オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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第12話:猛吹雪の夜と、海を越える約束【1658年 冬】

 すべてを白く塗り潰し、命を凍りつかせる猛吹雪(ウパㇱルイ)が、今年もアイヌモシㇼに牙を剥いた。

 一歩でも外に出れば、無数の氷の刃が顔を切り裂き、肺の奥まで凍りつくような暴風雪が視界を完全に奪う。方角はおろか、天地の境目すら分からなくなる。ヤウンモシㇼ(北海道)の冬は、人間が抗うことのできない巨大な神(カムイ)の怒りそのものであった。

 

 しかし、今年の沙流(さる)の流域は、例年とは全く違う冬を迎えていた。

 分厚い雪と笹に覆われた各コタン(村)のチセ(家)の中は、外の地獄が嘘のような、穏やかで満ち足りた熱気に包まれていた。囲炉裏からは赤々と炎が立ち上り、天井の棚で燻されている鮭の脂がパチパチと音を立てて香ばしい匂いを漂わせている。

 

 ニプタイ(二風谷)の広場にある一番大きなチセでは、夜な夜な不思議な光景が繰り広げられていた。

 パチッ、パチッ、と。

 乾いた骨の音が、外の吹雪の音に混じってリズミカルに響いている。

 

「そこ、玉の動かし方が違うわよ。五つ集まったら、上の玉を一つ下ろす。……そう、それで『一頭の熊』が『五頭の熊』に変わるの」

 ミナが、子供たちの間を歩き回りながら、厳しくも楽しげに教えている。

 子供たちの手元にあるのは、鹿の骨を削って作った小さな玉を、木の枠に何本も串刺しにした道具――ハルコルが作った『見えない数の理(そろばん)』だった。

 

 例年であれば、猛吹雪に閉ざされる冬は、村同士の行き来など完全に途絶えて孤立し、ただ蓄えが尽きないよう息を潜めるのが当たり前だった。しかし、今年の沙流の同盟は違った。

 吹雪がわずかな晴れ間を見せるたび、上流や下流のコタンから、犬ぞりや輪かんじき(テシマ)を履いた大人たちや若者が、雪道を越えて次々とこのニプタイを訪れるようになっていたのだ。

 

 彼らは、ニプタイから食料の融通を受けるついでに、各村の冬の狩りの状況や、海沿いにおける東と西の陣営の不穏な噂など、あらゆる貴重な「情報」を持ち寄ってくる。分厚い雪の下にあっても、交流は決して途絶えない。ニプタイは今や、情報と物資が絶え間なく交差する「沙流の巨大な心臓(ハブ)」として、冬の間も力強く脈打ち続けていた。

 

「すごい……! ミナ姉ちゃん、これなら春に仕掛ける罠の数も、蔵の中の干し肉の数も、全部頭の中で計算できるよ!」

 そんな大人たちに連れられてニプタイへ滞在している同盟コタンの若者や子供たちが、囲炉裏の火に照らされながら、目を輝かせて骨の玉を弾いている。

 

「そうさ。この理を知っていれば、和人が言葉巧みに獲物の数を誤魔化そうとしても、お前たちは絶対に騙されない。……これは、お前たちが村を守るための『見えない武器』なんだ」

 ハルコルは、彼らの頭を撫でながら静かに語りかけた。

 

 冬はもう、ただ寒さと飢えに耐え、身を寄せ合って春を待つだけの恐ろしい季節ではない。秋の間に収穫された『エモ』が流域のすべての同胞の腹を満たし、和人から得た分厚い木綿が体を守る中、このニプタイの地では、和人の搾取を根底から打ち砕くための「知恵の種」が、猛烈な勢いで芽吹き始めていた。

 

 

 だが、その穏やかな夜。

 チセの重い毛皮の戸が乱暴に開けられ、猛吹雪の白い冷気とともに、一人の若者が転がり込んできた。下流域の同盟コタンの物見の若者だった。眉や髪にはびっしりと霜がこびりついている。

 

「長! ペカンクㇽ殿!! 海から……海から、見たこともない和船が、密かに我らの入り江に身を潜めました!」

「なんだと? この吹雪の海を渡ってきたというのか! 松前の船か!?」

 父・ペカンクㇽが勢いよく立ち上がる。松前の和船は、海が荒れる冬には決して蝦夷地へは近づかない。波に飲まれれば一巻の終わりだからだ。

 

