葬送のフリーレン - 短編集 Memorial in Journey - 作:rvr75_raiden
■生きる権利
人から覚えられることも、二つ名を持つこともない魔族の生とは往々にしてろくな物ではない。
人里に出れば、人の防衛機構によりあっさりと討伐される。かといって逃げ回った先にあるのは際限のない飢えだ。
大抵は野良の動物や魔物を襲って飢えを凌ぐが、魔物を相手取ると運が悪ければ返り討ちにあって命を落とす可能性もゼロではない。
結果的に、力の弱い魔族は同じ事情のモノで群れて命をつなぎ、運が良ければ力の強い魔族の配下となって場所を得る。
無論それとて安全ではない。魔族討伐をする人間に上位の魔族ごと滅ぼされるケースもある。
結局のところ、力がなければ生きていく権利などない。
本当にロクな物ではない、だがまあ、そんなロクでもない魔族の餌になる力ない人間に比べればまだマシだろう
これはただ、力がなかった魔族が、伝説の魔法使いと呼ばれるようなエルフと遭遇し一方的に蹂躙されただけの話。
ただの偶然で、致命スレスレの傷を負い、その場から逃げ切れただけの哀れな無名の魔族の――
その哀れな復讐劇だ。
■ある雨天の朝の予兆
フェルンが負傷から目覚めた後、原因不明の理由で視力が戻らない状況になり5日が過ぎた。
高位の僧侶を連れて呪いの解呪をするためフリーレンが戻るまではおそらくあと2日。
フリーレンが戻るまでの間、フェルンの事を任されたシュタルクは懸命に彼女の力になり、生活に不便が起きないように努力をしたつもりだった。
最初の数日は順調だったように思う。だが、ここに来てフェルンの様子に変化が起き始めた。
シュタルクがその場を離れることをフェルンが極端に嫌がり始めたのだ。
滞在中の食費などの補填のため日中は日雇いの野良仕事を受け持っていたためフェルンの元を離れていたのだが、
昨日から部屋を離れようとすると何処に行くのか質問し、しばらくいなくなると伝えると体調の不良を訴えるなどの行動に出始めた。
(そもそも、フェルンは俺が仕事に出ると知っているはずなのに……)
何かがおかしい。まるで子供のような不安定さだ。
どんな状況でも思慮深く、冷静に周りのことを考えるのが彼女だと思っていたのに……
「今日は雨か……」
窓から見上げた外の天気は今の状況を表しているような雨天。
村の人達からは今日は無理に来なくてもよいと連絡は来たので、今日はフェルンの傍にずっといるつもりだ。
「とにかく、フェルンと話そう」
✧ ✧ ✧ ✧
部屋のドアをノックしたシュタルクは中のフェルンに声を掛ける。
「フェルン、入っていいか? 朝食をもらってきた」
先日からこういう時に返答が返ってこない。朝は起きてなかったりするフリーレンならまだしもフェルンにこういう反応は今までにない。
今日はとことんフェルンと向き合うと決めたからにはこうなってしまった原因を探りたい。
「入るからな」
ドアを開けると、フェルンは俯いた姿勢で何か小さな声で囁いていた
――……にしないで……
か細い声でよく聞き取れない。
「フェルン!」
声を掛けるとフェルンはバッと顔を上げる。
あの時も今のような表情で待っていたっけ……と、先日の公園の出来事がフラッシュバックした。
「シュタルク様。そこにいらっしゃるのですね?」
「ああ、ここにいる。朝食を貰ってきたんだ。一緒に食べよう」
「はい。食べましょう」
ここで笑顔がみえてようやく普段のフェルンの様子を取り戻す。――フェルンは一体何処まで自覚をしているのだろう?
✧ ✧ ✧ ✧
何はともかく、ある程度ご機嫌な内に貰ってきたシチューとパンをフェルンと一緒に食べてしまわねば。
パンは手渡せば済むのでともかく、シチューはなんだか恒例行事となってしまった感じはある。
(リーガさん、判って出してきてるのかなぁ……)
少しだけ冷めたのを確認し、シチューを掬って、おずおずと口を開けたフェルンにゆっくりとスプーンを差し出し、中に入れて、ゆっくりと引き出す。
その繰り返し。頬張る瞬間の閉じる唇から目が離せないのは男としての悲しい性だ。
(心臓に悪い……!!)とか気弱なことを考えていると
「ふふッ……」とフェルンがうっすらと笑った。
こうしてみると、元気そうなんだけどなぁ……
「今日は……天気も悪いし、荷運びの手伝いもいいってさ。だから今日一日フェルンのそばにいるよ」
「そうなのですか?」
「こないだ、広場で一人にさせちゃった分の埋め合わせもするからさ」
と言った所でフェルンの表情はあの日のことを思い出したように小さく影を落とした様に思えた。
「……あれは、辛かったです……」
「……ごめん。フェルン、目が見えないんだものな。突然補助の人間がいなくなったら、怖いよな」
「それもありますけど……」
フェルンは煮えきらない。
「……いつだって、そばにいてほしいです」
「……いつだってそばにいるじゃないか」
苦笑いしながらシュタルクはこたえるがフェルンは表情は晴れない。
「……ずっとですよ?」
「……いや、このあと体拭く時とか着替えるときは流石に部屋から出る――」
と言った所でフェルンが何かをつかもうと手を伸ばして掴む仕草をみせたがその手は空を切った。
当然だ。今、彼女の真正面にはシュタルクはいないのだから。
「一人に……しないでください……」
(視界が見えないってこういうことなんだな……)
空を切ったその手を悲しげに握りしめるフェルンはそこにいると信じていた人が実はそこにはいないかもしれない恐怖に耐えているように見えた。
「……フェルン!」
徐々に呼吸が粗くなる彼女の様子に耐えかねてここにいるよと、その手を握る。
フェルンはいつかのように「シュタルク様……ああ、そこにいたのですね……」と感嘆の声を上げながらその手をとって頬に寄せた。
「俺は、何処にも行かないよ」
その言葉を聞いたフェルンはやっと落ち着きを取り戻した様だった。
孤独をその身に感じるとすぐに不安定になってしまうのは見て取れた。
どうしてそうなったのか、など聞いても答えにたどり着けず、今の二の舞いだろう。今のシュタルクにそんな事はできない。
その日のシュタルクはフェルンの精神を揺らさないように旅の思い出の話をしながら時間を過ごすことにした。
(結局、フリーレンの戻りを待って根本原因を絶ってもらうしかないのか……)
予定通りならフリーレンは明後日に到着する。
視力を奪われたことは一大事ではあるが、初日の様子からするとここまで異常を来たす事はないはずだった。
何かがフェルンを追い詰めている事は確かなのに今のシュタルクには打つ手がない。
明日も仕事を断って彼女の側に居続けることが正しいのか、未だ答えのでない頭でシュタルクは天井を仰いだ。
■闇夜の襲撃
その夜、フェルンの様子を鑑みてシュタルクはフェルンが寝付くまで側にいて、自分も同室で寝ることにした。
「……シュタルク様、そこにいますか」
フェルンが目覚めた時に自分がそばにいなかった場合にどうなるのかが怖かったからだ。
「起きてたのか、いるよ」
「……ふと、目が覚めてしまいました」
スっと、フェルンが手を伸ばしてくる。
側にいることを証明せよということなのだろう。シュタルクは迷う事無くフェルンの手を取り、様子を見ているとフェルンは安心した様に再び眠りについた。
(フリーレン、急いでくれ……)
視力が起因で発生している不安定さなのかはわからないが、いずれにしろ要因の一つではあるだろう。
しかし、原因を探ろうにも魔法に関する知識も、医学に関する知識もないシュタルクでは今の状況は手に余る。
精神面であれば安定するまで側にいて励ましてあげるぐらいのことしかできない。
悩ましい、そして明日の仕事はどうする。どうすれば……
堂々めぐりの中、連日慌ただしく働いたため不意に訪れた眠気に抗えずシュタルクはフェルンの手を握ったままフェルンの眠るベッドに上半身伏せて眠りについてしまった。
✧ ✧ ✧ ✧
シュタルクという青年は臆病で頼りない様に見えて、自身が傷つくこともいとわず人の前に立つことの出来る本当の戦士だ。
いつだって仲間を想い、人を想い、誰かのために動ける善意と善性に満ちた人物だとフェルンは思っている。
だから彼女は彼女の師であり、親代わりでもあるフリーレンとは別の意味で誰よりもシュタルクのことを信じている。
そして同時に今は……彼の優しさが信じられない。
シュタルクが優しいことを信じられないのではない。
その優しさが本当はいったい何処を向いているのか、暗闇に囚われたフェルンにはわからない。わからなくなってしまった。
「……ッ」
再び目が覚めたフェルンは自分の手を握ったまま寝息を立てるシュタルクに気付いた。
眠っているためか力が入っておらず、動かせば離れて見失ってしまいそうなほどにゆるく繋がった手の平。
フェルンはシュタルクが眠っているであろう方向に体を寄せて握っている手を両手で掴む。
シュタルクは優しい人。傷を負って以来、今こうして自分のために懸命に看病をしてくれる。
しかし、だからこそ。
自分の側からシュタルクが離れるのが嫌だ。自分ではない人に親切にする姿が嫌だ。自分以外と親しげに接しているのが嫌だ。優しさが他の誰かに向けられるのがたまらなく嫌だ。
どうすればいいのだろう。どうすれば……
―― この優しさは 自分だけの物になるのか ――
ふつふつと体の奥底から普段考えもしない思考と感情が湧いて出てくる。
―― シュタルク様と ―― ずっと一緒に―― 寄り添って ――触れ合って ――お互いが ――お互いのためだけに ――ただ生きていけたら
――それはなんと甘美なことだろう。
―― そうであるならば ――障害は全て取り払い ――邪魔は一切排除し
――望みが叶うならば何もかも ――
それはいつか大切な者と想い合い、支え合って生きて行けたらという、ささやかで小さな人並みの夢のはずだった。
それはフェルンにとっては尊くて、そして確かな本物の願いだったはずなのに、今は心のどこかで、それは良くはない事だという悲鳴と罪悪感と欲望が交差し、擦れ合って軋みを生み出す。
――ピシリ――、と
その瞬間、フェルンの中で大切にしていたはずの何かに亀裂が入った様な気がした。
✧ ✧ ✧ ✧
宿の屋根の上空。一人少女は笑みを浮かべる。
金色に輝く瞳とその奥にある刻印のような模様は人のソレではない。
「ああ、やっとですね……
あとは私が背中を押してあげましょう」
少女は指をパチンと鳴らした。
少し時間を空けてから徐々に森の木々が震え始める
村の少し離れた位置の土が盛り上がり、地が割れ、そこから現れたのはフリーレン達を襲ってきた巨大蜘蛛だった。
「これで最終段階に進むでしょう。フェルンさん、目が覚めた時に私が迎えに行ってあげます」
少女はフリーレンが向かった街の方向へ向き直る。
こうして見ていてもわかる。大きな魔力がこの村の近くまで来ている。
おそらく、そろそろ異変を感じ取って急ぎ始めたあたりだろうか。
「ああ、待ち遠しい……
到着した時に手遅れだったことを知った時、あなたはどんな顔をするかしら?
