ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター 作:ルルルだ。
渋谷上空に浮かぶ、巨大な「胎児」のようなエネルギー体。
それは、ワンダ・マキシモフが残した「カオス・マジック」の莫大な残滓と、羂索が管理下に置いていた天元の結界の一部が、強制的に融合させられた醜悪な姿だった。
赤黒い霧が血管のように拍動し、渋谷の街へ根を張っている。
「……気持ち悪ぃな。あれが俺たちの世界と、おっさん達の世界を混ぜてる元凶か?」
虎杖悠仁は、瓦礫の山に立ち、嫌悪感を露わにして空を睨んだ。
「そう推測できる」
スティーヴン・ストレンジが、破れたマントを翻して隣に立つ。第三の目が額で鈍く光り、上空のエネルギー体を解析していた。
「あれは『呪胎』の一種だが、構造が多次元的だ。……羂索と言ったか。奴は、この世界の呪力循環システムに、異界の魔力を燃料として注ぎ込んでいる」
ビルの屋上に立つ羂索が、手の中の獄門疆を弄びながら、拡声器のように声を響かせた。
「正解だよ、魔術師殿。ワンダ・マキシモフは良い置き土産をしてくれた。混沌魔法の『現実改変能力』があれば、天元との同化も、そして次元の壁を溶かすことも容易い」
羂索の背後から、特級呪霊たちがゆらりと姿を現す。
だが、それらは通常の呪霊ではない。額や胸に、異界のルーン文字が刻まれ、紫色のオーラを纏ったハイブリッドだ。
「本来なら死滅回游を進めて慣らす予定だったが……予定変更だ。この『特級過呪怨霊』が孵化した瞬間、君たちのアース-666と我々の世界は物理的に衝突し、対消滅する」
「対消滅……!」
アメリカ・チャベスが息を呑む。「インカージョンの最終段階!」
「止めるぞ」
伏黒恵が刀を抜き、式神の影を作る。「話を聞いて止まる相手じゃない。やるしかない」
「ああ!」虎杖が構える。
ブレイドが日本刀の切っ先を羂索に向けた。
「俺には難しい理屈はわからねえが……あのニヤついた野郎を斬ればいいんだろ?」
「単純明快で助かるよ、ヴァンパイア・ハンター」ストレンジが魔法円を展開する。「総員、突撃だ!」
ドガァァァァァン!!
開戦の合図と同時に、強化された特級呪霊たちが襲いかかった。
通常の呪術や物理攻撃に加え、ワンダ由来のエネルギー波を放ってくる厄介な相手だ。
「邪魔だ!」
ブレイドが疾走し、呪霊の腕を切り落とす。だが、傷口から紫の霧が噴出し、瞬時に再生してしまう。
「チッ、吸血鬼よりしぶといぞ!」
「再生能力が高い……呪力と魔力が循環しているんだ!」
クレアが暗黒次元の雷撃を放つが、決定打にならない。
ストレンジは、羂索本体を目指して飛翔したが、無数の呪霊の壁に阻まれていた。
(マズいな。こちらの魔力は枯渇寸前、相手は無限の呪力を供給されている……)
通常の魔術戦ではジリ貧だ。彼は、この世界(JJK)に来てから見聞きした「理」を思い出す。
呪術師たちが使う、リスクとリターンを等価交換する契約。
「……郷に入っては郷に従え、か」
ストレンジは空中で静止し、印を結び直した。
彼の身体から、黄金の光ではなく、青白い冷徹なオーラが立ち昇る。
「クレア、アメリカ! 数秒間、私を守れ!」
「何をする気!?」
「『縛り』を結ぶ!」
ストレンジは自身の魔力回路に意識を集中させた。
《我、スティーヴン・ストレンジは誓約する。この戦いの後、72時間、一切の魔術行使を禁ずる。その代償として――》
「――今この瞬間、全魔力を限界突破(オーバーロード)させる!!」
カッ!!!!
ストレンジの全身が発光した。
未来の魔力の前借り。呪術的な「縛り」の概念を、西洋魔術に組み込んだ禁断の秘術。
「うおおおおおッ!」
ストレンジが両手を突き出す。
「ヴィシャンティの聖剣・極!!」
空を覆うほどの巨大な光の剣が出現し、羂索を守っていた呪霊の壁を一撃で消し飛ばした。
「ほう?」
羂索が初めて驚きの表情を見せた。「即興で『縛り』を使いこなすか。さすがは至高の魔術師」
「道が開いた!」
伏黒が叫ぶ。「虎杖! アメリカ!」
「おう!」
「うん!」
虎杖悠仁とアメリカ・チャベス。
異なる世界で戦う二人の若者が、光の剣が開いた道を並走する。
「アメリカちゃん、あの胎児の『核』が見えるか!?」
虎杖が走りながら問う。
「見える! 真ん中に、すごく歪んだ裂け目がある! あそこが二つの世界を繋いでる!」
「なら、そこをぶっ壊せばいいんだな!」
「でも、硬い結界があるわ!」
「俺がこじ開ける! その隙間にお前のパンチを叩き込め!」
二人の前に、羂索が放った特級呪霊・疱瘡婆の強化版が立ち塞がる。
領域を展開しようとする呪霊。
「させねえよ!」
虎杖が足元の瓦礫を蹴り、空中に跳躍した。
五条悟がいなくても、宿儺の力がなくても、彼は何度も死線を潜り抜けてきた呪術師だ。
極限の集中。
唾液の味、心臓の鼓動、温度、すべてが消え失せ、打撃のインパクトの瞬間だけが無限に引き伸ばされる。
「黒閃ッ!!!」
空間が歪むほどの黒い稲妻。
虎杖の拳が、呪霊の展開しかけた領域ごと、その顔面を粉砕した。
結界に、ほんのわずかな亀裂が入る。
「今だ、アメリカ!」
ブレイドが援護射撃を行い、周囲の雑魚を散らす。
アメリカ・チャベスが飛んだ。
彼女は、恐怖を乗り越えた。地獄で、マルチバースで、多くの戦いを経て、自分の力を信じられるようになった。
右拳に、眩い星型のエネルギーが集束する。
彼女の拳が、虎杖のこじ開けた亀裂に突き刺さる。
パリーン!!!!
