真剣で君に恋したい!   作:球磨川善吉

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千里一歩

川神院総代、川神鉄心と師範代であるルー。

川神院を率いる二人の視線の先では、二人の少女が全く異なる性質の「熱」を放っていた。

 

一人は、榊原小雪。

彼女の足技は、もはや重力の制約を嘲笑う域に達しつつある。

天性の脚力は「破壊」の奔流と化し、その一撃は鞭のようにしなり、杭のように板間を穿つ。

 

もう一人は、椎名京。

彼女の放つ連撃は、静かなる嵐であった。弓道一家に育ち、幼少より培われた体幹と集中力。

それが近接戦闘へと最適化されたとき、彼女の打撃は最短距離を常に貫き、対峙する者の防御を物理法則の如く削り取っていく。

 

「……小雪の変貌も、京の開花も。ここまでとはの」

 

鉄心が目を細める。

 

「ハイ……正直、その習得速度には驚かされマス。技術的にはまだまだ未熟デスガ、小雪は一度見せた型を、十数回でモノにスル。京に至っては、父から教わった弓道の理を、すでに見事に打撃へと転化し始めマシタ。……あれは、もはや生身の連弩(れんど)デス」

 

ルーの報告は、指導者としての困惑を孕んでいた。

 

「小雪は足技に限定すれば、数年を待たずしてかつての百代を抜き、今の一子にさえ届くやもしれん」

 

鉄心の放ったその言葉は、単なる期待ではない。

それは、武の極致を歩む者だけが看破した、近い未来への「予言」であった。

 

「総代の目には、そこまでに見えまスカ。……では、京も?」

 

ルーが息を呑み、問いを重ねる。鉄心の口から、あの「怪物」たちと比較する言葉が出るとは思ってもみなかったのである。

 

「ああ。小雪の脚も、そして京の拳もじゃ。あの子らには一切の迷いがない。灯火が与えた『論理』という名の地図を、疑うことなく全力で駆け抜けておる。その純真さは、時に天性の怪物をすら喰い破る牙となるわい」

 

鉄心は満足げに、そしてどこか不敵に笑った。

 

「……やはり、灯火を信じてここに留めて正解じゃったわい」

「エエ。才能という点だけを見れば、正直一子たちのような怪物に何百歩も遅れを取っていマス。けれど、それを自覚した上でのあの狂気的な修行量……。今では、その背中が小雪たちに良い影響を与えていマス」

「しかし、来る日も来る日も泥まみれでの。あやつ、修行以外に趣味とかないんかのう」

 

鉄心の視線の先には、一際泥にまみれ、何度も同じ「型」を繰り返す灯火の姿があった。

 

「おそらく、川神院で私以上に努力を惜しまない人間は、一子と灯火しかいないでショウ。……けれど、彼はただ闇雲に繰り返しているわけではありまセン」

 

ルーの視線が、一振りの型を終えては自らの腕を凝視し、思考にふける灯火へと向けられる。

 

「己の肉体を、筋肉の一本まで解剖するように観察し、納得いくまで理屈を組み立てていマス。……あの執念は、もはや狂気デス」

「そして、その『納得した理屈』を他人に伝える能力においてのみ言えば……ルー、お前よりも教え方が上手いことがほとんどじゃ」

「……。悔しいケド、返す言葉がありまセン。彼が言語化した『コツ』を、小雪たちは魔法のように吸収していきマスから」

 

ルーの言葉は、指導者としての敗北宣言ではなく、教え子の「奇妙な進化」に対する純粋な驚嘆であった。

他人の才能を論理的な言語という導線で引き出し、最短距離で爆発させる。

それが、炎条寺灯火という男が川神院で見つけた、唯一無二の立ち位置であった。

 

「灯火の肉体に憑依したのがアイツで良かったのう」

「エエ。彼の永遠とも思える反復に付き合える肉体は、そう多くはナイ。あの執念……もはや精神が肉体を凌駕していマス」

 