何の感情もなく、表情も色も無く、私達を屠ったあなたの顔にどんな色が浮かぶのかしら?」
月夜の空に浮かぶ少女は不敵に笑う……
✧ ✧ ✧ ✧
シュタルクがはじめに感じたのはベッド越しに伝わる地響きだった。
(嫌な感じがする)
旅の経験からこういう時の直感は決して無視はできない。勢いよく起きて周りを確認する。
フェルンの手を握ったまま寝てしまったようだ。
手を握っていたシュタルクの動きを感じ取ったのか「ん……」とフェルンが起きる。
フェルンから手を離したシュタルクは窓に駆け寄って外を確認する。
朝焼けもまだうっすらなか、外では衛兵が鐘を鳴らして緊急を知らせている。
「魔物が……来たのか……?」
どうするべきだ。フェルンと共に撃退……だめだ。フェルンは今は戦えない。
なら、フェルンを連れて逃げる……?
その一瞬この数日、シュタルクやフェルンに良くしてくれた人達の顔がよぎる。
助かるかもしれないが……何かができたかもしれない自分たちが見捨ててしまった先に犠牲が出てしまう……
そんな事は、それは駄目だ……!
きっと、そんな事をしてしまえば……救えたはずの誰かが傷つくことを許容して生きてしまえば……
誰よりも弱い自分は、もう二度と戦えない。
それならもう、自分にできることをするしかない。
「フェルン! 魔物が村に来た。
俺はなんとかしに行く。フェルンはリーガさんといっしょに避難してくれ。頼めるか?」
両腕をつかみながら、シュタルクはフェルンに言い聞かせる。
「シュタルク様。待ってください……私も……」
ベッドから降りてこちらに駆け寄ろうとしてつまずいたフェルンを慌てて支える。
「だめに決まってるだろ! 頼むから今は避難しててくれ。絶対戻って来る」
シュタルクは上着を羽織った後に壁に立てかけた戦斧を手に取り、外に駆け出す。
「待って……待って、シュタルク様………」
――私を一人にしないで……
一人残ったフェルンは、その場に座り込み、ただ一人取り残された絶望に呆然とするしかなかった。
✧ ✧ ✧ ✧
「リーガさん!」
宿の1階に戻った所で2階から斧を手に持ったシュタルクが駆け下りてきて声をかけてきた。
「シュタルクさん、どうかしたんですか?」
おそらくは村に呼び込んだ子の下へ向かうのであろうが、顔には出さずにまずは疑問符をぶつけてみる。
「あの日襲ってきた魔物がまた出たみたいだ、俺は衛兵と協力して撃退する。
リーガさんはフェルンといっしょに安全な場所で待機しててくれ」
「……わかりました、フェルンさんの事任せておいてください!」
「頼んだぜ!」
シュタルクはそう言ってドアを開けて外に駆け出していった。
「任せてください。シュタルクさん……」
口角が上がる。あまりに計画通りに事が進む。
呼び出した子は1匹ではおそらく討ち取られるだろうが討伐はそう容易なことではないだろう。
「時間はたっぷりありますね」
2階へ上がり、シュタルクとフェルンに割り当てた部屋のドアノブを開ける。
部屋の中には、表情無く座り込んだフェルンが佇んでいた。
「フェルンさん……残念ですね。またあなたは選ばれなかった……」
「……」
紫髪の少女は力もなく、反応もしない。
「包帯も外してもいいでしょう。
もうその目は開くはずです。その目で見て確かめましょう。
あなたを救わない人達と世界を」
少女は指を斜めに動かすと同時にフェルンの目の包帯は斜めに切れて床に落ちた。
「さあ、行きましょう。己が手を伸ばしても望みに届かなかった哀れな<ruby><rb>廃棄人形<rb><rt>フェルンさん</rt></ruby>……」
■無力な少女
魔族としての力も誇りも失ったのは100年ほど前だろうか、最早細かい期間は思い出すこともできない。
致命傷スレスレの傷を引きずり、魔族としての証も、まともな力も失った哀れな魔族。
もともと力の弱い彼女には生きやすい環境ではなかった。しかし、今まではなんとかやっていけた。
だが、もう無理だろう。体の一部を失った今の状態では一朝一夕で魔力を上手くコントロールはできない。
それこそ長い年月を欠けて傷を癒やしながら、この状態にも慣れなければ。
しかし、力のない魔族は、力のある魔族に何をされるかはわからない。
強き者の前に弱き者は何をされても文句は言えない完全に実力主義の世界。
最悪魔力補充のために食い殺される可能性すらある。
そんな彼女の生存戦略は不幸中の幸いに角を失った姿を活かし、魔力を完全に抑えたまま魔族として振る舞いを辞めることだった。
力のない魔族から全くの無力な人間として生きる。かつて魔族だった彼女にはあまりに耐え難い屈辱。
だが、それでも、力のない魔族でいるよりかはマシな程度に守られる事がわかった。
貧しい、無力な少女を装って生きた。
人間とは不思議なもので、無力であるというだけで守ろうとする者と、とって食おうとするものの2種類がいた。
人間の在り様に興味はなかったが、後者の存在はありがたかった。
この手の者で声を直接かけてくるものは大抵碌でもない人間らしい。
それこそ、ある日突然、その人間がいなくなったとしても本当に誰も気に止めない様な……
こうして、その魔族は人の中に隠れ潜み、飢えを凌ぎながら、ある程度の生きる術を身に着けていった。
✧ ✧ ✧ ✧
「―――っらえ!! 」
村の正門まで迫ってきた大蜘蛛と対峙したシュタルクは村の衛兵たちと協力しながらこれの撃退にあたっていた。
魔物の攻撃を出来るだけいなしながら、後方からこの村の衛兵から攻撃を繰り返してもらっている。
(フリーレンやフェルンぐらいの火力があれば……)
おそらく、自分が前衛でフェルンとフリーレンがいればこの魔物1匹であれば一撃で決着が着いただろう。
このまま押し切れば勝てる戦いだが、相手も手数が多く、巨体さからくる生命力もあり時間がかかる。
それに、出かける前のフェルンの様子が気になった。早く戻らないと……何か取り返しがつかない事が起こる。そんな予感がして気が焦る。
勢いよく振り下ろされる大蜘蛛の脚。その質量からくる威力は人など簡単にバラバラにしてしまうだろう。
シュタルクは常人離れした膂力に身体のバネと回転の勢いを加えてそれを跳ね除ける。
弾かれ、態勢を崩した隙にシュタルクは跳躍してその脚ごと切り落とした。切り口からブクブクと泡が立って何かがうごめいている。
「失った脚も時間が経つと再生するのか……?いかにも魔物って感じだな」
大蜘蛛はシュタルクを仕留めるには通常攻撃だけでは厳しいと判断したのか糸を吐き出して体を絡め取ろうとしてくる。
流石に一度痛い目を見た魔物の習性。予想はしていたためある程度余裕をもって回避する。
「頭を潰すしかないか」
ひとりごちながら戦斧を肩に乗せて、態勢を低くする。
あらかじめ、後衛を頼んだ街の衛兵達には前衛を受け持つ代わりに自分が後ろに引いたタイミングで一斉攻撃するようにお願いしている。
(正面から全力で斧を振り下ろして叩き斬れ……か、本当にためになる教えだよ師匠!)
技を教わったとき、「見て覚えろ」以外はそれぐらいの説明しかなかった。
すべての攻撃を躱し、全速力で突破して頭へ一撃を放って絶命させると覚悟を決めた。
後は一瞬の瞬発力で全てを解き放つのみ。構えたシュタルクの全身の筋肉が脈動してミシミシと音を鳴らす。
「覚悟しろよ、蟲野郎」
✧ ✧ ✧ ✧
村の方から嫌な感じがする。微かながらに覚えのない魔力が混ざっているように思う。
そう感じたフリーレンは街から連れてきた僧侶と護衛に了承を取り、帰りの道を全速力で移動していた。
比較的設備の整った村だったため可能性はあまりないと思っていたのだが
魔族の襲撃があった場合、現状の負傷したフェルンを守りながらシュタルクが戦うのはかなり厳しいだろう。
(フェルン、シュタルク……無事でいて)
速度を上げて村の方向へ飛行するフリーレンは村の防護柵をその視界に捉えた。
正門の前に巨大な蜘蛛が戦闘を繰り広げているようだ。
ようやく戦況が視認出来る場所まで近づいたフリーレンが見たのは
凄まじい速度で蜘蛛のいる方向へ突破しながら頭に戦斧を振り下ろす姿だった。
――閃天撃!