ガラスが割れるような音が、渋谷中に響き渡った。
アメリカの拳が次元の裂け目を貫き、胎動していた「天元」の核――世界を接着していたカオス・マジックのコアを粉砕したのだ。
「なっ……!?」
羂索が目を見開く。「同化の核を破壊しただと!?」
ズズズズズズ……!
巨大な胎児が悲鳴を上げ、形を保てずに崩壊を始めた。
同時に、空の色が「渋谷の曇天」と「ニューヨークの青空」に激しく明滅し、分離しようとする斥力が発生する。
「成功だ!」
ストレンジが叫ぶ。だが、その顔色は蒼白だ。「縛り」の反動が来ている。
「世界が離れるぞ! アース-666の者は私のそばへ! 早く!」
強烈な風が吹き荒れる。
アメリカとクレアがストレンジのもとへ飛ぶ。
逃げ遅れていたブレイドも、伏黒の式神に放り投げられて合流した。
「虎杖! 伏黒!」
アメリカが叫ぶ。「あなたたちも一緒に!」
虎杖は、強風に煽られながら首を振った。
「いや、俺たちは行けねえ。……ここに残って、あいつ(羂索)を止めなきゃなんねえんだ」
伏黒も頷く。彼らの戦いは、死滅回游は、まだ終わっていない。
「そっちはそっちで、元気でやれよ」
「……君たち」
ストレンジは、消えゆく意識の中で、二人の少年の顔を目に焼き付けた。
魔法も超能力もない、呪いという負の感情を力に変えて戦う、泥臭くも勇敢な戦士たち。
「死ぬなよ」
ブレイドが短く言った。
「おう! そっちもな!」
虎杖がサムズアップをする。
光が溢れた。
二つの世界を無理やり繋ぎ止めていた鎖が断ち切られ、弾けるように次元が乖離していく。
渋谷の瓦礫の山。
残されたのは、虎杖と伏黒。
そして、計画を阻害され、不愉快そうに空を見上げる羂索。
「……やれやれ。異界の客人は帰ったか」
羂索は獄門疆を懐にしまった。
「まあいい。天元との同化の予行演習にはなったよ。……さあ、死滅回游を続けようか」
虎杖は拳を握りしめ、羂索を睨みつけた。
彼の戦いは続く。だが、異界の友人たちと共闘した記憶は、確かな「呪い」ではない「希望」として、彼の中に残った。
アース-666、ニューヨーク。サンクタム・サンクトラム。
転送の光が収まると、ストレンジたちはいつものホールの床に転がっていた。
「……戻った、のか?」
ブレイドが刀を納め、周囲を見渡す。
窓の外は、見慣れたニューヨークの街並み。空に巨大な胎児も、呪霊の群れもいない。
「ああ。どうやらな」
ストレンジはよろよろと立ち上がろうとしたが、膝から崩れ落ちた。
「先生!」アメリカが駆け寄る。
「大丈夫だ……ただの魔力切れだ。『縛り』の代償で、しばらくは手品もできないただの医者に戻るよ」
クレアが窓の外を見て、小さく息を吐いた。
「次元の裂け目は塞がったわ。でも……」
彼女の視線の先。
マンハッタンの一角にあるビルの壁面に、巨大な「斬撃の跡」が残されていた。
それは物理的な修復工事では直せない、空間そのものに刻まれた傷跡。
両面宿儺とチェンソーの悪魔が暴れた爪痕だ。
「傷は残った。だが、我々は生き残った」
ストレンジは、アメリカを見上げた。
「君のおかげだ、アメリカ。君が最後にあの裂け目を砕かなければ、今頃我々は天元の一部だった」
アメリカは、自分の拳を見つめ、照れくさそうに笑った。
「私一人じゃないよ。……虎杖くんたちが道を切り開いてくれたから」
ストレンジは、懐から壊れたアガモットの目を取り出し、机に置いた。
今回の事件で、彼は多くのことを学んだ。
マルチバースには、魔術だけでは説明のつかない「呪い」や「悪魔」の理が存在すること。
そして、それらに対抗するには、力だけでなく、時にはリスクを背負う覚悟(縛り)が必要だということ。
「……さて」
ブレイドが背を向け、出口へと歩き出した。
「俺は行くぜ。吸血鬼狩りの仕事が溜まってんだ」
「ありがとう、ブレイド」
「フン。二度と呼ばんでくれ」
静寂が戻ったサンクタム。
しかし、彼らは知っている。
マルチバースの扉は一度開かれた。
日本の呪術師たち、地獄の悪魔たち、そしてまだ見ぬ異界の強者たち。
彼らとの縁(あるいは因縁)は、次元を超えて絡み合い続けるだろう。
ストレンジの額の「第三の目」が、カッと見開かれた。
それはもう、呪いの象徴ではなく、多元宇宙を見守るための新たな力として、静かに輝いていた。