灯火は、天から愛された「怪物」ではない。

だが、前世で培った思考と不屈の精神が、武道の「型」を精密な設計図のように解体し、再構築していく。

かつての灯火という少年が抱えていた「強さへの渇望」は、彼の伝説を聞いた彼によって正しく引き継がれている。

まるでそれは灯火が彼の背中を押し続けているようであった。

 

「これからが楽しみじゃのう」

 

鉄心は細めた目の奥で、古びた川神院を通り抜ける冬の風が、今までとは異なる響きを帯び始めたのを、ただ静かに聞き届けていた。

 

 

川神院が小雪を受け入れて一月が経った。

小雪は、俺の予想を遥かに上回る速度で百代たちと距離を縮めている。正直なところ、俺だけが取り残されているような疎外感さえ覚える。

性別という壁は、想像以上に高い。

 

「灯火〜。疲れたよ〜。もう足パンパンだよ〜。おんぶして~!!」

 

雪に染まった地面に寝転び、小雪が子供のように駄々をこねる。

 

「私はお姫様だっこで」

 

京がすかさず便乗する。かつて、いじめに蝕まれて暗い影を落としていた彼女の姿は、もうどこにもない。

 

「じゃあ私は灯火を肩車するわ!」

 

一子までが悪ノリを始める。

 

「私はワン子にお姫様だっこしてもらおうかな」

 

百代がとどめと言わんばかりに言葉を繋ぐ。

 

「ええっ!? 私、潰れちゃうわ!」

 

一子の悲鳴が上がる。合体ロボットにでもなるつもりなのだろうか。

 

「……Zzz。すぴー」

 

ふと見ると、辰子が雪の上で眠りこけていた。

 

「おい、辰子。そんなところで寝たら風邪を引くぞ。…よいしょっと」

 

俺は辰子をおんぶし、一足先に本堂へ向かうことにした。

 

「わ〜、灯火くん、優し〜」

「お、おい、逃げたぞ! 捕まえろ!」

 

後ろから凄まじい勢いで四人が迫ってくる気配がした。

振り返れば、いつの間に用意したのか、小雪が両手いっぱいの雪玉を抱え、京がそれを投擲しようと構えている。

一子は両手に気で生成された水色の球体を浮かべ、百代に至っては、明らかに「やばい」質感の黒と赤の球体を凝縮させていた。

 

一子まではいい。だが、百代の持つ赤い球体の周囲は蜃気楼のように揺らぎ、見るからに超高温を放っている。

 

俺はとっさに、思い切り地面の雪を蹴り上げた。向かい風に乗って舞い上がった雪粒が、追ってくる四人の視界を遮る。

 

「うわ、痛っ! 何これ、あられか?」

 

百代が驚き、手に持っていた不穏な球体が霧散する。

 

これが唯一、今の俺の「気」でできることだ。

直径2cm、奥行き1cm以内の物体の硬度を、気を纏わせることで極限まで高める。

体には「気」というものが流れており、一般人でも「気合」という形で無意識に使用している。腕が上がればより具体的に操れるようになり、さらなる高みに至れば、気を体外へ放出することが可能となる。

 

一般人が一生をかけても叶わないと言われる、体外への気の放出。

それを俺がこの「点」においてのみクリアできているのは、灯火が遺した、巨大な遺産のおかげだろう。だが、今の俺には、体内の精密なコントロールが欠落していた。

 

俺より後に入門した京や小雪は、まだ全身のコントロールには至っていないが、その門前まで驚異的な速度で迫っている。

一子は気で槍を作り、百代に至っては気で人間すら生み出しかねない。辰子は…よく分からない。

 

対して、俺は自分の身体を気に包むイメージがどうしても掴めない。

師範代によれば、気とは本来、炎のごとく揺らぎ、外部へ溢れ出そうとする性質を持つものなのだという。

コツは、その溢れ出そうとする熱量を逃がさず、身体の極至近距離で「高密度の揺らぎ」として維持することらしい。

 