という掛け声と共に斧の刃が蜘蛛の頭を縦に叩き切ると同時に振り下ろした一撃の衝撃波は蜘蛛の胴体を縦にひしゃげさせた。
「流石シュタルク、アイゼンが全てを叩き込んだというだけはあるね」
シュタルクが蜘蛛から斧を引き抜いた所でフリーレンが直ぐ側に降り立った。
「フリーレン……。戻ってきたのか」
「村のほうが騒がしかったから、私だけちょっと飛ばしてきた。街からの僧侶達の到着はもう少しかかるよ」
そう言いながらフリーレンは頭の割れた蜘蛛を火炎の魔法を放って燃やす。
「頭を叩き割っても少しずつ再生するのか……無茶苦茶だな」
「どうにも、野良の魔物じゃなさそうだ……それに、村の中から妙な魔力が消えてない」
「どういうことだよ。他の魔物や魔族が入り込んだようなことはなかったぞ」
それを聞いたフリーレンは、口元に手を当てて考え込む仕草で答える。
「だとしたら、元からこの村に潜伏している何者がいて行動をはじめたのかも……シュタルク、フェルンが心配だ。今はどうしてる?」
「リーガさんにお願いして、今は避難してもらっている……はずだけど」
「すぐに確認しよう。どうにも嫌な予感がする」
■生きるために奪う
角も誇りも失った魔族の少女が旅宿を手に入れたのは、この宿の主の老人に取り入り、概ね知りたいことを教わった上でいなくなってもらってからだ。
他所から来る旅人はとても利用しやすい。なんせ村にとっては居ようが居まいがあまり関係ない存在だからだ。
魔導書を持った旅の魔法使いなどは特にありがたい。魔導書を奪い取り、解読・研究すれば自分の力にもなった。
時間だけは無駄にあった。
バカバカしい時間を大人しく過ごしながら、目立たぬように食事を取り、徐々に力を取り戻し、いつか来るチャンスのために様々な仕掛けも用意した。
精神の脆弱性を突き、無意識を書き換える魔法。精神制御魔法の一種だ。人間も愚かなものを作る。
断頭台のアウラのアゼリューゼ程の効率性はないが、モノは使いようだ。戦況を優位にできるコマが揃えば良い。
「ねえ、フェルン……、私は誰だかわかるかしら? その目を開けてご覧なさい」
「はい……」
無表情のまま顔を上げたフェルンの頭から包帯がシュルシュルと落ちていった。
ゆっくりと……外界の光を少しずつ目に入れて吸収するように、徐々に目を開いていく。
「そう、いい子ね……」
ほぼ、完成だろう。そう思った瞬間こちらに向かって走ってくる人間の魔力を感じる。
「ちょうどいい頃合いに戻ってきた。なんと行幸なのでしょう!
お披露目して差し上げましょう、フェルン」
✧ ✧ ✧ ✧
「フェルン!無事か!?」
ドアを蹴破る様にシュタルクが部屋に入り、フリーレンがあとに続く。
「おかえりなさい、フリーレンさん、シュタルクさん
あの魔物は今回で打ち止めだけど、どうだったかしら?楽しんでもらえました?」
「リーガ、やっぱり……人間ではなかったんだね。私が気づかないほどに魔力を殺して生きるなんて、本当に魔族?」
フリーレンは杖を顕現させてリーガに向けて構える。
「ごめんなさいね。私もともと力が弱くて。
その上角まで誰かさんに折られちゃって……こうする以外の生き残る方法がなかったのよ。
そんなことより、せっかく治療のための僧侶を連れてきてもらっている所、申し訳ないんだけど……」
リーガはそう言いながら飛行し、フェルンに絡みつくように後ろから抱きつく。
「フェルンに何をしたの?」
「いろんなことに思い悩んでいたので、後押しをしてあげただけですよ。
シュタルクさん、思い当たるフシはありませんか?」
「お、おい、フェルン……」
リーガはその手でフェルンを撫でるかのように顎元に指を添わせる。
「さあ、フェルンさん……、治ったそのきれいな瞳を見せてあげて」
そう言われて「はい……」と力なく答えたフェルンは俯いていた顔を上げる。
その瞳は、髪の色と同様の鮮やかな紫ではなく
金色、に輝いていた。
「フェルン、どうしちまったんだ?!」
シュタルクはフェルンに手を伸ばしながらゆっくりと近づく。
「シュタルク、駄目だ!下がって――」
フリーレンがシュタルクに静止の声をかける直前に炸裂音が鳴りシュタルクの足下に大きな穴が開く。
フェルンが魔法でシュタルクを撃ち、瞬間的にシュタルクが後ろに下がって躱した結果だ。
「フェルン……!」
「フェルンの瞳の奥に紛れてた魔力……あれはお前の魔法か。フェルンに何をした」
くつくつとリーガが顔を伏せて笑いをこらえていたが、我慢ができずに笑い出す。
「あはははははははははは! 人間の古い文献にあった精神操作魔法を魔族風にアレンジしたの。いかがかしら?
戦時中に捉えた敵兵を洗脳して使わせる様な魔法だったみたいね」
「もういい。この場でお前を斃してフェルンを元に戻す」
そういってフリーレンは杖に魔法を込めてリーガに向ける。
しかし、フェルンはフリーレンとリーガの間に立つ。
「無駄よ。だってもう魔法は発動し終えたもの。かかっている魔法はもう無い。彼女に埋め込んだ人格は私が死んでも元に戻らないわ」
「そんなもの、後で調べる!」
フリーレンが魔法を放つと同時にフェルンも魔法を放ってくる。
両者とも自分に向けられた魔法を瞬時に防御魔法で防いだ。
「さあフェルン。あなたの眼の前にいるのはあなたの嫌いな2体の醜悪な魔族。
あなたの魔法で滅ぼしてあげなさい」
リーガが、むちゃくちゃな命令をフェルンに下すがフェルンは力なく頷く
「はい、フリーレン様……」
感情もなく杖を構えるフェルンにシュタルクは叫ぶ
「フェルン!やめろ」
シュタルクの呼び声にフェルンは一瞬反応したがすぐに元の表情に戻った。
先の魔法の衝撃で崩れた壁から外に飛びだしたフェルンとリーガ。
「まずい、シュタルク!!」
そのまま、フェルンは
「もう、この宿も使えないわね……
でもいいわ。必要なものが手に入ったら隠れる必要もないもの」
宿があった場所は跡形もなく吹き飛び瓦礫の山となり、一部からは火の手が上がっている。
「この程度だと、何処かに逃げ延びてるかしら
行きましょうフェルン。きっと追いかけてくるから準備をしなくちゃ」
「はい。フリーレン様……」
リーガの言葉に力なく答えるフェルンは月明かりを背に森の奥地へと飛び去っていった。
■奪われたくない想い
シュタルクは瓦礫を押しのけて立ち上がる。
「おい、フリーレン!大丈夫か!!」
「……わりと駄目かも」
「思ったより大丈夫そうだな」
フェルンの
シュタルクとフリーレンの2人分を囲む全体防壁だったためかなり疲れた様子だ。
いずれにしろ、フェルンに対して反撃して撃ち落とすわけには行かない。
後はシュタルクがフリーレンをかばいながら瓦礫の中に隠れて一旦やり過ごした形だ。
「一体どういうことだよこれは」
「それは私のほうが聞きたいところだよ、シュタルク。フェルンはシュタルクが守るって言ってたでしょ」
「それは――!!……くそッ!」
フリーレンは痛いところを的確に突いてくる。
ずっと見ていたはずだった。彼女を守って、助けていたつもりだった。
それでも、フェルンは日が経つほどに心が弱っていたように思う。
「リーガがシュタルクの見ていない時に何かを仕掛けていた……と見るのが妥当なのだろうね。
精神魔法と言っていた。おそらく、フェルンの精神になにか割り込みをかける仕掛けなのだろうけど……
魔法自体はもう作用し終わっていると言うのならもうフェルン自身の心の問題かもしれない」
「どういうことだよ」
シュタルクにはわからない。
フェルンは年頃の女の子ではあるが、それでも自分に比べれば余程高潔で心根の強い女性だと……そう信じていた。
「やつはシュタルクに心当たりが無いかと言っていた。
シュタルクとフェルンの間の出来事をフックに何かを仕掛けたんだ。ここ最近でフェルンの様子に変わったことでなにか印象的なことは無い?」
ここ数日のフェルンと一緒にいたときのことを思い起こす。変化が起きた出来事はきっとあのときだろう。
「フェルンと一緒に出かけていた時、子供が怪我をして……フェルンには少し椅子で待っててもらってその子を助けたんだ。
時間がかかってしまって、終わってフェルンの元に戻ったときから何かに怯えるようになって……いつも『一人にしないで』って……」
その話を聞いたフリーレンはため息を付く。
「何やってるのさ……って2人を置いていった私が言える義理ではないか。
ごめん、シュタルク。シュタルクを責めても解決しない事もわかってた上で責めるように言い方しちゃった」
シュタルクだけが悪いのではないとフリーレンは謝罪をするが、結局のところ傍にいた自分の責任は大きい気がした。
「いや、いいよ。それに、俺がフェルンに気を配れなかった事が原因かもしれない」
フリーレン口元に手を当て考えるような仕草をしながら先程の出来事を反芻しつつ分析する。
「フェルンはシュタルクが呼びかけた時少し反応していた。
たぶん、シュタルクとの間のなにかをキーにして精神の乗っ取りをかけている。
だとすると、シュタルクが呼びかけ続ければ本来のフェルンの精神を呼び起こして元にもどす芽はあるかもしれない」
「そんな事出来るのか……?」
目をつむりながらフリーレンは首をふる。
「精神を支配するような類の魔法は自己の健全さや意思の強さで覆せる可能性がある。
