オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~ 作:サウス
投稿する側になってわかりましたが本当に嬉しいものなんですね!!
執筆スピードが跳ね上がります!!
ここからは、
【第2章】森の要塞と、大いなるうねり、です。
あわせて、タイトルを少し変更しました。
主題と副題を入れ替えて少しいじってます。
改題後タイトルは、
『オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~』
です。
改めて、どうぞよろしくお願いします!
第13話:鉄の牙と、荒れる海【1659年 春】
凍てつくような冬が終わり、サㇽ(沙流)の川面を覆っていた分厚い氷が雷鳴のような音を立てて砕け散った。
1659年の春。九度目の季節を迎えたハルコルは、ニプタイ(二風谷)の村を包み込む湿った土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
春の陽光が降り注ぐ広場には、村の男たちや、同盟コタンから集まってきた若者たちが目を輝かせて集結していた。彼らの視線の先には、重厚な高床式倉庫(プー)から運び出された無数の木箱がずらりと並べられている。
「さあ、お前たち! 長い冬は終わったぞ!」
父・ペカンクㇽが木箱の蓋を蹴り開けると、中から黒鈍く光る大量の『鉄』が姿を現した。
昨年の秋の松前商人や、冬の猛吹雪を越えてきた津軽商人から「交易の対価」としてせしめた、凄まじい量の鉄鍋や鉄塊。それらを村の腕利きの野鍛冶たちが、冬の間に火床で叩き直し、分厚い岩すら砕く『先が尖った鉄の棒(ツルハシ)』や『鉄の鍬(くわ)』へと作り変えていたのだ。
「これより、我らの命の糧をさらに広げる! これを持て!」
ペカンクㇽが鉄の鍬を天高く掲げると、同盟の男たちが、ウォーッ! と地鳴りのような歓声を上げた。
その日から、ニプタイで、歴史を覆すほどの『農業革命』が始まった。
これまで、アイヌの畑作は木の棒や鹿の角で細々と土を掘り返すのが限界だった。しかし、ハルコルが交易の富で練り上げたこの重く鋭い「鉄の牙(ツルハシと鍬)」は、男たちが振り下ろすたびにズンッと鈍い音を立てて地面に食い込み、森に張り巡らされた太い木の根を容易く断ち切り、硬い岩混じりの土を豆腐のように砕いていく。
「すごい、すごいわハルコル! 去年まで何十人もかけて何日もかかっていた開墾が、あっという間に終わっていく……!」
ミナが、次々と切り拓かれていく漆黒の腐葉土の広がりを見て、興奮に声を震わせた。
砕かれた大地は、鉄の鍬によって高く美しい畝(うね)へと姿を変え、そこに無数の『エモ(黄金の実)』の種芋が次々と植え付けられていく。豊富な鉄器の恩恵により、昨年の数倍にも及ぶ広大なエモのプランテーションが、猛烈なスピードで誕生しつつあった。
◆
だが、その圧倒的な生産力と豊かさの裏側で、外の世界の血の匂いは、雪解けとともに急激にサㇽ(沙流)の地へと迫ってきていた。
「ペカンクㇽ殿……! 約束を頼りに、逃げてまいりました……!」
ある日の夕暮れ。広場に現れたのは、サㇽ・ペッ(沙流川)の河口(海沿い)に村を構えていた、下流域の同盟コタンの長だった。
彼の背後には、家財道具を背負い、疲れ果てて震える数十人の村人たちが身を寄せ合っている。みな、煤と泥にまみれ、中には痛ましい矢傷を負っている者もいた。彼らの瞳には、住み慣れた海を追われた絶望と、死の恐怖が色濃く残っている。
「よくぞ無事に辿り着いた。……ついに、東と西の戦火が広がったか」
ペカンクㇽが労わるように彼の手を握ると、長は無念そうに奥歯を噛み締め、激しく首を振った。
「戦火の余波などではありません! 西の『オニビシ』の兵どもが、明確に我らの村を標的にして、武装して押し寄せてきたのです!」
「なんだと?」
