葬送のフリーレン - 短編集 Memorial in Journey - 作:rvr75_raiden
マシュマロリクエスト「シュタルクの嫉妬というテーマで小説を書いてみてほしいです。リクエストです!フェルン→シュタルクの描写が二次創作では多いイメージなので、逆の場合、らいでんさんならどんなストーリーを考えられるでしょうか?」へのアンサー作品
この物語は 盲目の蝶、欺瞞の檻(前編・後編)の続編となるアフターストーリーです。
事前に読んでいただければより楽しめるかとも思いますが、長いので簡単に説明すると、
- とある魔族の策略で、フェルンは感情の脆弱性を突かれて敵の傀儡となる。
- フリーレンとシュタルクは一時的に追い詰められるが、シュタルクがほぼ捨て身の覚悟で説得する。必死になって色々言っちゃうし、ショック療法的に唇まで奪っちゃう。
- シュタルクは満身創痍のままフリーレンの援護に向かい、さらなる無茶をした結果、瀕死になり直前の出来事の記憶がかなり曖昧になる。
結果として、フェルンの感謝や諸々の感情は行き場を失い、しばらくはお礼と復讐の強制看護生活に入るが……というところから始まります。
■とある行動の残響
「では、フェルン様。換えの包帯と軟膏です。医療費はフリーレン様から受け取っておりますので不要ですよ」
「はい。ありがとうございます」
教会に医薬品を納品しに来た男は、目の前の紫髪が印象的な魔法使いフェルンに包帯といくつかの薬を手渡した。
フェルンはそれを受け取り、カバンに入れてから頭を下げてその場を後にした。
「あら、フェルン様、今日も看護ですか?」
「はい、約束ですから」
「早く良くなると良いですね、がんばってください」
「ありがとうございます」
通りすがりのシスターに挨拶をし、目的の部屋のドアの前に立ってノックをする。
「どうぞー」
「おはようございます。シュタルク様」
そうして部屋に入った先に居たのは包帯でぐるぐる巻になった赤毛の戦士シュタルクだった。
✧ ✧ ✧ ✧
こんな状態になったのには複雑な事情がある。
1週間ほど前、フリーレン達はとある魔族と戦った。
その魔族は……二つ名もなく、角も折られ、大した魔力もない、本当に力の弱い魔族……
だがしかし、その魔族は生きるための執念と、大昔に自分を追い詰めたエルフの魔法使いへの復讐心から様々な策を弄し……
魔族の誇りも捨て、人に扮し、演じ、欺き、果てにはフェルンの心の脆弱性を利用して傀儡としたのだ。
その結果、大いに苦戦することとなるが……一応なんとかなった。
シュタルクの決死の覚悟と献身と活躍により……フェルンは我を取り戻す。
その後、魔族が連れてきた厄介な魔物も倒し、魔族もフリーレンが討つことに成功した。
したはしたのだが……
「……シュタルク様、そのダンベルのようなもの。なんですか?」
「えっ……、なんかおもりになりそうなものを借りて、棒にくくりつけて作った」
「いえ、見たままの構造の話ではなく……なぜ寝たきりのシュタルク様がベッドでそんなものを振り回しているのですか?」
「振り回してはないけど……」
魔族の傀儡となっていたフェルンがどうして我に返ったのかと言われると……シュタルクが頑張ったから。
しかし、フェルンにとっては実に腹立たしいことにシュタルクはその時の記憶が飛んでいて覚えていない。
それはもう、八面六臂の活躍と言うか……常人なら数回死んでいるであろう無茶。
全力で攻撃してくる洗脳状態のフェルンに一度も攻撃せずに追いかけ、叫び続けた。
そして、言葉では届かぬと悟ったシュタルクは決死の覚悟でフェルンにしがみつき続け――
フェルンの口をシュタルクの口で塞ぎ、その精神を揺さぶることで強引に洗脳を解いてきた。
なぜか解けてしまった。何の力だか――フェルン本人にもなぜかわからない……
ただ、傀儡となる直前に……自身の意識を曇らせていた何かはそれで晴れてしまった。
――まあ、それ自体は万歩譲って許すとしよう。
「病室のベッドの上で危ないことしないで下さい……シュタルク様は絶対安静なのです」
「――え、だって身体動かせないし……」
その後、満身創痍だったシュタルクは、フリーレンを単独で追い詰める反射速度特化型の甲殻蜘蛛を高度上空から落下し、最後の力で叩き切った。
その状態で力尽きた彼は、毒と融解性のある甲殻蜘蛛の体液の上でぶっ倒れてしまった……
助け上げた時は本当に見るも無残な状態になりかけており……フリーレンが近隣の街から連れてきた高位僧侶のお陰で一命をとりとめた。
本当はフェルンの回復のために呼ばれていたのだが、そちらは結果的に意味がなくなってしまったのだ。
――そして今の状況。
「とにかく、包帯の巻き直しとお薬を塗ります。覚悟してください」
「うっ……」
「その後お食事です」
シュタルクは完全復帰まで絶対安静となり、下半身も雁字搦めで動けないよう魔法でベッドにくくりつけられている。
「手は動くから……自分で食べたいんですけど」
「そう言って昨日、こぼしてベッドを汚したから駄目です」
こんな状態がしばらく続いている……
神父さん曰く、意味がわからない回復速度で、先日腕が動くようになった、らしい。
しかし、それでも強制的にお世話をするフェルンから、シュタルクは逃げることすら叶わず、受け入れるしかない状況。
「パンツ……脱がさないでも良くない?」
「拭かないとシュタルク様が不潔です」
「……言い方ぁ」
そんな日々を、フェルンはまあまあ楽しんでいる。これは、そんな中の話だ。
■自由の蝶とちょっとした依頼
「ううっ……もうお婿に行けない……」
「馬鹿なこと言ってないでしっかり回復に努めてください」
結局シュタルクの全身を隈なく拭いた後、熱々のスープを食べさせたフェルンは満足げだ。
交換した包帯を丁寧に畳み、フェルンは立ち上がる。