だが、不定形で常に変動する炎を、一定の密度で制御し続けるのは至難の技だ。

俺は気を「血液のように循環させる」イメージで練り上げているが、上手くいかない。師範代によると、気のコーティングの微細な穴から気が漏れ出しているのだという。

 

そもそも、そんな「硬さのないもの」を纏ったところで、本当に身体が頑丈になるのだろうか。

急激な圧力に対してのみ硬化する、ダイラタンシー現象のようなものなのか。

か。

 

気という科学でも解決できない未知の事象は、俺の頭の中をいつもぐるぐると回転している。

 

 

「灯火の部屋って、難しい本がたくさんあるわよね」

 

一子が部屋の本棚を見て呟く。

 

「ほとんどが、前の俺のときからあった本だけどね」

「おぉ~。前の灯火も博識だったんだ~!!」

 

小雪が目を輝かせる。

もちろん、小雪には転生したことは話してある。

本人は辰子同様、あんまり気にしてないみたいだ。

 

「ぶっちゃけあいつ、学校に来る意味なかったしな。給食で唐揚げと揚げパンが出る日だけ来て……ジジイも親御さんも先生も、それを黙認してたんだからなー」

 

百代が懐かしそうに、前の灯火の素行を語る。

 

「でも、今の灯火は、私たちが虐められてないか心配して学校に来てくれてるんだよね? ……そういうところ、好き」

 

そう言って京が抱き着こうとしてきたけど、全神経を集中させて回避した。

ここで一人に捕まったら、なし崩しに全員に押し潰される。普通に怖い。

 

「ねぇねぇ、これ何? あるげぶりっく・あにめーしょん? アニメの本?」

 

一子が本棚の一角を指差して身を乗り出す。

 

「いや……それ多分Algebraic Enumeration、代数的数え上げかな。アニメじゃなくて、吐き気がするほど難しい数学の本だよ。俺にも全部はわからないし。てか一子、意外と英語読めるんだな」

「前の灯火に、いっぱい教えてもらったんだもん!! すごいでしょ!!」

 

すかさず百代が一子の頭を撫でまわす。本当にシスコンな姉だ。

 

「でも、比較的新しい本は自分で買ったやつでしょ?」

「……まあ、前世のアドバンテージがある分、あれくらいならわかるよ」

「すごーい!! じゃあ、私に向いてる学問とかもわかる!?」

 

一子がキラキラした瞳で迫ってくる。つられてみんなが身を乗り出してきた。

 

「うーん。一子は食べることが好きだし……『農学』なんてどうかな。作物とか土のことを研究する学問だよ」

「ノウ、ガク? 泥んこになるやつ?」

「多分。でも、めちゃくちゃ栄養のある植物とか、美味しい作物を自分で開発できるようになるかもしれない」

「えっ!? 伝説の唐揚げが実る木とか作れる!?  それなら私やるわ!!」

「唐揚げは実らないと思うけど……」

 

苦笑いする俺の横から、百代が身を乗り出す。

 

「私にも何かあるか? 実践で役立つやつだぞ」

「百代は『気』でエネルギー弾を作るでしょ? なら『化学』はどうかな」

「ほう、カガクか」

「前に気について行われた実験を色々調べたんだけど、詳しいことはまだわかってないみたいなんだ。もし爆発の理論を化学的に解明できれば、爆発力をもっと精密にコントロールしやすくなるかもよ。……まあ、百代はセンスがあるから、そんな回りくどいものはいらないかもだけど」

「ほう! 化学で爆発を操るのか……。それは実戦向きで面白そうだな!!」

 

「じゃあ、僕はなんでもいいから、将来役に立つやつがいいな~!!」

 

小雪が期待に満ちた目でアピールする。

 

「将来、か。手堅く稼ぎたいなら医学だろうけど……『情報科学』、プログラミングとかかな。前の世界通りに行けば十数年後には、人工知能――AIが当たり前に普及する時代が来るはず」

