪霊たちが湧き出し始めていた。
巨大なハエ、人の顔をした芋虫、笑うトカゲ。
それらが、パニックに陥った市民たちに襲いかかろうとしている。
「一般人を守りながら、あの特級を倒す……。骨が折れるな」
ストレンジは両手で印を結び、分身魔法を展開した。
数十人のストレンジが、市民を守るために散開する。
「アメリカ、君はクレアと共に結界の『端』を探れ。外部との通信が可能か、あるいは脱出経路があるかを確認するんだ」
「わかった! 気をつけてよ、先生!」
アメリカとクレアが空へ飛び立つ。
残されたのは、ストレンジ、虎杖、伏黒。
そして、目の前には、瓦礫の玉座でエンジンを吹かす「呪いの悪魔」。
「行くぞ、少年たち」
ストレンジは、アガモットの目を輝かせた。
「魔術と呪術の即席チームだ。足手まといになるなよ」
「そっちこそ!」
虎杖が構える。
「伏黒、あいつの斬撃、見切れるか?」
「いや、速すぎる。だが、タメがあるはずだ。エンジン音が高まった瞬間が合図だ」
三人が同時に動き出した。
ストレンジが魔法の鎖で怪物の足を拘束する。
「クリムゾンの帯!」
怪物がバランスを崩した隙に、伏黒が上空から「満象」を落下させる。
数トンの水圧と重量が怪物を押し潰す。
「今だ、虎杖!」
虎杖が瓦礫を蹴り、怪物の懐に飛び込む。
彼の拳に、黒い火花が散った。極限の集中力が生み出す、空間の歪み。
「黒閃ッ!!!」
ドォォォォォン!!!!
空間が黒く光り、怪物の胸部にある「チェンソーのエンジン部分」を直撃した。
金属がひしゃげる音と共に、怪物が初めて苦悶の声を上げて吹き飛んだ。
「効いたか!?」
しかし。
土煙の中から、ゆらりと影が立ち上がった。
怪物の胸には大きな風穴が開いていたが、そこから黒い触手が伸び、瞬く間に傷を修復してしまった。
それどころか、怪物の背中から、さらに禍々しい「四本の腕」が生えてくる。
『……リョ……イキ……』
怪物が、片言の言葉を発した。
それはポチタの声ではなく、指に宿る宿儺の記憶が再生させた呪詛。
『リョウイキ……テン……カイ……』
「まずい!!」
伏黒が顔面蒼白になる。「逃げろ!!」
怪物が両手の指(チェンソーの刃)を交差させた。
領域展開・『伏魔・地獄変』
瞬間。
タイムズスクエアの風景が消失した。
代わりに現れたのは、無数のチェンソーが回転する壁と、牛骨の代わりに悪魔の頭蓋骨が積み上げられた、血の池地獄。
必中必殺の斬撃と、対象の恐怖を具現化して切り刻む悪魔の能力。
二つの理が融合した、逃げ場のない処刑場。
「クソッ、私の魔法障壁でも防ぎきれんぞ!」
ストレンジが全力で防御円陣を展開するが、外側からガリガリと削られていく。
「俺が領域を押し返す!」
伏黒が印を結ぼうとするが、ストレンジが止めた。
「いや、君の領域では完成度が足りない。押し負けて死ぬぞ」
「じゃあどうするんだよ!」
絶体絶命の危機。
その時、結界の空――黒い帳の天井を突き破って、一筋の「赤い糸」が垂れてきた。
糸はストレンジたちの目の前に落ち、一人の男の形を成した。
赤と青のスーツ。
胸に蜘蛛のマーク。
ニューヨークの親愛なる隣人。
「おいおい、僕の街で勝手に『お化け屋敷』始めないでくれる?」
スパイダーマンが、瓦礫の上に着地した。
彼は軽口を叩きながらも、そのレンズの奥の目は真剣そのものだった。
「ドクター、遅れてすいません。……なんか、すごいことになってますね」
「ピーターか!」
ストレンジが少しだけ表情を緩めた。
「君一人増えたところで、この領域内では……」
「一人じゃないですよ」
スパイダーマンは親指で上を指した。
帳の裂け目から、さらに二つの影が降りてきた。
一人は、盲目の弁護士にして、ヘルズ・キッチンの悪魔――デアデビル。
もう一人は、黒いコートに身を包み、日本刀と拳銃を構えたダンピール――ブレイド。
「吸血鬼の匂いかと思ったが……もっと腐った臭いがしやがる」
ブレイドが刀を抜く。
「音で分かる。あいつの『核』は心臓じゃない。……右腕の刃の中だ」
デアデビルが感覚を研ぎ澄ませて告げる。
マーベルのストリート・ヒーローたちと、呪術高専の生徒たち。
異色の混成チームが、領域の中で円陣を組んだ。
「作戦変更だ」
ストレンジがニヤリと笑った。
「ヒーローと術師の総力戦で、この領域を内側から食い破る」
「上等だ!」
虎杖が拳を鳴らす。
マンハッタン死滅回游、第1回戦のクライマックスが始まろうとしていた。