丁寧に扱うので「それどうするの」と聞いたら「洗って再利用します」と言っていた。
布製なので生地が傷んでないならフェルンのお洗濯の魔法で綺麗にできるらしい。
「巻いたままお洗濯の魔法で良くない?」と聞いたら、眉を寄せたフェルンに駄目な理由をくどくど説明された。
端的に言えば、身体も拭くことになるため、新品の包帯で巻き直すのは仕方ないということ。
「では私は行きます。滞在中、すこし村の仕事の手伝いもしますので」
そうしてシュタルクは、なぜか肌艶が良くなったフェルンを見送った。
(村の仕事の手伝いか……)
先日の事件で、フェルンは一時的に視力を失っていたのだ。
その間、シュタルクが日常の介護をせざるを得ない状態が続いたので、今は楽しいのかもしれない。
窓から見える彼女は、フリーレンや村の人達と会話をしながら仕事場へ向かうようだ。
魔法使いは物理操作もできるので、畑仕事の運搬などでも重宝される。まさに引っ張りだこだ。
(前まで、フェルンのお世話も村仕事も全部俺がやってたのにな)
寝たきりの怠惰は、日々修行や仕事などで忙しい中、敢えて取るからこそ良いものだ。
休日というのは、限りがあるからこそ充実する。
回復するまで一人でじっとしていろ!と言われると、まあまあ気持ちが陰鬱になる。
しかし、まだしばらく身体は動かせない。いや、動かせなくもないのだが、今は魔法で封じられている。
『絶対安静』なので余計なことをするなというお達し。
「暇だ……」
今、フェルンは何をしているのだろう。つい先日まで自分がフェルンの世話をしていたので、そんなことばかり気になってしまう。
村の人達と楽しげに日々の仕事に従事する彼女を思い浮かべて……
「やめておこう……」
深く考えても仕方ない。想像しかけた姿を霧散させて、シュタルクは眠ることにした。
✧ ✧ ✧ ✧
「シュタルク、どうしてた?」
「相変わらずです。驚異的な速度で回復している一方で退屈そうにしています」
「そっか、じゃあ良かった」
人参などの根菜を引っこ抜きながら、フリーレンは答える。
薄く笑う彼女はさほど興味なさそうにしているように見えるが、彼女なりに安心した合図だ。
「もう少しすると、魔法を解いてあげても良いかもね――どうして微妙な顔するの?」
完治しないうちに筋トレなどを始めないよう魔法を掛けていたが、そろそろ解いても良いかもしれない。
そう告げた言葉に対して、フェルンはちょっと不満そうだ。
「いえ、別に……」
「ああでもしないと大人しく言うこと聞いてくれないのはそうかもね……でもそろそろ可哀想だ」
フリーレンの言葉に、フェルンは小さく苦笑してため息をついた。
「そうですね。私もそろそろ我儘が過ぎました」
「フェルンの我儘って……何の?」
「なんでもありません。様子をみて拘束魔法を解いてあげましょう。筋トレは叱りますけど」
先日のシュタルクが自分にやったこと、言ったことに対してまさかの忘却という仕打ち。
色々思うところもあり、動けないシュタルクに好き勝手やり続けていたが、そもそも罪自体はない。
愚かしいほどの優しさと真摯さの結果なのだ。納得はできないが。とはいえフリーレンの言葉ももっともだ。
(そろそろ手打ちにしてあげよう)
作物のかごを魔法で持ち上げ、そんなことを考えていると。
「フェルンさーん、フリーレンさーん!」
この畑の収穫依頼を出してきた農家の家族の旦那さんが、子供を連れてやって来ていた。
✧ ✧ ✧ ✧
「つまり……隣町まで納品に出る間、この子をお預かりすれば良いんですね?」
「はい……お願いできますか?」
農家の若夫婦には小さな娘がおり、現在は母親のスカートを握って恥ずかしそうに隠れている。
「助かります。いつもは教会にお願いしていたのですが先日の騒動で手が回らないらしく……」
「そうですね……もっと平穏に終わればよかったんですけど」
「いえ、フェルンさんのせいではありませんよ」
そういわれるとちょっと心に罪悪感が……
あまり知られずに済んだが、フェルンは魔族の傀儡になった状態でいくらか暴れている。
村人に直接危害は加えてはいないはず、だがやっぱり申し訳はない。
「明日から少しの間、フェルンお姉さんと一緒にいてね」
母親から背を押された女の子はおずおずと前に出てきた。
フェルンは膝を折り、屈んで女の子に視線を合わせる。
「こんにちは。よろしくおねがいしますね」
「――こんにちは……お姉ちゃん……リ……リーゼルと……いいます」
もじもじと視線を合わせては逸らす姿は、とても可愛らしい。
「すこしの間……お姉ちゃんが、お母さんになってくれるって……」
「……お母さん――」
いたいけな少女の「お母さん」という言葉――
――パキィィン――
それは、フェルンの脳内に妙な音を響かせ、ラッパを咥えた天使たちが降り立ち、変な曲を吹き散らせる。
「フェルン?」
「……いえ、続けて下さい」
「は、はい……」
農夫の夫婦が言うには、数日かかるので報酬に加えて家を自由に使って良いということだそうだ。
「つまり、宿泊費が浮くってこと?」
「――それは素晴らしいですね」
案外馬鹿にならない滞在費なので、フェルンとフリーレンは二つ返事でこれを了承した。
✧ ✧ ✧ ✧
「で、そのお家にしばらく厄介になるってこと?」
後日、シュタルクがフェルンから聞かされたのはそういう話。
「はい。そうなります。あと、もう1点ご相談事項がありまして」
「うん?」
ご機嫌そうなフェルンの様子に今日は機嫌が良いのかなとちょっとした安堵を覚えたシュタルク。
まあ、機嫌が良いからといって、ここ数日の行動が変わったことはない。
全身くまなく拭かれ、うまく動けないことを理由に「あーん」を強要されるのだ。
「はい、フリーレン様と相談しまして、シュタルク様に施した封印を解くことにしました」
「ん?あれ?」
フェルンの口から出たのは思っても見なかった言葉。