「いえ、松前の船が掲げる家紋の印はありません。帆柱も凍りつき、船体はところどころ傷んでいましたが、なんとか波に耐え抜いた凄まじい造りの船です……! 乗っている者たちの中には、我々と同じアイヌの姿も……!」

 

 ハルコルとミナは顔を見合わせた。

 松前ではない和船、そしてアイヌの同乗者。

 

「父さん、行こう」

 ハルコルは分厚いアザラシの外套を羽織った。

「松前の見張りの目が届かないこの『死の海』を、あえて狙ってギリギリで渡ってくる奴らがいるとしたら……それは、嵐で死ぬリスクよりも、松前の目を盗んで利益をかすめ取ることを選んだ、本物の『抜け荷(密貿易)の商人』だ」

 

 ペカンクㇽはハルコルの意図を瞬時に悟り、護衛の男たち数人を連れて、猛吹雪の吹き荒れる夜の入り江へと向かった。

 

 真っ暗な入り江には、波に揉まれながらも帆を固く縛り上げた、重厚な造りの和船が身を隠すように停泊していた。船縁には分厚い氷柱が下がり、死線を潜り抜けてきた凄惨な航海を物語っている。

 松明(たいまつ)の光に照らされて雪の中から現れたのは、上等な海獣の毛皮を着込んだ恰幅の良い和人の男と、その隣に立つ、ひどく懐かしい文様の着物をまとった初老のアイヌの男だった。

 

「……ペカンクㇽ殿。私の顔を、覚えておいでか」

 初老のアイヌが、震える声で口を開いた。

「十数年前、西のオニビシと東のカモクタインの戦火から逃れ、海を渡って津軽(つがる)の『狄村(えぞむら)』へと身を寄せた、海沿いのコタンの者です」

 

「おお……! 生きておったか、同胞よ!」

 ペカンクㇽは思わず目を見開き、歩み寄ってその肩を抱きしめた。

 

「ええ。……そして今日、私はこの方の案内役(通訳)として、再び故郷の土を踏みました」

 初老の男が振り返ると、恰幅の良い和人の男が一歩前へ出た。凍てつく寒さの中にあっても、その眼光は獲物を狙う鷹のようにギラギラと野心に満ちていた。

 

「お見知り置きを。手前は海の向こう、『津軽』の商人だ!」

 和語で放たれたその声には、猛吹雪にも負けない商魂の熱がこもっていた。

「俺の爺さんの代までは、津軽の『十三湊(とさみなと)』まで、お前たちアイヌの大きな板綴り船(イタオマチㇷ゚)が立派な帆を上げて、堂々と交易に来ていたんだ。それを、松前の野郎どもが幕府の威光を笠に着て、蝦夷地の交易を不当に独占しやがった。俺たち津軽の商人から、正当な商いの権利を理不尽に奪い取ったんだよ!」

 

 津軽の商人は、雪の上に忌々しそうに唾を吐き捨てた。

「だから俺たちは、毎年松前の目を盗み、密かに海沿いのアイヌの村を回って商売をしてきた。……だが今年は最悪だ! 東と西の馬鹿どもが小競り合いばかり起こしおって、どこの村も男たちが狩りに出ておらず、ろくな毛皮が集まらねえ! このまま手ぶらで帰れば大赤字だと絶望していたんだが……」

 

 商人はニヤリと笑い、雪に覆われたニプタイの村の奥、薄っすらと見える巨大な砦のシルエットを舐め回すように見つめた。

「海を渡るアイヌや商人たちの間で、妙な噂が流れていてな。『沙流のアイヌは、他のどの村よりも信じられないほど大量の極上の毛皮と肉を隠し持っている』とな。……松前の船が秋にたっぷりと荷を積んで帰ったのは知っている。だが、あんたらのことだ。強欲な松前にすべてを渡すような真似はせず、必ず『裏に隠した備え』があるはずだと踏んで、船が沈むギリギリの時期を狙ってこの嵐の海を越えてきたんだ!」

 

