真剣で君に恋したい!   作:球磨川善吉

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一意専心

「ふぁ~あ。……ん?」

 

何かに圧迫されるような、妙な感覚で目が覚めた。

今日は日曜日。全体での修行はないが、早朝から一人で自主練をする予定だった。どうやら、目覚まし時計が鳴り出すよりわずかに早く起きられたらしい。

 

「Zzz……zzz……」

「うわっ!!!」

 

視界の端に青い色が飛び込んできた。見れば、青髪の少女――板垣辰子が俺にまとわりついていた。驚いて引き離そうとするが、見た目によらず力が強くて、この拘束から逃げられない。

 

「んん……。あ、灯火君。おはよぉ……」

 

重い瞼をこすりながら、彼女は至近距離で俺を見上げてきた。板垣辰子。この川神院にいる数少ない同い年の修行仲間だ。修行の時はのろのろしているはずなのだが、この腕力は一体どこから出ているのだろう。

 

「お、おはよう。……って、なんで辰子が俺の布団の中にいるんだ?」

「なんで……って。灯火が日曜日は布団に潜り込んでいいって言ったじゃん~」

 

どうやら元の灯火くんとは、10歳にして随分と距離感が近かったらしい。

俺はロリコンでもなんでもないけど、流石にこの近さは心臓に悪い。

俺は、彼女に「中身が19歳の転生者である」という事実を伝えてみた。

 

「はぇ~。そうだったんだ~」

「だから、今後こういうのは控えた方がいいと思うんだ」

「君は……こういうの、嫌?」

「嫌とかいいとかっていう問題じゃなくてさ。中身が別人なわけだし」

「う~ん……私はどっちもおんなじだと思うけどなぁ~……すぴ~」

「ちょ、ちょっと!!」

 

話を聞いているのか怪しい辰子に困惑していると、不意にふすまがバン、と景気よく開け放たれた。朝日とともに現れたのは、百代と一子の二人組である。

 

「あわわわ……。また二人で破廉恥なことしてる……」

 

黒髪の一子が、顔を赤くして両手で顔を覆っている。だが、指の隙間からこちらを興味津々に覗いているのは丸見えだ。

 

「お~い、辰子。私たちは今から灯火と朝練するんだ。そろそろ離してやってくれ」

 

ニヒルな笑みを浮かべている百代の背後からは、朝日をかき消すような、どす黒いオーラが漂っていた。

 

「嫌だよ~。百代ちゃん。まだまだ寝足りないよぉ~」

「川神流奥義、無双せい――」

「待った!! 姉さま、その技を使ったら灯火まで巻き込まれちゃうわ!!」

 

慌てて一子が割って入り、辰子の腕の中から俺をぬるりと救い出した。

 

「はい。これで解決!!」

「おぉ……いい子だな、ワン子」

 

赤茶色の百代が、自分よりも背の高い一子の頭を、背伸びしながら優しく撫でる。撫でられている一子の、嬉しそうでありながらもどこか従順な顔を見て、なぜ百代が彼女を「ワン子」と呼ぶのか、分かった気がした。

 

 

朝の鍛錬をこなし、朝食を終えて一息ついた。

 

「そうか。あいつにも伝えたのか。お前が転生者だってこと」

 

赤茶色の髪を揺らし、百代がなんとも言えない複雑な表情でこちらを見てくる。

「本人はあんまり気にしてなさそうだったけど」と返すと、「ふーん。そっか。まぁ、辰子らしいな」と納得したようだった。

 

「……それにしても、百代たちの動きって滑らかだよね。どうしたらそこまで動けるの?」

「修行に修行を重ね、さらに修行する。強くなるにはそれしかない」

「そりゃそうか……。よし、鍛錬再開するとしますか」

「あ、ちょっ……」

 

百代が何か言いかけたが、それは通りかかった総代の声に遮られた。

 

「おぉ。探したぞ、灯火。まさか百代の部屋にいるとはのう。仲睦まじいのは良いことじゃの」

「どうしたんだ? ジジイ」

「ちょいとお前たちに見せたい人物がおっての。ワシについてくるとよい」

 

案内された先には、鋭い気を放つ男性と、あの日俺が助けた椎名が立っていた。

 

「し、椎名!! 元気だったか?」

「う、うん」

 

暗かった椎名の顔が、俺を見た瞬間にぱっと明るくなった。それだけで、あの日前歯を折ってまで戦った甲斐があったと思えた。

 

「お主たちに紹介するぞ。今日から川神院で共に学ぶ、椎名 (みやこ)じゃ」

「えぇっ!!?」

 

驚きのあまり、素っ頓狂な声が出てしまった。

 

事情があるようで、俺は京の父親と二人きりで話すことになった。

二人きりになるや否や彼は深く頭を下げ、京のせいで怪我をさせたことを謝罪した。

 

「顔を上げてください。俺は自分がしたいからあの行動をしたまでです。それでどうなろうが、俺の責任ですから」

 

咄嗟に出た言葉は、10歳の子供にしてはあまりに完成されすぎていたかもしれない。慌てて付け加えるように手を振った。

渋々、彼が顔を上げる。

 