「申し訳ありません。私も大人気なく……シュタルク様の羞恥心の叫びが心地よく、穴という穴の掃除まで……」
「うん……とりあえずその話は置いとこうかフェルン」
続きの言葉はろくでもない話になりそうだったので、まずは結論を促した。
「神父様に確認した所、もうそれほど問題ないので封印もといて、数日無理をしないなら退院をしても良いと」
「あ、そうなの……?」
「はい、そういう訳で今日から食事は自分で摂ってください」
「それは、全然いいけど……」
何だこの会話?むしろ今まで何だったのか?という疑問を考える暇もなく。
「じゃあ、解くよ? ――はい、解除完了」
「え、ちょっ、まって……返事する暇もなかった。あ、足動く……」
「もう多分歩けるし……筋力次第なら走ったりもできるんじゃないかな?」
「マジで……?」
という訳でいきなりシュタルクのちょっと怠惰な入院生活は終わりを告げたのだった。
■蝶の止まる花
「……誰?」
翌日。フェルンは小さな女の子を抱き上げながら部屋に入ってきた。
「リーゼルさんです」
紹介しながら床に下ろすとリーゼルはたたたとフェルンの後ろに回った。
少し人見知りなのだろう。子供と仲良くなることに関してはそこそこの自負はあるが、こういう反応もままある。
なんせこの三白眼のツリ目だ。ついでに痣まである。
フェルンが背中に回ったリーゼルの頭を撫でながら挨拶を促す。
「前にお伝えした戦士のシュタルク様です。この街を救った英雄様ですよ」
「シュタ……ルク……さま……?」
「はい、そうです。勇敢な戦士様ですよ」
時々、英雄様などと言われるのはこれが原因か……と思いつつも切り替える。
「聞いているよ。リーゼル。よろしくな。戦士シュタルクだ」
「怖くない……? 怒らない……?」
「こ……コワクナイヨー」
まあ、冒険者には荒くれ者もいるからなぁ……と思いつつ
シュタルクは顔の横で両手をひらひらと振る。
リーゼルは顔を真っ赤にしながら、フェルンのスカートに顔を埋めた。
「恥ずかしいようです」
「あ~……そういう」
ひとまず、怖がられてはいないことには安堵した。
「で、シュタルク様。お食事の時間です」
「え……」
✧ ✧ ✧ ✧
「はい、あーん」
「……あーん」
という声で小さなスプーンを咥えたのは、シュタルク――ではなくリーゼル。
フェルンが与えたのはお弁当箱に入れたハンバーグの切れ端。
リーゼルはそれを咀嚼しながら目を輝かせる。好みの味だったようだ。
「フリーレン様特性ハンバーグです。美味しいですか?」
「うん!!」
見る人が見れば、母娘のようなやり取りだ。
それを遠巻きに見ながらシュタルクは目の前の熱々のスープと対峙する。
「……」
微妙な侘しさを覚えたことに気づき、シュタルクはブンブンと頭を振る。
(いや、ようやく食事を一人で食べれるようになったんじゃないか……!!これはそう!精神的な平和ってやつだ!
今まで、フェルンに半強制的にあーんで食べさせられ続けた毎日は……
毎日は……)
シュタルクのそんな自問自答を知ってか知らずか向かいの椅子ではフェルンとリーゼルがお昼を食べている。
「ピーマンいやぁ……」
「お野菜もちゃんと食べないと。健康に良いものですし、お野菜はお父さんとお母さんが一生懸命に育てたものですよ?」
「うううー」
そんな感じでフェルンがリーゼルにお弁当を食べさせているわけだが。
どうやらフェルンとリーゼルが二人で食べるように用意したものらしい。
フェルンが美味しそうに食べるのを見せてからリーゼルに食べさせている。
客観的には微笑ましいのだが。ちょっぴり疎外感も感じる。
―― いやいや、リーゼルの前であーんとかやられたら自身が耐えられないだろ。そうに違いない。
そう言い聞かせていったん、考えを切り替える――
「お口にソースがついています。じっとしていてください」
「……んっ」
そんなフェルンはリーゼルの口元についたソースをハンカチで拭っている。
その光景を眺めながら、シュタルクはスープを口元に運んだ。
「……ッッ!! 熱っちぃぃぃ!!」
意識が他所に行っている瞬間に口内で広がるスープの熱。
そう言えば、何の嫌がらせか毎回スープは熱々にされているのだ。
それを何度か口に運んでは無理だった時に、フェルンがフーフーして冷ましてから食べる。そんな謎ルーチンを今まで仕掛けられていた。
恥ずかしいからやめて、自分で食べさせてほしいと、言い続けていたのはシュタルク自身だ。
「お行儀が悪いですよ、シュタルク様」
「はい……」
「おいしいね」と微笑むリーゼルに満足げにお弁当を与えるフェルンを眺めながら、
渋々と熱々のスープを冷ましながら堪能することになってしまった。
✧ ✧ ✧ ✧
「はい、もう出歩いても良いですよ。しかし、驚異的な回復速度です。常人では考えられません。
毒の侵蝕や、皮膚の焼け跡は女神の魔法で表面上なんとかなりましたが、身体の至る所で骨折までしていたのに……」
その日の午後、診察にやって来た神父が女神の魔法でシュタルクの身体を確認した時の言葉だった。
「まあ、何度も岩に打ち据えられた上に、飛行魔法の限界高度から落下しながら斬りかかったから……」
そんな事情を話すと、神父は「自殺願望者ですか?」という感じの表情をしてから咳払いをした。
「これが女神から与えられた英雄様の特別な力ですか……」
「―― 普通の戦士です。師匠に鍛えられた結果です……」
シュタルクの師、伝説の戦士アイゼン。ドワーフの彼は治療いらずの極みの人ではあった。
その域には達せないが……一緒に過ごした時間で、似てきた部分はあるかもしれない。
無論、シュタルクとアイゼンの常識を普通と言うのかどうかは審議ポイントではある。
「……何にしても、健康なことは良いことですね。
まだ、安静にしたほうが良いと思いますが退院されますか?