「奴ら、東のシャクシャインとの泥沼の争いで猟もできず、ひどく飢え猛っていたはずなのですが……村を襲うなり、『サㇽ(沙流)には冬を越すための莫大な食糧と富が隠されていると聞いた! 備えを全部出せ!』と叫んで、チセの中を荒らし回り始めたのです。……我らは松前との秋の交易で富を得たことなど、ひた隠しにしてきたはず。誰かが、オニビシどもに我らの豊かさを吹き込んだとしか……!」
その言葉を聞いた瞬間、ペカンクㇽの顔色が険しくなった。
「……これまでは違った。奴らが我らの村に近づくことがあっても、『物資を融通しろ』『西の陣営に協力しろ』という単なる脅しか、せいぜい沿岸の漁場を荒らす程度だったはずだ」
ペカンクㇽはギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「東のシャクシャインと西のオニビシは、以前に松前藩が仲介に入ったこともあり、互いに我らのいるこのサㇽ(沙流)の地を『緩衝地帯』として残し、直接境を接することを意図的に避けてきた。……だが、完全に武装して他人の村の備えを奪いに来たということは、もうあの時の抑えが一切効かなくなっているということだな」
「ええ。もう話し合いや脅しで済む相手ではありませんでした」
長が青ざめた顔で頷く。
傍らで聞いていたハルコルの脳裏には、冷たい氷のような直感が閃いていた。
(……いや、ただ抑えが効かなくなっただけじゃない。オニビシの陣営に、わざわざ僕たちの内情を教え、意図的にけしかけた奴がいる。そんな真似をして得をするのは、アイヌ同士を互いに争わせて力を削ぎ、漁夫の利を得ようとする和人……松前藩しかいない)
和人の『分割統治』の毒牙が、明確な悪意を持ってこのサㇽ(沙流)の地へ向けられたのだ。
「父さん、これは和人の差し金だよ。飢えたオニビシの連中をけしかけて、僕らの力を試そうとしているんだ」
ハルコルの静かな、しかし確信に満ちた言葉に、ペカンクㇽは太い腕を組んで深く頷いた。
「分かっている。……河口の長よ、村は捨ておけ。」
ペカンクㇽは力強く宣言し、広場の若者たちに指示を飛ばした。
「今日からこのニプタイの堅牢な砦が、お前たち全員の家だ! 蔵には余るほどの干し肉とエモがある。まずは腹いっぱい食い、傷を癒せ!」
さらにペカンクㇽは、足の速い狩人たちを数名呼び寄せ、鋭い声で命じた。
「サㇽ・ペッ(沙流川)の下流や近隣の海沿いには、まだ我らの同盟コタンがいくつもある。オニビシの狂犬どもは、飢えに任せて必ずそこも狙うだろう。急いで使者に走れ! 『チセや備えに固執するな。危なくなったらすべてを捨てて、このニプタイへ退避しろ』と伝えよ! 幾百人来ようが、我らがすべて食わせてやる!」
「はっ!」
命を受けた若者たちが、雪解けの泥を蹴立てて次々と下流域へ駆け出していく。
これまでの争いにおいて、海沿いで戦火に焼かれた者たちは内陸に「逃げ場」を持たず、小舟に乗って荒波を越え、命懸けで津軽まで逃げ延びるしかなかった。しかし今、彼らにはニプタイという「絶対の安全保障(巨大避難所)」がある。エモの圧倒的な備蓄は、村一つどころか下流域すべての人口を丸ごと受け入れても、全く揺るがないほどの強靭な基盤となっていた。
だが、海沿いのコタンが撤退し、オニビシの兵がうろついているということは、二つの致命的な問題を引き起こすことを意味していた。
◆
「……父さん。村人を避難させたのは正解だけど、サㇽ(沙流)の海沿いを完全に『放棄』してしまうのは、まずいことにならない?」
その夜。大きなチセの囲炉裏を囲みながら、ハルコルは静かに口を開いた。
「もしオニビシの兵どもが河口に居座って、川を塞ぐような巨大な網を張ったり、陣地を作って水場を荒らしたりしたら……秋になっても、あの『カムイチェㇷ゚(鮭)』が、このニプタイまで遡上してこなくなる」
その言葉に、ペカンクㇽの顔に深い影が落ちた。