だけどシュタルク、出来るかどうかの問題じゃない。それができない場合、最悪フェルンを討つことになる。
最良でも、ある程度傷を負わせて無力化せざる得なくなる。こんな状況でも私は、フェルンを傷つけたくない……」
この生活を始めた最初の数日、一緒にいた時間は彼女はよく笑い嬉しそうにしていた。
シュタルクも心の何処かでこんな時間がいつまでも続けばいいとさえ思えた。何者にも代えがたい温かな思い出。
フェルンを討つという手を選んでしまえば最早そんな思い出すら、辛い記憶となってしまう。
やれるかどうかではない。やるしか無いのだ。
「判った。フェルンは任せてくれ。なんとかこっちで抑えながら俺が呼びかけ続ける」
「じゃぁ、私はあの魔族だね……多分、まだ隠し玉がありそうだけど。配役としては他に手もないか……」
「ああ、フェルンを取り戻そう」
■奥の手
南側諸国で両親と過ごした幸せな時間は戦火の炎の中で血の海に流されてしまった。
その中で恩師に救われた自分は、幸運な方ではあったのだろう。
しかし、子供であったフェルンには抗うすべもなく。世界は小さな幸せに対して無慈悲に出来ている。
抗う力を持たなければ、強い心で望まなければ、己を取り巻く世界を守れない。
だから大人になり、力をつけた彼女は手に入れたもの大切にする。一度手に入れたものは手放したくはない。
人と人との繋がりすら、他者に奪われることを良しとしたくはない。
けれどフェルンはそれが己のエゴである事を知っている。
一方的に押し付けて良い訳がないことも理解している。
相手にも意思があり、自分にも望みがあり、その間のバランスで揺れながら、もし、いつか判り合い寄り添え合えたなら――と
そうして心に折り合いをつけながら生きていくつもりだった。
――『守られるあなたはシュタルクさんの真心を、善意を、好意をすべて一人で独占できる。』
――『あなたは今、その資格を得ているのです』
とても甘美な言葉に思えた。
強い自分が手に入れられないものが、弱い事で手に入れられる事があると、そう告げられた。
この言葉を告げられて、迷いを感じてから、彼女と世界の境界は曖昧で……意識は深く沈んでいく。
己を守ろうとしてくれるシュタルクは優しくて、それがとても嬉しくて、幸せではあったのだ。
―― だが、この先に、フェルンが望みいつの日か掴みたい未来があるのか……彼女にはわからない。
「まだ、わずかながらに抵抗できる意識があるのですね……
強固な精神。だから強い魔法使いとなり得えたのでしょうけど」
リーガは虚ろな瞳で佇むフェルンを眺めながら考え込む。
「まあ、己が手で壊してしまえば最期の抵抗も崩れて完全に空ろになるでしょう……」
不敵な笑みで角の折れた魔族は嗤う。
✧ ✧ ✧ ✧
「フェルンと魔族の魔力の痕跡からすると、この辺かな……」
村から離れた森の奥。このきっかけとなった戦闘のあった場所だ。
「前に襲撃があった場所だな……今にして思えば罠だったのか」
「そうだね。さて、こちらの追跡は筒抜けだと思うけど。そろそろ来るかな?」
フリーレンのその言葉を聞いてシュタルは斧を背中から取り出して構える。
フリーレンもまた杖を出現させて構えた。
『ようこそ。葬送のフリーレン、そしてシュタルクさん』
その言葉と供に
「流石というべきですかね。どうです? いつもは頼りになっていた遠距離速射に狙われる気持ちは」
「御託はいいから、さっさとやろう」
「あら、つまらない」
フリーレンは構えたままでシュタルクに告げる。
「シュタルク、フェルンは遠距離からこちらを狙いながら距離を取る。全力で距離を詰めて……そして話をしてあげて」
「……わかった」
そういって、シュタルクは力をためながら態勢を低く構えてから一気に跳躍する。
かつての戦士アイゼンに引けをとらない瞬発力だ。きっと、彼ならフェルンに届く。
フリーレンはリーガの方に向き直る
「邪魔はしないんだね、背中からなにか撃つかと思ったけど」
「彼をあなたから引き剥がすほうが好都合です」
そう言い終わる前にフリーレンはリーガに向けて
ある程度予測していたのかリーガは上昇して回避していた。
「あら怖い。でも、前衛がいなくなったのは重畳」
「大魔族でもないあなたが私に勝つつもり?」
フリーレンの言葉にリーガは嬉しそうに嗤った。
「そんなわけじゃないじゃないですか」と言った彼女は指を鳴らすと
その瞬間、何かが奥から跳躍してフリーレンいた場所に落ちてきた。
バックステップで回避したフリーレンは落ちてきたものを観察する。
先日の甲殻サソリ?いや大蜘蛛……その中間のような生物。見たことがない魔物だ。
「その子は特別製。蠱毒の壺って人間の考えた発想だけど……魔物たちを集めて実践してみたんです」
「そう、興味ないね」
「聞いて下さいよ……こういうときのために一生懸命作ったんですから」
フリーレンはリーガの言葉を聞き流す。
なぜなら眼の前の甲殻に覆われた蜘蛛は説明の言葉も終わらぬうちからこちらに攻撃を仕掛けてきている。
回避と防御結界を交えながら相手の攻撃を凌ぐ。反撃をしようとすると絶妙のタイミングで反撃を仕掛けてくる。
「速いでしょう? その子が特別製な理由……余程の達人でもないなら人間はその子の反射速度に追いつけない
魔法使いの攻撃魔法程度なら相手の目を見てから余裕で回避するのよ」
それが、シュタルクを引き剥がした理由か。少なくともシュタルクとフリーレンがうまく連携を取ればこの魔物1体なら対応可能だろう。
いずれにしろ、今はフェルンが遠距離から狙ってくるためそれを放置はできないが。
奥の手の魔法であれば、ある程度対応できるかもしれないが、もしそれも躱されたら目も当てられないしリーガにそれを見られるのはまずい。
フリーレンは相手が致命的な隙を見せるまで持久戦を覚悟した。
「シュタルク、うまくやってよ……そっちの状況に何もかもがかかっている」
「フェルンさんを助けるなんて無理ですよ。もう彼女の意識を仮想人格で上書きしてしまいましたから」
フリーレンは甲殻蜘蛛の攻撃をバックステップで大きく回避しながらリーガに向けて一般攻撃魔法を放つ。
リーガは「あはははは」と笑いながら回避して逃げたが、一つ判ったことがある。
眼の前の甲殻蜘蛛は自分に意識か視線を向けられていない攻撃には反応しないようだ。
■戦士の追撃
眼前を通り過ぎていく森の木々隙間を抜けながらフェルンがいる方法へと駆け抜ける。
――いいかい、シュタルク。フェルンの魔法は速い。だけどシュタルクならやれるはずだ。
戦士であるシュタルクは私達魔法使いとは別次元の感覚で生きている。私達にとっては一瞬でもシュタルクにとってはそうでもない。
神経を研ぎ澄まし、射線を予測し、フェルンの元にたどり着いて。
進行方向先、魔力の光のようなものが見える。次の瞬間に
状態を少しそらしてそれを躱したシュタルクは速度を落とすことなく駆け抜ける。
先ほどの射出角度からフェルンの位置を推測して進行方向を修正する。
極力身を低くして、森の木々や藪に隠れながら移動することでフェルンも狙いを定めるのには苦労するはず。
時折姿を見せて攻撃を誘発し、徐々にフェルンを追い詰めていく。
しかし、フェルンの元にたどり着いてからどうする?
攻撃はできない。だがフェルンは攻撃をしてくる。ひと声かけて解決するなら元々こんなことにはならない。
「考えても仕方ないかッ!」
何度目かの攻撃を紙一重で回避しながらシュタルクはひとりごちた。
魔力光が見えてからの間隔がとても短くなってきた。おそらくフェルンはすぐ近くにいる。
そう思った瞬間、上空に影が差し、フェルンが現れた。彼女の周辺には多数の魔法陣が光っている。
おそらく、予測を超える速度で動くシュタルクに狙いをつけることを止めて面制圧をかけるつもりだ。
「やばいっ――!!」
上空のフェルンから一斉に攻撃魔法が放たれる。
シュタルクの周辺には豪雨の如く隙間なく閃光が降り注ぎ、周囲の木々も岩も草花も粉々に散っていく。
十数秒の射出の末、えぐれるように地面が削れて辺り一面に土煙立ち込めた。
「……化け物ですか、あなたは」
金色の目をしたフェルンは地面の降り立ち、土煙の中から戦斧を支柱にかろうじて立っているシュタルクに杖を向ける。
「これだけの物量と出力で五体満足でいれるなんて……」
――もしかして、シュタルク様って化け物だったのでしょうか……
いつかそんな事をフェルンに言われたっけなと懐かしい思い出がよぎる。
「まだまだ……これからだろ」
口元の血を拭いながらシュタルクはめいいっぱいの強がりで笑った。
■ずっとそばにいる
「葬送のフリーレン。大仰な伝説もここで終幕です」
甲殻蜘蛛と連携してリーガも時折攻撃を仕掛けてくる。
それ自体はさほど大きな問題にはならないが、気を取られて甲殻蜘蛛の攻撃を防ぎ損なうと命にかかわる。
時折反撃を試みるが、ものの見事に回避される。やはり、攻撃の意思を人間の知覚速度とは段違いの速さで感じ取っている。
「よく喋るね……。ところで蟲ばかり使うけど、趣味かなにか?」
「効率の問題ですわ。この子達は育てばかなり強くなるのですけど、精神構造がとても単純で支配しやすいのですよ」
「そう……」
冷めた目でフリーレンは答えながら甲殻蜘蛛の攻撃を回避する。
「あなたこそ、防戦一方ですけど大丈夫ですか?