ずっと教会の病室も退屈でしょう」
「うーん……そうだな」
✧ ✧ ✧ ✧
教会から荷物をまとめて外に出た時に待っていたのは、銀髪のエルフのフリーレンだった。
どうやら迎えに来てくれていたようだ。
「退院おめでとうシュタルク。大丈夫そう?」
「ああ。まだ無理はするなって言われてるけど。大丈夫そうだ」
「そう……よかった。改めてだけどありがとうね。あとごめん、シュタルクには随分無茶をさせた」
フリーレンが謝っているのは、フェルンの救出や魔物の足止めにシュタルクを頑張らせたことだろうか?
「俺達はパーティーだろ。あれぐらい当然だ」
「うーん。そういうことじゃないんだけどな」
「???」
しょうがないかー、という様子で、フリーレンは苦笑いをしながら小さく嘆息した。
「フェルンが今ああして小さな女の子の世話をしながら楽しそうにしているのは
全部シュタルクが頑張ったからって事だよ。あんな事があった後でもフェルンは怪我一つなく日々を過ごしている」
「そうなの?」
「まあ、わからないなら良いよ。でもありがとうって言葉は受け取って欲しいな」
フリーレンの言葉に、シュタルクは少し首を傾げつつも、とりあえずは……
「どう致しまして」と頷いた。
■隣の花の蜜は甘いのか
現在、卸の出稼ぎで家を開けている農夫夫婦の家を借りているフェルンとフリーレン。
先日から教会に泊まらなくなったのはそういう理由だと聞いた。
「俺も泊まって良い?」
屈んでリーゼルに問いかけると彼女はフェルンの後ろに隠れてシュタルクを眺める。
フェルンは頭を撫でながら少女の背中を押す。
「良いですよね?ご挨拶、練習しましたからね、ほら」
「…… シュタルク……お兄さん。村に来た魔物……やっつけてくれて……ありがとう。
その……お家使って、いいよっ!!」
そこまで言ったリーゼルは真っ赤になってフェルンの後ろに隠れた。
お馴染みの反応にシュタルクは苦笑いをする。
まあ、嫌われていないようだし、何より――
「……ボロ雑巾のようにズタボロになった件は私も言いたいことがありますが……誇っていいと思いますよ」
「言い方ぁ……いや、うん……そうかな……?」
お礼を言われて悪い気はしないな、と頬を掻く。
「それに――」
苦笑するフェルンは屈んでリーゼルの肩に手を置く。
「こんなにかわいい子が褒めているのです、素直に受け取りましょう」
「お姉ちゃんくすぐったい……」
そう言いながらフェルンはリーゼルに良く出来ましたとばかりに頬ずりをしている。
「あ……うん……そうね……」
フェルンがフリーレンの世話を甲斐甲斐しくするところや、小動物好きなところで察してはいたが……
(やっぱり母性本能をくすぐるものに弱いんだな……)
そんなふうに思いながらも、フェルンの楽しげな様子に納得するのだった。
ちなみに……フェルンがシュタルクに対して拘泥する理由だが、この母性本能の燻りも割と大きいことを知るのは少し先の話になる。
✧ ✧ ✧ ✧
その夜。久方ぶりの普通の夕食。
フリーレンからの全快祝だからということで、誕生日のハーフサイズな焼き立てハンバーグ振る舞ってくれた。
シュタルクはようやく普通に食べられる食事に舌鼓を打つ。が――
「……」
「どうしたのシュタルク?」
「……別に」
そこでもリーゼルへとあーんしたり、口を拭うなど、甲斐甲斐しくお世話するフェルンの様子を見つめながらの夕食となってしまった。
そんな夕食の少し後のこと――
「お湯が貼り終わりました、お風呂に入りましょう」
「はい」
かまどで炊いたお湯を風呂桶に注いだフェルンがリーゼルを呼ぶ。
少女は服を脱いでタカタカとお風呂場に掛けていった。
「服はそちらの脱衣所で脱ぎましょう。部屋にはシュタルク様もいるので少しだけ気を使ってあげて下さい」
「はーい」
カーテンの向こうでは、そんな話をしている。
おそらくフェルンも一緒に入るのだろう。布地が肌を擦り、パサっと落ちた音がした。
それはさておき、今のさっきの言葉どういう意味?
「湯船に入る前に体を洗いましょうね」
「お姉ちゃんの背中、おながしします」
「はい、ありがとうございます」
わりと……声と音が聞こえてしまう。だって……お風呂の仕切りは布なんだもん。
あと、フェルンが内部から魔法で光源を出しているのか……影が見えるんだよ……フェルン、気づいて!影でボディラインが見えてしまう!
「……」
「シュタルク、どうしたの?なんで坐禅を組みながら瞑想をしているの?」
「いや、なんでもない……」
何にしても、そうだよな。お風呂はこうなるよな。
先日までからの隅々まで拭かれてたのが異常なだけだよな!!