「ああ。……エモの備蓄があるとはいえ、鮭は我らアイヌにとって絶対の血肉であり、毛皮と並ぶ冬の交易の要だ。河口を荒らされて遡上を絶たれれば、サㇽ(沙流)の力は半分に削ぎ落とされる」
「それに、もう一つの問題もある」
ハルコルは燃える薪を見つめながら続けた。
「西のオニビシが松前に煽られてこちらに牙を剥いてきた。海沿いはもう安全じゃない。松前や津軽の密貿易船が来る秋の終わりまでに、僕らが河口の安全を確保してあの争いをどうにかできなければ、外の商人たちと約束を果たすこともできなくなる」
「だから、村という『的(まと)』は消すけど、河口の支配権だけは維持するんだ。少人数で森に潜み、河口を塞ごうとするオニビシの兵だけを徹底的に狩る『見えない防衛線』を張るしかない」
ハルコルの提案に、ペカンクㇽは太い顎を撫でながら、歴戦の長としての鋭い眼光を光らせた。
「その通りだ。だが、我々の少人数の精鋭だけで西の大軍を抑え込み続けるのは酷というもの……オニビシが明確に牙を剥いてきた以上、我らもついに『東の狂犬』を利用する時が来たやもしれん」
「シャクシャインに肩入れするってこと?」
「ああ。以前、奴らへ食糧を貸し付けたが、あの時の『返済』をすべて免除してやる。翌年の秋に一括で返せと約束したものを、戦を口実に小出しにしてばかりだからな。ならいっそ、恩着せがましく帳消しにしてやろう。……その代わり、我らサㇽ(沙流)の河口の安全を奴らに保証させるのだ」
ペカンクㇽは、ニヤリと老練な政治家の笑みを浮かべた。
「今の我らには有り余るほどのエモと干し肉がある。これを、戦で猟ができず腹を空かせているであろうシャクシャインの陣営に、惜しみなく融通してやってもいい。かつてオニビシの情報を流してやった『貸し』もある。シャクシャインとしても、我らを大義名分にして、東と西の緩衝地帯で曖昧だったこのサㇽ(沙流)の海沿いへ堂々と兵を進めることができるのだ。我らの圧倒的な物資でシャクシャインを裏から支え、オニビシを強引に押し返させる」
「……代理戦争だね。僕らの経済力で、東の軍事力を操るんだ」
「とはいえ」
ペカンクㇽは即座に表情を引き締めた。
「完全にシャクシャインだけに任せきりにするのも危険だ。奴らが調子に乗り、勝手に我らの河口を荒らして居座らぬとも限らん。河口の防衛に限っては、我らの戦士もともに立ち、森の影から目を光らせてやる必要があるだろう」
「うん、賛成だよ。シャクシャインの大軍に正面を任せている間に、僕らの少数の精鋭が森に潜んで敵を狩り、同時に東の兵も牽制する。……そして防衛線で時間を稼いでいる間に、塞がれた海に代わる『新しい道』を切り拓くんだ」
深刻な顔で策を練る父の横で、ハルコルは内心ではどこか冷めた、そして冷徹な計算を巡らせていた。
(正直に言えば、海沿いの村々が自ら内陸のこの砦に逃げ込んできてくれたのは、僕にとって『最高の展開』でもある。……なぜなら、あと数年もすれば、このアイヌモシㇼの海沿いには、戦火など比較にならないほどの『大地の怒り』が襲いかかるからだ)
ハルコルの前世の記憶(歴史知識)が警告を鳴らしている。
1660年代、蝦夷地ではウㇱヌプリ(有珠山)やウフイヌプリ(樽前山)といった巨大火山が次々と大噴火を起こし、沿岸部に死の灰を降らせる。さらに太平洋側の海沿いは、歴史上何度も『巨大な津波』に飲み込まれ、すべてを奪い去られてきた死と隣り合わせの土地なのだ。
(海沿いはいずれ必ず壊滅する。だからこそ、サㇽ(沙流)の同胞たちとすべての富を、津波も届かないこの内陸の要塞ニプタイへ集約させる必要があった。……問題は、この時間を稼いでいる間に、内陸に交易網を作れるかどうかだ)
「ねえ、父さん。このアイヌモシㇼには、東のシャクシャインと西のオニビシ以外にも、強い力を持った首長がいるんだよね?」
ハルコルが尋ねると、ペカンクㇽは太い腕を組み、歴戦の長としての記憶を辿るように目を閉じた。
