ドクター・ストレンジ:マルチバース・イーター   作:ルルルだ。

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19話 暗黒と地獄が交わる時

ニューヨーク、ブリーカー街。

サンクタム・サンクトラムの扉を、スティーヴン・ストレンジが肩で押し開けた。

呼吸は荒く、コートは泥とフィスクの返り血で汚れている。

 

「ウォン! いるか!?」

 

返事の代わりに飛んできたのは、琥珀色の魔術の鞭だった。

ストレンジは反射的に身を屈める。頭上を鞭が走り、背後に迫っていた「何か」を弾き飛ばした。

 

「……遅いぞ、ストレンジ」

 

階段の上から、ウォンが降りてきた。その表情は険しい。

彼が撃退したのは、サンクタムの防御結界をすり抜けて侵入した「怪物」だった。

一見すると、暗黒次元の住人「マインドレス・ワン(知性なきもの)」に見える。だが、その岩のような皮膚からは、どす黒い呪いの瘴気が立ち昇り、単眼の代わりに無数の人間の目が埋め込まれていた。

 

「マインドレス・ワンが……呪霊化している?」

ストレンジが息を呑む。

「ああ。ここ数時間で急激に増えた。奴らは魔力ではなく、恐怖を嗅ぎつけて現れる」

 

ウォンはストレンジの姿を一瞥し、ため息をついた。

「そのザマはなんだ。魔力が空っぽじゃないか」

「『縛り』だ。あと60時間ほど、私はただの元外科医だ」

「バカ者め。……だが、その判断が渋谷を救ったのなら、責めはせじ」

 

ウォンは印を結び、侵入してきた別の怪物を粉砕した。

「だが状況は最悪だ。サンクタムの魔法陣が汚染されている。発生源は……」

 

「ダーク・ディメンションだ」

ストレンジが断言する。

「モルドが行った。奴は『チェンソーの悪魔』の破片と、日本の特級呪物を持ち込み、ドルマムゥの領域を『地獄』に変えようとしている」

 

「正気か!? ドルマムゥが呪いに侵されれば、この宇宙全体が『特級過呪怨霊』の腹の中になるぞ!」

 

「止めるには、向こう側へ行くしかない」

ストレンジは書庫へと歩き出した。

「ウォン、君はここを守れ。呪いが地上に溢れ出さないように結界を張るんだ」

 

「お前はどうする? 魔力なしで暗黒次元に行けば、数秒で精神が崩壊するぞ」

 

ストレンジは立ち止まり、書庫の奥にある厳重に封印されたガラスケースを見つめた。

そこにあるのは、魔術師が使うべきではない、忌まわしき遺物。

 

「魔力が使えないなら、魔力を必要としない力を使えばいい」

 

彼が取り出したのは、鈍い銀色の輝きを放つ、古びた「斧」だった。

かつて、ある次元で悪魔狩りが使用していたとされる魔法遺物『アンガラスの嘆き』。

だが、ストレンジはそれだけでは足りないと判断し、日本の戦いで回収していた「宿儺の指の封印箱」をポケットから取り出した。

 

「おい、まさか……」

ウォンが目を見開く。

 

「食いはしないさ。だが、動力源にはなる」

ストレンジは、斧の柄にあるスロットに、封印されたままの宿儺の指を無理やり押し込んだ。

 

ジュウウウウウッ……!

 

斧が悲鳴を上げ、銀色の刀身に赤黒い紋様が浮かび上がる。

魔術の武器が、特級呪物と強制的に接続され、一種の「呪具」へと変質したのだ。

 

「魔術と呪術のハイブリッド武器だ。……品性下劣な改造だが、背に腹は代えられない」

ストレンジは、禍々しいオーラを放つ斧を担いだ。

浮遊マントが心配そうに彼の肩を叩く。

「ああ、頼むぞ。お前だけが頼りだ」

 

「死ぬなよ、ストレンジ」

ウォンがポータルを開く。その先に見えるのは、極彩色と漆黒が混ざり合った、変貌しつつある暗黒次元。

 

「行ってくる。……ランチの時間までには戻るさ」

 

ストレンジは呪具と化した斧を握りしめ、歪んだ次元の裂け目へと飛び込んだ。

 

 

 

暗黒次元。

そこは本来、時間のない永遠の世界であり、ドルマムゥの絶対的な支配下にある場所だ。

しかし今、その景色は一変していた。

 

幾何学的な模様の空には、おぞましい「肉の壁」が浸食し、浮遊する岩塊からは無数の「手」や「口」が生えている。

空間全体が、巨大な生物の体内のように脈動していた。

 

「……ひどい有様だな」

ストレンジが着地する。

物理法則が狂った空間だが、浮遊マントが彼を支え、どうにか立っていられる。

 

前方には、無数の「呪いマインドレス・ワン」の軍勢。

そして、その中心で、緑のローブを纏ったモルドが、祭壇のように積み上げた瓦礫の上で儀式を行っていた。

 

「来たか、ストレンジ」

モルドが振り返る。彼の目は完全に黒く染まり、チェンソーの破片から溢れるエネルギーを全身に浴びていた。

「遅かったな。もう『感染』は始まっている」

 

『グオオオオオオオ……!!』

 

空間全体が震えた。

上空に浮かぶドルマムゥの巨大な顔。

だが、その顔は苦悶に歪んでいた。額には巨大な「釘」のような呪いの杭が打ち込まれ、口からは紫色のヘドロを吐き出している。

 

『我ガ……力ガ……腐ッテイク……!!』

 

「ドルマムゥが弱体化している?」

ストレンジが驚愕する。

 

「違う。進化しているのだ」

モルドが狂信的な笑みを浮かべる。

「恐怖、痛み、後悔。それらを取り込むことで、彼はただのエネルギー生命体から、より高次元の『概念的存在』へと昇華する。……さあ、受け入れろ! 新たな理を!」

 

モルドが呪符を掲げると、ドルマムゥの瞳が赤く発光した。

暗黒次元の魔力が、「呪力」へと変換され、ストレンジに襲いかかる。

 

「させるか!」

ストレンジは呪具・斧を振りかざした。

「宿儺の指よ、その凶悪な切れ味を貸せ!」

 

ザシュッ!!