一体何に対して何の言い訳をしているのかわからないが、坐禅をしながらシュタルクは自分に言い聞かせる。
「お姉ちゃん……おっきいっ! お母さんみたい!」
「そうですか? リーゼルさんもきっと大きくなりますよ」
なにがぁぁぁぁぁぁ?!と、強く目を閉じて歯を食いしばるシュタルク。
その様子を見たフリーレンが心配そうに問いかけてくる。
「シュタルク……もしかしてまだ傷が痛むのかい?」
「いや……そんなことはない。全然ないよ。平気だよ?」
「そう……? 問題あったら遠慮なく言ってね」
「はい……」
何も問題はない。ないのだ……問題があるとするならば、強いて言うならお風呂場の仕切りの薄さかな……
「いーちー、にー、さーん……もう出ていい?」
「駄目です。百数えましょう」
「うー……」
定番のやり取りが聞こえる。きっと一緒に湯船に浸かっているのだろう。
「熱いっ!もうでる!!」
「あっ!リーゼルさん!!」
そう、こういう時、子供は我慢できない。不意にカーテンの開く音が聞こえた。
「リーゼルさん、体を拭いてから外に!!」
先程より近くに聞こえるフェルンの声。そして響く足音。
何事かと思い、目を開いて振り返るとそこには――
「「あっ」」
✧ ✧ ✧ ✧
「何やってんだろうなぁ……」
現在、シュタルクは家の外の畑の正面に生えた木の根元。寝袋に包まれて寝ている。
天井と床のある場所で連日寝ていたので久しぶりの外は身に染みる。
「寒い……」
こういう時にフェルンは平手打ちをしない。しないけど眼で射殺してくる。
さっき何回「えっち」って言われたんだろう……?
いや、タオル巻いてたし……肝心な部分は見てない……と思うんだけど……怒るかぁ……怒るよねぇ
と思いながら外に出たわけだが。
話によると、お世話を頼まれてからフェルンは毎日リーゼルと添い寝しているそうだ。
とても柔らかくて温かいのだろう。まあ、そういうことはされたことがないから知らないけど。
「淋しいのかなぁ……俺……」
まだ少し冷える北側諸国の寒空の下。戦士はここ最近の出来事を思い起こす。
病室で無理やりお世話されていた時は案外いたせりつくせりだったなぁ。色々恥ずかしかったけど。
などと思いながら、シュタルクは目を閉じ、眠ることにした。
■戦士の心は凪でいれるか
ちょっとした油断……と言うより考えれば当たり前の事故。平屋の家でお風呂から飛び出たらそれは目に付く。
瞬間的に一般攻撃魔法をぶっ放しそうになったが……流石に無用な惨劇すぎるので
『えっち……』
『えええっ!!』
視線で撃ち抜くに至った。
「フェルン……シュタルクは外で寝るって。リーゼルは?」
「眠りました」
彼女の、腕の中ではリーゼルが可愛い寝息を立てている。
「お父さん……お母さん……どこぉ……」
と、小さな寝言が聞こえ、もぞもぞと動き出したのでフェルンは優しく抱きしめて彼女の頭を撫でた。
普段、表には出さないものの、実の親の存在はまた別なのだろうなとフェルンも思う。今はこうしてあげるしかない。
「……そう。フェルンは疲れてない?お世話しっぱなしでしょ?」
フェルンはしがみついたまま眠る少女見つつ、小さく微笑む。
「リーゼルさんは良い子なので大した苦労はありません。誰かと違って朝も起きてくれますし」
「む……私もちゃんと、やることがある時は起きているでしょ」
少しだけ拗ねた様子を見せたフリーレンだったが……「ふう」と脱力して苦笑した。
「ちょっとシュタルクに冷たすぎじゃない? わざと?」
「半分は……」
直近喧嘩という空気ではないのでそこまで気にしなくてもいいかもしれないが、弟子のメンタルケアは重要だと見たフリーレンは少し追求してみる。
「前の戦いで無茶したことは許したんじゃなかったっけ?」
「まあ、そのことでは怒ってません。まだ、ちょっとだけ腹立たしいだけです」
「なんで……って、ああそうか……」
シュタルクは先の戦いでかなり記憶が混濁しており、フェルンを助けたときから決着までの記憶が吹き飛んでしまっている。
それは、致し方ないとは思うのだけれど。
「お礼、言うタイミングなかったもんね、でもそれでちょっと意地悪するのも違うと思うけど」
「看病し続けて……伝わるかなとも思ったんですけど。シュタルク様はあっという間に回復してしまったので」
「まあ、2~3ヶ月かかると思ったら2~3週間で治っちゃってるからね」
フリーレンから見てもフェルンの感情というのはなかなか複雑怪奇で難しい。
シュタルクと仲良くしていたいのだとは思うけど、彼女が最終的にどういう関係を結ぼうとしているのかはフリーレンにはわからない。
「たくさん迷惑をかけました。返したいけど……素直に受け取ってもらえません。
……少しでも、ありがたみを分かってもらえると……助かるのですけれど」
「素直じゃないなぁ……言えばいいじゃん」
窓から見える畑の前の樹の下で淋しげ寝袋で寝ているシュタルクが見える。
「――言葉にするのはまだ、難しいです」
「そっか、でも、家から追い出すのは可哀想じゃない?」
まだ外は結構寒い。まあ、農家の夫婦が帰ってきたら自分たちもしばらく野営生活が始まるので他人事じゃないけど。
屋根があるところで寝られるうちは享受した方が良いであろう。
「――それは、シュタルク様がえっちだった罰です」
「まあいいけどね」
先程の事故を当人同士がそれで丸く納めてくれるならフリーレンとしては是非もない。