「……本当にすまない。そもそも私が、京がいじめを受けていることに早く気づいていれば……」

 

お父さんはギュッと唇を噛み締め、悔しげに視線を落とした。その背中は、親としての責務を果たせなかった無力感で小さく震えているように見えた。しばらくの沈黙の後、彼は意を決したように顔を上げ、俺の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。

 

「鉄心先生から、君は小学生らしからぬ明晰な脳を持っていると聞いている。だから、下手に子供扱いせず、ありのままを語ろうと思う」

 

そうして語られた事実は、俺が噂話で耳にしていたものよりも、ずっと凄惨で救いのないものだった。

妻の不貞と、その悪名が原因で学校中の標的にされた京。そして何より、父親である彼自身が、京の中に憎き妻の面影を見てしまい、「あの子を真っ直ぐに愛せなくなっている」という独白。

 

「……だから、ここに置いて逃げるんですか?」

 

俺の冷めた問いに、彼は力なく、だが否定せずに頷いた。

 

「……そうなるね。だが、ここで修行を積むのは何よりも京のためなんだ。私は遠方の県へ移り、そこで椎名流弓術を広め直そうと思っている。だが、京はどうしてもこの土地を離れたくないと言うんだ」

 

「……それは、俺がいるからですか?」

 

「その通りだ。絶望の淵にいたあの子にとって、君は光そのものなんだよ。……あの子は君に依存している。川神院で修業したいと言ったのも、本音は君の傍にいたいからだろう」

 

理性が、その言葉の重みに警鐘を鳴らす。

それは単なる初恋のような甘いものではない。すべてを奪われた少女が、たまたま自分を守っただけの依り代に、文字通り命がけで縋り付こうとしているだけだ。

 

「小学生に頼むべきことではないとは分かっている。だが……京を、一人の人間として見てやってくれないか。あの女の子供としてではなく、椎名京という一人の人間として」

 

「……分かりました。俺でよければ、やってみせます」

 

「ああ、ありがとう。……娘を、どうかよろしく頼む」

 

「ほぇ? ……娘?」

 

一瞬、思考がフリーズした。

 

「あ、ああ……どうか、娘をよろしく」

「えっ……京って、女の子なんですか?」

 

俺の素っ頓狂な問いに、父親は少しだけ呆気に取られたような顔をした。

 

「あ、ああ……そうだ。京はどうせ服を汚されるからと、学校には汚れの目立たない暗い色の服ばかり着ていたらしいからね。無理もないが……」

 

「す、すいません……」

 

正直、あの時は助けるのに必死でそこまで見てなかった。彼は女の子だったのか。

俺が内心で固まっている間にも、お父さんはどこか寂しそうに笑っていた。

 

「時々京を家に招いて引き続き弓道を教えようと思う。……もう私には、それでしかあの子と繋がることはできないから」

 

そう言い残して、彼は静かに部屋を去っていった。

 

一人残された部屋で、俺は自分の掌を見つめる。

まだ小さくて、頼りない10歳の子供の手。

 

一人の人生を預かってしまうような、背負いきれないほどの重荷は、今のこの小さな手にはあまりに重すぎる。

 

――それでも、俺がやらないと。

 

俺が手を離せば、彼女の拠り所は今度こそ完全に消えてしまう。

それがたとえ、偶然居合わせただけの「依り代」としての役割だとしても。

 

本当は俺がやらなくても岳人とかいじめをよく思わないやつらが救っていたのかもしれない。

でも、あの日、彼女の前に立っていたのは俺だった。

 

「……弓道、か」

 

それが、不器用な父親が娘に残した、唯一の「親子の証」なのだろう。

俺という一時的な光ではなく、その細い絆こそがいつか彼女にとって、本当の救いになることを願いながら、俺はゆっくりと立ち上がった。

 

 

「これから、お姉さんがお前たちをいいところに連れてってやろう」

「おお!! 姉さま!! ついに灯火をみんなに紹介するのね!!」

 

一子がキラキラした瞳で百代を見つめる。

午後、俺たちは百代と一子、さらに辰子に連れられ、見晴らしのいい草原へとやってきた。遠くにいくつか人影が見える。バンダナを巻いた活発そうな少年が、こちらに気づいて声を張り上げた。

 

「おーっす!! 百代先輩、ワン子、辰子、遅いぞー!」

「ごめーん! キャップー! ちょっと遅れた!」

 

百代が元気に手を振り返す。キャップと呼ばれたあの少年が、このグループのリーダー格なんだろう。すると、その隣にいた別の少年が俺を見て、驚いたように目を見開いた。

 

「お!! お前、灯火じゃないか!! それに椎名もいるのか!?」

「……岳人!!」

 

そこにいたのは、あの時、京をかばう俺に助太刀してくれた岳人だった。

あれから教室でずっと俺にひっついてきていたが、放課後はここで遊んでいたのか。

 

「ついに百代先輩の誘いに根負けしたんだな!!」

 

と、岳人が嬉しそうに駆け寄ってくる。

百代が小声で俺に耳打ちしてきた。

 