 

斧から放たれたのは、魔力波ではない。

空間を切り裂く、不可視の斬撃。

『解』の模倣。

 

迫り来る呪いの波が真っ二つに割れ、ストレンジはその隙間を縫って疾走した。

「モルド! その破片を手放せ!」

 

「断る。これは新世界の礎だ!」

モルドが三節棍『游雲』を構え、迎撃する。

 

魔力なき至高の魔術師と、呪いに堕ちた魔術師狩り。

因縁の対決が、崩壊する次元の中で始まった。

 

激しいつばぜり合い。

ストレンジの技術と呪具の威力は拮抗していたが、モルドには無尽蔵のエネルギー供給(ドルマムゥからのバックアップ)があった。

 

「ぐぅッ……!」

ストレンジが吹き飛ばされ、岩塊に叩きつけられる。

マントが庇ったおかげで致命傷は避けたが、斧を持つ手が痺れている。

 

「終わりだ、ストレンジ。お前の骸は、新生ドルマムゥへの最初の供物にしてやる」

モルドがとどめを刺そうと近づいた、その時。

 

コツ、コツ、コツ。

 

真空の空間に、あり得ない「足音」が響いた。

この場にいる全員――ストレンジ、モルド、そしてドルマムゥさえもが動きを止めた。

 

空間の一角に、場違いな「ドア」が出現していた。

どこにでもあるような、木製のドア。

それがゆっくりと開き、そこから一人の女性が歩み出てきた。

 

スーツ姿。ピンクがかった髪。渦巻く瞳。

地獄から次元を渡ってきた、支配の悪魔。

 

「マキマ……!」

ストレンジが呻く。「なぜ彼女がここに!?」

 

マキマは、崩壊する暗黒次元を見渡し、少し残念そうにため息をついた。

「あーあ。汚い部屋」

 

彼女はモルドを一瞥もしない。彼女の視線は、上空で苦しむドルマムゥに向けられていた。

 

「次元の支配者、ドルマムゥ」

マキマは静かに語りかけた。

「あなたは今、未知の『呪い』に侵されて、自我を保つのに必死みたいだね」

 

『貴様……何者ダ……!』

 

「私はマキマ。……ねえ、助けてあげましょうか?」

彼女は優しく微笑んだ。だが、その笑顔は、飼い主が手負いの獣に向けるものだった。

 

「その代わり……私に飼われてくれる?」

 

「ふざけるな!」

モルドが激昂し、マキマに向かって呪符を放つ。

「人間風情が、次元の王を愚弄するか!」

 

マキマはモルドの方を見向きもしなかった。

彼女の背後から、闇の鎖が飛び出し、モルドの呪符を弾き飛ばす。

 

「『お手』」

 

ドガァァァン!!

 

見えない巨人の手が、モルドを上から押し潰した。

「がはっ……!?」

モルドが地面にめり込む。呪力で強化された肉体でさえ、骨が軋む音が聞こえる。

 

「あなたが使っているその力……チェンソーマンの欠片かな?」

マキマがモルドに歩み寄る。

「それは私のもの。返してもらうよ」

 

「マズい……!」

ストレンジが斧を杖代わりにして立ち上がる。

もしマキマが、ドルマムゥとチェンソーの破片の両方を手に入れたら?

「暗黒次元」×「支配の悪魔」×「チェンソーマンの力」。

それはサノスどころの騒ぎではない。全マルチバースの終焉だ。

 

「ストレンジ!」

上空から声がした。

紫色のポータルが開き、そこから銀髪の魔女が飛び出してきた。

 

「クレア!」

 

クレアはストレンジの前に着地し、両手から魔弾を放ってマキマを牽制した。

「遅れてごめんなさい! こっちの世界の防衛システムが狂ってて、入るのに苦労したわ!」

 

「状況は見ての通りだ」

ストレンジは苦笑する。

「魔術師と呪術師の戦いに、悪魔が乱入してきた。……B級映画でも見ない展開だ」

 

「文句は後で!」

クレアが構える。

「あの女……マキマと言ったかしら。彼女、ドルマムゥのコードを書き換えようとしているわ。『自分の方が格上だ』と認識させることで、次元ごと支配する気よ!」

 

マキマとドルマムゥ。

規格外同士の「格付け」争いが始まった。

 

「クレア、私に考えがある」

ストレンジは、手の中の「呪具化した斧」を握り直した。

「あの女の『支配』の条件は、相手が自分より格下だと思い込むことだ。なら、その認識をバグらせてやればいい」

 

「どうやって?」

 

「カオス・マジックだ」

ストレンジの目が鋭く光る。

「ワンダが残した混沌の痕跡……それを呼び起こし、この場に『第三の勢力』をぶつける」

 

ストレンジは、斧に埋め込まれた宿儺の指に、最後の命令を送った。

(起きろ、呪いの王。……お前も、誰かに飼われるのは御免だろう?)

 

指が脈動した。

次元の彼方、どこかで眠る「本体の宿儺」が、共鳴して目を覚ます。

そして同時に、アース-JJKにいる羂索もまた、この混乱を感知していた。

 

「始めようか、クレア。……ここからは、泥仕合だ」

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