「じゃあ、この件は明日引っ張ったら駄目だよ。私は寝る前にシュタルクに毛布と……湯たんぽ渡してあげてくるよ」
「はい。お願いします」
全く誰に似たのか素直じゃない。
✧ ✧ ✧ ✧
朝焼けのまだ少し霞む翌朝、鳥の鳴き声とともに頬を叩く感触を感じる。
「……おはよう、ございます……」
視界に写ったのは預かっている少女のリーゼルと――
「シュタルク様。おはようございます」
少女を後ろから抱きしめるフェルンの顔が見える。
「フェルン、リーゼル……おはよ……うッッ!!」
フェルンを見た瞬間、昨晩の彼女の姿を思い出し、一気に5m程離れる。
戦士の不自然なほどの大きな挙動に驚いたリーゼルが眼を丸くしている。
「フェルン……その、昨日は……ごめん……見るつもりは……」
「もう怒っていませんよ。朝食にしましょう」
「……うん」
寝袋などの諸々を抱えてフェルンのうしろにおずおずとついていくシュタルク。
そんなシュタルクを見たリーゼルはフェルンの袖をクイクイと引いた。
「お姉ちゃん……言うんじゃないの?」
「……」
その言葉に反応したフェルンは立ち止まる。急に止まった彼女にシュタルクは首を傾げた。
「――どうしたの?」
後ろから見るとフェルンはため息のような、深呼吸のような……どちらともつかない仕草している。
本当にどうしたのだろう?そう思っているとおずおずとフェルンが口を開く。
「……。昨日は――、外に叩き出したのは……やり過ぎでした。すいません。風邪とか……引いてなくて良かったです」
「うん……?」
どうやら、昨日の話は手打ちにしてくれるらしい。
シュタルクも病み上がりの身体には答えたが、思えばあれぐらいなら慣れっこの範疇だ。
「あと……」
「おう……」
フェルンがこっちに向き直り言いづらそうにしていたが、意を決した瞬間出てきた言葉は――
「あり……が……」
「蟻?」
「あり……」
しりすぼみに声が小さくなっていくと同時に大きく息を吸ったフェルン。
「シュタルク様のえっち……」
「えええッッ」
一言放ったフェルンはそそくさと素早い動作で部屋の中へ入ってしまった。
バタンという音を立てて閉じられたドアの前で立ち尽くすシュタルク。そして隣にはいつの間にかシュタルクのズボンを掴んだリーゼル。
「何だったの?」
というシュタルクにリーゼルは彼を見上げてズボンを引いてくる。
顔だけ向けて、どうしたの?と問うと
「……お姉ちゃん。朝起きたら、練習してました」
「何の?」
「さっきの」
ちょっと言葉の意図が掴めず首を傾げる。
「お母さんも、お父さんも喧嘩した時……時々、こっそり謝る練習してます。
同じです。お兄ちゃんはお父さんですか?」
「えっと……なんかよくわかんないけど、そうなのかな……?」
シュタルクが答えるとリーゼルは嬉しそうに足に抱きついてから彼のズボンを引っ張り始めた。
「朝ごはん……食べます。お母さんなお姉ちゃん。用意して、待ってます」
「お、おう……」
✧ ✧ ✧ ✧
朝食がテーブルに置かれており、席につこうとすると足元から「んー」という声と押される感触。
リーゼルだ。
「おっ、おお……? なになに?」
反対側の席に案内された。昨日フリーレンが座っていた、フェルンの隣の席である。
「シュタルクがそっち座るなら私はこっちに座ろうかな」
苦笑しながらフリーレンが斜め向かいの席に座った。
シチューを持ってきたフェルンは一瞬その座席を見て立ち止まるが……
「こっち……」
リーゼルにくいくい引かれて結局シュタルクの隣の席に座る。
「んしょ、んしょ」
お誕生日席の位置からシュタルクのフェルン席の間に運んできたのはリーゼル用の少し高い子供椅子。
運び終えた彼女は満足げにシュタルクとフェルンの間に座った。
「お皿の位置替えないとね」
と言ってフリーレンが空席になった場所からリーゼルの正面にサラダと目玉焼きとパンの乗ったお皿を移動する。
「え、どうしたの?」
とシュタルクが問い掛けると、フリーレンは苦笑いしながら答える。
「リーゼルみたいな歳は、そうしたほうが座りが良い時があるんだよ」
「そうなんだ……」
そんな感じで分かるようで分からないまま始まった朝食。
フェルンは、あいかわらず美味しそうに朝食を食べるリーゼルへと甲斐甲斐しくお世話をしている。
真横に座ったのはそういうことなのかなと思いながら眺めていると……フェルンの視線が時々向けられていることに気づく。
これまでもそうだったのだろうか……? 滅茶苦茶強引に看病したり、突然そっけなくなったり、結局は何なんだ?
訝しむように半眼で眺めていると――
「おいしいね……」
隣りに座ったリーゼルはシュタルクの袖をクイクイと引きながら問いかけてきた。
――『師匠!これ、美味しいな』
――『ああ、そうか……作った甲斐があった』
ふとリフレインする、師のアイゼンに拾われてすぐの頃の食事の風景。
家族も居なくなったあの日、一緒に食事を食べてくれる人が居たと気づいた感情――
「――そうだな。美味しい」
フェルンが先日からやっている様にリーゼルの頭を撫でると彼女は嬉しそうに笑う。
そんなリーゼルの姿なのかシュタルクの姿なのか、あるいは両方か。
それを見ていたフェルンは小さく嘆息してから――フッ――と笑う。
「良かったね、リーゼル」というフリーレンに彼女は「うん」と頷いた。
それは冒険とも異なる、何でもない穏やかな風景に思えて……
―― 昨日まで……何をモヤッと悩んでいたんだろ?