「……いるさ。血生臭い南の海沿いから目を離し、北や東の広大な内陸の大地に目を向ければ、松前の顔色など一切窺わない強大な首長(エカシ)たちがいくらでもいる」
「教えてよ、父さん」
「たとえば、ここから北の深い山々を越えた先。鮭が死ぬほど獲れる広大な川を束ねる『イシカリ(石狩)』の大首長、ハウカセ殿。あの男は、シャクシャインにもオニビシにも決して頭を下げない、独立した強大な力と誇りを持つ傑物だ。そして、さらに西の日本海を牛耳る『ヨイチ(余市)』の首長、ハチロウウエモン殿。彼らもまた、独自の海路を持ち、和人の勝手な掟を跳ね除けている」
ハルコルは、鹿の皮をなめして作った真っ白な布を広げ、囲炉裏の灰に転がっていた木炭を手に取った。父の語る情報を、頭の中の「北海道の巨大な地形」と重ね合わせ、布の上にスラスラと木炭を走らせていく。
「他にもいるのかい?」
「ああ。さらに東、険しい日高の山脈を越えた先には、広大な平野を駆ける『トカㇷ゚チ(十勝)』の猛者たちがいる。彼らはシャクシャインの背後にありながら決して屈さず、独自の誇りを持つ屈強な集団だ。……そして北へ目を向ければ、カムイミンタラ(大雪山)のふもと、巨大な盆地を支配する『ペニウン(上川)』の長たち。彼らは誰よりも森の奥深くに通じ、山の獣道を完全に支配している」
ハルコルの描く地図に、次々と新しい勢力の黒い丸が描き込まれていく。
「さらに、はるか北の果て。『ソーヤ(宗谷)』や『テシュ(天塩)』の首長たちは、もはや松前など見てはおらん。彼らは海の向こうにある巨大な大陸と直接取引をし、あの津軽商人が欲しがった眩いばかりの大陸の絹織物(蝦夷錦)や、美しい青い玉(タマサイ)を手に入れている。……彼らは皆、南の東と西の共食いを冷ややかに見つめ、決して無益な争いには加担しておらんのだ」
「……まさに、僕らが求めていたものだ」
ハルコルは、自らが描き出した蝦夷地の勢力図を見て、目をギラリと光らせた。
「父さん、猛吹雪の夜にあの津軽の商人と交わした約束を覚えているよね? 彼らから、火薬の原料や武器の素材といった『禁制品』を大量に引き出すには、どうしてもあの幻の絹織物……『蝦夷錦』を秋までに用意しなきゃいけない」
ペカンクㇽも、その言葉にハッと息を呑んだ。
「そうか……! 備えを奪いに来るオニビシや、その後ろにいる松前に対抗する『武力』を得るためには、秋までに蝦夷錦を手に入れねばならん。海が塞がれた今、あの悪党との契約を果たすには、内陸から北の首長たちと直接顔を繋ぐしか道はないということか!」
「その通りだよ。この人たちと繋がって、海に頼らない新しい『交易網』を作るんだ」
ハルコルは、イシカリ、ヨイチ、トカㇷ゚チ、ソーヤ、そしてニプタイを一本の太い線で結んだ。しかし、木炭を持つ手を止め、ふと首を傾げる。
「でも父さん、海が塞がれているのに、どうやってそこまで行くの? 僕らの村は今まで、内陸の奥深くまで繋がったことはなかったよね」
「ああ。我々サㇽ(沙流)の者は、豊かな海と川の下流だけで十分な交易ができていたからな。あえて険しい山を越える必要がなかった」
ペカンクㇽは、ハルコルが描いた地図の「山」の部分を太い指でなぞった。
「だが、山の猟師たちの中には知る者もいる。このサㇽ・ペッ(沙流川)をひたすら遡り、険しい山(ルベシベ)を越えれば、イシカリへと続く『ソーラㇷ゚チ・ペッ(空知川)』や、東の『トカㇷ゚チ・ペッ(十勝川)』の源流に出ると。……猟師くらいしか通らない細い獣道だが、そのさらに奥深くまで行けば、古くから山の民が使っている『内陸の巨大な水運の道』があるそうだ」
「猟師の獣道か……。それじゃあ、船のように何十箱もの荷物を一気に運ぶのは無理だね」
「うむ。今の道では、人が背負える分しか運べん」
「でも、それでいい」
ハルコルは木炭を置き、確信に満ちた強い声で言った。
「最初は大量じゃなくていい。まずは顔を繋ぐために、少量の交易品を持った使者を出そうよ」
「顔を繋ぐ、か」
