ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター 作:ルルルだ。
「『ぱん』」
マキマの指先から放たれたのは、銃弾ではない。不可視の「衝撃」であり、対象を捻じ伏せるという「命令」の具現化だった。
ドォォォォン!!
スティーヴン・ストレンジが瞬時に展開した「セラフィムの盾」が、激しく振動した。
琥珀色の魔法障壁に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「ぐぅッ……!」
ストレンジは後方に滑り、ブーツが地獄の湿った草を削る。
「見えない質量弾か。物理的な破壊力だけならサノス級だぞ」
「ふーん」
マキマは小首を傾げた。その表情には驚きも焦りもない。
「耐えるんだ。……悪い子」
彼女の背後で、銃の悪魔(の頭部を持つ人形)がカタカタと動き出した。
さらに、羂索から借り受けたと思われる特級呪霊、漏瑚と花御が、虚ろな目でストレンジたちを取り囲む。
「おいおい、冗談だろ」
ブレイドが日本刀を構え、サングラス越しに敵の群れを睨んだ。
「吸血鬼のパーティー会場にしちゃあ、客層が悪すぎるぜ。火山頭に、木の化け物だと?」
「気をつけて! あいつらは特級だ!」
虎杖悠仁が叫ぶ。
「処理を始めます」
マキマが指を鳴らした。
ダダダダダダダダダダッ!!
銃の悪魔の口径から、人間には視認不可能な速度で鉛弾の嵐が放たれた。
同時に、漏瑚が火礫蟲を放ち、花御が木の根を暴走させる。
「散開しろ!」
ストレンジが叫び、「ワトゥームの風」を巻き起こして銃弾の軌道を逸らす。
だが、その弾丸の数は億を超えている。
「ぐあッ!」
伏黒恵の肩を、逸れ弾が掠めた。鮮血が飛ぶ。
「伏黒!」
虎杖が駆け寄ろうとするが、地面から巨大な木の根が突き出し、行く手を阻む。
「邪魔だぁッ!」
虎杖は「逕庭拳」で根を粉砕するが、再生速度が異常に速い。
「私の番だ」
クレアが宙に舞い、暗黒次元の魔法陣を描く。
紫色の稲妻が走り、銃の悪魔の人形を両断しようとする。
しかし、マキマがただ一言、
「『伏せ』」
と命じると、クレアの身体に目に見えない重力がのしかかり、魔法陣が霧散して地面に叩きつけられた。
「なっ……魔法そのものを『服従』させた!?」
クレアが地べたで呻く。
「あなたたちは、私よりも格下」
マキマは静かに歩み寄る。その足取りは、散歩でもするかのように軽やかだ。
「理解できない? 私が『下』だと認識した存在は、私の所有物になるんだ」
彼女の視線が、アメリカ・チャベスに向けられた。
「その星型の目……素敵。チェンソーマンの心臓の次に、あなたが欲しくなった」
「ひっ……」
アメリカが後ずさる。マキマの黄金の瞳に見つめられた瞬間、自分の意志が溶かされ、鎖で繋がれるような感覚に襲われたのだ。
(逃げなきゃ……でも、体が動かない……)
「アメリカ!」
ストレンジが割って入ろうとするが、漏瑚の極ノ番『隕』――巨大な炎の隕石が頭上から降り注ぐ。
「チッ、数が多い!」
絶体絶命の戦場。
だが、イレギュラーが一つだけあった。
虎杖悠仁の頬に、再び「口」が裂けた。
『……不愉快だ』
低い、地を這うような声。
虎杖の身体の主導権が、一瞬にして入れ替わる。
顔に紋様が浮かび上がり、両面宿儺が表出した。
「おい、小僧の体を借りるぞ」
宿儺は、襲いかかってきた花御の木の根を、見るまでもなく『解』で細切れにした。
そして、彼はマキマを睨みつけた。
「女。俺を『格下』と見たか?」
マキマが足を止め、宿儺を見返した。
「両面宿儺。……うん、今のあなたは指16本分。完全体ではない」
「だから『支配』できると?」
宿儺が嗤った。
次の瞬間、宿儺の姿が消えた。
マキマの目の前に現れ、至近距離から斬撃を放つ。
ザシュッ!!