シュタルクさんがフェルンさんに殺されたら、もう詰みですよ」
「その心配はしていないかな。シュタルクはフェルンを連れて返ってくるよ」
「なにを寝言を……攻撃もできない戦士があれだけの魔法の使い手になにが出来るというのです?
フェルンさんももうすぐ元の精神が消滅して虚になりますよ」
そういったリーガの頬スレスレを攻撃魔法が通り過ぎる
「ッッ!!」
「おまえは、ずいぶんとシュタルクとフェルンを舐めているね。それがお前の敗北につながるよ。
二人共そんなに弱くはない」
✧ ✧ ✧ ✧
――シュタルク、これは保険だ。シュタルクの斧に私の魔力を付与しておく。
これでフェルンの魔法を防御出来るわけではないけど、ある程度の抵抗となる。
シュタルクが斬りかかることで射線をずらしたりは出来るはずだ。でもこれは私から離れた時点で回数制限がつく。いざという時に取っておいて。
「さすがフェルンだ……奥の手いきなり全部使っちまったよ……」
フェルンの物量攻撃に対して斧で効力の効く限りで切り落とし続けた。全てを防げた訳では無いが……足りない分は気合で耐えるしかない。
致命傷ではないが体中が痛い。だがいつかの大魔族……名前を何といったか……とんでもなく怖い魔族に全身貫かれたときよりはマシだろうと姿勢を治す。
「あなたを倒して、フリーレン様を助け……シュタルク様の傍へ行かなければなりません」
「どこに行くのかは知らねーけど、そこには誰もいないぞ」
「???、 何を言っているのかわかりませんが、死んでください」
再び、大量の魔法陣を空中に出現させるフェルンは、シュタルクに対しては物量で押し殺す方針に変えたようだ。
しかし――
「シュタルクは、俺は、ここにいる! どこに行く必要もねえよ!」
身を低くしたシュタルクは一気にフェルンへの距離を詰める。
フェルンは戦士の間合いや戦い方を知っているようで判ってないなとシュタルクは薄く苦笑する。
それはそうか……人間の戦士と1体1で直接戦うことなんて殆ど無いのだから……
仮にあっても、シュタルク自身がそうはさせないために前衛をしているのだ。
「なっ!!」
フェルンからすると視界から突然消えた男が突然目の前に現れた様に見えたのだろう。
シュタルクはそのままフェルンの腕と杖ごと腕を回してしがみついて抱きしめたまま地面に転がる。
「はなっ、離しなさい!!」
「死んでも断る。これ離したら次の手がもう思いつかない!!」
この状況でどうするかもあまり思いついていないが、少なくとも魔法で攻撃されることはないだろう。
フェルンはそのまま空中へと上がる。
「離せ!離しなさい!」
「い や だ ね!」
一瞬フェルンを絞め落とすことも考えたがおそらく事態は改善しない。
「私は、あなたを倒してフリーレン様を助けて、シュタルク様の元へ行くんです」
「なんで俺を倒して俺のもとに行く必要あるんだよ! 俺は……シュタルクはここにいる!」
「あなたじゃない! あなたは敵で、敵の魔族です。」
飛行したままフェルンはシュタルクがしがみついている方向から勢いよく岩にぶつかった
「ぐっ!! 痛ってぇ……
目を覚ませよばかフェルン! シュタルクはここだ!言いたいことがあったらここで聞く! 俺を見ろよ! 」
抱きついている態勢のためフェルンの顔が目前にある距離でシュタルクは叫ぶ。
やっと目があった気がした。そして、フェルンの目には一瞬、狼狽の色が見えた。
「あなたじゃない、あなたは違う!
だって……
あなたは、あなたは……
―― 私を置いて……、私ではない誰かを助けに行ったではありませんか……」
明らかに今までと違う反応に感じた。
それはどことなく、小さな女の子が必死に助けを求めるかのような叫びのようにも聞こえた。
「フェルン……?」
「私を連れて行ってくれなかったじゃないですか!、傍にいてくれなかったじゃないですか!」
「だってそれは……」
フェルンの瞳には涙が溜まっていた。
シュタルクから見ればいつだって冷静に振る舞うフェルンが普段見せることのないもの。
この涙の原因に自分が大きく関わっていることだけはなんとなく理解できて心が締め付けられる。
だがどうすればよかったのか。シュタルクはわずかながらでも関わった人達が無為に殺される事なんて決して許せる話ではない。
村を見捨ててフェルンと逃げたのなら、それにいつかの日眼の前で怪我をした子供を無視したのならそれはもう自分らしいと言えるのか。
「わからねぇ! わかんねぇよフェルン!」
フェルンは再び近場の岩にシュタルクをぶつけて剥がそうとする
「ぐはっ!!」
フリーレンのくれた奥の手である程度防いでもシュタルクの体はフェルンの飽和攻撃でかなりのダメージを受けている。
そこに加えて勢いよく岩に叩きつけられて実際は満身創痍だ。それでも今フェルンを離せばもう二度とチャンスはない。
「シュタルク様は私に優しい人です。さみしくないようにお話をしてくれます。本を呼んでくれました。お食事も手伝ってくれます。
さみしい日は眠りにつくまで傍にいてくれます。私を置いてどこかへ行ったあなたじゃありません!」
嬉しかった記憶と、悲しかった記憶が分裂しているのか。リーガの埋め込んだ人格が割り込んで記憶が混濁しているのか。
フェルンの言っていることはこの数日の記憶が無茶苦茶に混ざっているようだった。
「どれもこれも全部俺だよ!ちょっとは信じろよ分からず屋!」
「じゃあ、じゃあ何故私を置いていったのですか、優しくしてくれなかったのですか!」
再びフェルンは飛び上がり次の岩に目標を定める。
「優しくしているよ!それでも、至らないところがあるのは認めるよ!文句は全部聞くから戻ってこいフェルン!」
冷静に考えると、さっきから何の話をしているのだろう……これじゃまるで拗れた新婚夫婦か何かじゃないか。
岩にぶつかる直前、シュタルクはそんな風に思えて思わず苦笑してしまった。
「がッ……は……」
背中から岩に打ち付けられ危うく意識がとびかける。それでもまだしがみ続けている理由はなんだろう。
眼の前の少女は今なお、泣いているじゃないか……。ならばまだ倒れる訳にはいかない。まだ誰も救えてない。
「しつこい……!!」
■今出来る最後の一手
眼の前でしがみつく敵は何故倒れないのか。どうして自分に呼びかけてくるのか。
そして自分は……どうしてその言葉に耳を傾けずにはいられないのか。
打ち倒すべき敵から聞くべき話なんて何もないはずなのに。
敵を倒し、フリーレンを助けに行かなければならないはずなのに。
心の奥底で、気持ちが、感情が、聞きたい言葉をただ待っている。
それを聞かなくては今この場から動くことなんて出来ない。そんな気がした。
「フェルン!聞けよ! やっぱり俺には判らねぇよ! あの場で本当はどうするべきだったかなんて。
たぶん、10回やっても、100回やっても、きっとなにもやることは変わらないよ!」
どうして――
「それでもやっぱり、俺はフェルンを見捨てられない!」
どうして――こんなにも心に響いてくるのか。
✧ ✧ ✧ ✧
いつから持っているのかわからない。どうして持っているのかもわからない
それでもフェルンに伝えたい気持ちがある。どう言葉にして、どうすれば伝わるのか、今の自分にはわからないがそれでも、一片でも、欠片でも、少しだけでもいいから伝われ――
「フェルン、俺には助けられる人を見捨てるのは無理だ。大事かどうかなんて関係ないんだ。
そうしたいからそうするんだ。臆病な俺が俺であるために必要なことだ」
「知りません!私にはそんな事関係ありません!」
フェルンは未だにシュタルクを何処かにぶつけようとしている。
「聞けよ!
俺には大事だからとか、大事じゃないからとかわからねえよ!
だって、
―― 今の俺にとってフェルンより大切な女の子なんていないんだ!
シュタルクの言葉を聞いたフェルンは、空中でその動きを止めた。
「だって、シュタルク様は……私に……私を……ううう、あああああああ」
苦しみだしたフェルンだが、このままで治る、という雰囲気ではない
「クソっ!まだ何か一手足りないのか!!」
――精神魔法による意識の侵食は受けた当人の精神を強く持つことで抵抗ができる。
おそらく、フェルンは時間をかけて精神の脆弱性を突かれた。シュタルク、リーガの言葉からすると、きっと君に関することだ。
シュタルクがフェルンの精神を揺らして彼女の本来の意識を呼び起こして。
この戦いに挑む前にフリーレンから言われたことだ。今のシュタルクに言える言葉はだいたい伝えた。
これ以上何を言えばいいのかは今のシュタルクには検討もつかない。
だったら今この状況で何が出来る。両手はしがみつくために動かせない。空中にいるため脚はどうにもならないし、そもそも脚だけでできることがない。
(もう、他に手が思いつかない! ごめん、フェルン。後で文句はいくらで聞くし何発だって殴られてやる!)
フェルンに抱きついた状況、彼女にしがみつきながら、傷つけること無く出来ることなんて大して数はない。
シュタルクは片手でしがみつく力を強めながら、もう一方の手を離してフェルンの後頭部に手を回す。
「な……に……を……!!」
「初めてだったら悪いなフェルン!俺も初めてだし許してくれ!」
そう言ってシュタルクは大きく息を吸って、最後に打てる手を実行に移した。
「んん ―――ッッ!!」
フェルンはシュタルクの片腕が外れたので少し動くようになった腕でシュタルクの体を叩く。
「ん――ッ!ん―――ッ!んん……」
細かく数えていないが、しばらくそのままの状態でいると、フェルンは口を塞がれたままで息ができないのか……徐々に叩く腕の勢いがなくなる。
(鼻で息すりゃいいのにな……って、こういうときだとデリカシー無いのか……?)