 ただ状況に流されてきたわけではない。自らの足で情報を掴み、松前藩の動きを計算した上で、隠された富を引きずり出しに来たのだ。

 この津軽商人のしたたかさと執念深さに、通訳の男からその言葉を聞いたペカンクㇽは、太い腕を組んで低く唸った。

 

「……お前たちの事情と、松前への怒りは分かった。それに、我々の裏の備えを見抜いたその眼力も見事だ。だが、蔵に残っている『余剰の毛皮と干し肉』を出してやったとして、お前たちの船にはそれを買い取るだけの十分な品が積んであるのか?」

 

「ふん、なめんなよ」

 津軽商人が指を鳴らすと、凍え切った船員たちが、船底から上質な鉄鍋や、本州の分厚い木綿を次々と雪の上に下ろした。

 

 ペカンクㇽの合図で、ニプタイの若者たちもソリに乗せて運んできた毛皮の束と、ずっしりと重い干し肉の塊を広げる。それは、秋に松前に渡した残りとはいえ、普通のアイヌの村であれば一年がかりでも集められないほどの見事な質と量だった。

 

「おお……! やはり噂は本当だったか! これほどの毛皮が、冬の蔵にまだ残っていたとは!」

 津軽の商人は目を輝かせ、震える手で毛皮の束を撫で回した。

「ありがてえ! これで予定していた分がすっかり埋まった。松前に一矢報いることができるぜ!」

 

 商人は気前よく鉄と布を渡し、代わりに毛皮と肉を次々と船に積み込んでいく。松前の役人に首を刎ねられるリスクと、冬の海で溺れ死ぬリスクを冒して嵐の海を渡ってきた甲斐があったと、その顔は満面の笑みに包まれていた。

 

「ペカンクㇽ殿、最高の取引だ! これで胸を張って津軽へ帰れるぜ!」

 商人が深く頭を下げ、船を出そうと踵(きびす)を返した、その時だった。

 

 冷たい風が吹き荒れる中、ペカンクㇽの足元から小さな影が一歩前へ出た。ハルコルだった。

 

「満足して帰るのはいいけど、津軽の商人さん。……来年はどうするの?」

 ハルコルの静かな言葉を、通訳の男が和語に訳して響かせる。

 

「……あん?」

 津軽の商人が足を止めた。

 

「海沿いの争いは、来年もっと酷くなる。他の村からは今年以上に毛皮が集まらなくなるよ。お前たちの船は、また空っぽのまま危険な海を彷徨うことになる」

 

「うっ……それは……」

 図星を突かれ、商人の顔から笑みが消える。彼もまた、密貿易の限界に焦りを感じていたのだ。

 

「でも、次の秋になれば、必ずお前の船を満たす毛皮と肉が、この沙流の蔵に集まる。……来年以降も、お前たちのためだけに毛皮を隠して用意してあげると言ったら、どうする?」

 

 商人の目が、欲と疑念で細められた。

「……ガキが、一丁前に商談をふっかけてきやがる。いいぜ、乗ってやるよ。俺たちが持ってくるありったけの鉄と木綿に見合うだけの毛皮を、必ず用意して待っていてくれるならな」

 

「いいよ。ただし――」

 ハルコルは、底知れぬ深さを持つ瞳で、松前藩に恨みを持つその商人を真っ直ぐに見据えた。

 

「次に来る時は、松前藩が絶対に僕らに売ろうとしないものを、船の底に隠して持ってきてほしい。……『硝石(しょうせき)』と『硫黄』、そして鍋や鍬の形をしていない『ただの鉄の塊(地金)』だ」

 

 その瞬間、猛吹雪の音さえ消えたかのように、商人は息を呑んで硬直した。

 硝石と硫黄は火薬の原料であり、ただの鉄の塊は武器を密造するための素材だ。どちらも、アイヌが武力を持つことを極端に恐れる松前藩が、厳しく禁じている「禁制品」の筆頭である。

 

 商人は、目の前の小さな子供と、背後に控えるペカンクㇽ、そして周囲を取り囲む屈強なアイヌの若者たちを順番に見回した。彼らの眼光は、ただの狩猟民のものではない。

 

(……こいつら、松前と一戦交えるつもりか……?)