答えは出ないが……嬉しそうに笑うフェルンを見ていると――頭の中で何かのピースがカチャリとはまったような気がした。
■戦斧の柄にとまる1羽の蝶
食事を終えた午前中、フェルンは買い物やもろもろの手続きのために村の露天や役所のある場所へと向かった。
シュタルクはもう一日重労働禁止を言い渡され留守番中。どうせ人のいるところに出たら何か手伝い始めるだろうとフェルンにきつく言い渡されている。
今は畑の方にいるフリーレンとリーゼルを眺めていた。
「行くよ。見ていてね」
「うん」
フリーレンが杖を構えて唱えられた魔法は、辺りから程よい大きさの岩を集めて人の形のゴーレムを形成する。
「すごいっ!!」
「ここからが本番だよ、ちょっとだけ離れてね」
フリーレンは、畑の端に止めていた荷台からクワを二本取り出してゴーレムの腕に取り付けた。
なんだか構えは微妙な感じだが、どたばたと畑を耕し始めた。
「わああ……、魔法すごい!」
「でしょ」
慣れた農家の人の作業に比べるときれいに耕せているとは言い切れないが、面白い試みでリーゼルは随分嬉しそうだ。
「動きのたどたどしさは改善の余地ありかな……昔見た古代の畑耕しゴーレムに比べると考えることが多そうだ」
「そんなのあるの?」
リーゼルとフリーレンのやり取りを見ながら全く同じ感想を呟いていたシュタルク。
何にしても、楽しそうで何よりだ。
✧ ✧ ✧ ✧
今日は暖かくていい天気だ。ゆっくりと流れる雲を見ながら思いを馳せる。
フェルンが怪我をしたり、魔族に襲われたり、シュタルクが入院したりといろいろあった。
「結構滞在長くなっちまったな……」
「何が見えるんですか?」
「おかえり」
足音と気配でなんとなく戻ってきていたのは判っていたが、フェルンが背後まで来ていた。
座るために敷いていたシート。シュタルクは横に移動して1人分のスペースを作った。
「……」
フェルンは少しだけ間をおいてから、スカートに折り目をつけて空いたスペースに座り込む。
「魔法で遊ぶフリーレンと、リーゼルが見えるかな」
「もう少し遠くの空を見ていませんでしたか?」
畑からはリーゼルが手を振り何かを言っている。おそらく「お姉ちゃんおかえり」とかそんな感じだろう。
フェルンは笑顔で手を振って答えた。
「手紙をいただきました。明日の夕刻には戻るそうです」
「そっか……それまではお父さん役、頑張るか。何も出来ないけど」
「一緒にいてあげるだけで、出来ていることはあると思いますよ……」
そう言ってフェルンがシュタルクの肩に頭を載せてきた。
首筋に感じる艶やかな髪の感触と特有の甘い香りに、びっくりして跳ね上がりそうになったが、ぎりぎりで耐えた。
「どうしたの……?」
「リーゼルさんみたいな幼い子は……母親のような存在と、父親のような存在をどうしても必要とするらしいですよ」
「説明に……なってなくない?」
隣からクスクスと笑い声が聞こえる。
「シュタルク様はお父さん役じゃなかったんですか? お母さん役が私です」
「まあ、そうなんだけど……」
「だから……今はこれでいいんじゃないですか?」
「……そっか」
そのまま静かな時間が流れる――と、思った矢先。
「――ありがとうございました」
フェルンの口からはポツリと言葉が漏れた。
「何?」
「シュタルク様は覚えていないかもしれないことです。だから受け取ってもらえないかもしれない。
それが怖くて言えませんでした。私は……シュタルク様が言ったこともやってくれたことも全部覚えていて……」
この想いは、どう言えば伝わるのか?と――
「今こうしていられる、その全てに感謝しています――」
言葉のリズムの途切れがフェルンの迷いと気持ちの重さを示している様に思えた。
「――だから、思い出せなくても、その言葉だけでも……受け取って……欲しくて……」
珍しく自信なさげな口調。地面に置かれた彼女の手の上に、ゆっくりと自分の手を動かし、小指だけを重ねた。
「――ッッ!」
息を呑むような音が聞こえた。
僅かに重ねた指の先からも感じる。普段は少しひんやりとした肌なはずの彼女の手が熱い。
「――わかった。思い出せるときまで……覚えておくよ」
「……はい」
そう答えると彼女は安堵したように体重を掛けてくる。
今はただ、それを支えられるようにじっと座ることしかシュタルクにはできなかった。
✧ ✧ ✧ ✧
――というやり取りの裏で
(やべ……どうしよう……)
シュタルクはちょっと焦っていた。
(完全に、思い出せていないことになっちゃった……)
そう、今朝方、思い出してしまったのだ。頭の中にかけたピースがはまったように思えた瞬間から。
あの日、彼女に何を言ったのか、何をしたのか……この午前中にじわじわと記憶が湧いてきて……
――『フェルン!聞けよ! やっぱり俺には判らねぇよ! あの場で本当はどうするべきだったかなんて。
たぶん、10回やっても、100回やっても、きっとなにもやることは変わらないよ!』
――『それでもやっぱり、俺はフェルンを見捨てられない!』
――『俺には大事だからとか、大事じゃないからとかわからねえよ!』
――『今の俺にとってフェルンより大切な女の子なんていないんだ!』
(なんか……色々言っていた……)
おまけに――
――『初めてだったら悪いなフェルン!俺も初めてだし許してくれ!』
他に手段も思いつかなくて、やってしまったショック療法……
もう派手に、フェルンの呼吸がままならず肩をタップされるまでガッツリと……
ちらりとフェルンに視線を向けると彼女の薄ピンク色の唇が視界に入り、慌てて視線をそらした。
それらを全部覚えている彼女は「ありがとうございました」と言った。
(それはつまり……)
言ったこともやったことも全部覚えていて、それに感謝していると言っている。
(……フェルン的にOKということ?)