もう、満身創痍かつ疲労困憊で思考が回らない。だがフェルンの目が覚めるまでどれだけだって続ける覚悟でいた。
そう思っていると力なく脱力したと思ったフェルンの腕がシュタルクの背中に回る。どういうことだ?と思ったら肩がタップされる。
さっきとは別の必死さのあるタップを妙に思ったシュタルクは目を開くとフェルンと目が合った。
―― 彼女の瞳はいつもの紫色をしていた。
■優しい貴方は何時も傷だらけで
「うう……、酷い……そんなにしなくても……」
という呟きは、シュタルクのもの。
フェルンとともに無事地上に降り立ったシュタルクだったが、地上に降りてからが無事ではなかった。
とりあえず、降りた瞬間に往復ビンタをされた。疲労困憊な状態に思わぬ衝撃に尻餅をついたシュタルクはそのまま押し倒された。
馬乗りになったフェルンは近場に転がっていた木の棒でシュタルクをバシバシ叩きのめしてきた。
こういう殴打に対しては耐性があるため逆にそんなに痛くないのだが、泣きそうな顔でされると辛い。
「ごめん」とか「俺が悪かった」とかを連呼しているとやっと止めてくれたが……
今はむくれて近場の池の近くで体操座りで塞ぎ込んでいる。拗ねる姿はまさにいつも通りで精神支配は逃れたらしい。
本当に、無事に……とは言い難い……
フェルンに追いつくために全力で走った脚にも限界が来ている。
魔法の飽和攻撃でボロボロになった後に気合でしがみついてた腕も岩にぶつけられて傷だらけだ。
足を引きずりながらフェルンの近くに寄りながら声を掛ける。
「なあ、フェルン……」というと彼女はシュタルクとは逆の方向にプイっと顔を向ける。
「いろいろ言いたいことがあると思うが、これからフリーレンの加勢にいかないとだめなんだよ……話を聞いてくれ」
無言でなにも言わないが、なんとなく耳が紅いのは……
まぁ、どう考えても自分が悪い……いや、悪いのか?わからん……
など考えていると、フェルンの方からおずおずと話しかけてきた。
「……シュタルク様は……何でそんなに傷だらけなんですか……」
「……」
「……私のせいですか……?」
「……まぁ……フェルンのせいじゃなくて、フェルンのためというか……」
そこは、言葉の僅かな違いで意味がずいぶん変わるので一応訂正しておく。
「シュタルク様が、村に来た魔物を何とかすると部屋を出てから記憶がありません。視界も元通りですし。
いえ、そもそもこの数日間かなりの部分の記憶が曖昧で……、強く呼ばれた声が聞こえて、完全に気がついたら、その……」
要するに、目が覚めたら息もできないぐらいに口が塞がれてた訳だと……。他ならぬシュタルクの口で。
「あー、えっと、その、ご――――」
「―――謝ったら撃ちます」
顔をそむけたまま杖だけシュタルクの方に向けられる。
多分今の状態だと絶対に避けられない。喉まで出かけた謝罪の言葉をギリギリで飲み込む。
「必要な……、必要なことだったんですよね?」
必要かと言われると全くわからない。他に精神を揺さぶる行為が思いつかなかっただけで手段は何かあったかもしれない。
結果論として助かったが、今となってはフェルンには迷惑も恥も顧みない行為だったかもしれないと反省はしている。
しかし、謝罪の言葉も現在進行系で許されない。
「わかんないけど、今フェルンが正気になってるってことで理解してほしい……かな」
フェルンは頰を膨らませたまま杖を自分の手前に戻し、頭をこつんと当てる。
「シュタルク様の……ばか……」
「え、なんで……?」
全然わからない。そしてやっぱり、落ち着かないからとりあえず謝らせてほしい。
……ほしいけど、やっとこちらを向いてくれたフェルンの瞳は「謝ったりしたら絶対に撃つ」と訴えてる気がしたので言うのをやめた。
「リーレン様は、その……リーガ様と戦っているのですよね?」
「様なんていらねえよ……
フリーレンが大魔族でもないそこら辺の魔族に一対一で負けるとは思えないけど、
フェルンを追いかける途中で、でかい蟲の魔物がフリーレンの方に飛んでいくのが見えた。
今は前衛なしで戦っている。早く行かないと……、ぐッッ!」
昨晩の大蜘蛛討伐から飲み食いする事もなく動き続けて、体中も傷だらけだ。いい加減限界が近い。
崩れ落ちそうになったシュタルクをフェルンが支える。
「シュタルク様!!
どうして……、こんなにボロボロになってまで無茶を……」
真剣な表情で、泣きそうな顔をするフェルン。綺麗だなと思う一方でそんな顔をさせたくて頑張った訳じゃないんだけどなとも思う。
「……さっきフェルンにしこたま殴られた傷がね……」
シュタルクを支えた状態でまたみるみる頰を膨らませてご不満顔をするフェルンは、動かせる片手でシュタルクをポコポコ叩く。
「そうそう、フェルンはそれぐらいでいいよ。そうでなくちゃ」
そう言って、ニカッと笑ったシュタルクにフェルンは「もう……」と言いながら苦笑いで返した
✧ ✧ ✧ ✧
甲殻蜘蛛に前衛を任せて、後方から魔族が嫌がらせのような攻撃を繰り返す。
単純な連携のようで、前衛の蜘蛛がリーガの思いのまま動くためか絶妙にやりづらい。
「ほらほら、フリーレン。もう限界ですか? 先ほどから、大した反撃もありませんよ」
「本当によく喋るね」
甲殻蜘蛛は素早い上に先日のサソリと似たような構造をしているように見える。
おそらく、半端な魔法は単純に通らないだろう。
(やっぱり、フェルンとシュタルクの手は欲しいな。シュタルク急いで)
そう考えつつ、甲殻蜘蛛の攻撃を回避しながら攻撃の機会を伺っていた瞬間、上空からなにかが降ってきた事に気づいた。
激しい攻撃で物が飛び散りまわっているのでリーガや蜘蛛は気に留めていなかったようだが、明らかな異物。
それはシュタルクの履いていたブーツだった。それが空から降ってきた。
なんとなく察する所もあり、フリーレンは薄っすらと口角をあげた。
「よくやった、シュタルク……期待以上だ」
✧ ✧ ✧ ✧
―― フェルン、とにかくギリギリ上空に運んでくれ。
今の状態で真正面からいっても俺は何も出来ない……
そう伝えてフェルンに上空高くへ運んでもらっている。
そのあまりの高さに空を飛ぶ手段を持たないシュタルクとしては恐怖で体の一部が縮み上がるのを感じる。
とはいえ、これからやることを考えるとそんな事感じている場合ではない。
「シュタルク様、本当にいいのですか?
今いるのがフリーレン様が移動していたちょうど上空辺りです。」
「ああ、フェルンはそこで待機だ。合図したら全力で撃ってくれ、
あとはフリーレンが、気付いてくれるのを期待するしか無い」
片足は裸足になってしまったが、フリーレンへも合図は送った。気付いてくれると祈るばかりだ。
遠目で見る限り、戦っていた魔物はかなり素早い攻撃を仕掛ける前衛突破の魔物のようだ。
言ってしまえば魔法使い殺しの様な魔物だ。シュタルクほどではないにしても相応に消耗したフェルンを行かせても2次被害となってしまうかもしれない。
「あの魔物だけでもなんとかすれば、フリーレンがリーガをなんとかしてくれる。
フェルンやってくれ」
「本当に、大丈夫なのですよね?」
シュタルクの言葉にフェルンは不安げな表情を見せる。
正直出た所勝負ではあるが、だからといってそんなこと言っても仕方ない。
「大丈夫だよ。戦士は落下ぐらいじゃ傷一つ負わないってフリーレンも言ってただろう」
「あれは、アイゼン様の話です。シュタルク様は違います」
全くもって正論でその通りだ。とはいえ、他に近づく方法もない。
「俺は、アイゼンのたった一人の弟子だぜ。信じてくれよ。
あとは、下にフリーレンもいるしなんとかなるさ」
だから、シュタルクのやり方で足りない部分はきっとフリーレンが補ってくれる。
そうやって信じるからパーティーは成り立つのだと師匠もフリーレンも言っていた。
「……ッッ、どうか……ご無事で……」
フェルンは苦虫を噛み潰すようにシュタルクを掴んでいた手を離す。
吊り上げる力を失ったシュタルクはそのまま自由落下を始めた。
✧ ✧ ✧ ✧
おそらくシュタルクはフェルンを救出して供に上空だろう。
フリーレンは一度状況を整理するため、全速で飛行して距離を開けた。
リーガと蜘蛛は十数秒も立たずに追いついてくるだろうが、仕掛けるには十分な時間だ。
必要な事は一時的な足止めと目くらましだろう。
フリーレンは時間差で発動する魔法を一面に展開する。
「さあ、我慢比べの時間だ」
フリーレンは防御魔法を身体の全面に展開する。
その瞬間に甲殻蜘蛛は大口を開けて木々の間からフリーレンに飛びかかってきた。
防御魔法で牙を防ぎ、フリーレンは回避をすること無く障壁を展開し続ける
「あら、フリーレン、もう逃げ疲れましたか?
