ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター   作:ルルルだ。

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18話 ダーク・ディメンション

ニューヨーク、ヘルズ・キッチン地区。

表向きは廃墟となっている食肉加工工場の地下。そこには、表社会の法も、アベンジャーズの目も届かない「闇のオークション会場」が広がっていた。

 

湿った空気には、カビと鉄錆、そして微かな「硫黄」の臭いが混じっている。

集まっているのは、裏社会のギャング、魔術オタクの富豪、そしてヒドラの残党たち。彼らの目は血走っており、ステージ上の「商品」に釘付けになっていた。

 

「さあ、次は本日の目玉だ!」

司会者が興奮気味に叫び、防弾ガラスのケースにかけられた黒い布を取り払った。

 

会場がどよめく。

ケースの中に鎮座していたのは、ただの肉片ではない。

黒いタールのような粘液がこびりついた、「錆びたチェンソーの刃」の破片だ。

それは、数日前にタイムズスクエアで暴れた「特級特定呪霊」が、虎杖悠仁の黒閃によって砕かれた際の一部だった。

 

「先日、マンハッタンを震撼させた怪物の破片! 未だに脈動を続けるこの金属片には、所有者に『悪魔の力』と『呪いの力』を与えるエネルギーが宿っています!」

 

「500万ドル!」

「1000万!」

怒号のような入札が飛び交う。

 

会場の隅、影に同化するように立っていた二人の男が、その光景を冷ややかに見つめていた。

一人は、デアデビル。

もう一人は、黒いコートに身を包み、顔色が悪く、少し猫背気味の男――スティーヴン・ストレンジだ。

 

「……趣味の悪い連中だ」

ストレンジが小声で吐き捨てる。

今の彼には、魔術師としての覇気がない。額の「第三の目」は閉じられ、手には包帯が巻かれている。「縛り」による魔力喪失状態(残り68時間)。今の彼はただの元・天才外科医だ。

 

「心拍数が異常だ」

マットが耳をそばだてる。「全員、興奮しているというより……何かに『憑かれている』ようだ。あの破片から出る波動が、脳に直接作用している」

 

「『残穢』だ」

ストレンジは、虎杖たちから聞いた言葉を借りた。

「あの破片には、宿儺の呪力とチェンソーの悪魔の恐怖が染み付いている。一般人が持てば精神汚染を引き起こし、最悪の場合、簡易的な呪霊に変貌する」

 

「なら、止めるしかないな」

マットが白杖を構え、短く分割してバトンに変形させた。

「ドクター、今のあんたは丸腰だ。俺の後ろにいろ」

 

「丸腰ではないさ」

ストレンジは、コートの下から斧(カマル・タージの武器庫から拝借した魔法遺物)を取り出した。

「魔力はなくとも、知識と道具はある」

 

「3000万ドル! 落札者はウィルソン・フィスク様!」

 

司会者がハンマーを叩こうとした瞬間、会場の照明が全て落ちた。

 

「な、なんだ!?」

闇の中、鈍い打撃音と骨の折れる音が響く。デアデビルの正確無比な制圧だ。

ギャングたちが銃を乱射するが、マズルフラッシュが闇を切り裂くだけで、盲目の悪魔には当たらない。

 

「照明をつけろ!」

誰かが予備電源を入れると、ステージ上には既にデアデビルが立っていた。

彼はケースを蹴り破り、チェンソーの刃を掴み取ろうとする。

 

だが。

 

ギュルルルル……!

 

刃がひとりでに回転し、デアデビルの手を弾いた。

「ッ!?」

マットが手を引っ込める。手袋が裂け、血が滴る。

 

「気をつけろ! 意志を持っている!」

ストレンジが叫び、斧を投擲して刃を床に釘付けにしようとする。

 

しかし、その刃を横から「巨大な手」が掴み取った。

 

「……素晴らしい力だ」

低い、重厚な声。

白いスーツを着た巨漢。ニューヨークの裏社会の帝王、キングピンが、ステージの袖から現れた。

彼は素手で「チェンソーの刃」を握りしめている。本来なら手が切り刻まれるはずだが、彼の腕は黒いオーラに包まれ、刃の回転を無理やり抑え込んでいた。

 

「フィスク……!」

マットが構える。「それを離せ! お前の手に負える代物じゃない!」

 

「負えるさ。……街が変わったのだよ、デアデビル」

フィスクの目が、赤黒く濁り始めた。

「あの日以来、街の空気(恐怖と不安)が私に力をくれる。この『呪い』という新しいエネルギーは、私の怒りと非常に相性がいい」

 

ドクン!!

 

フィスクの背中の筋肉が異常に膨張した。

スーツが弾け飛び、彼の背中から、黒い粘液状の「触手」のようなものが数本、鎌首をもたげて出現する。

低級呪霊を取り込み、自らを「器」としたのだ。

 

「呪胎化している……!」

ストレンジが分析する。「人間の負の感情と肉体強度が噛み合いすぎている!」

 

「ハァッ!」

フィスクが腕を振るうと、触手が伸びてデアデビルを打ち据えた。

「ぐあッ!」

マットが壁に叩きつけられる。コンクリートに亀裂が入るほどの威力。

 

「次は貴様だ、魔術師」

フィスクがストレンジに向き直る。

「魔力のない魔術師など、ただの肉だ」

 

ストレンジは斧を構えるが、冷や汗が流れる。

魔法障壁も、空中浮遊もない。

迫り来る触手。死の予感。

 

(ここで終わるのか? まだ何も解決していないのに!)

 

その時。

天井のガラスが割れ、一筋の影が舞い降りた。

 

ヒュンッ!