マキマの首が飛び、胴体が袈裟斬りにされた。
鮮血が噴水のように舞う。
「終わったか?」
ブレイドが問う。
だが、宿儺はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……チッ」
切断されたマキマの身体から、シューッという音が立ち昇る。
傷口が糸を引くように繋がり、飛び散った血さえも逆再生のように戻っていく。
そして、彼女は無傷で立ち上がった。
「日本の首相との契約」
ストレンジが第三の目でその因果律を見抜いた。
「彼女への攻撃は、すべて日本国民への『事故』や『病気』に変換される。……彼女を殺すには、一億回殺し続けるしかない」
「なんてふざけた契約だ」
ブレイドが唾を吐く。「俺たちに一般人を虐殺しろってのか?」
「それもいいが」
宿儺は残忍な笑みを浮かべた。
「俺は構わんぞ? 鏖にする手間が省ける」
「ダメだ!」
虎杖の意識が抵抗し、宿儺の顔を半分押し戻す。
「そんなことさせねーよ!」
「騒がしい人たち」
マキマは服の汚れを払い、冷徹な目を向けた。
「お遊びは終わり。……『地獄の悪魔』、彼らを闇へ送って」
空に浮かぶ巨大な扉が開き、6本の指を持つ巨大な手が、ストレンジたちを掴もうと降りてきた。
その時。
地獄の空気が凍りついた。
空にある無数のドアが、一斉にガタガタと震え出したのだ。
草花が枯れ、マキマが従えていた呪霊たちさえもが、本能的な恐怖に震え上がった。
「カエル」の鳴き声がした。
ゲコ、ゲコ、ゲコ……。
空の向こうから、闇そのものが降りてくる。
マキマの表情が、初めて強張った。
「……タイミングが悪いな」
「何だ? 何が来るんだ?」
アメリカが空を見上げる。
そこには、宇宙飛行士の死体が合掌して並ぶ、冒涜的な「道」が出来ていた。
『闇の悪魔』
根源的恐怖。
銃の悪魔やマキマでさえも警戒する、超越者。
ストレンジの第三の目が、直視した瞬間に血を流して閉じた。
「見るな! アメリカ! 意識を持ってかれるぞ!」
闇の悪魔が、ただ「存在」するだけで、ブレイドの両腕がねじ切れ、伏黒の式神が消滅した。
「ぐあぁぁぁっ!!」
ブレイドが膝をつく。
「ここで全滅するわけにはいかない!」
ストレンジがアガモットの目を開き、時間を数秒だけ巻き戻してブレイドの腕を修復する。
「マキマと戦っている場合じゃない! この次元そのものが我々を消化しようとしている!」
「逃げるのよ、アメリカ!」
クレアが叫ぶ。「ポータルを開けて! どこでもいい!」
「でも、恐怖で……集中できない!」
アメリカが頭を抱える。闇の悪魔の瘴気が、彼女のトラウマを掘り起こしているのだ。
その時、ブレイドが立ち上がり、アメリカの肩を乱暴に掴んだ。
「おい、お嬢ちゃん。ビビってんじゃねえ」
彼はサングラスを外し、真紅の瞳で彼女を見据えた。
「恐怖ってのはな、乗り越えるもんじゃねえ。飼い慣らすもんだ。……俺たちはヴァンパイアでも悪魔でもねえ。ただのしぶとい人間だろ!」
アメリカの瞳に、僅かに光が戻る。
「……うん!」
「行かせない」
マキマが手を伸ばす。
ストレンジが印を結んだ。
「悪いが、君の相手はこの『闇』にお願いしよう」
「ミラー・ディメンション!」
ストレンジはマキマと闇の悪魔の間に、鏡の壁を作り出した。
闇の悪魔の攻撃が、マキマに向かって反射される。
「ッ……!」
マキマが防御に回る一瞬の隙。
「今だァァァァッ!!」
アメリカが拳を突き出した。
キィィィィン!!
星型のポータルが開く。
その向こうに見えるのは、荒廃した都市の風景――渋谷。
「飛べ!」
ストレンジが全員を魔法の鞭で捕まえ、ポータルへと放り投げる。
最後に彼自身が飛び込む直前、マキマと目が合った。
彼女は、闇の悪魔に体を八つ裂きにされながらも、ストレンジに向かって微笑み、口パクでこう言った。
『また会いましょう』
ポータルが閉じる。
ドサッ、ドサッ、ドサッ。
アスファルトの上に、六人の戦士が折り重なるように落下した。
空気の味が違う。血と埃、そして呪いの匂い。
日本、東京。渋谷駅前。
「戻って……これたのか?」
虎杖が身を起こす。
周囲を見渡すと、そこは以前(ワンダ戦)よりもさらに荒廃していた。
死滅回游の影響で、街はゴーストタウン化している。
「いや、戻ったというよりは……」
伏黒が空を指差した。
渋谷の上空には、巨大な「ムカデ」のような呪霊が回遊しており、ビルの屋上には、袈裟を着た男――羂索が、まるで彼らの帰還を待っていたかのように立っていた。
「おかえり。地獄旅行はどうだったかな?」
羂索は、獄門疆を手に持ち、楽しげに笑った。
「五条悟は封印したままだし、マキマ君もいい仕事をしてくれた。……さて、アース-666の魔術師殿」
羂索の背後から、巨大な影が立ち上がる。
それは、ワンダが残した「カオス・マジックの残滓」と、日本の「天元」が同化を始めた、醜悪な胎児のようなエネルギー体だった。
「君たちの宇宙と、私の宇宙。……完全に一つに溶け合うまで、あと数時間だ」
ストレンジは立ち上がり、マントの埃を払った。
満身創痍。魔力も枯渇寸前。
だが、その目は死んでいなかった。
「上等だ」
ストレンジは、隣に立つ虎杖、伏黒、アメリカ、クレア、ブレイドを見回した。
「地獄帰りの土産話を聞かせてやる。……総員、戦闘開始だ」