そう考えると、頭が茹で上がり沸騰しそうだ。
教会の入院中の態度から何か怒らせてしまったのかと思っていた。だが、そうではなかった。
その一方で、フェルンはシュタルクが思い出してはいないと思ってる。
(思い出すとこはないと思って言ったのか、思い出して欲しくて言ったのか、どっちだ!?
どうする!!後で覚悟決めて思い出したって言ってみるか!?)
『実は急に思い出しちゃって! フェルンの御礼の言葉嬉しかったぜ!!』
『はい、私も嬉しいですシュタルク様』
(……いや、ないな)
絶 対 あ り え な い
そんな訳がない。フェルンはそんなにあっさりタイプではない。
誇りとプライドは絶対に捨てない。
むしろ何故今までのうのうと忘れていたのか、ゾルトラークで改めて撃たれるまであるかもしれない。多分だけど……
(これは、もう考えないようにしよう、精神が落ち着くまで、心の奥底に封印――)
「――お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「ヒィ!!」
「ひい?」
急に声を上げたシュタルクにフェルンとリーゼルが眼を丸くする。
「どうかしましたか?」
「――なんでも、ありません」
(今はまだ……結論には早い……――というより、俺が無理!)
戦士には……臆病……いや、勇気ある撤退も時には必要なのだ――
✧ ✧ ✧ ✧
そんな日の夜。
「ねえ、フェルン……」
「なんですか?」
「今夜も外で寝て良い?」
「駄目です、風邪ひきます」
色々思うところもあり、ひとまず距離を取ろうとしたが、なすすべもなく却下された。
そしてそんなところに追い打ちがもう一つ。
「……お兄ちゃんと、お姉ちゃん、明日どこか行っちゃうの?」
「明日、お父さんとお母さんが帰ってきます。私達がいたら……ご迷惑でしょうし」
リーゼルは色々何かを言おうとして――結局言葉にならずフェルンに抱きついてきた。
「今日は、お兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に寝ていい?」
そんな、幼い少女の切なる願い。
「えっ!?」
だがちょっと、いや、かなり困る。
「わかりました。そうしましょう」
そんな言葉もあっさり了承するフェルン。
「はいっ!?」
無垢な少女の申し出は到底断ることのできない雰囲気で
「……ありがとう!大好き!」
リーゼルはシュタルクとフェルンの二人に飛びついた。
――そして……戦士は耐えるしかない夜を過ごすことになる。
■そうして旅が続く
翌日のリーゼルの両親が帰ってきた後……
「おみやげに買った食材もたくさんありますから」とご相伴に預かりそのまた翌日。
風も穏やかな、温かな晴天。旅立ち日和だ。
「ついに出発かー。数カ月滞在って時々あるけど今回は慌ただしくて本当に長いようであっという間だったな」
出発準備を終えたシュタルクは、村の出口の正面の広場で自分の斧を柵に立てかけ、フリーレンとフェルンを待っていた。
あれから色々……起こらないように頑張った結果、一旦は落ち着きを取り戻した。
フェルンから、なぜ妙に距離を取るのかと何度も詰められたが、今なら心穏やかに、曇りなき心で対峙できる。
くわっと目を見開き、気合を入れる。
「慣れって怖いぜ……」
「何がですか?」
「みゃああ!!」
買い物を終えたらしいフェルンが間近まで来ていた。無警戒だったシュタルクに全力で気配を消して近づいてきたようだ……
「何なのー!」
「それはこっちのセリフです。ここ数日すぐ逃げますよね」
「もうちょっと、もうちょっとで落ち着くから!ね!」
若干顔を赤くする様子に、何か思い当たる節でもあったのか、少し距離を取ってくれた。
「……まあ良いです。先日一時的に納品したお礼に関しては、返品を受け付けません。そのうえでお約束を守っていただきます」
「約束?何の」
「『思い出せるときまで覚えておく』というお話です。絶対に果たして下さい。この約束が履行された時、然るべき決着をつけましょう」
「決着って何!怖い!」
確信めいているのか、頓珍漢なのかわからないやり取り。
その真意を知ってか知らずか、タイミングよくフリーレンがやってきた。
「ふたりとも何やってるの、リーゼル達が見送りに来てくれたよ」
リーゼルと両親……というより、村の人達がぞろぞろやって来ている。
見知った人も多い。最初にフェルンが怪我をした時、しばらく街中を駆けずり回って働いていたなと思い起こす。
思い思いに声をかけてくる村の人々に「シュタルクは本当に人気者だね」とフリーレンが笑っていた。
「お姉ちゃん、また来てね」
「はい。それまでお父様とお母様の言うことを聞いて、良い子にしていてくださいね」
「うん!」
フェルンに笑顔を向けたリーゼルはシュタルクに向き直る
「お兄ちゃんも、またねー」
「おう!」
「お姉ちゃんとまた、お父さんとお母さんしてね!」
「ブッッ!!」
思いの外とんでもない見送りの言葉に危うくむせかける。
働か効くと何のことやらという内容だが、この二人がお互い看病していた事実は村中が知っているので、誰も彼もが苦笑いをしている。
見送る全員がフェルンとシュタルクの二人に何かを言いたげだったが――ひとまず、気にしないことにした。
「じゃあ、二人とも行こうか!」
「おう!――お?」
立てかけていた戦斧を手に取ろうとして、シュタルクが声を上げて小さく微笑む。
「どうかしましたか?」
「暖かくなったからかな……」
シュタルクがゆっくりと持ち上げた戦斧の柄の先には、青い蝶がとまっていた。
「お前も行くか?」
冗談半分に問い掛けると、ひらひらと翼をはためかせて赤い花の咲く野原の方向へと飛んでいった。
それを見送ったシュタルクは、背中に戦斧を背負いながらフェルンとフリーレンに向き直り――
「じゃあ、出発だな」
と笑って歩き出した――
~ 凪の日、戦斧の柄にとまる蝶 fin ~