人間の防御魔法はとても強力ですけど、そんなに時間が持たないでしょうに。
いいわ、どれぐらい我慢できるか見ててあげる」
後から追ってきたリーガは笑いながらその様子を見ている。
「そろそろかな」
フリーレンがそういった瞬間、地面から閃光が上がった。
魔法は勢いよく炸裂し、フリーレン甲殻蜘蛛を囲むように土煙と火柱が上がる。
「しまっ!!」
炸裂の勢いにのまれてリーガは森の奥に飛ばされていった。
甲殻蜘蛛はわずかながらにダメージを負ったようだが直前の命令のまま動いているのか
多数の脚でフリーレンの防御壁を破ろうと攻撃を繰り返している。
「ある意味、いい子だな」
周りの火柱に怯まず攻撃してくれるのは大変都合が良い。
防御壁を展開し続けるフリーレンは苦笑しながらつぶやいた。
「熱でその子を焼き殺すと言うつもり? 無駄よ、そんな事……それにここから退かせれば」
よろよろとこちらに戻ってきながらリーガは悔しげに言う。
いま、操作されて逃げられるとたしかに、詰んでしまう。
だが―――
「―――もう遅いよ」
■負けられない闘い
「あああああああああああ、たけええええええええ、こえええええええ」
空気抵抗を受けながらスピード調整と位置調整をしているが、そんなことも関係なくどんどん落下速度は増していく。
以前、紅鏡竜を倒した時同じように上空からの落下で切りかかったが今回は其の比ではない。
ついでに言うとあのときほど万全のステータスでもない。
下でフリーレンが蟲との戦闘を再開し、足止めと目眩ましを上げた様子が見えた
―― 伝わっていたっ!!
これなら目標も定まる
「流石だぜ!フリーレン!」
その事実だけでも、体の奥から勇気と気力が湧いてくる。
絶対に決める。いずれにしろ決めないと2の手が出ない。そんなに体力が持たない。
地面の落下までもう数秒もない。
勢いを増すほどに体を打ち据える風は威力を増していく。シュタルクは残った力を振り絞り斧を構える。
土煙が舞っている中でシュタルクを捉えること無く、フリーレンの襲撃を続ける甲殻蜘蛛を視界に捉える。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
斧を振り下ろす瞬間、甲殻蜘蛛と目があった。
蜘蛛は瞬間的にフリーレンの攻撃を止めて回避行動を取ろうとするが
「―――もう遅いよ」
というフリーレンの言葉と供に地面から隆起した岩柱に退路を断たれた
こういう瞬間、集中力が限界突破でもしたのか、何もかもがスローにみえるな……シュタルクはなんとなくそんな事を考えた
落下の勢いと、シュタルクの今の全力の戦斧の一撃は甲殻蜘蛛の硬い殻をミシミシと割り砕き、刃はどんどんと身を切っていく。
そのまま力を込めて振りかぶった斧の一撃は落下する直前の地面に爆風を生み出した。
地面から上がる爆風で転落直撃はせずにすんだものの落下の勢いの相殺はとんでもない負荷で体が千切れそうだったが突然負荷が収まった。
「流石だシュタルク」
そう言いながらフリーレンが防御魔法の障壁で自身とシュタルクの体を覆っていた。
「フリーレン、こいつはなんとかする! リーガを追え!!」
ためらうこと無くシュタルクはリーガが逃げ帰った森の方を指差す。
「頼んだよシュタルク、フェルン!」
フリーレンはその場から飛んでリーガが逃げた先に向かう。
頭を真っ二つに割られてもなお、ぶくぶくと泡を吹きながら立ち上がろうとする甲殻蜘蛛はいまだなお絶命には至ってない。
ダメージが大きいためか立ち上がれずに地面を這うように移動してくる蜘蛛とシュタルクは対峙する。
「よお……今度は俺と我慢比べしようぜ」
身体は限界で一度立ち止まって倒れたら二度と立ち上がれない。そんな状況はとっくに超えたはずなのに不思議と体はまだ動く。
頭を割られたことで甲殻蜘蛛も精彩を欠く動きだがシュタルクに脚を振りかぶって襲ってくる。シュタルクは極最小の動きで躱した。
今までこんな事が出来たことはない。それでも今は見える。相手の動きが遅く思える。次にどうするべきかわかる。
「まだここで倒れるわけに行かねぇんだよッッ!!」
割れた頭から露出した中身の肉と甲殻の割れ目、地面を割りながら下方から振りかぶりった刃をぶつける。
蜘蛛は声ににならない叫びを上げたがっているように見えた。割れた肉体からは緑色の液体が漏れ出ている。
シュタルクの腕にかかったその液体は煙を上げて焦げた嫌な匂いを出している。
「毒か……くそ、苦手だってのに……」
苦しむ蜘蛛に対して、引きちぎれてしまうのではないだろうかと言うほどシュタルクも腕が悲鳴を上げている。
ブーツを脱いでしまって裸足になった脚はぼたぼたとたれている毒液に浸かって焼けただれるような音を出している。
不思議と痛みすら感じないのでもうどうなっているかは見たくもない。
「うるぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
甲殻蜘蛛の巨大な体を少しずつ進みながら徐々に2つに斬り割っていく。
「 意地でも負けられねえんだよ!! 一歩だって退けないんだよ!! フェルンが上で見てるんだあああああ!」
ブーツが残った方の脚で蜘蛛の顔の先端を踏み付ける。
下方に構えた戦斧の刃で全てを両断するように徐々に天に向かって切り上げていく。
地から天へと切り裂く光天斬。師から教わった必殺の一撃
そういえば、以前にこの技で決めた時もこんなにぼろぼろだったっけなぁとぼんやりと想いながら
衝撃波で真っ二つに割れた蜘蛛を視界に捉えつつも意識は薄れゆく
「撃て、フェルン……!!」
気絶しながらも戦斧を天に掲げシュタルクが合図した瞬間、巨大な閃光が上空から降り注ぎ、甲殻蜘蛛を刺し貫いた。
■とある魔族の残響
どうして、どうしてだ……
何故、奴がここに来た。あれほど念入りに精神を侵食したのに覆したのか……
こんな所で負けてしまうのか。
「はは、あははははははは……」
フリーレンは自分を逃さないだろう。
かつては歯牙にも掛けられない存在として見落とされ、生き残ることは出来たが今回は地の果てまで追いすがって滅ぼしてくるだろう。
リーガは逃げるのを止めた。諦めたのではない。
無様でも生き続けた。人に扮して生き残ることは出来ても、それでも魔族である証が欲しかった。
魔王を討った勇者一行が伝承になった今でも何人もの大魔族を討ったフリーレン一行。
どんな手であってもこれらを討ち滅ぼし、その肉と魔力を喰らい。奪い取った力をもって失った誇りを取り戻したかった。
今はもう……叶うことはないだろう。
「逃げないんだね」
ゆっくりと歩きながら、静かな追跡者はリーガに追跡劇の終わりの言葉を告げる。
「だって、無駄でしょう?」
「……言ったよね、お前はシュタルクとフェルンを舐めているから負けると」
リーガは悔しげに唇を噛む。計画の狂いはたしかにそこにあったのだろう。
あの心底甘い青年は、何をすることも出来ず、少女に撃たれて死ぬだろうという自身の甘い算段。
「本当に……そうね……考えが甘かったわ」
「……」
「でもね……、私も退けないの、ここで退いたら全てを失ってしまうの、取り戻せないの」
「しらないよ」
その言葉と同時にお互いに魔法を展開しながら一斉に撃ち合う。
リーガは体の一部である角を失っても、魔族であり人間を上回る魔法適正を持っている。
だが、それも一般兵レベルの魔法使いであれば……という但し書きとなる。
エルフであり、伝説の魔法使いと謳われるフリーレンには叶うべくもない。
「全部……通じないのね……」
撃ち合い一つで、一方は傷一つ負ってない中で自分は気がつけば両腕が消し飛んでおり
腹にも大きな穴が空いていた。
一瞬で負けたという認識すらできなかったほどの技量差
「馬鹿みたい……」
全身の力が消え去り、立つことも叶わずドシャリと地面に倒れ伏せた。
身体の端から魔力が漏れ出して徐々に崩れて来ていることがわかる。
フリーレンはリーガの顔に杖を向ける。
「必要なら、頭を撃ち抜くけど?」
「必要……ないわ……、ねえフリーレン、私のこと覚えてた?」
「どういう意味?」
言葉の意味を理解しかねるというフリーレンの表情にリーガの瞳に失望の色が浮かぶ。
当然だろう。覚えていたらそもそも騙せてもいない。それでもここまで戦った中でそんな魔族がいたと、
最強の魔法使いの記憶に呼び起こされるものがあれば何かが残るのではないかと言う淡い期待。
「まあ、そうよね……」
苦笑いをするリーガに対してフリーレンは杖の先端に魔力を込める。
「言いたいことはそれだけ?」
「そうね…… 打てる手を全部使って、切れるカードも全部切ってあなた達を襲ったのだけど……楽しんで頂けたかしら……?」
「……少なくとも、真正面から襲ってくる魔族連中よりはずいぶんと厄介だったよ。人間のふりまでするやつもいるんだと勉強になった」
フリーレンのその言葉に、一応の満足感を得たのか、口から黒い血をはきながらリーガは嗤い出した。
「あはっ、あはははははは………
やったわ! 本当に、本当に……世界も、女神も、クソ食らえだわ、メイガス――」
その瞬間、森の中に走った光と共に一体の魔族が消え去った。
■いずれ付ける決着
「……何処だここ?」
たしか、蜘蛛の魔物をがむしゃらに両断した後、ふと気がついたら見知らぬ病室の中……とまったく動く様子の無い全身。
かろうじて動く首を横に向けると、銀髪エルフがうつらうつらと椅子の上で船を漕いでいる。
「なにこの状況? フリーレン!? ねえ、ちょっと!」
起きろババアといえば絶対起きるだろうけど、今この状況で言うのは得策ではなさそうなので言葉を引っ込める。