「うん。僕らの『エモ』は、軽くて日持ちする最高の保存食だ。雪解けの厳しい山越えでも、干し肉と一緒に持っていけば旅の糧になるし、何より向こうの首長たちが一口食べれば、この作物の持つ異常な価値は絶対に伝わる」
ハルコルは、囲炉裏の横に積まれた丸々と太ったエモを見つめた。
「……こんなにも美味しくて、決して枯れない恵みの噂を聞けば、多少道が険しくても、向こうの首長たちは喜んで交易してみたいと思うはずだよ。そうすれば、いずれお互いの力で獣道を切り拓いて、もっと大きな荷を運べる本当の『道』を作れる」
いきなり大量の物流網を築くのではなく、まずは極上のサンプル(エモ)を持たせた精鋭の営業部隊を送り込み、相手の興味と胃袋を掴んでから共にインフラを整備する。
それは、リスクを最小限に抑えつつ確実なリターンを狙う、完璧な商人の発想だった。
「なるほど。まずは極上の餌(エモ)で、強大な北の首長たちの胃袋と興味を引くというわけか。……恐ろしい童(わらし)だ、お前は」
ペカンクㇽは、地図に描かれた内陸ネットワークの壮大な構想を見て、武者震いするように喉の奥で笑った。
「単なる村の防衛にとどまらず、山と川を繋ぎ合わせてこの大地を裏から支配しようというのだな」
「僕だけじゃない。父さんの『長としての顔の広さ』と『確かな情報』がないと描けない盤面だよ」
「分かった」
ペカンクㇽは立ち上がり、チセの壁に掛けられていた晴れ着(アットゥㇱ)を手に取った。
「すぐに体力のある若者たちを選び、イシカリのハウカセ殿と、他の大首長たちへ密使を出そう。猟師の道を越えるため、背負えるだけの極上の干し肉と『秘密の黄金の実(エモ)』を持たせてな。……サㇽ(沙流)の結び目が、和人の支配を覆す風になるのだ」
エゾハルゼミの鳴き声が、森に響き始めた頃。
松前藩の冷徹な謀略によって河口に火の粉が降りかかる中、ニプタイから放たれた密かな使者たちが、前人未到の巨大な内陸交易路を繋ぐべく、深く険しい北の山々へと次々と分け入っていった。
知恵と経済で戦国のアイヌモシㇼを生き抜く少年ハルコルの盤面は、ついに一つの村の枠を越え、全道規模の巨大な地政学ゲームへとその姿を変えつつあった。
第13話をお読みいただき、ありがとうございます!
おまけの解説コーナーです。
【アイヌの内陸交易路と水運ネットワーク】
当時のアイヌの人々にとって、「川」は現代の高速道路(ハイウェイ)のようなものでした。丸木舟(チプ)を使えば、重い荷物も楽に大量に運ぶことができます。
彼らは海沿いのルートだけでなく、川を上って分水嶺(峠)を越え、別の川を下るという「内陸の水運ネットワーク」を北海道中に張り巡らせていました。沙流川の上流から峠を越えて空知川(石狩川水系)へ抜けるルートや、十勝へ抜けるルートなど、アイヌの猟師たちは広大な大地の「裏道」を熟知していたのです。
【アイヌモシㇼの大首長たち】
17世紀の北海道(蝦夷地)は、シャクシャイン(東)やオニビシ(西)の二大勢力だけがすべてではありませんでした。
石狩の「ハウカセ」は、史実において非常に強大な力を持っていた石狩アイヌの大首長です。のちにシャクシャインが全アイヌに蜂起を呼びかけた際も、ハウカセは「自分たちには独自の誇りと力がある」として同盟を拒否し、絶対的な独立と中立を保ちました。
また、余市の「ハチロウウエモン」も史実に登場する有力な首長です。
* * * * *
お気に入り登録や評価、ご感想などをいただけますと嬉しいです!
調べきれていない点もあります。ご指摘もお待ちしています!
随時修正もしていきます。
この話から徐々に史実と離れていきます。
松前の支援を受けるオニビシとシャクシャインの争いが本格的に再燃したのは1661年頃とされています。
それが、沙流に第三陣営ができたために松前からの介入が早まったり、なんて想定。
アイヌモシㇼのまだ見ぬ歴史を紡ぐために、応援をいただければ幸いです!