「実はな。元々私たちのグループに灯火を何度も誘ってたんだ。だけどさ……あいつは頑なに拒んでたんだよ」

「……そんなことが」

 

かつての「怪物」が何を思って孤立を選んでいたのかは知らないが、百代は続ける。

 

「お前、今のままだと同年代と会話が噛み合わなくて友達できなそうだしな」

「いやだってそりゃそうでしょ。中身は大学生なんだから、同じテンションで盛り上がるのは流石に無理がある」

「だ~か~ら~、それじゃダメだと言っているの。私と一子以外に友達が一人もいないと、親御さんも心配するだろう?」

「……百代ってお母さんみたいだよね。とても10歳とは思えないや」

「子供のままじゃ居られなかっただけだ。アイツの隣に立つには精神も鍛える必要があったからな」

 

「ちなみに岳人たちには俺が転生者だってことは喋ったの?」

「いや、まだだ。追々でいいだろ。ちなみにこいつらとはだいぶ前からの付き合いだから、私と一子の入れ替わりについては話してある」

「そ、っか」

 

「おいおーい。ちょっと二人の世界に没頭しすぎじゃね? お二人さん、ヒューヒュー!!」

 

俺と百代の密談を、バンダナの少年――キャップが騒ぎ立てて茶化してきた。

 

「灯火のことは百代先輩から話は聞いている!! だが、隣の臆病な少年は誰だ!!」

「あ~……えっと、こいつは今日から川神院で修行することになった椎名京だ。ちなみに女だぞ。ほら、京、自己紹介」

「椎名、京。よろしく……」

「オイオイ何だよ。それだけかよ~。もっとこう、なんかないのか!? 好きなこととか物とか!」

「……灯火が好き」

「え。そうなのか!!? 灯火は激戦区だぞ~。 百代先輩に辰子まで狙ってるらしいしな!」

 

今まで俺の後ろでふわふわと欠伸をしていた辰子が、眠そうな目をこすりながら口を開いた。

 

「ん~……。灯火くん、一緒に寝るとあったかいからねぇ。私も好きだよ~」

「っけ。小学生なんてただのガキだろ」

「ふんっ!!!」

 

恨めしそうに呟く岳人と茶化すキャップを、百代がデコピンの風圧だけで十数メートル後方へ吹き飛ばした。

 

……嘘だろ?

 

修行中にも規格外の動きは見せられてきたが、非接触で人を飛ばすのは流石に物理法則が仕事をしていない。

川神院ってもしかして戦闘民族の末裔か何かなのか?

 

キャップは猛ダッシュで戻ってくると、何事もなかったように胸を張った。

 

「俺の名前は風間翔一(しょういち)。冒険と自由を愛して止まない男!! そしてこの風間ファミリーのリーダーを務めている!!」

「俺は炎条寺灯火。えっとすうが……算数が好きだ」

「えー。なんだよそれ~つまんねー!」

 

キャップがブーブー言っている横で、一人の少年が手に持っていたゲーム機の電源を落とした。

 

「……僕の名前は師岡卓也。趣味はゲーム。これからよろしく」

 

卓也は丁寧にゲーム機をポケットに仕舞い、こちらに向き直る。外遊びのグループにいる割には、彼の肌は雪のように白く、女の子のような顔立ちをしていた。

 

すると、背後の巨木に背を預けていた少年が、どこか遠くを見つめたまま口を開いた。

 

「っフン。くだらねぇ」

「こいつは直江大和。今ちょっとアレな時期だから多めに見てやってくれ。私たちの軍師だ。相当頭もキレる」

 

百代が紹介すると、大和は物憂げに髪をかき上げ、悟りきったようなトーンで言った。

 

「……どうせ人生は、死ぬまでの暇つぶしだ」

「こいつは精神年齢が高いから、お前とは話が合うと思うぞ」

「いやまあ、確かに精神年齢は高い、のか?」

「俺の存在、それが矛盾そのものだ」

 

「…………」

 

絶句した。そのセリフは羞恥心で体中が痒くなるような、典型的な「あの頃の病」である。

数年後の大和に今の録音を聞かせたら、恥ずかしさで蒸発するんじゃないか。

 

「よっし。自己紹介も済んだことだし、鬼ごっこしようぜ!! 灯火と京が鬼だ!!」

「え、えぇ!!?」

「にーげろー!!!」

 

一目散に散るメンバー。辰子も意外と俊敏だ。

呆気にとられていると、京が俺を見つめていた。

 

「がんばろうね、灯火」

「お、おう……!!」

 

京はどうやらやる気になっているようだ。小学生というのは、ノリと勢いだけで世界を回しているらしい。

 

必死に逃げ惑う彼らの背中を眺めながら、俺はふと遠い記憶を思い出す。

かつて自分も、こんな風に意味もなく走り回り、泥だらけになって笑っていたことがあっただろうか。

 

……懐かしいな。

 

19年かけて積み上げてきた、どこか俯瞰してみていた自分の意識が、目の前の真っ直ぐな熱量に溶かされていくのを感じた。

 

俺は京と一緒に、草原を全力で駆け出した。

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