 

何かが空気を切り裂き、フィスクの触手を一瞬で切断した。

 

「グオォォッ!?」

フィスクが後ずさる。

 

床に突き刺さっていたのは、奇妙な形状の武器。

三節棍のように連結された、赤い色の呪具。

呪術廻戦の世界から持ち込まれた(あるいは再現された)特級呪具『游雲』に似ていたが、もっと禍々しい装飾が施されている。

 

「……魔術に頼るから、魔力を失った時に無様を晒すのだ、ストレンジ」

 

冷徹な声と共に、その男は降り立った。

緑のローブ。ドレッドヘア。そして、その手には呪術師の使う「呪符」が握られている。

 

「モルド……!」

ストレンジが目を見開く。

 

カール・モルド(アース-666)。

かつての兄弟子であり、今は「魔術師狩り」を行う宿敵。

彼はフィスクの前に立ちはだかると、軽蔑するように見下ろした。

 

「呪いの使い方も知らぬ豚が、分不相応な力を持つな」

 

「貴様……誰だ!」

フィスクが再生した触手で襲いかかる。

 

モルドは動じない。彼は手にした呪符を空中に放った。

「『帳』」

 

ズンッ!

空間が黒く塗りつぶされ、フィスクの視界と感覚が遮断された。簡易的な結界術だ。

モルドは魔力を使っていない。彼が使っているのは、独自のルートで手に入れた「呪力」を込めた道具だ。

 

「魔術は自然の理を歪める。だが『呪い』は人間の澱だ。……皮肉なことに、こちらの方がよほど自然の摂理に近い」

 

モルドは、床に突き刺さった赤い三節棍を拾い上げ、流れるような体術でフィスクの懐に入り込んだ。

呪具による打撃は、フィスクの「呪いの肉体」に特攻ダメージを与える。

 

「ガハッ……!」

フィスクが血を吐いて膝をつく。

モルドは容赦なく、フィスクが握りしめていた「チェンソーの刃」を蹴り上げた。

刃が宙を舞い、モルドの手の中に収まる。

 

「回収完了だ」

 

「待て、モルド!」

ストレンジが声を上げる。

「その破片は危険だ! お前が制御できるものじゃない!」

 

モルドはストレンジを一瞥した。その目は以前よりも深く、暗い狂気を孕んでいる。

「ストレンジ。お前のその無様な姿……『縛り』か。自らの魔術の代償に苦しむ姿、実に滑稽で、そして正しいあり方だ」

 

モルドはチェンソーの刃を懐にしまうと、再び呪符を取り出した。

「この世界は穢れている。魔術師という癌細胞と、異界から流れ込んだ呪いというウイルスによってな。……私はその全てを『治療』する」

 

「治療だと?」

「そうだ。このチェンソーの破片と、私が集めた呪物を使えば……あの場所への扉が開く」

 

モルドの背後の空間が、ゆらりと歪んだ。

それは通常のポータルではない。

暗紫色に輝く、粘着質な空間の裂け目。

その向こうから、聞き覚えのある「笑い声」と、燃え盛る炎の気配が漏れ出してくる。

 

「ダーク・ディメンション……!」

ストレンジが戦慄する。

「まさか、ドルマムゥと取引をする気か!?」

 

「取引ではない。……『利用』だ」

モルドは不敵に笑った。

「異界の『地獄』の概念を、暗黒次元に植え付ける。そうすれば、あの次元はただのエネルギー源ではなく、魔術師を裁くための処刑場へと進化する」

 

「やめろ! それはインカージョン以上の惨劇を招くぞ!」

 

「止めたければ追ってくるがいい、ストレンジ。……魔力を取り戻してからな」

 

モルドが裂け目へと足を踏み入れる。

デアデビルがバトンを投げつけるが、裂け目が閉じる衝撃波で弾き返された。

 

静寂が戻った地下工場。

残されたのは、意識を失ったフィスクと、ボロボロのストレンジ、そしてデアデビルだけだった。

 

「……逃げられたか」

デアデビルが血を拭う。

 

ストレンジは、モルドが消えた空間を見つめたまま、拳を握りしめた。

モルドは「地獄」と「暗黒次元」を繋げようとしている。

もし、チェンソーマンの世界の「地獄の悪魔」たちが、ドルマムゥの領域に流れ込んだらどうなる?

あるいは、ドルマムゥ自身が「呪霊」として変質したら?

 

事態は、ただの「街の浄化」レベルを超え、宇宙規模の汚染へと拡大しようとしていた。

 

「マット」

ストレンジは決意を込めて言った。

「家に帰って寝ている暇はなさそうだ。……私はカマル・タージの書庫へ行く。魔力がなくても使える『鍵』を探さなければならない」

 

「俺はどうする?」

「フィスクのような『感染者』はまだいるはずだ。街を頼む。……それと、ピーター(スパイダーマン)にも伝えてくれ。『地獄の蓋が開いた』とな」

 

ストレンジは、よろめきながらも出口へと歩き出した。

魔術師としての力は失ったが、至高の魔術師としての責務は、彼を休ませてはくれない。

 

一方その頃。

次元の裂け目の向こう側――暗黒次元。

 

極彩色の空間に、異質な「扉」が出現していた。

その扉の前に立つのは、モルドだけではない。

日本から流れ着いた、特級呪霊の生き残り。

そして、地獄から干渉を続ける「支配の悪魔」の視線。

 

ドルマムゥの巨大な顔が、困惑と怒りで歪む。

『……我ガ領域ニ、何ヲ持チ込ンダ……?』

 

混沌(カオス)は、より深く、より暗い場所へと根を張り始めていた。

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