「ジンコウ、チノウ?」

「宿題の問題解いてくれたり、作文を書いたり、悩み相談にも乗ってくれる便利なツールだよ」

「なんだよ、そんなのあるなら勉強する意味ないじゃないか。全部それにやらせればいい」

 

百代がふてくされたように言う。

 

「でも、最後に責任を取るのは人間だからさ。自分に知識がないと、AIに振り回されて苦労することになる。何より、『知る』ってことは世界の謎を解き明かしていくみたいで、面白くない?」

「あー……。技のキレが上がるならいいけどさ。勉強そのものが『楽しい』なんて感覚、やっぱり私には一生わかんなそうだ」

 

「じゃあ、私は!? 私はどう!?」

 

京がぐいっと顔を近づけてくる。

 

「京は、専門的にやるなら『流体力学』とかかな。空気や水の流れを計算する学問だよ」

「りゅうたい……りきがく?」

「そう。矢の軌道を完全に予測するのは変数が多すぎて不可能だけど、理屈を深く知れば、空気抵抗を味方につけて、さらに精密な射撃ができるようになるかもしれないよ」

「流体力学……。なんだか難しそうだけど、私の弓に役に立つなら、頑張ってみようかな」

 

「辰子は……」

「私は、どこでも寝られたらそれでいいや~……。睡眠……学……?」

「……睡眠科学ってのも一応あるけど。辰子はもう極めてる感じだよね」

 

そんなこんなで盛り上がった後、俺は釘を刺すのも忘れなかった。

 

「……まあ、どんな分野をやるにしろ、中学までの義務教育は知らないと社会で恥をかくからね。みんな、ちゃんとやるんだよ?」

 

皆が気だるそうに頷く。

 

「あと、今教えた専門分野は算数っていうか数学をやっておかないと厳しいからね。化学だって、深いところまでやるなら数学っていう道具がどうしても必要になるし」

「ええーっ、化学でも数学がいるのか…」

 

百代がしみじみと、感心したように言う。

 

「あと、小雪には俺が使ってないパソコンをあげるよ。操作に慣れておくといい」

「うぇいうぇ~い! 灯火、太っ腹~!」

「むぅ。小雪だけずるーい。私も灯火のパソコンほしい!!」

 

「予備はあれしかないし、京の流体力学は、あのPCじゃスペック不足なんだよ。もし本格的にやりたくなったら、俺の部屋においで。一緒に計算回そうか」

「灯火はそう言ってくれると思ってました!」

 

寄りかかろうとする京を、俺は全力で押し返す。

 

「みんなも勉強で分からないことがあったら、いつでも聞きに来ていいからね」

「「はーい!」」

「……ふわぁ……あい」

「うぇーい!!」

「……まあ、気が向いたらな」

 

一子と京の元気な返事に、辰子の眠そうな声、小雪の軽いノリ、それに百代のめんどくさそうな呟きが重なる。

バラバラなはずなのに、不思議と息が合っている。

 

「はーい」なんて威勢よく返事をしたものの、明日一子が持ってくるのは、きっと教科書じゃなくてお菓子と遊び道具だろう。授業中にしぶしぶ開く以外は放置されている彼女の教科書は、今も折り目一つない新品同然のまま、自分の部屋のどこかに転がっているはずだ。

それに手に握ってくるのは、教科書じゃなくて、せいぜい筋トレ用のグリップくらいだろう。

 

辰子はいつも通り、俺の布団を占領して本格的に熟睡を始めるだろうし、百代だって「修行」に繋がらないと分かった瞬間に、ペンを放り投げて「やっぱり暴れた方が早い!」とか言い出すのがオチだ。

 

小雪と京は…案外一念発起するかもしれない。

 

「……ま、それも悪くないか」

 

窓の外で静かに降り積もる雪を眺めながら、俺はどこか晴れやかな溜息をついた。

ちっとも勉強が捗りそうにない「明日」が来るのを、口では文句を言いつつも、楽しみにしている自分がいたから。

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