 

 商人の背筋に、寒さとは違う悪寒が走った。もしこんな禁制品を蝦夷地に持ち込んだことが松前にバレれば、密貿易の罪では済まない。一族郎党、間違いなく磔(はりつけ)だ。

 

「そ、そんなものを持ち込んだとバレたら、俺の首が飛ぶぞ……! いくらなんでも危険すぎる!」

 

「だから『密貿易』なんだろ?」

 ハルコルは、悪魔のように微笑んだ。

「お前が松前に奪われた権利を取り戻し、それを命懸けで運んでくるなら、僕らは他のアイヌの村を全部合わせたよりも多い極上の毛皮で、お前に報いてやる。……松前の作った理不尽な掟に怯えて小銭を稼ぐか、一生遊んで暮らせる黄金の富と引き換えに松前の喉元に匕首(あいくち)を突きつけるか。お前は商人として、どっちを選ぶ?」

 

 商人は生唾を飲み込んだ。

 恐怖と、それを遥かに上回る凄まじい野心。もしこいつらが松前藩の力を削いでくれれば、蝦夷地の交易権を再び津軽が握る足がかりになるかもしれない。

 数秒の葛藤の後、商人の性(さが)と松前への深い反骨心に突き動かされ、彼はニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

 

「……悪党め。いいだろう、目にもの見せてやる! 俺は商売のためなら地獄へも通う船乗りだ」

 

 だが、商人はそこで言葉を切り、今度は鋭い目でハルコルをねじ伏せるように見下ろした。

「だがな、坊主。松前を敵に回して首を括る覚悟を決めるんだ。ただの毛皮や鮭だけじゃ割に合わねえ。……『蝦夷錦(えぞにしき)』だ」

 

「蝦夷錦……」

 

「そうだ。海の向こうの大陸から、はるか北のアイヌどもに流れてくるという、あの幻の絹織物だ。江戸の武士どもが血眼になって欲しがるあのお宝を、俺のために手に入れてこい。それができるなら、お前らの望む火薬でも鉄でも、いくらでも揃えてやる!」

 

 北の果て、宗谷や石狩の奥深くでしか手に入らない幻の交易品。現在のサㇽの勢力圏では到底手に入らない代物だ。

 だが、ハルコルは一切動じることなく、静かに頷いた。

 

「……いいよ。約束する」

「ハ、ハルコル!?」

 ペカンクㇽが驚いて声を上げるが、ハルコルは真っ直ぐに商人を見据えたまま言い切った。

「来年の秋までに、僕らが北の大首長たちと繋がって、お前の船に蝦夷錦を載せてやる」

 

「ガッハッハ! 言ったな! その口約束、違えたら承知しねえぞ!」

 

 ペカンクㇽは、懐から小刀(マキリ)を取り出し、手元にあった太い木の枝を真っ二つに割り裂いた。

 そして、その割れた木片の片方を、津軽の商人へと差し出した。

 

「我ら沙流の言葉は、松前の見せかけの掟より重い。その割れた木片が、海を越えた約束のしるしだ。来年の秋、我々は再びここでお前たちを待つ」

 

「日取りはどうする?」

 商人は木片を受け取りながら、厳しい顔つきで言った。

「俺たちは命懸けの抜け荷だ。のんびり日を選んでる余裕はねえし、確かな約束なんて到底できねえ。波が穏やかな日なんざ、松前の見回り船がウロウロしてて近づけやしねえんだ」

 

「では、いつ来る?」

 

「松前の連中が海に出るのをビビるような、大荒れの嵐の夜だ。来年の秋の終わり、風が吹き荒れて海が荒れ狂う夜に、必ずこの入り江に船を寄せる。……その時まで、松前に見つからねえように蝦夷錦と毛皮を隠して待ってな!」

 

「……分かった。嵐の夜、見回りの目も届かぬこの入り江の奥に、密かに導きの火を焚いておこう」

 

 商人は興奮に顔を歪めて深く頭を下げた。

 彼らは目標を達成した安堵と、来年以降の「莫大な独占取引」、そして松前体制の転覆という危険な野望を胸に抱き、船で再び猛吹雪の海へと消えていった。

 