「ん……、シュタルク。目が覚めた?」
といいつつフリーレンが目を覚ました。余計なこと言わなくて助かった。
フリーレンは後ろにいた人達になにかを伝えている様子だが、顔がこれ以上動かないのでよく見えない。
「さて、シュタルク、気分はどう?」とシュタルクに向き直ったフリーレンは調子を聞いてくる。
「全然身体動かないんだけどどういう事?」
気分は普通でそんなことより体が動かなくてどうにもならないのがとにかく気になる。
「医者からは絶対安静と強く言われててさ、魔法でちょっと強力めに肉体の動作を縛ってて、ごめんね」
「絶対安静って……そんな大げさな」
「そうでもないよ」
フリーレンはシュタルクのスネの辺りをツンとつついて脚を揺らした
と、共に脚に言葉にならない激痛が走る
「いってええええええ!」
よく見るとギプスがはめられているので直接触られていないのだがそれでもめちゃくちゃ痛い。
「うん、痛覚が戻っているから本当にちゃんと回復しているみたいで良かった。
とにかく絶対安静だから下手に動かしてそんなことになるよりも、シュタルクには動かなくなって貰った方が速いなって」
「そんな確かめ方あるっ!?」
まあ、元気そうで何よりとぼやいたフリーレンは少し笑いながら嘆息し
「もうすぐフェルンが来ると思うから状況だけ説明しておくよ」
フリーレンの説明によると、あの後リーガはフリーレンに討たれたらしい。
フェルンにやったことを考えると文句の一つも言ってやりたかったが……まあこれは仕方ないだろう。
当のシュタルクは意識を失った後、救出されるまではフェルンに消し飛ばされた魔物の体液漬けになっており、毒と共に体中が火傷だらけだったそうだ。
というか、それまでの無茶な戦闘と落下からの一撃でしれっと全身の骨が大変なことになっていたということ……まあ、聞きたくなかった。
結局、フェルンの治療のためにフリーレンが連れてきた僧侶達は、言葉にするにも憚れるほどエラいことになっていたシュタルクの肉体の再生に全力を尽くすことになってしまったということだ。
フリーレンは無駄にならなくてよかったと笑っていたが、シュタルは流石にそのジョークには笑えそうになかった。
今は村の女神の教会にある病室を借りて引き続き治療を続けている状況だそうだ。
なお、魔物を討伐後のフェルンとの取り乱し様は相当だったという話で、おそらくこれから相応の苦情をいただくであろうから覚悟してねというありがたい忠告を貰った。
そんなシュタルクも徐々に頭が覚醒していくにつれて、フェルンの精神支配を解くためにいろいろやっていた事を部分的に思い出した。
正確に言うと、いろいろやったけど細かくは何を言ったか覚えてない事を思い出した。
いろいろあり過ぎて記憶が混濁しているようだ。なんかとんでもないことやったような、やってないような……
「そういえば、フェルンが、『シュタルクにされたこと忘れてない』とかなんとか言ってたっけか。
さて、私はリーガが隠し持ってたらしい魔導書をサルベージしに行くから後はフェルンとよろしくね」
そう言いながらフリーレンはひらひらと手を振りながら病室から出ていってしまった。
もう、これはどうにもならないやつじゃないかと、シュタルクはわずかに動く首をひねり顔を天井に向けて、空を仰ぐ。天井からは空見えないけどね。
✧ ✧ ✧ ✧
柄にもなく、いつもは整った髪を乱しながら部屋に走ってやってきたフェルンは目を覚ましたシュタルクを確認した後、
勢いよくその胸に飛びつき、シュタルクは本日2度目の絶叫を上げることになる。
部屋にやってきたフェルンと病室で寝込んでいるシュタルクが落ち着きを取り戻すのには軽く30分ほどを要する結果となってしまった。
そして今もなお……
「――そもそも、シュタルク様の発案した作戦は後衛を守ることばかりが優先されていて、シュタルク様当人の安全の確保が全く出来ていません
後ろで見ている人間を心配で死なせる気ですか!」
などと、説教が続いている。
動けないし、剣幕も怖いので黙々と聞くしか無い。
「だいたい、精神支配を解くのにあんなやり方……」
何かを思い出したのか言葉を濁してフェルンは顔を明後日の方向に向ける。
その件に関してはちょっと伝えておかなければならない気がしたのだ。
「……なあ、フェルン。大変申し訳無いこと言っていい?」
と恐る恐る聞いてみるも「何でしょう」というフェルンはこちらを向いてくれない。
「あのさ……結構記憶も断片的に飛んでて……俺、どうやってフェルンの精神支配解いたんだっけ?」
その言葉を発した瞬間、部屋の空気が5度ぐらい下がったような気がした。
「は?」と言いつつ、ゆっくりとフェルンが振り返ってシュタルクを見下ろしてきた。
「シュタルク様は、私をどうやって助けてくれたか覚えていないと」
「……はい」
「……本気で仰っていますか?」
「うっ……はい、いろいろ頑張って説得しようとした事は覚えているんだけど、何言ったっけとか」
いつになく視線が冷たい。ポコポコでは済まされる雰囲気ではない。今はポコポコでも割と痛いのだけれど。
「あ、あのなんか、その、ご――」
「――謝ったら撃ちます」
「なにそれ怖い!」
立ち上がり杖を取り出して構えるフェルンは割と冗談じゃない様に見えた
怖いけど不思議とデジャヴ。
杖を構えたまま、魔族を相対すときのような目つきのフェルン
「いいですか、シュタルク様はこの件に関して事実を思い出し、私にかけるべき正しい言葉をよくよく吟味して口にするまで
私は精神支配解除に係るお礼も言いません、一切の謝罪も受け付けません、それと同時に呑気に忘れてしまっているシュタルク様への憤慨を常に持ち続けることをお忘れなきようにお願いします」
「何したの俺ッッ!?」
とりあえず、杖をしまって席についたフェルンは咳払いをする。
「その話は有耶無耶にさせるつもりはありませんのでいずれ決着を付けましょう。まずは、これからの話しをします」
「今、決着って言った?」というシュタルクの言葉を無視してフェルンは続ける。
「シュタルク様はご覧の通り、絶対安静です。
先日まで視界を奪われていた私とは違い、単純に体を動かすことが困難な状況です」
確かにその通り。立場が逆転してしまった。
「シュタルク様の回復力がいくら人並外れていても、医者から出発OKが出るまで1ヶ月程度はかかると思います」
「はい……」
「というわけで、シュタルク様のお世話周りは先日のお礼も兼ねて私が対応します」
何故かフェルンは真顔でベッドの下にあった尿瓶を取り出してシュタルクに見せる。よりによって例に出すのそれかと。
「まって? フェルンさん? そういうのは施設の看護のおばちゃんとかにお願いしない? きっと後腐れないって 」
「施設の方は大変忙しく、シュタルク様ごときに手を煩わせるのは忍びないため私で対応します」
「めっちゃ辛辣!! あと、施設の人達はさっきからずっと遠巻きにこっち見て笑ってない?」
暇そうとは言わないが何も出来ないなんてことはないだろうと訴える。
そんなシュタルクの苦情を無視して、フェルンは食器のようなものを受け取っている。
「それで、目覚めたばかりのシュタルク様は空腹であろうと思いまして」
そういえば、本当にぶっ倒れる前からまともに何も胃に入れていない事を思い出したら途端に空腹を感じて胃が鳴り始めた。
こういうのって気持ちの問題なんだなと痛感する。
「すごく熱々のスープを用意いただきました。口を開けてください」
「今、すごく熱々って言った!」
顔の前に差し出された熱気あふれるスープに思わず表情が歪む。
フェルンはいつもの表情に戻ったがなんとなく瞳の奥にいつもと違う色が見えるような気がしなくもない……
「口開けてください」
「冷ましててからで良くない?」
「息を吹きかけて冷ましてから食べさせるのは流石に恥ずかしいとおっしゃったのは何方でしょう。口を開けてください」
「押し付けないで……熱っつ! 断固として譲らないっ!!」
結局、完食するまでにこの日何度目から悲鳴をシュタルクに上げさせた辺りで相応に満足してくれたらしいフェルンは
「歯ブラシをとってきます」と言いながら部屋を一時的に後にしていった。どうやらこれからフェルンに歯も磨かれるらしい……一切の抵抗も叶わない致せり尽くせりで涙が出てくる。
完治と言わずとも、せめて手足が動くようになるまで間、一体どうなってしまうのだろうと
せめて、尿瓶の件だけは断固防衛したいなと願い、窓の外を見つめるシュタルクであった。
■一生を賭しても……
シュタルクの看病の準備をしながらもフェルンは想う。
結局のところシュタルクはフェルンとは全く違う人間だ。表向きの臆病さとは裏腹に絶対に退かない精神と、誰とでも打ち解け困った人は放っておけない善性の持ち主
己の身を顧みずに誰かを守り、誰に請われるでもなく他人を救おうとするその姿は、フェルンの目から見れば異常であり、そして憧れの体現でもある。
ある種、在り様は自分とはよく似ているのに真逆。側にいるとまるで相互に欠けたピースが埋まるかのような感覚。
好意なのかは自分にもわからない。畏怖と尊敬が同居し少しでも傍にいて近づきたいと、きっと互いにそう想っている。そんな確信が心の何処かに宿っている。
だからフェルンは、シュタルクがいつどこでも、人を救い誰からも好かれるその姿は誇らしくもあり、そして、少し気に入らない。
フェルンはシュタルクの善意が、彼の自然に持ち合わせている善性が、愛おしくもあり、妬ましく――
――そんな彼の愛すべき愚かさを一生を賭してでも決して許してあげないのだとそう心に誓うのだった。
~ fin ~