 それは、ただの物々交換ではない。

 今ある余剰の富で信頼を勝ち取り、「来年の秋の確実な蝦夷錦の入手」という未来の価値を担保にして、禁制品の太いパイプを築き上げる。アイヌモシㇼの歴史上初めて、松前藩という不当な独占を完全に飛び越え、本州の商人と対等に結ばれた『未来への契約』が成立した瞬間であった。

 

 猛吹雪の夜を歩き、温かいチセへと戻る道すがら。

 ハルコルは、雪の上に積まれた大量の鉄器を思い返し、厚い雲の向こうにある暗い空を見上げた。

 

(1658年が終わる。僕が八歳になったこの年、ニプタイを核として周辺のコタンを完全に統合し、本州との直接のパイプラインも築いた。……しかも、当分の間の『鉄』が手に入った)

 

 だが、ハルコルの脳裏には冷徹な課題が渦巻いていた。

 

(でも、今のままのアイヌの野鍛冶の技術じゃダメだ。和人の重い鍬やツルハシを溶かし、僕の設計図にあるような鋭く精巧な武器や銃の部品に作り変えるには、普通の焚き火や囲炉裏では火力が圧倒的に足りない。もっと高度で、鉄をドロドロに溶かすような『超高温』を生み出す手段を、何としても見つけ出さないといけない)

 

 ハルコルは、自分の小さな手をギュッと握りしめた。

 

(出し惜しみなしだ。僕の持っている前世の知識をすべて注ぎ込む。……武力も、加工技術も、僕らアイヌは和人に一歩も二歩も遅れているんだ。この絶望的な差を埋めて和人に追いつくには、一気に時代を飛び越える技術革新を起こすしかない。まずは……あの商人の要求に応えるためにも、北の内陸を切り拓く)

 

 ここまでの順調すぎるほどの成長と富の蓄積。だが、前世の記憶を持つ彼だけは知っている。このアイヌモシㇼの真の恐ろしさは、和人の強欲や、アイヌ同士の争いなどではないことを。

 

(……あと、五年。五年後に、この豊かな大地をすべて黒く塗り潰し、あらゆる命を枯らし尽くす『大地の怒り』が来る)

 

 その時、沙流の地に蓄えられたエモと、見えない数の理を弾く若者たちの知識、そしてこれから生み出していく技術だけが、アイヌモシㇼを救う光となる。

 吹雪の音に混じって、チセの中から子供たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。ハルコルは、その愛おしい声を背に受けながら、来たるべき真の厄災、そして血みどろの戦争に向けて、静かに決意を研ぎ澄ませていた。




第12話をお読みいただき、ありがとうございます!

おまけの解説コーナーです。
今回はアイヌの交易について。

【松前藩の独占と「抜け荷(密貿易)」】
江戸時代、アイヌとの交易権は幕府の公認によって松前藩が「独占」していました。本州の商人が蝦夷地で商売をするには、必ず松前藩を通し、重い税を払う必要があったのです。
しかし史実でも、松前藩の厳しい中抜きや理不尽な買い叩きを嫌った津軽や南部(青森や岩手)の商人たちは、密かに船を出してアイヌと直接取引をする「抜け荷(密貿易)」を行っていました。
見つかれば荷を没収される重罪ですが、アイヌ側にとっても松前藩の不当なレートを回避して良質な鉄や木綿を直接手に入れられるため、双方にとって命懸けでもやる価値のある「裏ルート」だったのです。

【北のシルクロード「山丹交易(さんたんこうえき)」】
アイヌの人々の交易相手は、南の和人(日本人)だけではありませんでした。彼らの視線は北の海、さらには「ユーラシア大陸」へも向いていました。
アイヌは樺太(サハリン)や千島列島を経由して、アムール川下流域の先住民族や、当時の中国(清王朝)とも広大な独自の交易ネットワークを築いていました。これを「山丹交易(さんたんこうえき)」と呼びます。
アイヌは蝦夷地で獲れたクロテンやキツネの高級な毛皮を北へ送り、代わりに大陸から美しい絹織物(和人からは『蝦夷錦』と呼ばれて珍重されました)や、青いガラス玉(タマサイ)、高度な鉄器などを手に入れていました。
彼らは決して閉ざされた狩猟採集民などではなく、北東アジアの海を股にかける「国際的な交易の民」だったのです。


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